漂えど沈まず



 血は大切だ。

 家族も大切だ。

 繋がりこそ人を人たらしめるたった一つの法である。

 …………そうだよな?



 □◆



 放課後、一組のメンバーは焦れに焦れていた。このまま手をこまねき続けていれば鉄の怒りが加速する。彼女に目をつけられないためにも都市伝説を今夜中に捕獲するという意気に燃えていた。

 彼らは教室でメフの地図を広げ、首なしニンジャライダーが目撃された地点をねめつける。葛は紙パックのジュースをじるじると飲んでいた。挙句煙草を吹かそうとしていた。

「衣奈、なんかねえのかよ」

「あ? なんかって?」

「いや、新しい情報とかさ、心当たりとか」

「はあー? そんなんあったらとっくに言ってるっつーの。打墨おめーバカじゃねー?」

 翔一は激昂しかけた。だがそれよりも葛に助けを求めたことを強く恥じていた。

 今日もまた空振りに終わるのか。陰鬱とした雰囲気になりかけた時、田中小があることに気づいた。彼は地図をじっと見つめて、ああ、と頷いた。

「この、さ、目撃されたところを点にして線で結んでくと、だいたいの線がタマ高通ってんじゃね?」

 田中小は指で地図をなぞる。つられて、男子どもがそれを見た。

「ああ、まあ、そうだな。でもよ、それが何?」

「いや、別に何となくだけど」

「意味ねー」

「や、気づいたんはもう一個あってさ」

 田中小はまた地図を指でなぞり始める。

「こまけー道まではわかんねーけどさ、首なしさ、なんか走るルートが決まってるっぽいんだろ。だったら信号のない道を走ってんじゃねーかなって」

「どいて」

 葛が男子を押し退けて地図に顔を近づけた。田中小は続ける。

「走るのが好きなんだろ? 一々信号とかで止まんの嫌だから、たぶん、拾陸区の交差点は避けてここを……」

「……あ。そういやそこも俺んち近いんだけどよ、信号なかったわ、確か」

「じゃあこっちの道は……」

 好き勝手に喋り出す男子どもだが、葛は口元をほころばせていた。やがて彼女はマジックペンで地図に線を引く。迷いのない筆遣いだった。

「ルートは、たぶんこうじゃね?」

 おお、と、翔一が感心したような声を出した。

「お前変なとこで頭いいよな」

「でも、信号か。嫌がってんのかな」

「は? 嫌がってるって、信号を? なんで?」

「だって赤だったら止まんなきゃ駄目じゃん」

「んなもん、そんなやつが一々守るかよ」

「……でもほかに打つ手ねえし、ともかく、今日からこのルートを首なしが使ってるって踏んで見回りゃあいいか」

「でもよ、そもそも首なしが出てこなきゃ話にならねえぞ。だって最近、バイクが走ってるとこすら見ねえぞ。もしか、とっくに消えたんじゃねえの」

 葛は腕組みして何事かを考えている。男子どもは、強調された彼女の胸元に視線を遣った。

「……期末テスト」と、葛が呟く。

「いきなし嫌なこと言うんじゃねえよ」

「あーしらが首なしを探し始めてから、首なしは姿を見せなかったじゃん? その期間ってさ、タマ高のテスト期間と一致すんだよね」

 男子は、葛がなぜ他校のテスト期間まで知っているのか訊かなかった。彼女はメフのアカシックレコードのようなものだと認識しつつあったからだ。

「点を結んでったら、タマ高が浮かび上がってくるんだったな」

「え? つまり何なん?」

「タマ高のやつが怪しいってことだろ。生徒か先生か知らねえけど、テスト期間だったからバイクで走り回る暇なかったってことじゃねえの」

「は? そんな真面目ちゃんがバイク乗り回すかーフツー?」

「タマ高のやつって決まったわけでもねえよ」

「葛ちゃん」

 幸は、まっすぐに葛の目を見た。

「タマ高のテスト期間が終わるのは、いつ?」

 葛は嫌らしい笑みを浮かべた。

「今日」

 誰もが息を呑んだ。

「めんどくせーテスト終わってストレス溜まってんなら、もうアレだろ。今日走るしかねーだろ」

 確信があった。誰もが、今日こそ都市伝説と出遭うのだと分かった。



 夜の都市伝説探しを行う二年一組だが、実はやる気には大いなる隔たりがあった。過日、タマ高女子テニス部との合コンに参加できたものはそうでもないが、参加できなかったものは今回の件に多大な情熱を注ぎこんでいた。俺たちだって女子と出会いたい。正直衣奈葛の友達ということでおおよその想像はついているが、それでも構わなかった。ヤンキーでも中二病の子とでも何でもいいから恋がしたかった。キイチゴみたいに甘酸っぱい思いがしたかった。

 さて、ここに男子が三人いる。C班と名付けられた彼らはタマ高周辺で張っていた。言わずもがな、彼らは合コンに参加できなかった組である。期末テストや鉄の怒りと秤にかけても出会いの方が重かった。

 現在時刻は、じき、日付が変わる頃。捜索を始めてから既に数時間が経過している。今日はもうダメかと思ったその時、ケモノの鳴き声が轟いてきた。C班の三人は思わず腹に手を当てる。重低音がそこに突き刺さっていた。

「ケモノじゃ、ない……!」

 心臓の鼓動と響く低音が混ざり合う。知らずの内に汗をかき、体温が上昇する。

「まさか」

 闇を切り裂く光があった。

 どこからともなく聞こえてきた、ケモノの吼え声じみたエキゾーストノートがC班の耳をつんざいた。これはもはや音の暴力だ。鼓膜を捻じ伏せ、聴力を支配下に置くためだけの。

「あっ、あれだっ」

「ゲッ、ゲェェェ! こいつはまさかァ!」

「おっ、掟破りの300馬力の……!」

 誰かが道の向こうを指差した。ヘッドライトに照らされたC班は、思わず目を瞑った。だが、それでも彼らは見た。

 4気筒のスーパーチャージャー付きエンジン。黒光りするカウル。公道向けとは思えない厳ついフォルム。冗談のような加速と速度。それらを可能にした、追及され尽くされたデザイン。疾走するそれは一塊の鉄であり、触れたものを粉々にするだろう。

 C班は、なぜ首なしがニンジャとも呼ばれていたかを察した。首なしライダーが狩るのは、まさしく忍者モンスターであった。



 ニンジャを目撃したというC班から、他班に連絡が入る。首なしのルートを張っていた誰もがそれを目撃し、ただただ見送るしかできず、恐れ戦いた。あんなもの、どうやって止めて、捕まえると言うのだ。

『ぎゃーっマジでやべえって! ムリムリムリ!』

 幸は通話を切った。

 くそっ、と、傍らにいた翔一は地面を蹴った。

「そんなめちゃはええやつどうしろってんだ!」

「追いかけるしかないよ」

 幸は最初からそう決めていたみたいにして言った。蝶子も彼に同意する。

「何も走ってるところを捕まえる必要なんかない。止まったところを狙えばいいんだと思う」

「けどよ、追いつけなきゃ見失っちまうぜ」

「ゆうても、うちらも何もアシないで。アレやったら会社の連中に声かけるけど……」

「うん。ぼくたちだけじゃ無理だ。だから助っ人を呼んどいたよ」

 翔一の携帯が鳴った。首なしニンジャライダーの接近を告げる旨の連絡が、他の班から届いたのだ。

「やべえ俺らんとこにも来るぞ」

「……いや、もうきとる」

 通りから悲鳴のような声。それから、ケモノじみた吼え声が轟いた。何もかもを置き去りにするかのような速度で、真っ黒い、闇に溶け込みかけた輪郭が迫っていた。翔一と蝶子は目を瞑った。幸は悲鳴を飲み込んで、それを見た。

 邂逅は一瞬にも満たない。しかし《花盗人》にとっては充分だった。

「やっぱり都市伝説なんかじゃない! 花粉症だ! あれは人間だよ!」

「えっ」と声を発したのは翔一だ。彼は、幸の言葉に驚いたのではない。彼の脇を通り過ぎていく、一台の自転車を見て動揺を示していた。

 何の変哲もない真っ赤なクロスバイクが、どこからともなく現れるや、爆速で走り去ったのだ。乗っていたのは女だ。彼女は首なしニンジャライダーを追いかけようとしていた。追いつけるはずがない。だが、その自転車が加速し、宙に浮き、民家の塀を飛び越えるのを見た。

「どうなってんだあのチャリ……ええ、つーか見たかよ今の!? なあっ」

「ぼくたちも追っかけよう! あの自転車の人なら、たぶん大丈夫だから!」

 幸は走り出す。翔一たちも後を追った。

「助っ人って今の自転車の人なん?」

「うん、あの人ならたぶん、どうにかしてくれると思う」



 原風景が欲しかった。

 目を瞑り、夢想してもイメージすら浮かんでこない。自分はここにいて、今もここにいるのだという確固たる何かが欲しかった。それはきっと家族でもよかったし、目に見えない繋がりでもよかった。

 それが手に入らないだろうということは分かっていた。なぜなら自分は罪人だからだ。罪を犯したものは罰を受けねばならない。執行される時期も執行者も不明瞭だがその時はいつか必ず訪れるだろう。であれば、どうしてそのような身分でものを欲しがる。許されるはずもない。

 しかし彼女・・は手を伸ばした。だから(・・・)速度を求めた。誰よりも早ければ、誰の手の中にも収まらないと思ったからだ。ずっと逃げ続けられる。逃げている間は罰も罪も過去も置き去りにできる。今を速く過ぎ去って、明日へと手を伸ばす。今の積み重ねが過去になると知っていながらだ。

 血塗られた過去は消し去るには赤過ぎる。目に鮮やかでどうにも忘れがたい。せめて脳裏に焼きついたものを、背負ったものを軽くすべく。やることは一つだ。贖罪である。

 と、そのような殊勝なことを考えているのかはさておき、真っ赤なクロスバイクを駆る雪蛍は自分より早い存在を許せなかった。その理念はもはや暴走族と何ら変わりがなかったが、ともかく自分の前を行くものを見逃さない。

 首なしニンジャライダーの行き先は分かっている。けたたましい排気音、悲鳴、何かが倒れる音。それらの聞こえる方へ進めばいい。しかしやつの背中を同じように追うのでは永遠に追いつけない。雪蛍は宅配のバイトで培った近道、裏道を駆使して距離を詰める。《竜巻乗り》を使い、壁を走り、時には人家を飛び越え、風に乗って中空を突き進んだ。

 その後、空を飛ぶ真っ赤な自転車が首なしニンジャライダーに成り代わり新たな都市伝説となるのだが、それはまた別の話である。雪蛍は自転車の小回りを活かし、少しずつ首なしとの距離を縮めていた。

「はっ、はっ、捕まえたらっ、捕まえたらっ……!」

 首尾よく都市伝説を捕らえれば幸たちから謝礼が出る。雪蛍は金が欲しかったのではなく、彼らからのありがとうと許しである。ごめんなさいと言えれば話は早いのだが、そうもいかないのが上手くない話である。全く関係のない話だが、彼女の目は『元』という形になっていた。

 自転車が空を飛び、前輪と後輪が地面を捕まえる。二度バウンドし、滑るタイヤを無理矢理に押さえつけて加速する。そして見えた。ニンジャだ。黒いマシンが角を曲がった先にいる。雪蛍は壁を乗り越えてショートカットする。ニンジャは、彼女の真下にいた。

「好!」

 乗り手を突き飛ばしてマシンから引き剥がしてやる。雪蛍の口角がつり上がった。だが、彼女は驚愕の声を上げることになる。

 首なしニンジャライダーが加速した。何かに押し出されるかのように、あるいは前方の空間を抉り取ったかのように、原理も道理も摂理も無視し冒涜しているかのような挙動であった。目標を見失った雪蛍は不格好な体勢で着地した。舌を噛みそうになって舌打ちする。はるか遠くにニンジャの姿が見える。ふざけやがってと歯噛みして、雪蛍はまたペダルを漕いだ。



 首なしと雪蛍を追う幸たちの近くで一台の車が止まった。カブトムシみたいに丸っこい車だった。運転席の窓が開き、乗っていた人物が幸らを鋭い声で呼び止めた。

「げっ、先生かよ!」

 翔一の顔面が青くなる。夜に出歩いているのを咎められると思ったのだ。だが、車中の鉄は違った。

「乗ってください! アレを追うのでしょう!」

 幸たちは顔を見合わせた。翔一と蝶子が先を競うようにして後部座席に乗り込んで、詰めて乗ろうとした幸は助手席に追いやられた。乗り込んで、シートベルトをしながら彼は吠えた。

「ひどいや!」

「出します」

 鉄が車を急発進させる。後部座席の二人は呻き声を発した。速度が安定したところで、鉄が謝った。彼女はずっと前方を注視し、幸たちを見ようとはしなかった。

「どうして、先生が謝るんですか」

「今朝のことです」

 切り口上で言うと、鉄はかぶりを振って話を続けた。

「私は、よりにもよって皆さんに八つ当たりをしてしまいました」

「は? 今朝って、あの、先生がブチ切れてたやつっすか?」

「……あれは」

 鉄は目線をさ迷わせた。

「他の先生方が、皆さんを悪く言うものですから。でも、私も言い返せませんでした。だから、その、少し苛立っていました」

「いや、俺らが悪いのは本当のことじゃないすか」

「いいえっ」

「ひ!」

 鉄がハンドルを叩いた。

「皆さんはやればできるのです。ただやらないだけで、いざという時はとてもいい子のはずなんです」

「出来の悪い子を慰めとるような言い分やな……」

「しっ! ダメだよ蝶子ちゃん! あ、あの、先生はどうしてこんな時間に、あんなとこにいたんですか」

 少し泣いていたのかもしれない。鉄が鼻を啜ると水っぽい音がした。

「一番腹立たしいのは、首なしライダーとかいう都市伝説です。それさえなければ皆さんは夜更かしせず、居眠りしないで授業を真面目に受けて、期末テストの勉強もなさっていたに違いありません」

「そ、そっすね」翔一の顔は引きつっていた。

「もしかして、先生も都市伝説を捕まえに来たんですか」

「その通りです」

 そんな馬鹿なと思ったが、幸には覚えがあった。自分が三野山で狩人の見習いをすると言った時も鉄はついてきたのだ。彼女は存外行動的で、盲目的でもある。

「全く見つかりませんでしたが。……ですが」

 鉄の眼光が鋭くなる。

「赤い自転車を見かけました。妙な動きをする自転車です。それを追っているうち、都市伝説らしきバイクを見つけました。あれらを追えばいいわけですね、八街さん」

「そ、そんな感じです」

「では飛ばします。皆さん、しっかり捕まっていてください。後部座席であってもシートベルトをするように。よろしいですね」

 返事をする前に車は加速した。携帯がぴりぴりと鳴る。翔一があっと声を上げた。他の班から連絡が入ったらしかった。

「センセっ、外回りの方に首なし出たってよ!」

 鉄の車が唸りを上げる。法定速度ぎりぎりの速度でカーブに突っ込み、直線に出るやクラクションを鳴らして車道を横切ろうとする通行人を威嚇した。

 幸は頭の中でメフの地図を描き、首なしが走行しているであろうルートを思い出す。

「待って、たぶん首なしは拾区に戻りますっ、先生も」

「分かりました」

 転回。乗っているものに負荷がかかった。ぐっと詰まる息。それらを堪えながら、幸は前方を指差した。ニンジャだ。そこにニンジャがいた。だがこのままでは行き違う。蝶子は窓を開けて腕を突き出した。

「あっ!? あっつ!?」

「蝶子ちゃん!?」

 彼女の周囲に熱がこもる。いつしか髪の毛は朱に染まり、瞳には光輝が宿っていた。《黒焦げ美人》を使うつもりらしかった。幸が止めるがもう遅い。蝶子の腕からは溶岩の弾が発射されていた。

 弾丸は三発放たれた。首なしニンジャライダーは加速し、掠りもしなかった。溶岩弾は道路やフェンスにぶち当たる。振り返るが、首なしの後姿は遠くなり、次の瞬間には掻き消えるようにしていなくなっていた。

「あぁ……偏差射撃したつもりやったのに」

「バッカ猪口、そもそも撃ってんじゃねえっつーの! ゲームじゃねえんだぞ!」

「ご、ごめんな」

 すれ違いざま、幸ももう一度異能を使っていたが、相手の姿が見えなくなってはどうしようもなかった。対象がいない、見えないのでは《花盗人》も効力を発揮しづらかった。

 鉄は誰も見ていないのをチラ見してから対向車線へと車を走らせた。

「ヤチマタ、どうする?」

「信号のある場所に追い込むつもり」

「あれが赤信号で止まるたあ思えねえけど、やるしかねーよな」

 話を聞いていた鉄も頷き、アクセルを強く踏んだ。

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