決裂同盟



 メアリ・リードの取り調べは難航していた。彼女は怯え竦み、目も合わせない。震えるばかりでこちらの質問を聞いてもいない。何か口を利いたかと思えば、時折混じる母国の言葉のせいで何を言っているのかが分からなかった。

 昨今取り調べの可視化がどうとか訴えられているが、メフではそんなもの関係ない。狼森はいつものようにメアリを締め上げてやろうと思っていたが、彼女に暴力を振るったとてどうにもならないような気がしていた。

 だから狼森は取調室の隅っこで、天井に向かって煙草の煙を吐くしかなかった。その一方、屏風は支離滅裂なメアリの話をふんふんとどこか楽しげにして聞いていた。支離滅裂なもの同士気が合うのかもしれない。狼森はそのように分析していた。

「川が」

「うん」

「コンビニが、三つあって……親子がね、レジに向かおうとしてたけど、私、角を折ってたからいけないと思ったの」

「あー、そりゃあなあ。そんで、お前はどっから来たんだ」

「マンションが。マンションがあるの」

 屏風は口元を歪めた。

「そっか。なあ、少し疲れたろ。別の部屋で休めって」

 椅子から立ち上がり、メアリの肩を軽く叩くと、屏風は狼森に向き直った。

「玖区のマンションだ。こいつ、そこで捕まってたんだってよ」

「……は?」

 狼森は咥えていた煙草を落としそうになった。



 狼森からすれば、屏風とメアリの会話(にもなっていない一方通行なやり取りだった)から、何かを得ようとするのは困難極まる。しかし屏風は、支離滅裂なメアリの言い分を理解しているようだった。俄かには信じられなかったが、他にまともな手掛かりもなく、彼は屏風の言ったことを信じることにした。

「ここか」

 車から降りた二人は六階建ての建物を見上げた。玖区にあって何の変哲もない、ただのマンションだ。強いて言うなら住人のほとんどが亜人だとか、玖区では魔法使いだとか呼ばれている連中なことが気にかかった。

「部屋は5のDだってさ。たぶん角部屋じゃねーかな。いいよなあ日当たり良好っぽくって。オレの住んでるとこときたら全然おひさまが当たらねーでやんの。なんでかなーって思ってたらカーテン閉めっぱなしだったんだよね」

「いや、おい、お前さっきから俺に何も教えないけどな。どこの部屋まで分かってたのか? あのガキ、そんなこと言ってたか?」

「言ってたって」

「まあ、そうか。そんじゃ、管理人のとこ行って合鍵を……おい、どこ行くんだよ」

 狼森は管理人室を探そうとしていたが、屏風はエレベータに乗り込もうとしていた。彼女は満面の笑みを浮かべていた。

「相棒てめー話聞いてなかったのかよ、どつきまわすぞボケ」

「だから、何をだよ」

「ここにゃまともな管理人なんていねーよ。後ろ暗いやつばっかり住んでるみたいだからな。ドアなら無理くりこじ開けるし、たぶん、今なら鍵はかかってなさそうだぜ」

 それもメアリから聞いていたのか。狼森は呆然としつつ、もじゃもじゃの髪の毛をかき回した。

「あぁ、そうかよ、悪かったよ。なあ、他に何を聞いたんだよお前は。何も知らねえ俺に教えてくれよ」

「えー」

 二人はエレベータに乗り込んだ。

「他は特にねえよ」

 エレベータが目的の階に停まると、屏風はここの住人のようなふるまいで歩き出し、メアリの言っていた部屋のドアを開けた。何の躊躇もなかった。

 少しは警戒しろ。狼森はそう言おうとしたが、もうここには誰もいないのだという確信もあった。

 はたして、それは当たっていた。2LDKのリビングに死体が三つ転がっていた。若い女、老人と老婆のものだ。足を踏み入れる前から臭気が漂っていたから、狼森たちはさして驚かなかった。夏場の締め切られた部屋ということもあって腐敗が進んでいるようで、彼は窓を開けて少しでも新鮮な酸素を取り入れようとした。

 屏風は口元を手で押さえながら死体を検分している。狼森はその様子を窓の傍から見ていた。どの死体も損傷が酷かった。穴だらけで途轍もない形相を浮かべている。すぐ傍には人数分の椅子と目隠しもあり、縛られた形跡もある。死の間際、彼らがどのような目に遭わされたのかは何となく分かった。

「間違いなさそうだ。こいつら全部、喫茶店にいた連中だよ」

「ソロヴェイが言ってたお仲間か」

 狼森はリビングから別の部屋に移動した。その洋室には巨大な檻が鎮座していた。大型のケモノでも飼えそうな代物だ。檻の中には、食事が載っていたであろう皿や、漫画雑誌やポータブルのゲーム機まである。

「……こいつは」

 檻の隅には妙な箱があった。その中身を検めようとした狼森は近づくのをやめた。どうやら、この箱は用便を済ませるために使っていたものらしい。

「よう、なんだよ、そっちにもあったのか」

 別の部屋から出てきたであろう屏風が、つまらなそうに檻を指差していた。

「向こうの部屋にも、馬鹿でけえ檻があったのか?」

「おう。人間でも飼えそうなくらいのやつがな」

「実際、飼ってたんだろうぜ」

 この部屋にあるものが、そうだと物語っていた。

 メアリも、死体になった三人もこの部屋にいた。檻の中で、まるでペットのように飼われていたに違いなかった。狼森は考える。問題なのは誰が飼っていたかだ。そして間違いなく、その人物がここで死体を作り、件のマンションで起こった殺人事件にも関与しているはずだった。

「ここでやりやがったのは異能者だ。どんな能力かは知らねえが、四人の異能者を押し込められるくらいには強いっつーか、底が知れねえやつだ」

「コシチェイだな」

「ああ。その、コシチェイ……」

 狼森は屏風を見た。彼女はパーカーのポケットから何か取り出そうとしていた。

「……コシチェイってなんだ?」

「あ?」

「あ、じゃねえよ。お前、まだ俺に言ってねえことあるだろ」

 屏風はへらへらしていた。彼女の言動や感情は歪だ。一致しない。そのことを分かっていても苛立つ時はある。狼森は無言で顎をしゃくった。

「コシチェイってのはこいつら《杭刃》のリーダーだろ。帽子で亜人の姉ちゃんが言ってたじゃねえか。あ、そっか。さっきはあの姉ちゃん帽子を被ってなかったもんな」

「いや、言ってなかった」

「言ってた。ここの部屋を借りてんのもコシチェイだ」

「メアリ・リードはそんなことも言ってたのか?」

「いや、それはオレの予想だけど」

 きえええええええええええええ!

 と。狼森は叫びそうになった。もううんざりだった。

「全部話せ。もう隠しごとはなしだ」

「全部ってなんだよ。オレが昨日食べたもんとか、寝る前に見たもんとか、おっぱいの下あたりにほくろがあるとか、そういうのまで全部話さなきゃならねえのか?」

「アホかてめえ誰がそんなもん聞きたがるかよ。今回の事件についてだ。コシチェイってな誰だ。そいつは今どこにいる」

「あぁー、そういうことか。さっきは言わなかったけど、コシチェイは《杭刃》って猟団のリーダーだ。メアリがそう言ってた」

 それはさっきも聞いたが、狼森は何も言わなかった。

「コシチェイは若い男だ。たぶんかっこよくて、誰が見たって気に入りそうな顔で笑うやつだ。異能を使うし、腕っ節も強い。そうだな……たぶん、いいやつだ」

「いいやつがこんなことするかよ」

「かもな」

「だが、コシチェイってのは本名じゃねえだろう。通り名っつーか、あだ名だ」

 ニックネームだけで人を捜すのは難しい。コシチェイという名前も《杭刃》の中だけで使っていた名前に違いなかった。時間さえかければ見つかるだろうが、狼森には焦りがあった。

「なあ、屏風……ああ、悪い。ちょっと待ってくれ」

 狼森は携帯電話を耳に当てた。屏風は仕方なそうに口をつぐんだ。

「おう、俺だ」

「狼森さん」

 電話の相手は署内にいた若い男だ。今はメアリ・リードの傍にいるはずだった。

「どうした」と問えば、男は低く唸った。困っているようだった。

「その、鍵玉に言われてましてね。メアリ・リードが何か話したら伝えてくれって。けど本人の電話に繋がらないもんだから」

 狼森は屏風に視線を遣った。彼女はさっきからポケットの中を漁って、何かを探していた。

「ああ、俺が伝えとく。で、あのガキは何を言ってたんだ?」

「なあなあ! 思い出した! おい聞けって相棒! おいどこ行くんだバカ!」

 屏風がうるさいので、狼森は部屋の外からマンションの廊下に出た。

「悪い。それで、何て言ってた?」

「《救偉人》って聞いたことありますか。どっかの猟団らしいんすけど、その名前をさっきからずっと繰り返してて。あの、そろそろ鍵玉呼び戻してくれないすか。あいつじゃねーとこういうのの相手ができないんすよ」

「……《救偉人》?」

 聞き覚えのある名前だった。

「なんでそんな名前を、メアリ・リードは知ってんだ?」

「そこまでは……ただ、この子も狩人だったし、同業者のことは知ってたんじゃないすかね」

「ふうん。分かった、ありがとな、伝えとく」

「あっ、ちょっと! 俺はいつまでこの子の相手をしてりゃあ」

 狼森は携帯電話をポケットに戻した。それと同時、屏風が外に出てきた。彼が無視したことに対して腹を立てているようだった。

「よう屏風。《救偉人》って猟団知ってるか?」

「知らね。それより思い出した。コシチェイの本当の名前だよ」

「マジか」

「でもさっき忘れた」

「この野郎マジかふざけやがって」

「だって話そうとしたらお前が勝手に外へ出てったんだろ!」

 狼森は天を仰いだ。屏風もそれに倣おうとして、あ、と呟いた。彼女は、表札をじっと見ていた。

「思い出した。瓜生だ。瓜生ってやつが、コシチェイだ」

「……なんで今思い出したんだよ」

 屏風は表札を指差した。

「そこに書いてやがった」

 確かに『瓜生』とあった。狼森は笑いそうになった。

「その話は本当なんだな」

「メアリ・リードが嘘ついてなけりゃあな」

「だとすりゃあとんでもねえ女優だな。ま、今んとこはアホと意味不明なガキの戯言でしかねえが、《救偉人》の瓜生ってやつをあたってみっか」

「どっちにしろそいつの家に死体があって無茶苦茶なわけだしな」

 しかし瓜生はどこへ行ったのか。ここで殺人を犯した後、現場をそのままにして逃げたのか。あるいは、ここから逃げたメアリをまだ追っているのか。

 その時、マンションから魔区の森が見えた。雪だ。森が冬ざれて、真白の景色が広がりつつあった。どうなっているのか、その一部だけが吹雪いている。

「うわっ雪降ってら! すげー……そういや、また森の方にケモノが出たって聞いたな。狩人たちはそっちに向かってんだってよ」

「……近いな」

「おう、すぐそこだ」

 二人は顔を見合わせた。腹は同じのようだった。



 夏なのに、ここだけが冬のようだった。

 物珍しい景色だが立ち止まっていられる余裕はない。幸は強風に負けないように身を低くして、声を振り絞った。

「日限さん走ってっ、止まらないで!」

 先を行く日限の姿が雪煙で見えなくなる。巨大な鳥の鳴き声と、それと戦う狩人たちの蛮声が聞こえた。

 幸は、日限の連絡を受けてすぐに玖区へ向かった。途中で鍛冶店に寄り、鉈を受け取った後、日限と合流して森へ来た。そこが前に来た時と違い、一面の銀世界になっていたことと、カエルではなく、巨大なニワトリのケモノがいたことには驚いたが、今はそれどころではなかった。必死になって歩を進め、日限の背中を追う。

 なぜ。

 どうして。

 そのようなことは頭になかった。

 むつみの言いつけを破ることも、命のやり取りを行うことに対しても忌避感はなかった。ただ、今動かねば後悔すると感じた。話ならば聞いている。オリガたちは死ぬつもりだ。それを止めるかどうかは分からない。彼女たちのやりたいようにやらせるのが一番いいに決まっている。そう思いながらも、幸の歩みは止まらなかった。

「ここだっ、ついてきているか!」

「はいっ」

 声がする方へと歩いていくと、日限のものらしきシルエットが浮かび上がった。彼は、件の裂け目の傍に屈み込んでいた。

「オリガさんたちはどこに」

「……ここだ」

 日限は裂け目の近くを指差した。よく見ると、雪に埋もれかけた車椅子があった。それはオリガが乗っていたものに間違いなさそうだった。



 アレクセイの体は思っていたより軽かった。彼に肩を貸すオリガは、足元を確かめながらゆっくりと進んでいた。

 裂け目の中は突き出た枝葉が多かったが、調査の際に設置したライトなどはそのままだった。その明かりを頼りにしながら歩く。一歩歩く度にアレクセイの体がのしかかってきて、その体から力が失われていくのを感じて、オリガは胸が裂けそうな思いだった。

「お師匠……うた、歌を」

「ああ、分かった」

 オリガは小さな声で歌ってやった。アレクセイは意識を保つのも難しい容態らしく、寝たり起きたりを繰り返している。

 裂け目の中に安寧の地はない。行きつく先、待っているのは死だ。最後の望みだった。オリガがアレクセイにしてやれる、最後のお願いごとだ。彼女はそう信じている。

 歌は、裂け目の中に響いた。オリガは少しでも扶桑の何たるかに近づければいいと感じていた。答えが得られなくても、夢が叶わなくてもいい。それでも、少しでも近づきたかった。

「……っ」

 歌が止まった。上から足音が聞こえてきて、オリガは太い木の幹にアレクセイを預けた。彼女は自分たちが来た方をねめつけながら、異能を使うために、スキットルに手を伸ばそうとした。

「オリガさん?」

 聞き覚えのある声だった。

「オリガさん? アレクセイさん? あの、いますか?」

「……お前か」

 オリガは息を吐いた。しばらくすると物陰から幸が顔を覗かせた。後ろには日限もいる。それで彼女は事情を察した。

「やれやれ、お節介なやつらだな」

「そうかね」と日限は涼しい顔をしているが、汗みずくだった。

 幸は、先ほどからアレクセイを気にしているようだった。オリガは薄く微笑んだ。

「ちいこいの、お前も話は聞いているんだな」

「はい。あの、さっきのおっきい鳥を倒すんじゃなかったんですね。てっきりそうだと思って、他の人にも連絡しちゃいました」

「狩人なら上でケモノを狩りたいだろう。行ってもいいぞ」

「ついていきます」

「何をするでもない。ただ、降りていくだけだ。その先には何もないぞ」

 待っているのは死だけだ。幸はそれでもついていくのだと言った。

「いい。そこまで言うのなら構わん。もう抵抗する気力もないからな」

 オリガはアレクセイに肩を貸そうとしたが、幸と日限が二人がかりで彼を支えて歩き出した。

「人が死ぬところを見たいとは、まったく悪趣味なやつらだな」

「えへへ、ごめんなさい」

「笑いながら謝るな馬鹿者め」

 不思議だった。幸と日限がついてくることに、オリガは嫌悪感を覚えなかった。それどころか、気づけば声が弾んでいて、少し嬉しいとさえ思えていた。アレクセイも同じようで、先まで前後不覚だった彼は、幸のことを認識していて、いつかのように優しい顔つきになっている。

「……どうしたんですか?」

 幸に呼びかけられるまで、オリガは立ち止まって自分の足を見下ろしていた。

「あぁ、何だか軽くなった気がする」

「それはそうだろう。アレクセイのような大男に肩を貸していたんだからな。しかし、君はやはり重いな」

「ああ、すみません」

「謝らないでください。ほら、日限さんが変なこと言うから」

「え? あ、ああ、すまん」

 オリガは小さく笑った。死に行こうとするものがいる集団の朗らかさではなかった。

 一行は先よりもペースを上げて裂け目の中を進んだ。やがて横倒しになったビルを二つ抜け、ケモノの生き残りに警戒しながらも奥を目指す。巨大な枝がなだらかなスロープのようになっていて、そこを下りると開けた空間があった。十数人でキャンプをしても問題なさそうなスペースである。ただ、端の方が暗くて見えない。手すりといった親切なものなどないから、足を踏み外せば空洞の底の底まで真っ逆さまに落ちるのは誰の目にも明らかだった。

「ここでいい」

 ここにしよう。

 ここで死のう。

 オリガはそう決意した。アレクセイが力尽きるまで、ずっとここでその時を待ち続けよう、と。

 幸と日限は躊躇っていたが、アレクセイをゆっくりとした動作で地面に横たえた。オリガが彼の傍に座り込み、息を吐く。狭いくせにひっそりとした空間だった。

 誰も口を利かなかったが、皆がそこにいるのは分かった。オリガはアレクセイの手を握り、目を瞑った。彼女には実感できなかったが、それから数分の時が経った頃、オリガたちが降りてきた道とは違う方向から明りが見えた。

「……なんだ?」

 日限は立ち上がりかけたが、幸が彼を制した。明りは左右に揺れている。誰かがいる。下から、上がってくる。オリガも明りをじっと見据えていた。やがて足音まで聞こえてきて、全員が息を呑んだ。

「あ? ……あれ? こりゃいったい……」

 ランタンの灯が、座り込んでいた幸たちを照らした。そうしたのは若い男だった。幸は思わず立ち上がる。

「瓜生さん、どうしてこんなところに」

「いや、それを言うなら君たちこそどうして……?」

 ここに来た瓜生は困惑していたが、それは幸たちも同様である。ひとまずといった塩梅で、瓜生はランタンを地面に置き、話を始めた。

「俺は……上のケモノを見たろ? あのでけえ鳥。《長鳴》っていうんだけどさ、まあ、そいつ以外にもやばいのがこっちに残ってんじゃないかって」

「君一人で来たのかね」

「上は団員とか、他の狩人に任せてるんで」

「あ、瓜生さんならたぶん、一人でも平気だと思います。前の調査の時も、ここまで来られたのは瓜生さんたちだけだと思いますし」

 幸は瓜生の言葉に同調するかのようにして言った。

「ああ、そちらの方は……確か、調査の時に見かけたっけ。研究者の人たちっすよね? もしかして、まだ調査を?」

「いや」と日限が首を振る。

「別の、もっと些末で、私的な理由だ」

 暗闇の中、オリガが鼻を鳴らす音が聞こえた。

「そりゃ、今日は場所が悪いっすよ。ここいらはまだ危ないし、立ち入り禁止にもなってる。上じゃあケモノもいるし、さっさと戻った方がいい。なあ八街君」

「それが、そうもいかなくって」

「何かあったのか?」

「関係ないだろう」

 オリガがきっぱりとした口調で言い切った。あまりにも取りつく島がなさそうで、瓜生は苦笑するしかなかった。

「お前の方こそ戻ったらどうだ。……いや、そもそもどこから来たんだ? この先に何かあるのか?」

「いや、別に何もないっすよ。つーか戻れって言ったってなあ。一般人見つけちまったし、狩人としちゃあそのまま放置するわけにもいかないんですけど」

「構わん」

 やや間があって、

「俺が構うんだけど」

 硬質な声が放られた。幸は、ランタンで照らし出された瓜生の足元を見た。彼は今、明らかに苛立ち、迷惑がっている。自分たちが立ち入り禁止区域に侵入したのは確かだが、それだけではないような気もしていた。

 それは、一瞬のことだった。

 ランタンの灯りが消えて、幸たちが瓜生の姿を見失ったと同時、聞き覚えのある音が鳴ったのだ。それは狩人なら誰しもが慣れ親しんだ、鉈を鞘から抜く際に発せられる擦過音である。そしてもう一つ、地面を蹴る音がした。

 アルコールの香りが漂った。オリガは既に戦いの準備を済ませていた。《光の中を歩め》は発動している。光の槍が彼女の手から何本も放たれて、周囲の木や地面に突き刺さった。

 瓜生の姿が、槍が発する光によって照らされていた。彼は幸の間近にいた。鉈を抜き、それを振り被ろうとしている。

「ちいこいの!」

 幸もまた鉈を抜いていた。《光の中を歩め》が消える。真っ暗になるや火花が散った。二つの鉈がぶつかったのだ。

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