七 亡女達の執着(三)
「
そう言って竣祥に視線を投げると、彼は頷いて立ち上がった。藍叡の命で直接動いたのは彼だったらしい。
「宮殿内での事象の如何なることも他言すべからず。そのような法度もございまして、話を聞けない者もおりました」
「端的に話せ」
「失礼致しました。現在も後宮内に在職しているのは、現女官長の
えっ、と
(玉柚が……)
まったく知らなかった。彼女は離宮に移ったときから鈴雪の傍にいてくれたし、なにもかも世話をしてくれていた。
だが、元天麗公主付きの女官だったからといって、一連の子殺しに関係している筈がない。彼女は初めの
「その中で、冷宮管理の内の一人と、女官長に話を聞くことが出来ました」
静かに告げて、一度軽く咳払いをする。
「結論から申し上げますと、第一太子、第一公主、第二公主を殺められたのは、天麗公主ということでした」
その言葉に、鈴雪も、寧貴妃と
三人もの幼い子供の命を奪うとは――天麗公主は、いったいなにを考えていたのだろう。
大切な我が子を奪われた母である寧貴妃は、膝の上で拳をきつく握り締め、今にも叫び出しそうになる唇を噛み締めて耐えている。双眸も涙を堪えて潤み真っ赤になっているが、話の先を促すように、黙って竣祥を見つめていた。
「龍蓮太子が、口答えなさったことが気に障ったようだった、とのことです」
それを答えてくれたのは、冷宮の管理官をしている女だった。彼女は左の頬と腕に大きな火傷の痕があり、その所為で人前に出る仕事が出来ずに冷宮に身を置くようになったのだという。その火傷を負わせたのも、天麗公主だった。
当時もうすぐ四歳になろうかという龍蓮は、自我が大きく発達している時期でもあり、語彙の増えてきた口で生意気を言うようになっていた。
あれをしよう、これをしよう、と天麗公主が話しかけるのを悉く「いやよ」と断った。それは本心から嫌だったのか、ちょっと我儘を言って困らせてやろうという、幼い子供らしい甘えた態度だったのか、誰にもわからなかった。けれど、公主の提案を断るその仕種が可愛らしくて、子守りや女官達は微笑ましく見守り眺めていた。
そんな態度に気分を害したのは、自分の提案を否定された天麗公主だけだった。
彼女は龍蓮を抱き上げる仕種をしたかと思うと、そのまま傍の池に放り投げてしまったのだという。非力な彼女にそんなことが出来るとは誰も思っていなかった。
驚いた女官達は慌てて池に駆け寄り、冷たい水に落とされた大切な幼い太子を救い上げようとしたが、天麗に命じられて足を止めさせられた。逆らうと痛めつけれるのは誰もがわかっていたので、恐怖から身が竦んでしまったのだ。
『兄上様の御子などおらねばよいのだ』
上がって来ようとする幼い甥を水中に突き戻しながら、彼女ははっきりとそう言ったという。つまり彼女は、明らかな殺意を持って龍蓮を沈めたのだ。
折檻を受けるとわかりつつも、何人かの女官が勇気を振り絞って衛士を呼びに走った。元女官もその一人だった。お陰で鉄瓶に沸いた煮え湯を浴びせられ、生涯消えない火傷を負わされることになったのだ。
程なくして駆けつけた衛士達は、池の中から懸命に小さな太子を救い出している天麗公主の姿を見て、慌てて駆け寄ってその小さな身体を受け取ったが、ぐったりとした子供は再び動くことはなかった。
面会時間になっても息子が現れないことを怪訝に思い、寧貴妃が捜しに来たときには、天麗も池から救い上げられたあとで、ずぶ濡れの彼女は半狂乱になる寧貴妃に向かって「ごめんなさい」と呟いて倒れた――それが当時の顛末だという。
恐ろしい方だった、と元女官は語った。何処をどうすれば、あのように瞬時に表情や声音を切り替えることが出来るのだろうか。あの二面性は、恐らく生母である王太后でも知らなかった筈だ、と青褪めた顔で震えながら呟いた。
話を聞いていた寧貴妃は堪えきれなくなったらしく、両手で顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。
鈴雪も恐ろしくて堪らなくなる。
美しく無邪気でいつまでも少女のようだったという天麗公主は、はっきりとした殺意を持って幼い太子を池に沈め、それを隠すように自ら池に飛び込んで救出劇まで演じて見せたのだという。なんと強かで恐ろしい人だったのだろうか。
そっと藍叡を見やる。彼はなにも言わずに竣祥の報告を聞いていたが、今はなにを思っているのだろうか。
「
龍蓮太子が亡くなってからしばらくして亡くなった
「赤子など、泣くのが仕事でしょうに……」
鈴雪は愕然として思わず呟く。
楊昭儀の亡くなった娘は、生まれて一年にも満たない赤子だったと聞いている。そんな年の頃ならば、泣くか寝るかのどちらかしかないではないか。
確かに、いくらあやしても泣き止まなければ苛立ち、どうしようもない気分にもなるかも知れない。それでも、普通の感覚の持ち主ならば、殺してしまいたいほどの感情には至らない筈だ。
癇癪持ちだったにせよ、天麗公主はあまりにも堪え性がない。理性が歪んでいるとしか思えなかった。
それを増長させたのは、明らかに生母である王太后と、兄の藍叡に他ならない。
鈴雪は黙って藍叡を見つめる。本当に彼は、今までいったいなにをしていたのだろう。何人もの子供や女官達に危害が加えられていたというのに、まったく僅かにも天麗公主のことを疑いもしなかったというのだろうか。
「……
泣き腫らした眼を竣祥へと向け、寧貴妃は尋ねた。
「先程、第二公主もと仰いましたよね? では、暁華も、天麗公主が……?」
その涙に震えた声にハッとする。
第一太子龍蓮、そして第二公主暁華も、寧貴妃の生んだ子なのだ。
竣祥は寧貴妃の縋るような瞳に痛ましげな表情を見せながらも、小さく「はい」と頷いた。
その答えを聞いた寧貴妃は声もなく震え、全身を強張らせたかと思うと、ふっとその場で傾いだ。それを隣に座っていた藍叡が腕を伸ばして支える。
「あぁっ、主上……! 龍蓮は……暁華は……っ」
支えられた腕に縋りつくようにして、寧貴妃は泣き始めた。その細い肩を抱き寄せ、藍叡も沈痛な表情で慰めている。
その様子に、鈴雪はなにも言えなくなる。藍叡の落ち度だと責める気持ちはあったが、彼だって我が子を失った父親だったのだ。なにも感じていないわけがなかった。
チクリ、と胸の奥と胃のあたりが痛んだ。
命懸けで幼子を救い出した天麗公主を疑うような余地はなく、真相を知っていた女官達は折檻を恐れて口を噤み、誰一人として、その凶行を止めることは出来なかった。それ故に、公主の子殺しは続いたわけだ。仕方のないことといえばその通りだったのだろう。病弱な公主が恐ろしい凶行に手を染めるような残虐な娘だと、誰が想像し得ただろうか。だからこそ、こんなことになっている。
しかし――と、鈴雪は首を捻る。
天麗公主が亡くなったのは五年前だという。だが、それ以降に生まれた三人の子供も亡くなっている。
「今はもう、何故そのような恐ろしいことになっていたのか、確認のしようもありません。元女官達の証言だけが証拠なのです」
竣祥はそう言葉を結んだ。
死人に口なし。いくらでも天麗公主の所為にすることは出来る。
だからこそ、鈴雪は奇異と感じた。
死産であった嬰児達以外のすべての子供達の死を、今は亡き天麗公主の仕業としてしまうのならばわかる。けれど、彼女の死後に亡くなった三人の子供達のことは説明がつかない。別に犯人が必要となってしまう。
先日亡くなった黄賢妃の息子は、明らかに薬物による中毒死だったという話は、鈴雪も聞いている。だから黄賢妃も、子殺しに手を染めている人間は複数人いる、と想定していたのだ。
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