首なしニンジャライダー・パート2
幸と蝶子は冷たいものを食べたり、センプラに戻ってぶらぶらして放課後を楽しんでいた。彼は、これで仲間外れにされた蝶子の機嫌がよくなったんじゃないかとぼんやりと考えていた。
ふと思い立った幸は蝶子をカラオケに誘った。以前、彼女が恥ずかしがって歌えなかったので、克服するいい機会だと考えたのである。蝶子はその誘いを快諾した。陽が暮れかけてきたとはいえこの日は暑かった。外でうろうろするのに疲れたのかもしれなかった。
幸が手際よく受付を済ませて、指示された部屋に行こうとした時、悲鳴のような声が聞こえてきた。
「凄い声だね……」
「なんや、うちの男子のに似てるなあ」
「あ、そうかもしんない」
幸は、以前にも通されたことのあるパーティルームをちらと覗いた。そこには一組の男子どもと、タマ高の制服を着た女子たちがいて、なぜか翔一は背の低い女子にラケットで尻を叩かれていた。ばしんばしんと。その度に歓声が上がっていた。
「……どういうことなん?」
蝶子は目を丸くさせていたが、それは幸にも分かりそうで分からない問題だった。二人が固まっていると、パーティルームのドアが開き、空のグラスを盆に載せた、小さな少女が出てきてぶつかりそうになった。
「あっ、ごめんなさい」
「ああ、いえ、こちらこそ……」
騒々しい部屋から出てきたのは、タマ高の制服を着た黒髪の少女である。幸と同じくらいの背丈で、ぶつかりかけた彼を理知的な瞳でじっと見つめていた。
「それ、一人でやるの?」
幸と蝶子は、少女が抱えているお盆を見ていた。彼女一人でドリンクの補充をするには、少しばかり量が多いように思われたのだ。
「え」と、黒髪の少女は小首を傾げた。ショートボブの髪がふわりと揺れた。
「ああ、これは私が趣味でやっているようなものなのです。何かしていないと落ち着かない性分なのです。決していじめとか、そういうのではないのでお構いなく」
「よかったら手伝おうか?」
少女は、幸から視線を外した。
「おや、お二人も蘇幌学園の生徒なのですね」
幸は小さく頷く。またパーティルームから悲鳴が聞こえた。部屋の中を見ると、田中大が四つん這いになっていて女子に足蹴にされていた。翔一は上半身裸で床に転がされていた。幸は、自分たちが翔一らのクラスメイトだとは言わなかった。
「ああ、お騒がせしてすみません。合コンというやつなのです。盛り上がっているのはイベントを企画した私としても喜ばしいことなのですが、どうやら箍が外れてしまったようで」
「き、気にしなくていいよ」
「ありがとうございます」
少女はドリンクの補充を始めた。蝶子が、幸の耳元に顔を近づけた。
「あの子が合コンゆう絵ぇ描いたんか。ちっこいのにえらいもんやな」
「背の大きさは関係ないと思うけど」
「ほうかあ?」
「ほうだよ」
その後、二人は自分たちの部屋へと向かったが、彼らが席につくより先、予期せぬ訪問者が現れた。黒髪の少女である。幸も蝶子も不思議そうにして彼女を見た。
少女は深く頭を下げた。
「お邪魔します」
「どうぞ……?」
「実は、我々が騒がしいのではないかと思い、近くのお部屋にご挨拶とごめんなさいをしに来たのです」
ここはカラオケである。騒がしいのは当たり前のことなので、幸は少女の言い分を素直には受け取れずにいた。
「別に気にしなくても」
「よろしければどうぞ」と少女は飲み物とお菓子を差し出した。
「ここのお店は飲食の持ち込みは基本的には不可なのですが、色々と懇意にさせてもらっていて、お願いをすれば少しくらいのものは見逃してもらえるのです。何かリクエストがあればおっしゃってください。大抵のものはどうにかなります」
「あ、あの」
少女は、音量の調節やエコーのかかり具合などを確かめるなどして、てきぱきとセッティングを始めていく。
「ぼくたちは別に、そういうの気にしてないよ」
ですが。少女はそう言う。そして彼女は動くのを止めなかった。まるで何かに突き動かされているかのように、おしぼりでテーブルを拭き、床にゴミが落ちていないかをチェックしている。
「そうですか」
何故か、少女は残念そうにして俯いた。
「うちは気にしてへんから、ええよ。でも、そっちが気になるん言うなら、何かリクエストしよっかなー」
「ええ、どうぞ、遠慮なさらず」
「ほんま? そんじゃあ一曲歌って」
少女の眉毛が、器用にも片方だけぴくぴくと動いた。
「なるほど、そういうリクエストですか。よござんす。では。不肖、タマ高の
俊敏な動作でリモコンを手にした少女が選曲を済ませる。馬鹿に明るい曲がスピーカーから流れてきて、蝶子はにこにことした。ゴリゴリのアニソンだった。少女はそれをフルコーラス、笑顔を浮かべることなく至極真面目くさった顔のままで歌い切った。
東本梅という少女はお辞儀をすると、二人分の拍手が反響した。
「上手やなあ。なあ、委員長」
幸は頷いて返す。少女は自分で持ってきた炭酸飲料の入ったグラスの中身をぐいと飲み干した。
「さっきの曲には自信がありました。今日のためにこっそりと練習していたのです。お二人の反応で確信しました。私は今、メフで私に並ぶ者はいないと自負します。……では、私はこれで」
「ええー? ええやん、もうちょいこっちにおりぃや」
「ですが、よろしいのですか」
「……? うん、ええよ?」
「そうですか」
少女は蝶子の近くに座ると、彼女と幸を見比べた。
「お二人のお邪魔になるかと思ったのですが」
「そんなことないって。なあ、委員長」
「正直に言ってしまうと少しほっとしています。実は、合コンを企画したのは私なのですが、それも先輩たちに頼まれてのことなのです。私はまだそういうことに興味がないので、いざイベントが始まると肩身の狭い思いをしていたのです」
幸はまた頷いて返した。蝶子と東本梅という少女はすぐに打ち解けたらしかった。三人寄ればかしましいと言うが、二人でも充分に盛り上がっていた。そうなると『お邪魔』なのは自分なのかもしれないと、幸は小さな体を余計に小さくするのだった。
「今、メフの街で噂になっている都市伝説を知っていますか」
東本梅はそんなことを言い出した。蝶子はさっきまでしゃんしゃん叩いていたタンバリンを置くと、彼女に向き直った。
「ああ、アレやろ? 首なしライダーとかいうの。ありきたりやんな」
「正確には首なしニンジャライダーと言うのです。夜の街を切り裂くようにして疾走し、神出鬼没で誰にも追いつかれない。影も形もあやふやではっきりとしない。ですから『ニンジャ』と」
「でも、誰かが見たから噂が広がったんだよね。だって見られてないと首があるかどうかも分からないよ」
「情報の出所が不確かで、その人たちも多くを語らないものですから、そのように噂が独り歩きしたのでしょう」
「出所?」
幸は不思議に思った。東本梅は件の都市伝説に詳しいようなそぶりである。
「お二人は《稲妻地獄》という暴走族を御存じですか。女性ばかりで構成された、メフでただ一つの暴走族です」
「や、知らへんな」
「え。蝶子ちゃん知らないの? そういうの知ってそうなのに」
「うちをなんやと思ってるんや」
蝶子は不快そうに顔をしかめた。
「ニンジャライダーを目撃し、追いかけているのはその暴走族の人たちなのです。ああいう人たちはメンツとか、沽券とか、そういうことを気にするものですから」
「なんか、詳しいんだね」
「メフの学生の間では結構知られていますよ。タマ高にも《稲妻地獄》の人がいますし」
へえ、と、幸は適当な相槌を打った。暴走族だとか首なしライダーだとか、何だか今更のような気がしてならなかったからだ。特にこの街では。
東本梅は首なしニンジャライダーのことを話し続けた。時折、彼女は幸たちの様子を窺うようにしていた。
その日の夜、幸は夕食を済ませると、いそいそと自分の部屋に行き、カエルこと鬼無里に話しかけた。彼女は鶏肉の切れ端に舌鼓を打ちながら、幸の話を聞いていた。
「なるほど、都市伝説か。口裂け女とか、ひきこさんとか、メリーさんのアレだね。しかし、そうか。私は専門家ではないが、メフにはメフならではの都市伝説があるんだね」
「首なしニンジャライダーってやつが出るみたいなんです」
「首なしライダーなら聞いたことはあるが、ニンジャとはまた……君はその話を本当だと思うかい」
「本当だとしても、何の不思議もないとは思います」
「そうだね。何せ今の世界には扶桑があり、扶桑熱がある。何が起きたって不思議じゃあない。というか、私としてはその首なしライダーの正体が扶桑熱患者のような気がしてならない」
幸は頷いた。彼もそのように感じていた。
「それで言ったら鬼無里さんも都市伝説みたいなもんですよね」
「ふふ、そうだね。いや笑い事じゃないとは思うんだが……そういえば君、いくつだったかな」
「歳ですか? 十七です」
そうか。鬼無里は目を瞑った。
「紫の鏡という言葉を聞いたことはあるかな」
「なんですか、それ」
「その言葉を二十歳まで覚えていると不幸になる。あるいは死ぬんだ。都市伝説の一つだね」
「……どうしてそれをぼくに言ったんですか」
「すまない。我慢できなかった」
「酷い人だなあ!」
「いや、人じゃなくってカエルだよ」
鬼無里はけろけろと笑った。
その時、ドアがノックされて一人と一匹はびくりと体を震わせた。
「さちくーん? さっきから独り言言ってない?」
「え? ええと」
「開けるよ」
部屋に入ってきたむつみは、じろじろと中を見回した。そうして机の上の水槽に視線を定めた。鬼無里は隅で目を瞑って丸まるようにしていた。
「もしかしてそのカエルに話しかけてたの?」
幸は少し焦ったが、そうですと答えた。嘘はついていない。むつみは怪訝そうな顔つきになる。
「可愛がってるならいいけどね」
「えへへ」
「何笑ってるの? まあ、何でもいいけど」
むつみは立ち去ろうとしたが、幸が呼び止めた。
「叔母さん、市役所の方で都市伝説がどうとかって話、聞いてませんか? 首なしライダーがどうとかって」
「ええ? 何それ?」
「だったらいいんです」
「そう? まあ、バイクが趣味の人とかはいるけどね。休みの日は一日中いじくり回してるんだってさ。メフじゃあ遠出もできないし、せいぜい外回りをぐるぐる走るくらいしかできないのにね。夏は暑いし、冬は寒い。車だったら楽だし、快適なのにね。何が楽しいんだろう。まるでアレだよ。ハムスターの回し車みたい」
「叔母さんはすぐにそういうのを否定しますよね」
息をつくと、むつみはカエルを指差した。
「理解できないだけ。君のカエル好きってとこも。飼うんじゃなくて、食うんなら分かるけどね。知ってる? カエルってちょっと鶏肉っぽいんだよ」
鬼無里は悲しそうに幸を見上げていた。
「食べたりしませんよ」
「結構おいしいよ? それじゃあね、おやすみ。夜更かししないでよ」
ドアが閉められると、鬼無里は長い息を吐き出した。
「蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだ。ご主人様、君の叔母上は恐ろしい人だね」
「そりゃまあ、カエルからしたら恐ろしいことを言ってましたけど」
身も心もカエルになりつつある鬼無里であった。
明けて朝。二年一組の教室の雰囲気は明暗くっくりと分かれていた。すなわち、昨日タマ高との合コンに参加できたものと、できなかったものとにだ。
「いやー、昨日やばかったなー」
「おお、やばかったなあ!」
楽しそうに話す男子。
「クソが」
「これ見よがしに言いやがってよ」
悔しそうにする男子。
しかし彼らは知らない。参加したものがタマ高女子テニス部におもちゃにされていたことを。椅子にされサンドバッグにされ、浮世の憂さを晴らすことに使われていたことを。
だから楽しそうにしているものの大半は強がりだ。記憶をねつ造したり、忌まわしき記憶に蓋をしているに過ぎない。
「ああー、ホントやばかったなー」
「やばかったやばかった」
だから会話に中身がない。それでも止められない。どうにかして異性のことでマウントをとろうとする、男子高校生特有の悲しい習性だった。
幸は、舌打ちをする田中小、田中大と共にカードゲームに興じていた。
「八街ァ、お前蝶子ちゃんとはどうだったんだよ。楽しかったか? あ?」
幸は手札のカードを確認しながら言った。
「うん」
「俺もそっちに行きゃよかったか……」
「来たらよかったのに」
「はあああああああああ」
長い溜息と実のない会話が一組を支配しつつあった頃、廊下の方からぱたぱたという足音が聞こえてきて、それが教室の前で止まった。開いていた窓から派手な格好をした女子が首をにゅっと突き出した。葛である。誰もが思った。こいつかよ。と。
「よーう、童貞ども。今日も楽しい? 昨日は楽しかった? あんさー、葛ちゃんはねー」
一組の男子は幸を通じて葛の面倒くささ、鬱陶しさを知っている。彼女はろくでもないことを言い、ろくでもないことばかり持ち込んでくるろくでもない女だ。だから彼らは彼女の声が聞こえていない振りを通した。
「八街に打墨さあ、聞こえてんでしょ? あのさー、葛ちゃんさー、実はー、あんたらに頼みがあんのねー。聞いてくれるよねー。かーわいい葛ちゃんのお願いだもんねー」
指名された二人は口をつぐみ、耳を塞ぎ、心を閉ざした。葛の頼み。これほどの厄介ごとが他にあるだろうか。
「おぉい聞こえてんだろ! 聞こえてんでしょって! 無視すんなや、無視してんなって!」
「呼んでんぞ、委員長」
「ゲームを続けよう」
幸は手札のカードを場に二枚置いてターン終了した。
翔一は他の男子とげらげら笑い転げている。
葛は廊下で喚いている。
人というのは躊躇する生き物だ。脳みそがあり、理性がある。しかし一度ある一定のラインを越えてしまえば捨て鉢にもなる生き物だ。理性はあるがそれと同時に本能も備わっているからだ。慣れてしまえばどうでもよくなる。葛の声を聞くものはこの教室にはいなかった。
「ほっとくなー!」
葛が吼えた。その声を聞きつけたのか、ふらりと鵤藤がその姿を見せた。彼女は少し楽しそうにしていた。
「駄目じゃない八街君。ちゃんと相手してあげなくちゃ」
幸は廊下に目を向けた。そこにはしたり顔の藤と半泣きの葛がいた。
「藤ーっ、こいつらっ、こいつらーっ」
「はいはい」と藤が葛を宥めていたものだから、幸は驚いた。
「葛は無視されるの怖がるから」
幸は仕方なそうに席から立ち上がった。葛の恨めしい目つきが心にちくりと刺さった。
「えーと、ごめん」
「ごめんじゃ済まねえんだよてめえーっ」
胸ぐらを掴まれたが、葛の目と腕には力がない。まるで駄々をこねる子供のようにしか見えなかった。その時、幸には彼女がどうしてこのようなジェリービーンズだとかマカロンだとか揶揄される格好をしているのかが分かった気がした。
目立つからだ。
葛にはいじめられていたという過去がある。徹底的に無視され、その存在を認められなかった。それは水原深咲の異能によるものだったかもしれないが、過去は消えない。理由はどうあれ実際に起こったことだ。だから彼女は目立つように、無視されないように、誰かの視界に入り込むために、派手な格好をしているのかもしれない。幸はそう思った。自分がとてつもなく酷いことをしたのだとも思えてくる。
「ごめんね、葛ちゃん」
「何がっ」
「ぼくね、葛ちゃんがろくでもないことばっかり言ってくるから無視してた。もうしないよ。たとえ葛ちゃんがろくでもない人だったとしても……」
「謝ってねーじゃん! それ全然謝ってねーから!」
「何だよ、もう。ごめんって言ったじゃん」
「なんでそっちがキレてんの!? 意味わかんない!」
葛は吼えた。大きな声を出すと落ち着いたのか、彼女は幸の背中をぺしんと叩いて一組教室にずかずかと乗り込んだ。
「ちょっと、あんたらに頼みがあんだけど」
「嫌だ」
翔一は即答した。
「どうせろくなことじゃねえんだろ。俺はどうしてだか昨日から背中がいてえし、嫌だね」
「困ってる友達がいっからさ、ちょっと手ぇ貸してよ。ちなみに、困ってるのは女の子だから」
「だから何だってんだよ」
今日の一組男子は強気だった。昨日の出来事が彼らを強くしたのだった。
葛は嫌らしい笑みを浮かべた。
「上手くいったら紹介したげっからさー、タマ高の子もいんだけどな」
「タマ高の……!?」
「マジかよ」
「リベンジじゃん」
「でもあの一年すげえめんどくさそうなこと言いそうじゃね?」
「いやでも俺ら流れ来てね?」
男子どもは輪になって会議を始めた。葛は爪をいじりながら、その様子をつまらなそうに眺めていた。
「まー、見た目いい子揃ってんよ? 二十人くらいかな?」
男子は息を呑んだ。結論は既に出た。彼らの心は一つとなった。
だが、幸と翔一だけは気づいていた。葛の知り合いなのだ。どうせ普通の女子ではない。ヤンキーだの暴走族だの、そういった類の女子だと踏んでいた。
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