十 顛末(一)


 弱っていたところに精神的なものも重なり、鈴雪りんせつはしばらく眠り続けることとなる。

 途中に何度か目を覚まし、医師に診てもらったり、心配そうな玉柚ぎょくゆうと言葉を交わしたりした覚えはなんとなくあるのだが、あまりはっきりとはしない。ずっと夢とうつつの狭間を行ったり来たりしていた。

 鈴雪の意識がしっかりと戻り、会話のやり取りも出来るようになったのは、すべてのことが終わってしまったあとだった。



 きちんと身支度を整えて居間へ迎えたのは、ねい貴妃きひこう賢妃けんひの二人だった。

「もう具合はよろしいのか?」

 勧められた椅子に腰を落ち着けると、黄賢妃が気遣うように尋ねてくれる。ええ、と鈴雪は笑みを浮かべながら頷いた。

「身体の怠さも取れましたし、眩暈や吐き気も治まりました」

 それでも昨日の明け方頃までは、起きているのにも怠さを感じるような倦怠感が全身に淀んでいた。ようやく床を離れてもいいと思えるようになったのが、昨日の午後頃からだった。


「お二人とも、何度もお見舞いに来てくださったとのことで……ありがとう存じます」

 頭を下げると、寧貴妃はつんとそっぽを向いてしまう。

「あら、何度もだなんて。そんなこと決してございませんのよ。黄賢妃は毎日お通いになっていらしたご様子ですけれど」

 刺々しい口調でそんなことを言い、

「今日だってね、娘子じょうしのご機嫌伺いに参っただけですわ。後宮に住まう者として、当たり前の慣例でなくて?」

 などと最後に付け足した。

 確かに王后へ挨拶に伺うのは、妃嬪達に決められた毎朝の慣習だった。今までは鈴雪がずっと不在にしていたので、そういうことはなかったようなのだが。


 そんな寧貴妃の言葉を聞いていた黄賢妃は、横でくつくつと可笑しそうに含み笑った。

「娘子。寧貴妃はこのようなことを仰っておられるが、娘子のお部屋から戻った我の許へ、まだお目覚めにならぬのか、まだか、まだか、としつこく毎日訊きに来ておられたのだ」

「黄賢妃!」

 鈴雪が言葉の意味を理解しようとするよりも早く、寧貴妃は声を荒げた。その頬が朱に染まる。

 黄賢妃の言葉を理解すると、それはとても意外なことのような気がして、鈴雪は思わず双眸を瞠る。その様子に気づいた寧貴妃は耳朶まで更に淡く染め上げた。

「……し、心配していたに決まっているではないですか! 目の前で倒れられたのですよ!?」

 初めに昏倒したとき、寧貴妃達が同席している場でのことだった。その後の応急処置を指示してくれたのは彼女だという話はなんとなく聞いていたし、部屋を探って、鈴雪が倒れた原因になりそうなものを捜してくれたのも、彼女達だった。


 仲が悪く、いつもいがみ合っている印象の二人だったが、今の様子には、以前のような雰囲気は感じられない。少し不思議な心地だったが、母とも姉とも思える年齢の女性達が揃って鈴雪の身を案じ、こうして見舞いに来てくれていることが嬉しかった。


「ところで娘子」

 真っ赤になっている寧貴妃を横目に、黄賢妃は穏やかに口を開いた。

「事の顛末はお聞き及びか?」

 しかし、口に出されたのは、あまり穏やかならぬ言葉だった。


 鈴雪は僅かに表情を曇らせながらも、いいえ、と小さく首を振った。

 眠っている間にすべてが終わってしまっていた。

 体調を気遣ってか、玉柚はまだなにも教えてくれない。だから鈴雪は、なにがどうなってしまったのか、まだなにも知らないのだ。


 黄賢妃は微かに頷き、お茶を淹れたあとは部屋の隅に控えていた玉柚に目を向ける。

「我がお伝えしても支障ないか、玉柚?」

 玉柚は僅かに躊躇うような表情を見せたが、すぐに平静の様子になり、是と答えた。


 よろしい、と頷いた黄賢妃は、一応、寧貴妃の方へも確認を取る。こういう話をするのは黄賢妃の方が適任だと判断したのか、彼女も頷き返した。

「では、お聞かせ致そう――」




     ***



 駆けつけた衛士に天麗てんれい恵世けいせいが取り囲まれるまでは、鈴雪も見ていた。それからすぐに意識を手放し、高熱と悪夢にうなされながら眠り続けることになったのだ。

 二人が拘束され、拘留場所として冷宮れいぐうに移されたあと、報告を受けた藍叡らんえいが後宮へとやって来たという。


 事情を聞いた藍叡は、俄かには信じ難い、と言わんばかりの態度で天麗に対面した。それに対する天麗はというと、不敵に、ふてぶてしく笑んだという。

「兄上様」

 そう呼ばれて藍叡は顔を歪め、今まで側室の一人として暮らしていた筈の娘を見つめる。

「今までお気づきにもならなかった? 本当に?」

 僅かに怪訝そうな目つきになった様子を見て取った天麗は、可愛らしくこてりと首を傾げ、こちらを見つめている藍叡を見つめ返す。その言葉になにも返せずに小さく嘆息すると、弾けるように笑い出した。


 一頻ひとしきり笑い続けて涙を浮かせると、それが幻であったかのように一瞬にして表情を変え、今度は冷笑を浮かべて王たる兄を睥睨した。

「愚かな兄上様。あなたさえいなければ、このような恐ろしいことは致しませんでしたのに……」

「恐ろしいこと――だと?」

 溜め息混じりに零された言葉に、藍叡は明らかに憤りを感じずにはいられなかった。掴みかかりそうになる自分の腕を理性で抑え、その怒りの元凶である娘を睨みつける。


「いったい何人を殺した」

 押し殺した声で尋ねられた問いに、まあ、と天麗は空恐ろしげに表情を歪めて見せた。

「殺しただなんて」

「お前の所業をそれ以外になんと呼ぶ」

「さあ? 天麗はただ、邪魔なものを他所にやっていただけですもの。兄上様もそうでしょう?」

 小首を傾げ、不思議そうな口調でそう零す。

「玉座を得るのに邪魔だった蒼雲そううん兄様と青嵐せいらん兄様を亡き者にしたではないの」

 意地悪く言ったかと思うと、甲高い笑い声を響かせる。

 下品にさえ思えるその笑い声は冷たい石壁に反響し、薄暗い部屋の中で不気味に響き渡ると、まるで藍叡を挑発して囃し立てるかのようだった。


 その声を、壁に拳を打ちつけることで遮る。天麗はびくりと震えた。

「黙れ、天麗! お前と同義に語るな」

 怒りに震える声を抑えながらも強く言うと、驚いて双眸を丸くしていた天麗は、にやりと笑みを浮かべる。

「――…おお、恐い。卑しい側室の子は粗暴で困りますこと」

 藍叡に付き従って来ていた竣祥しゅんしょうは、その言葉にぐっと拳を握り締める。


 先王が第一太子の蒼雲を廃したとき、次の世太子の候補にあったのは、文武に優れた第二太子の藍叡と、武に秀でた第三太子の青嵐だった。

 重臣達の意見はくっきりと二つに分かれ、強国たらしめる為には武芸に秀でた青嵐を推す者と、内政にも気を配れるように聡明さも持つ藍叡を推す者とがいた。中には生母の血筋だけで、当時の淑妃しゅくひを母に持つ青嵐が正当であるという者もあった。

 生母の身分も王位の継承順位に影響を与える。生母の身分が低ければ、それだけで立場は変わってくるものなのだ。


 結局は藍叡の方が優秀であると判断する者が多く、請われて世太子となった。しかし、王后はそれが気に入らなかったのだ。自分が蔑んできた平民出の充媛如きの生んだ子が、次代の玉座に就くことが。

 それ故に、廃された蒼雲を焚きつけ、青嵐をも唆し、内乱を起こさせた。

 その王后の子である天麗が藍叡のことを快く思っていないことは知っていたが、あからさまに口に出したところは初めて見た。


 大きく息を吸い込み、ひんやりとした埃臭い空気に嗅覚を刺激されると、ゆっくりと平静さを取り戻していく。

「――…何故、琳嬉りんきを殺した? そうまでして入れ替わった理由はなんだ?」

 天麗は面白そうに双眸をにんまりと眇めた。

「何度も申し上げていましてよ、兄上様。私はしん兄様の妻になりたいの」

 自分の言葉にうっとりするように甘美な表情を乗せ、天麗は悩ましげな溜め息を零す。

「あなたも大臣達も、お母様までも、私が先王の娘だから、現王の妹だから、それは駄目だと仰る。ならば、その身分を棄ててしまわなければならないでしょう?」

「そんなもの、廃籍を願えばよかった話ではないか。何故そうしなかった」

「だって、結局は貴族の身分ですもの。婚姻の自由はないでしょう?」

 確かにそうだ。王族の籍を離れたとしても、一級貴族の内に名を連ねることになるので、正室との婚姻には王の許諾がいる。そうなれば、やはり廷臣達の中には反対する者が現れるだろうし、それを無視することを王は出来ない。


 だから別人になる必要があったのだ、と天麗は言う。

「初めから、私が信兄様に嫁ぐことを認めておればよかったのだ。琳嬉を殺したのは、お前達に他ならぬ」

 藍叡に付き従って来た竣祥と寧大臣を睨みつけ、そう告げた。


「お前達が殺したのだ」

 その言葉はまるで怨詛だ。天麗の憤懣と怨みを込めた言葉が、己の罪を怒りの対象へと転化し、押しつける。さもそれが真実であるかのように。



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