首なしニンジャライダー・パート3
放課後になるや、葛は一組の教室に入ってきて、部屋の真ん中に机を並べるように指示した。ニンジンをぶら下げられた男子どもは唯々諾々とその指示に従った。
葛は、並べられた机の上に地図を広げた。幸はそれをじっと見る。メフの地図のようだった。
「頼みってのはー」
ポケットからマジックペンを取り出すと、葛はそれで地図に何かを書き込み始めた。男子どもは訝しげにしている。
「都市伝説のことなんだよね。もう知ってっしょ?」
「あー、首なしライダーってやつだよな」
「じゃなくて、首なしニンジャライダーね」
「そりゃあなあ、色んなとこで話聞くし」
「その話流したの、あーしだし。ま、メフだけなら大抵のことはすーぐに広められるよ」
葛は何でもない風に言った。
「衣奈、さっきから何書いてんだ?」
「ライダーが目撃されたとこに印入れてんの」
地図上には既に二十を超える印がつけられていた。
「つーかさ、都市伝説なんだろ? マジでいんのかよ、その首なしが」
「いるよ。たぶん花粉症のやつじゃね?」
「はあ。そんで、俺らは何したらいいわけ?」
「捕まえんの」
「何を」
「首なしニンジャライダーを」
最初は冗談かと受け流していた男子どもだが、それが本気だと分かると狼狽え始めた。
「い、いや、首なしに見られたら死ぬんだろ?」
「それはデマ。そういう要素がないと噂は広がんないっしょ?」
「捕まえるたって神出鬼没だし、バイクに乗ってんだろ」
「地図見てみ」
葛は、マジックペンで地図上の印を指し示す。
「首なしは外回りでの目撃情報が多いけど内回りでも見られてる。その目撃された場所ってのが拾壱区に集中してんの」
「拾壱っつったら……」
「ここじゃねえか」
メフの拾壱区には蘇幌、デン学、タマ高といった学校が集まっている。
「たぶんさー、首なしは決まったルートを走ってんの。そのルートはまだ割り出せてないけど、分かりさえすれば止められるし、どうとでもなるっしょ」
「でもよう、やべーやつじゃん。つーか捕まえる理由あんの? 俺らケーサツとかじゃねーし。見られたら死ぬとかいうのもデマなんだろ。だったらほっといてもよくね?」
「怪我した子がいんだよね」
「首なしにやられたんか?」
葛は神妙な面持ちになった。男子は、女子のそういう顔に弱かった。
「あーしもさ、何も正面切ってやり合えとか言わねーし。ただ、あともう少し情報が欲しいんだよね」
「……よし」と、ギターを持った男子が頷いた。
「女の子がひでえ目に遭ったんならほっとけねえ。とりあえず捜してみようじゃねえか」
「マジ? そんじゃあねー」
葛は一組のメンバーをいくつかのグループに分けた。そうして地図と睨めっこしながら、『A班はここ』だとか『あんたらはこっち』だとか、見回りする場所を決め始めた。首なしニンジャライダーは夜に出る。彼らは陽が沈むのを待った。
午後七時。幸は、翔一と蝶子と共に弐拾区にいた。三人は道路の近くの縁石に腰かけて缶ジュースを飲んでいる。自販機の灯りに集る羽虫を手で払い除けながら、幸は息をついた。
「蝶子ちゃんが付き合うことなかったのに」
ジャケットを羽織った蝶子は不思議そうにして幸を見返した。
「なんで? あの衣奈ゆう子が女の子紹介してくれるんやろ? 友達が増えるやん」
「はっは、そうかもな」と翔一が笑い飛ばした。
「つーか猪口暑くねえの?」
「うちはもとから体温高いから、別にって感じ」
「あー、そういう異能だったっけか」
「そうそう」
翔一はごきごきと肩の骨を鳴らして立ち上がった。
「しっかし、首なしライダーかよ。なんかよ、今更だよな」
「だね」
「なんなん、前にもそういうのおったん?」
翔一は口を開きかけたが、幸の様子をうかがった。彼は気にしていないと小さく頷く。
「ゾンビだよ、ゾンビ。ゾンビとやくざ。春にな、そういうのと出くわしたんだよ」
「その後にもやくざとか来たけどね」
「それに比べりゃあ、まだ可愛いもんかもしれねえって思ってさ」
翔一は笑っていた。幸もつられて笑っていた。
蝶子は、羨ましそうに目を細めていた。
「なんかええな、そうゆうの。思い出みたいなんがあって」
「これももうちょっとしたらさ、笑い話になんじゃねえの? 『首なしライダーってのがいたよなあ』ってさ」
「そうだね。ぼくはこういうのも好きだよ」
「そっか」
蝶子は微笑んだ。それから、三人はとりとめのないことを話した。蒸し暑くて、羽虫が飛び交っていても彼らは楽しんでいた。十七歳という時間を目いっぱいに消費していた。
首なしニンジャライダーは姿を見せなかった。
それでも、二年一組は葛の指示のもと、夜の街を見回り続けた。幸はむつみに叱られてしまうので付き合うことができなかったが、朝まで粘ったものもいるらしかった。
「眠たそうだな」
「え」
幸は、声をかけられてハッとした。自分が今、喫茶タミィのカウンター席に座っていることを思い出した。
彼に声をかけたのは、喫茶店のマスターの真似事をしている日限だ。彼はあれから、この喫茶店を切り盛りしようと苦心していた。
「どら、濃いコーヒーでも淹れてやろう」
「すみません、いただきます」
「何、まだ客に出せるようなものでもないからな。君には実験台になってもらっているから、その礼でもある」
喫茶店はすっかり元通りになっていた。地面を這っていたケーブル類も、異音を発する機器も、ここで騒がしくしていた研究者たちも、もういない。
日限はコーヒーを淹れる準備をしながら、窓の方を見ながら言った。
「やつらも、最初からいなかったかのように消えてしまったな」
「オリガさんも、アレクセイさんも、もう帰っちゃったんでしょうか」
「どうだかな」
幸は、用をなさないメニューを眺めていた。
「日限さんは何か聞いていなかったんですか」
「あの二人にか? ……そうだな。いや、急にいなくなってしまったからな」
「さよならって、それくらいは言いたかったんですけどね」
「そうやってきちんと別れを言えるようなことはな、そうそうないものだ」
含蓄があるようなことを言うと、日限はカップを探した。彼はまだ、何がどこにあるかを把握できていないのだ。そうしている間、幸は都市伝説のことを話した。日限はふんと鼻を鳴らす。
「君らがそれを言うかね。我々からすれば、扶桑熱患者の存在こそ都市伝説じみている。大方、その首なしライダーとやらも扶桑熱患者だろうに」
「メフじゃあ口裂け女もメリーさんも形無しですね」
幸はくすりと微笑む。
「……ああ、そうだ。あのオリガ・イリイーニチナ・シュシュノワとかいう女がな、こういうことを言っていた。『扶桑熱は血によって受け継ぐか否か』について」
「血ですか」
幸はぼんやりと考えた。なぜ、扶桑熱に罹るのかを。
「つまり遺伝するかどうかということだな。難しい話ではない。何も扶桑熱に限ったことではなく、頭がいいかどうか、足が速いかどうか、優しいかどうか、親から子に受け継がれるものは確かに存在する。病もそのうちの一つだろう」
「じゃあ、お母さんが扶桑熱なら、その子も扶桑熱になるってことですか」
「その可能性もあるということだ。なあ、君、一つ聞きたいのだが」
「ぼくの母は扶桑熱患者です。ぼくの叔母さんも」
日限は目を丸くさせていた。
「答えなくないのなら別にいい。そう言うつもりだったが」
「でも、日限さんが聞きたかったのはそういうことでしょ」
「まあ、そうだな」
禿頭を指でぽりぽりとかくと、日限はばつが悪そうな顔になった。
「でも、父は違いますし、他の親戚でも扶桑熱に罹ったって人は聞いたことがないです」
「……実はな、私も魔区で色々な魔法使いに会って、話を聞いていた。もとより、私は扶桑熱を究めるためにここへ来たのだからな」
「参考になりました?」
日限はソーサーの上に飴玉などを乗せて幸に渡した。
「メフの外と中ではアプローチの仕方が違うようだ。中の人間は血だとか、遺伝だとか、そういったものを気にしている。流行り廃りはあるらしいが」
「外にはそういう人はいなかったんですか」
「……いるにはいるがな」
歯切れが悪かった。幸は深く聞くことを避けた。
「でも、血ですか」
口の中で飴玉を転がしながら、幸はううんと体を伸ばす。
「君はどう思う」
「関係あるかもしれないなあって思いました」
「適当に言ってないかね」
「だって遺伝だったらそうなのかなあって。遺伝子が似てるとか、同じだったらそうなるんじゃないんですか? ぼくの友達のおじいさんがいるんですけど、その人、癌で亡くなったんです。で、そのおじいさんのお父さん、つまりひいおじいさんも癌で亡くなったし、友達のお父さんも癌に罹ったって。友達も『俺も癌で死ぬんじゃないのかなあ』って不安がってました」
「その、友人の父親はどうなったのかね」
「結果が分かる前にメフに来たから、分かんないです」
幸は出されたコーヒーに口をつけて顔をしかめた。
「苦いか」
「ミルクとお砂糖入れても苦いです。……扶桑熱の人と同じ血が流れてたら、その人も扶桑熱に罹るってことですか?」
「恐らくだが、そうではない。そして、そうかもしれない」
「なんですか、それ」
苦いコーヒーをカウンターに置くと、幸は甘いお菓子に手を伸ばした。
「実際に何通りもの組み合わせで、何回も何回も試してみなければ分からんからな、どうとも言えん」
「輸血とか」
「……臓器移植や輸血もそうだが、拒絶反応を抑える薬もあるとはいえ、やはり異物が入ってくることに変わりはない。扶桑熱の研究のためとはいえ、非人道的で、大っぴらにはしづらいことだな」
「大っぴらにはしてないけど、どこかではやってるんですかね、そういうこと」
「だろうな」と、日限はあっさりと言った。
「魔区の魔法使いの中にも、メフ内外の研究者も、様々なことを試しているはずだ」
「日限さんもそういうのをやるんですか」
幸は目だけを動かして日限を見上げた。
「いや、私が……興味があるのは血だとか遺伝だとかではない。私は、扶桑の正体に興味があるだけだ」
「扶桑の、正体? 桜の木じゃないんですか?」
「見た目はな。だが、あれほど巨大な桜の……いや、桜というカテゴリの話ではない。いまだかつてあれほど大きく、枯れない植物があったかね」
幸は今まで気にしていなかったが、そう言われると少し不思議だった。どうやら、日限は『そもそも』の話を気にしているらしかった。
「いいかね。病気かどうか、人間にとって大抵のことは血を見れば分かる。そう、血を見れば。だが、なぜ病気になるのか。その原因はどこにあるのか。その原因の原因はあるのか。あったとしてどこにあるのか。私はそれを知りたいんだ。扶桑。あれは、いわば巨大な病原体だ。ミアズマとコンタギオンとで争っていた時代に戻るつもりはないが、それでも、あの桜木が神代の遺物にしか思えん時がある。少しばかり人知を超えているな、あれは」
「日限さんはお医者さんなんですね」
「いや、それは違うが、まあ、先生と呼ばれる職に就いていたのは確かだな」
「今は喫茶店のマスターですもんね」
幸はまたコーヒーを一口啜った。
「まだアレクセイさんには敵いませんけど」
「精進しよう」
血や遺伝。幸には難しいことは分からなかったが、もしそうなら、嬉しいと思った。病であっても家族を繋ぐ証明なのだ。自分や母、むつみを繋ぐ確かなものだ。それが幸には嬉しかったのだ。
夜の捜索は続いていた。
いつになくやる気を発した一組のメンバーは、葛の指示に従うまま、夜のメフを見回った。しかし、首なしニンジャライダーの姿どころか、それが発するであろうバイクのエンジン音すら聞こえることはなかった。
その日も、幸は翔一と蝶子と共に、葛に指示された場所での見回りをしていて空振りに終わった。じき帰ろうかという頃、彼らは暗がりで人影を見た。すわ件の都市伝説かとおっかなびっくり後を追ってみたが、そこにいたのは一人の少女であった。
タマ高の制服を着た、背の低い少女だ。幸と蝶子はその少女を認めて同時に声を発した。
「おや、確かあなた方は……」
そう言って幸らに振り向いたのは、センプラのカラオケ店で出会った、東本梅という少女だった。彼女は路地裏を抜けて通りへ出ようとしていたらしかった。
「あ、こないだの」
「どうも」と東本梅は深くお辞儀した。
「こんなところで出会うとは奇遇ですね」
「なんだよ、知り合い?」
翔一が不審そうに東本梅を見下ろしたので、幸が事情を説明した。
「覚えてないの? だって合コンには東本梅さんとも一緒だったはずじゃ」
「いや、その日のことはあんまり……ふーん、カラオケで。そうだったんか。あれ? ってことはよヤチマタ。お前らもあの日、カラオケに行ってたってことか? もしかして」
「ぼくらは何も見てないから大丈夫だよ」
「えええ、その言い方ぜってー見てんじゃん……」
翔一は醜態を見られたのを悟ってか、がっくりと肩を落とした。淀んだ空気を換えるかのように、東本梅が口を開いた。
「妙なところでお会いしましたね。先輩方はここで何をなさっていたのです?」
「それは」
言いよどんだが、幸はかいつまんで事情を話した。話を聞き終えた東本梅はくすりと笑った。
「面白いことをしていたのですね。都市伝説とは出会えたのですか?」
「全然。そんなの本当にいるのかなって」
「いますよ」
東本梅は言い切った。
「では、さようならです先輩方。こう見えて忙しい身ですので、ここで失礼します」
身をひるがえすと、東本梅は路地裏を抜けて雑踏に紛れた。追いかけても彼女を見つけられないと、幸は何となく思った。
蝉が鳴き、アスファルトの上では陽炎が揺らめく。アイスクリームみたいに世界が融けて、原付に乗った坊主が走る。夏の盛りだった。じき、一学期が終わる。確かに近づいてくる夏休みの足音。しかし、その前に期末テストという壁が学生たちの前に立ちはだかっていた。
「皆さん、気が緩んでいらっしゃいますね」
眼鏡の位置を指でずり上げた一組の担任こと鉄一乃は、SHR中でも寝息を立てている男子どもを睥睨した。今だけではない。連日連夜首なしニンジャライダーの捜索に追われていたため、彼らはここ最近、授業中に堂々と居眠りするようになっていた。中には保健室のベッドや、空き教室を探して居眠りどころかマジ寝するものもいる始末だった。
その惨状を見るに見かねたのだろう、あるいはほかの教師から『指導不足』と叱責を受けたのかもしれない。ともかく鉄はご立腹だった。それでも彼女の口調はまだ柔らかかった。このままではいけないと、生徒一人一人の未来を憂いていた。感情に飽かせて声を荒らげることはせず、自堕落な生活を止めるのだと、無意味な人生を送ることの愚鈍さを語った。その言には多分に実体験が含まれていた。
「よろしいですか、皆さん」
返事はなかった。寝息といびきと歯ぎしりがそこここから上がった。起きていたのは幸と蝶子だけだが、その二人も鉄と目を合わせなかった。
鉄は教壇の脚を蹴った。最前列の生徒がびくっと体を震わせて起き上がった。
「ああ、申し訳ありません。起こしてしまいましたね。お気になさらず、ゆっくりとお休みになって」
「え、あ、あああああの」
魔眼じみた視線に絡め取られた男子は狼狽えるしかできなかった。がたがたと震えて、彼の座っている椅子から伝わる振動が他の男子の目を覚ました。事態に気づいたものたちは、鉄に睨まれた蛙を哀れんだ。
「じ、じじじじつは、実はっすね、おれらぁと、ととと都市伝説を」
「はい?」
「よ、夜中っつーか、朝んなるまで追っかけて」
「お、おい馬鹿」
他の男子が止めに入ろうとしたが、狼狽えていた男子は舌をもつれさせながら洗いざらいぶちまけた。ただ、5W1Hがはっきりとしていない話し方だったので鉄はよく理解していない様子だった。
「……よく分かりました。そのような事情があったのですね」
「そ、そうなんです」
「つまり、皆さんは夜遅くどころか朝まで遊び惚けていたせいで学校で居眠りをしていたと」
誰も否定できなかった。それがザ・真実なのは明白である。
「ようく分かりました。では、本日もご自身のために勉学に励んでください」
鉄はいつもより早足で教室を辞した。
このままではいけない。幸は、早急に事態を解決しなくてはならないと痛感した。
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