六 面倒事(二)



 よう昭儀しょうぎとの話が思わず弾んでしまい、彼女が退出して行った頃にはすっかりと陽が陰ってきていた。


 もうこのような刻限か、と思っていると、本日三度目の衛士の訪問があった。

 大変に恐縮の態でやって来た衛士の顔色を見るに、何度追い返そうとしても、権清けんせいは門の前に居座ったようだった。呆れるやら逆に感心してしまうやら。

 仕方がない、と女官達を呼び、権清を帰らせる為に出かけることを伝えた。

 いつも通りに玉柚ぎょくゆうと、万が一に備えて腕に自信のある小玉しょうぎょく紅可こうかを共にして、衛士の案内に続いて正殿との続きの玉門ぎょくもんではなく、外門の方へと向かう。


 中門を潜って、滅多に近づくことのない堅牢な外門へと辿り着くと、衛士は内側にいた同僚と閂を外してから、表の閂も外してもらおうと門の向こうの同僚へと声をかけた。

 開門の仕方は初めて見た。どちらからも出入りが容易ではないように、両側から閂をかけているのか、と衛士達のやり取りを面白く眺める。

 ややして閂が外され、分厚い木製の扉が開かれると、目の前に座り込んでいる男の姿があった。


 権清は門が開かれたことに気づき、その向こうに鈴雪りんせつが立っていることを見止めると、慌てて姿勢を正して叩頭した。

「お出まし頂き、恐悦至極――」

「望んで参ったわけではございません」

 口上を途中で遮り、声音を強めにぴしゃりと言い放つ。その声に権清は表情を歪めた。


童子こどものような駄々を捏ね、勤勉な衛士達に無用な迷惑をかけているとか」

「そのような」

「ではどのような事情で、この場におられるのか。私は会わぬとお伝えした筈」

「しかし」

「それでも会いたいと居座られておられる。それが彼等の妨げとなっているとわかっていてか」

「いえ、しかし」

「故に仕方なく、こうして参りました。あなたの願いを聞く為では一切ありません」

 言い訳口上を挟ませる隙は一切与えない。権清が反論を口にしようとする都度、皆まで言わせずに遮る。

 愛想笑いのような薄っぺらい笑みを顔に貼りつけていた権清は、扇で顔の半分を隠したままこちらを見ようともせずに対応する鈴雪の様子に、次第に不満と憤りの色を滲ませ始める。

 地べたについている男の掌が徐々に握り拳へと変わっていく様子を、供の女官達は警戒しながら見つめていた。あまり逆撫ですると、こういう手合いはすぐに暴力に訴えようとする。衛士達もその様子には気づいていて、携行する槍と剣のどちらでもすぐに振り翳せるように神経を集中させていた。


「お帰りを」

 鈴雪は静かに、しかしはっきりとそう口にした。

「王后様!」

「あなたと話すことはございません」

 尚も権清へ目を向けることなく言い放ち、衛士の方へと首を巡らせる。

「この男の取り次ぎは一切いらぬ。顔を見せたらば、即刻追い返してしまって」

 睨むように見上げてくる男の視線を受け止めながら、指示は控えている衛士達へ。彼等は即座に頷き、僚友達にも周知させると答えた。

「お帰りを」

 鈴雪はもう一度だけその言葉を口にした。


 なんの思い入れも縁もほとんどない生家だとは思っているが、それでも、家門を貶めるような行為をするのはやめて欲しいと思うのが、情というものだろう。この兄という男の愚かしい行いが、いったいどのように周囲に伝わっているのか。

 何故両親や他の兄弟達は、この男の愚行を諫めないのだろうか。嫡子として認めないということは、一切関わりを持たないということなのだろうか――家族と縁の薄い鈴雪には理解しがたかった。

 鈴雪が幼い頃を過ごした御廟では、一緒に暮らしていた皆がそれぞれに他人だった。それでも、誰かが悲しい目に遭わされれば皆で慰め合い、喜ばしいことがあれば皆で祝い合い、困ったことがあれば助け合い、小さな鈴雪が悪戯をすれば、誰もが母のようにきちんと叱ってくれた。あの温かな優しい場所が、この男にはないのだろう。

(可哀想な方なのね)

 頼るべき家族も親しい者もいないから、こうして兄妹というだけの細い繋がりを頼りに、鈴雪のところへとやって来たのだろう。同情するつもりはないが、憐憫の情は沸いた。


「この……っ、いったい誰のお陰で、その座に在ると思っておるのか!」

 溜め息を零して踵を返すと、そんな言葉を投げかけられた。

 それが耳に届き、言葉の意味を頭が理解した瞬間にじわりと広がったこの気持ちを、いったいどう表現すればいいのだろうか。

 強く何処かを殴られたような衝撃を感じながらも、すうっと力が抜け落ちて行くような虚無感に襲われる。


 鈴雪はゆっくりと振り返った。

 ここでようやく、権清の顔をしっかりと正面から見据える。彼は怒りと、半日座り込みを続けた所為で顔を真っ赤にしながら、倒すべき悪鬼を見つけたかのような形相で鈴雪を睨みつけていた。

「――…誰の、お陰……ですか」

 鈴雪の静かな声は、未だ嘗てない冷たさが含まれていた。その声音に、離宮から一緒に過ごしてきた女官達は意外なものを見るように顔を上げる。

「少なくとも、あなたのお陰ではないことは確かですね、宋権清殿」

 答える声はやはり冷淡な響きを含んでいる。

 我が主人は珍しく本気で怒っている――女官達はそのことに気づいた。


 滅多に怒ることのない鈴雪は、どんなに激怒しても、怒鳴り散らしたり暴れたりすることはなく、怒りの対象をただ拒絶する。まるでそこに存在していないかのように。

 離宮で過ごしていくらかした頃、雇った采女げじょの一人に、とても性格の悪い女がいた。仕事の手際は大変よかったのだが、口が悪く噂話が好きで、見下した相手には意地悪をするような女だった。

 その女は、物静かで幼い鈴雪を侮り、あろうことか聞こえよがしに悪口を言っていた。なんとも無礼な女だったが、当時まだ十三、四歳程だった鈴雪は、直接的な攻撃をしてくるわけでもないので、と女に対して温情を与えていた。

 しかし、それがよくなかった。

 女は更に調子に乗り、好き放題言いたい放題していて、とうとう鈴雪の逆鱗に触れることをしでかしたらしい。それがなにかは玉柚も知らない。尋ねても「忘れてしまいました」と笑うだけだったからだ。

 それから鈴雪は女のことを一切無視し、その様子は他の女官や采女達も気づいて遠巻きにするようになり、女もさすがに鈴雪へと謝罪をしたのだが、それも一切無視した。

 無礼な女はそれから程なくして自分から出て行き、鈴雪の態度もすっかりと元に戻ったのだが、今の鈴雪の姿は、そのときのものと通じるものがあった。


 権清は歯軋りせんばかりの表情で鈴雪を睨みつけ、拳に力を入れ、勢いづけて立ち上がろうとしたが、その様子は一瞬早く衛士達に気づかれており、槍の柄ですぐに抑えつけられた。

「では、逆に問います」

 不様にも地面へと転がされた権清は、鈴雪の声にぎょろりと目を向ける。それに鈴雪は冷たく眇めた目線を返した。

「あなた方――宋家の方は、私にいったいなにをしてくださいましたか?」

 その問いに権清は嗤う。

「ははっ。お前がその座に在るのは、我が家の血筋のお陰だろう。違うか?」

 その答えに今度は鈴雪が笑った。

「不吉な託宣を授かり、お家の為に始末するしかないと思われていた私に対して、随分な皮肉ですこと」

 権清は驚いたような顔をした。

 その表情を怪訝に思い、鈴雪は「ご存知ないの?」と尋ねた。頷こうとはしないが、その表情がすべてを答えている。

 つまりこの男は、家の大事であったことを知らされてすらいない。直接聞いておらずとも、鈴雪が生まれた頃は十を過ぎた頃であろうから、周囲の大人達の空気は察することぐらいは出来た筈だ。の男でしかないのだ。


「では、やはり、私とあなたは関わるべきではない。お帰りを」

 静かにそう告げて、鈴雪は今度こそ踵を返した。

銀珠ぎんしゅ!」

 立ち去る背中に、一度も呼ばれた記憶のない名前が投げかけられる。

 それは宋家の不吉な娘の名だったかも知れないが、後宮に封じられた鈴雪の名ではない。

 権清の中では、鈴雪は未だ宋家の娘なのだ。それは今も尚会うことのない両親や、他の兄弟達も同じ考えなのだろうか。そうであるのなら、やはり鈴雪は生家の者達と会うべきではないと思えた。


 男は官職を得て権力を握るが、女は嫁いで生家と婚家に結びつきを齎す。特に後宮に封じられた場合は、生家に大きな権力すらも与える。

 こちらに戻ってすぐ、藍叡らんえいは尋ねた。生みの親に会いたいか、と。

 あの問いは、実家との繋がりを持って、親兄弟に権力の一端を与えたいか、という問いかけだったのだろう。

 そんなものは鈴雪は思ってもいなかったし、二十年近く前に御廟に預けたきり一度も会いに来ることも手紙を寄越すこともなかった両親も、きっと同じ考えだと思っていた。鈴雪に親兄弟はいないし、宋家でも末娘は亡い者として扱っているのだと。

 それなのに、権清はそれを求めて来た。

(ああ、煩わしい……)

 鈴雪は足早に庭園を抜けながら、眉を寄せる。


 子供達が亡くなっていること、自害した青燕せいえんと他の妃嬪との関わりのこと、ねい貴妃きひこう賢妃けんひの抱く本心のこと、永清君えいしんくんあん充媛じゅうえんのこと――考えなければならないことは山とあるのに、これ以上余計なことを突きつけないで欲しかった。


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