七 亡女達の執着(四)
「お前の考えていることもわかる」
「俺が
苦しげに顔を顰め、
「
「はい。薬は毒ともなります。使われたものは、正しい量を服用すれば薬ですが、乳児に与えるには相応しくないものでした。つまり、不審に思う可能性は低いものを原因として、御子様達はお亡くなりになられています」
竣祥は小さく息をつき、改めて顔を上げる。
「
その言葉に寧貴妃は顔色を変えた。泣き腫らした目で竣祥を睨み、眉を吊り上げる。
「処理をせずに使えば、それはまさしく猛毒。薬ではない」
後宮に暮らす妃嬪達は、毎日朝昼晩の三度、体調に合わせた薬湯を服用している。処方するのは後宮付きの医師で、彼等の指示に従って薬膳処という場所で調合される。
後宮内に入る薬草はすべて薬膳処に持ち込まれる。例え妃嬪達の実家からの差し入れというものでも、彼女達に直接渡ることはなく、まずは薬膳処で検分されるのが通例だった。それは高位の貴妃でも、王太后でも同じことだった。
しかし、もちろん抜け道はある。それを利用して、寧貴妃などは自分用の薬草を手に入れていた。
それでも、減毒の処理をしていない有毒の生薬を仕入れるようなことは、決してしなかった。もしもそれが見つかったとき、毒殺を企てていると判じられる可能性があるからだ。そんな愚を犯すようなことはしない。
「つまり、そういうことです。たまたま処理の施されていない生薬が薬膳処へ入り、たまたまそれが薬湯として処方された。または、処方の手違いで調合を間違えたものがあって、たまたまそれが御子様のものだった――そういう偶然が重なった様子を装って、御子様達の許へ運ばれたのです」
有毒の生薬に関わらず、少し配合を違えれば、健康を損なう薬湯になることもある。
このことに関しては、随分と以前から調査を重ねている。しかし、妃嬪達に薬湯を処方する医師達に不審なところもなければ、調合する薬膳処の者達にも特に後ろ暗い者も見当たらず、完全に手詰まりになっている。
だが、幼子の死因が事故ではなく、薬物の中毒死である以上、何処かに必ず仕向けた人物はいる筈なのだ。
「王后様」
竣祥は考え込んでいる鈴雪に向かって告げる。
「先日のお話を、覚えておられますね」
犯人捜しをして欲しいという話のことだろう。もちろん覚えている、と頷くと、竣祥は持っていた帳面を開いて鈴雪へと向ける。
「以前から、我々でも可能な限り、女官達に聞き取りをしておりました。その証言をこちらに纏めてございます」
「拝見致します」
受け取って文面に目を通し、頁を捲る。
素早く次々と目を通していくが、信じられない思いで眉根を寄せ、もう一度読み直す為に頁を戻る。
「……お気づきになられましたか?」
問いかける声に、鈴雪は慎重に頷く。
聞き取りの回答はどれもが寧貴妃と
特に寧貴妃は、元から薬草に対する深い見識を持っていたことで、不審に思う者が多いようだった。
寧貴妃と黄賢妃は顔色を変える。
「いったい誰がそのようなことを!」
「なんたる侮辱か……っ!」
証言した者の名を教えろ、と二人に詰め寄られるが、鈴雪は慌てて帳面を閉じ、竣祥に戻した。
子殺しの犯人を捜せ、と二人が鈴雪に頼んできた理由というのは、自分達の力が及ぶ範囲では、人為的とさえ思えるほどに寧貴妃と黄賢妃を疑う声しか聞こえてこないから、他の視点から探って欲しいということだったのだ。
それを初めからきちんと言っておいて欲しかった。鈴雪はただ単に、妃嬪達のことを探って子殺しに手を染めているような者はないか、それを探すのだと思っていたのだ。
二人の様子を見ていて、彼女達はただの被害者だと感じられた。ただでさえ己の子供を失っているというのに、他の妃嬪達の子を奪うような非情さは持っていないと思える。
「そこで、二人目の下手人だ」
藍叡が二本の指を立てて言う。
彼はこの話を始める前に、子殺しに手を染めた者は恐らく三人いる、と言っていた。一人はもちろん天麗公主。そしてもう一人は――
「王太后だ」
これまた既に亡くなってしまっている人物だ。
「どうして王太后様だと?」
鈴雪はまた胃のあたりが痛むのを感じながら、藍叡に尋ねる。
「至極簡単なことだ。彼女は俺を嫌っていた。俺の即位を不満とし、
世太子を外され、後継者から引き摺り下ろされた第一太子と、側室の子で第二太子の藍叡に玉座を得る資格があるのならば、自分もそうであるべきだ、と簒奪を試みた第三太子の二人が結託して起こった十三年前の内乱――それを契機に国政は暫し乱れ、運悪く旱魃などの天候不順が続いた故に、鈴雪が御廟から連れ出されることになったのだ。
その原因を作ったのが、三年前に亡くなるまで後宮を治めていた、先王の正室だという。
「そんな方、追い出してしまえばよろしかったではないですか」
後宮に身を置くことになったそもそもの原因である女性の存在に腹が立ち、鈴雪から少々きつい物言いが口をついた。
王太后が先王の菩提を弔わず、いつまでも後宮にいた理由は聞いた。それでも、その人が子殺しを指示していたというのならば、置いておくべきではなかったのだ。例え側室達に後宮が牛耳られ、本来の主である正室が蔑ろにされるような事態になっていたとしても、慣例通りに尼寺へやっていれば、失われずに済んだ命もあったではないか。
しかし、これも今更の話だ。
過ぎ去ったことを、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と後悔して嘆くのは簡単なことだが、それだけだ。愚かしい。
「王太后がやったことは、薬膳処へ対しての、薬湯の調合の指示だ」
不満げにしている鈴雪の様子を見ながら、藍叡は静かに話を続けた。
「これは俺も知らなかったことだが、遥か昔から、王母という者は、妃嬪達の子を間引いていたらしい」
ハッと、三人の妃嬪は息を飲んだ。
「薬湯の調合に因って、子を孕みにくくしたり、堕胎を促したり――そういうことをするのが当たり前だったそうだ」
健康の為に日に三度の薬湯は欠かせない。薬湯に関して専門的な知識を有する者は医師と薬膳処に勤める者達ぐらいで、運んで来る女官もなにも知らないし、調合するところを見ていたとしても、どのような効能があるかは詳しくわかってはいなかっただろう。
王太后ともなれば、医師に指示してそういった薬湯を調合させたり、混ぜ物をさせるくらい簡単なことだ。煮出してしまったものではなにが入っているかなどわからないし、誰も疑わず、それを口にしていたことだろう。
黄賢妃は、死産と二度の流産の後、ようやく無事に産声を上げた我が子を腕に抱いた、と言っていた。
子は授かりものだ。上手く胎の中で育たないこともあるだろう。それでも、藍叡の側室達が流産や死産を迎えるのは、確率的にも少し多いような気がする。
そのことも、王太后が仕組んだことだったというのならば、あり得ないことではないのかも知れない。
「御子がおらねば王室は続きません。それは王太后様とて、望まぬものだったのではないでしょうか?」
いくら藍叡が気に食わなかったからといって、世継ぎを奪ってしまっては国が亡びる。自分の子が玉座に就けなかったからといって、そんな短絡的なことをするような人が、正室として長くいられただろうか。
何故、と鈴雪が呟くと、藍叡と竣祥もそれに同意する。
「俺に子がなければ、次代は蟄居の身の
自ら望んで幽閉された第四太子と、気儘に暮らす先々代王の最後の太子――そのどちらかを玉座に据えようと企み、そんなことをしていたというのだろうか。
(愚かな方だ)
鈴雪は急に虚しくなった。
王太后は、藍叡の治世を見ていて、なにも感じなかったのだろうか。
天候などの避けようもないことに因る飢饉を除けば、役人の不正もほとんどなく、税も重すぎず軽すぎず、国防も抜かりなしで、国情は非常に安定している。民達の口からも藍叡の政策を批判する声は少なく、善き王と謳われているではないか。
それこそが、国の正しき姿であり、為政者の在り方ではないだろうか。
なのに、なにが不満だったのだろう。ただ側室の子であることが気に食わなかっただけで、子を間引くように指示していたというのならば、愚かとしか言いようがない。
鈴雪は胸につかえるような吐き気を感じ、静かに拳を胸許に当てた。
「そして、三人目の下手人だが」
藍叡は三本目の指を立てて話を続ける。
言われてみて気づく。先日亡くなった黄賢妃の息子の死に、既に亡くなっている王太后が関わっている筈がない。つまり、これはまた別の人間の仕業なのだ。
「これはまだなにもわからぬ。このことに関しては、鈴雪」
呼ばれて顔を上げるが、目の前にいる筈の藍叡の姿が見当たらない。
驚いて瞬くが、視界がぼやける。
「……鈴雪?」
視線を彷徨わせる鈴雪の様子に、藍叡は怪訝そうにもう一度名前を呼んだ。
しかし、鈴雪はまだ視線を彷徨わせている。
「鈴雪、聞いているのか?」
藍叡はもう一度問いかけるが、鈴雪はなにも答えず、焦点の合わない瞳であたりを見回し――その直後、大きく半身が傾いだ。
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