九 秘された仇花(二)
散会させたあと、
「
鈴雪付きの侍女である彼女がこの場にいるということで嫌な予感がしてしまい、思わず声を荒げるが、それに対して玉柚はきょとんと双眸を瞠った。
「いいえ。主上がお呼びになられていると伺いまして、参りました」
不思議そうな口調でそんな答えが返る。
もちろん
王の名を騙るなどと不敬だ。いったい誰の仕業か、と腹立たしく思うが、玉柚も
揃って首を捻るが埒が明かないので、玉柚は後宮へと戻って行った。今日は朝からいろいろとあった為か、その後ろ姿には僅かに疲労の気配を感じさせた。
「其方に言いたいことがあった。其方も言いたいことがあるだろう?」
含みを持たせて言う藍叡を見て、利星は微かな溜め息を零し、小さく頷いた。
「では、まずは余から言わせてもらおう」
受け取った茶をひと口飲み下し、渇いた喉を潤してから利星を見やる。
「
利星は静かに視線を上げると、口許に薄っすらと笑みを刷いた。
やはりな、と藍叡は双眸を眇める。
鈴雪を訪ねて後宮に宋権清が日参しているという話は、藍叡の耳にも入っていた。それが官位を
その権清を、父親である利星は窘めもしない。他の嫡子も見て見ぬ振りをしていた。権清のその行動が、鈴雪の立場を悪くしていっているとわかっている筈なのに、なにもしないのだ。
何故、と先程の疑問がまた首を擡げる。
どうして宋家の者達は、揃って鈴雪の王后としての立場を悪くしたり、その位を奪おうとするのか。
あの不吉な託宣で、宋家の者達に謀反の疑いがかけられたことは知っているが、それは先王の計らいで収められているし、もうなにも問題はない筈だ。他の誰もがそう思っているし、そのように受け入れている。
「何故だ」
藍叡はまた同じ問いを発した。
いつものように目線を伏せて黙していた利星だったが、今度は理由を答えるつもりがあったようで、静かに口を開く。
「わたくしは、九年前にも申し上げました。あの娘は連れ戻すべきではない、と」
「ああ。わかっている。だから理由が聞きたい」
九年前に鈴雪を王后に迎える話が持ち上がったときも、離宮から連れ戻す話が出たときも、今日も、利星は反対するだけで理由は語らない。だからこそ、藍叡は焦れた思いと腹立たしさを感じていたのだ。
利星は断りを入れ、静かに茶をひと口啜った。
そうして、ようやく「申し上げましょう」と言ったのだ。
鈴雪は目の前で微笑む女と、その向こうに震えながら床に額を着けている女官を見て、ゆっくりと瞬いた。
微笑んでいる女はころころと愛らしい笑い声を零す。
「ではね、もう一度だけ、機会をあげるわ。私は優しいから」
「今すぐ、この人を殺して」
そんな夕媛に、目の前の女は、あどけなさを感じさせる可愛らしい笑みに染まる桃色の唇で、似つかわしくない恐ろしい言葉を吐いた。
夕媛は青い顔を更に青くする。
「どうしたの? 出来ないの?」
既に
「――…そ、それ、は……っ」
「その帯紐を解いて、この人の首にかければいいだけじゃない。早くやって」
「お許しください、
今にも泣き出しそうな声音で叫ぶと、ガツンと音をさせながら床に額を擦りつける。
震えながら許しを請う夕媛に、微笑んでいた女は急にその笑みを引っ込め、大きく溜め息を零した。
「天麗……公主……?」
驚愕から身動きが取れずにいた鈴雪は、ゆっくりと、確かめるようにその名を口にした。
「気安く私の名を呼ぶとは、あまりにも不敬。卑しい生まれの上に、教養もないと見える。嘆かわしいこと」
はっきりとした肯定の言葉ではなかったが、その口振りは、鈴雪の疑問に応えている言葉にしか感じられない。
まさか、と思考が揺れる。
「天麗公主は、五年も前にお亡くなりになったと、そう伺っていましたが……」
目の前の
「そう――そうね。そうだったわ。天麗は死んだの、五年前に」
言って、楽しげに笑う。
「お弔いもしたし、御廟の向こうのお山に墓もあるわ。天麗は死んだのだから」
死んだという部分を強調しつつも、とても楽しそうにそんなことを言っている様子に、鈴雪は無意識に身震いした。
(この方、恐い……)
にこにこと微笑んで、楽しげにしているその様子が、堪らなく恐かった。胃の奥が竦み上がるような感覚を抱き、胸のあたりがむかついてくるので、吐き気を堪える為に胸許の合わせを握り締める。
五年前――天麗公主が亡くなったとされるときに、安充媛と入れ替わったということなのだろうか。
いったい何故、どうやって、そんなことが出来たというのだろう。
人里離れた場所で、一人で暮らしているわけではない。ここは国主の
「……どう、やって……どうして……」
震えて上擦る声で零すと、天麗は小首を傾げた。端的な言葉の意図しているものを探ろうとしているのだろう。
そうして少しすると、ああ、と気づいたように頷く。
「私と
ねえ、と夕媛に同意を求める。彼女は震えながら頷いた。
「背格好は同じくらいだったけれど、顔はね、そんなに似ていたのでもないのよ。でもね、声だけは、誰もが聞き間違えるくらいによく似ていたの」
言いながらふらりと立ち上がり、窓辺に寄ると、少し冷えた風の入って来ていた戸を閉める。
「人ってね、声の印象が強く残るものなの」
薄絹の貼られた窓が閉められてしまうと、陽射しも遮られ、室内が少し薄暗くなったように感じる。その所為か、振り向いた天麗の顔に影が差し、俄かに不気味さを感じさせた。
「兄上様でさえ気づかなかったわ。寝所を共にしても、気づかなかった」
おかしそうに零されたその言葉にハッとする。
「琳嬉は少しふくよかだったのに、骨の浮いた私を抱いても、気づきもしないの。鈍いのだか、それとも、ご自分の側室に興味がないのか」
当時のことを思い出したのか、天麗は口許に手を当てて肩を震わせた。
彼女は今まで安充媛として――藍叡の側室の一人として、この後宮にいたのだ。それならば夜伽の為に彼と同衾していたに決まっている。
母親が違うとはいえ、血の繋がった兄と妹だ。そのことに気づいた鈴雪は、思わず吐き戻しそうになる。
不快感でたっぷりといった表情で見つめてくる鈴雪の様子に気づき、天麗は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「知らなかったのね? 母親が違えば、兄弟姉妹で婚姻するのよ。濃い血統を残す為には必然のことだし、血統を繋ぐのは王族の役目ですもの」
「でも、実のお兄様ではないですか」
「あなただって似たような血筋じゃない。
確かにそうだ。数代前の太子の家系の黄賢妃よりも、鈴雪の方が王家に近い血筋ではある。
それでも、実の兄妹ではない。
「私のお母様もそうだった。お父様の母違いの姉君」
先王の代は、王自身を含めて太子が十三人と公主が二十八人いたという。
「けれど、子供は私だけ。女は玉座に座れない。だからお母様は、私を兄上様の王后にしたかったの」
何故、と口をつきそうになったが、そんなことは決まっている。王太后は、後宮の――ひいては国政の実権を握りたかったのだろう。四十年以上も後宮の頂点に君臨し続けた人物なのだから、それくらい望んでいてもなんら不思議はない。
一人娘を王后とすることによって、自分が退いて以降も後宮や宮廷に干渉するつもりだったのだろう。
だが、託宣に因って鈴雪が選ばれ、天麗が王后となることはなかった。
そして、多くの妃嬪を抱えるつもりはないらしい藍叡は、これ以上側室を迎え入れるつもりはないのだと思われる。どう足掻いたとしても、天麗が後宮で権力を握れる立場にはなれないのだ。
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