六 面倒事(三)


 苛立ちながら部屋に戻ると、そこにはこう賢妃けんひの姿がある。

「すぐに戻られると伺ったので、失礼かとは思うが待たせて頂いた」

 予想していなかったことに少々驚いていると、立ち上がって丁寧に拝跪しながら説明してくれた。

「そうでしたか。恵世けいせい、黄賢妃にお茶をお出しして。――長くお待たせしたのなら申し訳ありませんでした。なにかご用でも?」

 席を勧めて腰を下ろすと、黄賢妃は大きく頷いた。


「昨夜、主上は我の許へお出でくださった」

 そういえば昨夜の『お渡り』は黄賢妃だったか、と記憶を手繰り寄せる。後宮の主人である鈴雪りんせつの許には、どの妃嬪が夜伽を務めるのか報告が届けられるのだ。

 そんなことをわざわざ報告に来たのだろうか、と首を傾げながら茶を受け取り、権清けんせいとのやり取りで苛立った為に乾いていた喉に流し込む。


「あなたのことを伺った」

 黄賢妃も口許を隠してお茶を飲みながら、そう答えた。

「私のこと、ですか?」

 ドキリとした。いったいなにを聞いたのだろうか。

「着飾ることを好まず、それがどうにかならぬか、と」

 卓の上にそっと茶碗を戻し、くくっ、と可笑しそうに笑った。

 その言葉に、鈴雪は思わず言葉を失う。はあ、と間抜けな返事が零れた。

「王さ……主上が、そのようなことを?」

「案じておられるのだろう。みすぼらしい姿を見せれば、民に侮られるはあなただけではない。王室は困窮しておるのかと民が思う」

「そんなこと」

「無きにしも非ずよ。王后を着飾らせることも出来ぬほどに困窮しておるのかと思えば、国庫を潤す為に更なる課税を懸念する者も出て来る。他国に知られれば、軍備も手薄になっておろうと判断され、最悪、攻め入られることだろうな」

「まさか……そのように短絡的ではないでしょう」

「どうだかな。他人の考えることなど、他人にはわからぬ」

 豪奢な衣裳を纏うのは権威の象徴であると同時に、国が豊かであることを示す指針なのだ。国王らしく高価な絹に身を包み、金銀細工や玉で飾り立てれば、それだけで国庫は潤っているのだろうと見受けられる。


 しかし、あまりに華美過ぎるのも問題ではある。あまりにも多くの金や玉を身に着けていれば、無駄遣いだと、税を納める民達の反感を買う。

 派手好きのねい貴妃きひは昔からそういったことによく苦言を呈されるが、彼女の持つ宝飾品のほとんどは実家である寧家からのものだ。御子を生んで地位を上げることも妃嬪の格を示すものとして必要だが、それよりもやはり、実家の財力というものがものをいう部分もある。政治と金は表裏一体なのだ。

 黄賢妃も、王家の傍流である実家という血筋と、広大な領地から得る財力を持つ大貴族だ。それだけで入宮のときから高位の地位を賜っていた。


 そんな二人に対して、鈴雪はなにも持たない。だから藍叡らんえいが、婚礼の支度もなにもかも女官達に命じて準備をさせたくらいだ。もちろん大々的な婚儀というものがなく後宮へと封じられる側室とは違うので、そういった意味では鈴雪の支度の一切を整えるのは王室の役目なのだが、日々の暮らしの中での体裁を整えるものは、普通は実家が用意するものだった。


「故に主上は、娘子じょうしのお衣裳を整える手伝いをせよ、と我に申しつけられた」

 微かな笑みを浮かべながら告げられた言葉に、鈴雪は双眸を瞬かせる。

「黄賢妃に?」

「然様。寧貴妃とは好みが合わぬと思うたのであられよう。……お見受けする限り、確かに、寧貴妃が好むような濃い色合わせは、あまりお好みではないようだな」

 鈴雪の服装を確かめてから頷いた。

 今日の衣裳は、老竹色の衣に縹色の帯を合わせ、白地に銀糸で花刺繍の入った長衣を羽織っている。確かにこちらに戻って来てから着ていた衣裳の中では、柿色のものの次に好みに近い色合わせかも知れない。

「先日の黒の衣裳もお似合いだったが、きっと娘子は、本来ならそういった柔らかい色合いがお好きなのだな」

「そうですね。あとは、橙とか」

「然様か。では、そこな侍女や。先日主上から賜ったという反物、まだあるのだろう? こちらへ持って来ておくれ」

 声をかけられた夕媛ゆうえん丁花ていかは一瞬困惑気な表情をして玉柚ぎょくゆうと恵世の顔を見るが、すぐに玉柚が「ただ今お持ちします」と一礼したのを見て、同じように礼を取ってから物入れの方へと向かう。

 あのあと永清君えいしんくんがやって来たり、権清のことがあったりと少し慌ただしかったこともあり、二反程を仕立てに回しただけで、まだ女官達に分け与えることも出来ずにいた。もらったものはほとんどそのまま残っている状態だった。


 少し時間がかかってすべて運び込まれると、黄賢妃は検分するように色合いなどを見始める。鈴雪も一応そのあとをついて行った。

「王后という立場上、貴色である黄の衣はいくらあってもいい。ある分だけ仕立てるがよろしかろう。白い色も似合う。今の時期なら、青系の色糸で刺繍を入れたものなども涼しげで好かろう。如何か?」

「はい」

「あとは……少し地味だが、この松葉色もいいかも知れぬな。帯の合わせはあとで考えよう。これとこの生地は長衣に向いている。だが、色がよくないな」

 黄賢妃は次々に反物を示しては指摘し、控えている玉柚と恵世に言いつけていった。それを書き留めながら、夕媛と丁花が仕分けていく。隣の部屋で片づけ物をしていた紅可こうかも加わり、房の中は急に賑やかしくなった。

「先程も申し上げたが、先日の黒のお衣裳はよく似合われていた。挿し色を変えて、もう一枚くらい仕立てられるのもよいのではないか?」

「わかりました」

 指示されたことに素直に頷き返していると、黄賢妃は可笑しそうに目を細める。

 その表情がとても温かみのあるものに感じられたので、鈴雪は少しだけ首を傾げた。

「なにかおかしなことをしたでしょうか?」

「いいや。失礼をした。その……我に娘というものがあったら、こういうことをしてやることもあったのだろうか、と思うてな」

 その言葉にハッとする。

 黄賢妃が藍叡の側室となってから十三年。順調に懐妊して出産にまで至っていれば、十歳ほどの子がいてもいい頃合いだ。それくらいの年齢の娘だったら、自分の好みの主張なども出てきて、衣裳選びのときに意見を交わしたりも出来ていたかも知れない。

 それはとても楽しく、幸せなことだっただろう。けれど、彼女にそんな幸せが訪れることはなかった。


 なんと言葉をかければいいのか浮かばず、鈴雪は黙って黄賢妃を見つめ返した。その視線に気づいた黄賢妃は、慌てたように首を振る。

「重ね重ね失礼をした。詮ないことを考えてしまったようだ」

 謝罪の言葉に鈴雪も首を振る。

「私も、その、身内の方と育っていたら、こういう話もしていたのだろうか、と思っておりました」

 そう言ってから、照れ臭くて思わず微笑む。

「私は本当にこういうことには疎くて、苦手で……でも、この人達に任せると、若い娘なんだから可愛らしい桃色や薄紅色を着ろと、そればかりで」

 離宮で暮らしていた頃から仕えてくれている女官達を示し、桃色はあまり好きではないのに、と言外に告げると、黄賢妃は「然様か」と言って笑った。


 先日の宴のときにも感じたが、以前よりも顔色がよくなってきている。

 大切な大切な息子の死を忘れることなどは出来ないだろうが、悲しみをなんとか胸の内に納め、落ち着いて日常を送れるようになってきているのだろう。そのことが、鈴雪は少しだけ嬉しかった。悲しみに暮れるばかりでは身体に悪いからだ。彼女はまだ生きようとしてくれている。


 何日分かの衣裳の色合わせなどをしていると、こう侍従がやって来た。

「今宵の伽は娘子か」

 黄賢妃はそう呟き、支度があるだろうから、とすぐに帰って行った。


 供の女官を引き連れ、すっかりと夜陰に沈んだ回廊に消えて行く後ろ姿を見送りながら、同じ一人の男を夫に持ち、昨夜は自分を抱いたその男が、今夜は別の女と同衾するということを、彼女はどう思っているのだろう、と思った。他の妃嬪達もそうだ。

 寵を争う、とよく言いはするが、藍叡の寵は乏しいと思う。一番寵愛しているという寧貴妃でさえも、鈴雪がこちらに戻ってから一度しか伽役の指名を受けていない。代わりに鈴雪はこれで五度目だ。

 もちろん理由はわかっている。後宮内での耳目のあるところで聞かれたくない話をしたいのと、自室で眠ることの出来ない鈴雪を眠らせる為に、寝所へと呼び出しているのだ。

 また面白いことに、あれだけ恐怖を感じていた藍叡の使う寝台だというのに、鈴雪はぐっすりと眠ることが出来るのだ。不思議に思っているが、理由は謎のままだ。

 藍叡は、鈴雪が眠っている間に触れてくる様子もない。隣で寝ているときもあるようだが、鈴雪が眠る前も起きたあとも、だいたい彼は仕事をしている状態で、いったいいつ何処で眠っているのかも定かではない。

 そうして朝になると尋ねるのだ。よく眠れたか、と優しい声で。

 はい、とその言葉に頷くことが、鈴雪はなんだか嬉しい気持ちになる。


 しかし同時に、これでいいのだろうか、と僅かに不安を感じもしている。

 藍叡に子はない。しかし、彼はもう三十五歳にもなっており、治世も十六年が過ぎている。いくら頑健であるとはいえ、彼の父である先王はあまり身体が丈夫ではなく、病を得て若くして亡くなってしまっている。あまり悠長に構えていることもどうかと思う。

 王家の今後のことを考えれば、鈴雪は藍叡の命を聞くべきではない。鈴雪ではなく、まだ若いよう昭儀しょうぎあん充媛じゅうえんを遣わすべきなのだろう。


 藍叡に今後も子が出来ないようであれば、次代は自ら幽閉の道を選んだ第四太子か、永清君のどちらかになる。それに因って再び内乱が起こるかも知れない。


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