七 亡女達の執着(一)



 石広間で繰り広げられる宴会は、本当に賑やかしいものだった。

 旅芸人の舞台も、多人数での群舞なども見たことのなかった鈴雪りんせつは、目の前で繰り広げられる数々の芸に、ただただ目を丸くしていた。


 列席する廷臣達は、確かに先日のときよりも人数が多い。それでも、ざっと見渡した限りで、権清けんせいの姿は見当たらない。ここに出席出来るほどの地位にはないのだ。

 事前に恵世けいせいに尋ね、実の父と長兄である人物の席は確認してある。上座寄りに設けられている様子からも、二人は高位の官職を賜っていることがわかる。

 この宴の騒がしさに乗じて、声をかけることは可能だろうか、と思う。権清があの程度のことで諦めるとは思えず、出来れば父親の方から釘を刺してもらいたいのだが。

 しかし、別の道を歩み、すっかりと関わりを絶っているこの関係を、敢えて崩す必要はあるのだろうか。このまま他人のように生きて行く方がお互いにいいに決まっている。


 ちょっとした話し声など聞こえないほどに盛り上がり、賑やかしく響く笑い声と楽の音に頭痛を感じながら、鈴雪は黙々と料理に箸を伸ばす。とにかく平静を装って、宴を楽しんでいるように装わなければ。

 主賓である永清君えいしんくんは、相変わらず男だか女だかわからない風体で、楽しそうに酒を飲んで藍叡らんえいに話しかけている。藍叡もそれに時折頷き返し、答えていた。


娘子じょうし

 そんな永清君が舞い手達の群舞に混じって踊り出したところで、今夜は隣に座っているねい貴妃きひから声をかけられる。一瞬驚いてしまうが、はい、と静かに笑みを向けた。

「この宴のあと、少々お時間を頂けまして?」

 艶やかな笑みと共に告げられた提案に、鈴雪は思わず瞬く。

「構いませんが……遅くなりませんか?」

 恐らくこの宴会は、日付が変わっても続くことになる。抜け出そうと思えば可能だろうが、それでもまだしばらくは難しいだろう。

「今ここでや、明日ではいけないことですか?」

 どうせ自室に戻ってもたいして眠ることが出来ないので、鈴雪はまったく構わないが、夜更かしは身体に障る。寧貴妃の身が心配だった。


 それでも寧貴妃は、はい、と頷き返した。

「迎えをやります。供は連れずにいらしてくださいまし」

「供を?」

「もちろん私も連れません。気づかれぬように、裏戸の方へ抜け出してください」

 妃嬪に与えられる房は、寝所と居間と女官達の控えなどのいくつかの部屋が連なり、小さな庭を囲うような形になっている。それが回廊でいくつも繋がって棟となり、方角に因って呼び名がつけられている。どの部屋も大なり小なり広さは違えど、同じ構造をしているので、寧貴妃が何処を指して指示をしているのかはすぐに理解出来た。


「女官達に聞かれてはならぬ話ですか?」

 寧貴妃が声を落として話すので、鈴雪も少し落としてみる。呼べばすぐに気づく位置に用を足す為の女官達が控えているからだ。

 ええ、と寧貴妃は頷く。

「特に娘子の――なんと言いましたか? 細身の、背の高い女です」

 鈴雪に仕える女官達の中で、背が高いと言えば恵世と玉柚ぎょくゆう、それに小玉しょうぎょく紅可こうかだ。細身と言えば恵世と玉柚だが、この口振りだと、若い女を示しているような気がするので、玉柚のことだろうか。


 師でもあり参謀でもある腹心の侍女を名指しされ、鈴雪は思わず眉を寄せる。

 その様子に気づいた寧貴妃は、微かに苦笑する。

「あの女が娘子にとってどういう者か、わかっているつもりです。それでも敢えてお願い申し上げているのです」

「それは……私一人では、なにも出来ぬ小娘だと思ってのことですか? 玉柚の助けがなければ、なにも決められぬし、身動きが取れぬとでも?」

 だから一人で来いと言うのだろうか。事情に疎い鈴雪一人ではなにも出来ないから。


 真意を確かめようと尋ねると、まさか、と彼女は笑った。

「ご冗談を。いくらなんでも、そこまで娘子を侮ったり致しませぬ」

 そう言いながら、反対隣りの席へと視線を向けた。そちらに座っていたのはこう賢妃けんひだが、寧貴妃からの視線に気づいて振り向くと、微かに頷き返す。


(どういうこと?)

 二人の目配せの意味を判じかね、鈴雪は眉根を寄せた。


「では、娘子。また後程」

 そう囁きかけた寧貴妃の語尾を、火吹き男の芸に投げかけられた歓声が掻き消す。

 鈴雪はまだ少し腑に落ちない心地になりながらも、頷き返していた。





 やはり日付が変わるまで宴は終わりを見せなかった。

 慣れない場に疲れた身体を引き摺ってなんとか寝支度を整え、女官達を下がらせる。彼女達も少し宴疲れをしているような顔をしていた。


 疲労感から溜め息をつきつつ灯を落としていると、卓上に飾った一昨日貰ったばかりの桃が目についた。部屋の中に充満するほどに濃厚な香りを放つ立派な桃だったので、しばらく飾って眺めていたかったのだが、この暑さの所為か、少し傷み始めているようだ。しっかりした果肉だったので、もう少し保つかと思ったのに。

 これは美味しいものだということはわかっていたので、悪くなる前に頂いてしまおうと思い、小刀を手にする。

(こんなことが見つかったら、怒られるわよね)

 眉を吊り上げる玉柚の姿を想像しながらも、手早く切り割って口に運ぶ。果汁たっぷりの瑞々しい果肉は、とても濃厚で甘く、今まで食べたどの桃よりも美味しかった。やはりこのまま腐らせてしまうのは勿体ない上物だったのだ。


 疲れていた所為か余計に美味しく感じられた桃をぺろりと平らげてしまうと、卓に零れた果汁を拭き取って残った種子を処分し、何事もなかったかのように整える。

 よしよし、と満足げに頷き、寝床代わりにしている長椅子の傍のひとつだけを残し、他の灯りをすべて落としておく。女官達も寝支度を始めた様子を対面の窓越しに眺めながら、部屋履きから靴を履き替えた。

 寝間着も着替えようかと思ったが、気づかれたら厄介だと思い、取り敢えず羽織り物を手にして庭へと忍び出る。


 幸いにも月明かりが陰ってきてくれたところで、人影に気づかれるということはなさそうだ。裾が枝葉を擦って音を立てたりしないように巻き上げてから、整えられた小径こみちを足早に通り抜け、奥の裏戸の方へと向かう。ここは内側から簡単な閂がしてあるだけなので、すぐに開けられた。


「え……こう侍従?」

 慎重に表に出てみると、そこには意外な人物の姿があった。

 はい、と頷いた彼は、そのまま案内の為に先に立つ。

 いったいどういうことだろうか。寧貴妃からの呼び出しだというのに、何故藍叡の信頼するこの人がここにいるのだろうか。

 疑問符を浮かべながらも、寧貴妃が言っていた迎えの者というのがどうやら彼だということを悟り、黙ってついて行く。それでもやはり不可思議でならなかった。


 しばらくして辿り着いたのは、後宮よりも正殿寄りの人工池に架けられた橋の中程に建てられた、瀟洒な小塔だった。一階部分は侍従などが控えられる場所となっていて、二階部分が月見台になっている。

 細い太鼓橋を渡ってそこに入ると、中には既に人が待っていて、洪侍従が声をかけると振り返った。

「寧貴妃、王様……黄賢妃に、竣祥しゅんしょう様まで」

 卓を囲っていた人々の姿に、鈴雪はただただ驚く。

 洪侍従が裏戸で待っていたことで、なんとなく藍叡も同席しているような気はしていたのだが、まさか黄賢妃や竣祥までいるとは思わなかった。


「座れ、鈴雪」

 入り口で立ち竦んだままの鈴雪に向かい、藍叡は空いた席を示した。

「時が惜しい。これまでのことを擦り合わせてしまおう」

 そう言って切り出され、その場にいた者達は全員頷いているが、鈴雪はなにがなんだかわからない。


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