第二章
彼は意識を取り戻し
ぴちょん、と地面をたたく水音が響く。
本来ならば他愛も無い音として聞き逃す様な物だが、こうまで静寂に満ちているとそうもいかない。辺りは伺えない薄暗闇に包まれている為、視覚はこの場で役に立たない。その分聴覚が鋭敏になったのか、気付けば些細な音でもつい反応してしまう様になってしまった。
一体ここに連れてこられてから、どれだけの時間が経っただろうか。暗闇は時間の感覚を奪うというが、もう既にたっぷり一週間は待った様に思える。いや、もしかしたらまだ一日も経っていないかもしれない。
ひょっとしたら、自分はこのまま永久に囚われ続けるのだろうか。助けも迎えも来ないまま、この薄暗く湿った洞窟の中で永遠にーー
「っ、そんな訳ないだろうが」
頭に浮かんだ考えをとっさに打ち消す。体温も奪われ、周囲の視界もろくに確保出来ない状態で物を考えれば、大抵はマイナス思考になるに決まっている。
枷がつけられたままの両手に炎を出現させる。普段見慣れた光景だが、この時ばかりは天からの恵みだと思えるほどに暖かい物だった。
揺らめく炎を見つめながら、再び思案を巡らせる。冷え切った体温も上昇した事で、漸くまともに事を考えられるようになった。
「……落ち着け俺。殺されるなら奴らもこんな回りくどい事をせず、さっさと殺してるだろ。向こうも精霊持ちなんだ、抵抗なんか考えないはず……」
『その通り。エルフの者共は漣が自分達の下にいるという事実に胡座をかいている』
そんな聞き慣れた声とともに、揺らめく炎が徐々に人の形を象る。こんな芸当が出来る奴、心当たりは一つしかない。
「……随分と遅かったな精霊さんよ。今の今まで何してたんだ?」
『ああ、主人が随分と怯えている様を見て愉悦に浸っていた所だ。いい酒の肴になったぞ』
「ちょ、お前なぁ……」
炎の精霊。いつも厄介ごとしか運んで来ないその姿が、今ではやけに頼もしく見える……筈だったが、彼女の発言によりその気持ちは全て吹き飛んだ。
『冗談だ。幾ら我でも主人を前にしてそんな事はせんよ。精々囚われの身を思って、毎夜涙を酒に落としていたくらいだ』
「そうか、それならまぁ……ってオイ。俺は騙されねぇぞ」
一見美談だが、振り返ってみれば酒を飲んでいるではないか。そもそも精霊が酒を飲めるのかという疑問はあるが、それ以前に仮にも主人をほっぽって酒を飲むとはどういう事か。
やれやれ、と肩をすくめる精霊に若干イラつくが、四肢が拘束された状態ではツっこむ事もできない。
『そもそもだな主人よ、以前に我は炎がある場所ならばどこでも見通すことが出来ると伝えたであろう? 文句を言う前に、さっさとその事実を思い出せというものだ』
「ぐ、それは確かに……」
実際、今精霊に言われるまでその案は頭の中に無かった。寒いと思って着火したら、偶然精霊と接続出来ただけである。
だがこちらにも言い分はある。そもそもあの状態では冷静にものを考えるどころでは無かったし、何だったら生きる事すら若干諦め掛けていた節もある。精霊の事まで頭が回らなかったのは仕方の無いことではないだろうか。
とはいえ、それを口にするのも言い訳がましくて憚られる。これ以上この話題を口にすると自分の形勢が不利になる為、慌てて話題を変えることにした。
「そ、そういえば、俺が捕まってから地上ではどんくらいの期間が経ってるんだ? 真っ暗な中に投獄されてると、時間を図る事も出来なくてな」
『露骨に話題を逸らしたな……まあいい。我が主人が基本的には消極的、悪く言えばヘタレであることは初めから織り込み済みだ』
反論は出来ない。そもそも出会った時からして洞窟に空いた大穴を彼女に押し付けようとしたのだから、反論のしようもない。
『今は主人が連れられてから一日目の朝だ。時間で数えれば一日も経っていない。獣人の集落は後継が死んだ事、そして狂獣が倒れている事でてんやわんやの大騒ぎ。復興するにも一苦労だろうな』
「……予想以上に時間は経っていなかったな。もう体感で三日は数えた所だと思ってたが」
『フン、所詮ヒトは完全ならざる種族。主人が正確に時間を図る事なぞハナから期待しておらん』
相変わらず自分以外には辛辣である。最も、辛辣であるだけの実力を有しているからこその言動であるから一切言い返せないのだが。
とはいえこの刺々しさは敵を量産する言動でもある。水の精霊と対峙した際やけに相手は不機嫌だったが、恐らく以前に彼女から暴言でも吐かれたのであろう。実際に彼女と関わった身として、イラッと来たのは一度や二度では効かない。
……そう考えると若干相手が不憫に思えてきた。
『さて、そろそろ英気は戻ったか? いや、戻っておらずともいい。さっさと支度を済まさぬか』
「支度? おい、一体何をするつもりで……」
『察しの悪い主人だな。古来よりあらぬ罪で投獄された時といえば、やる事は一つに決まっておろう?』
精霊の手が軽く振るわれると、その指先から火の粉が欠片となって飛び立つ。
ふわりと、まるで風に揺られる綿毛のようにゆらゆらと頼りなく宙を舞う。ゆっくり、ゆっくりと徐々にその高度を下げて行く。
そして、ついに手枷へと降り立った瞬間。
「うわっ!?」
炎が触れ合った場所は一息に燃え上がり、一瞬にして俺を拘束する手枷を焼き尽くす。熱さを感じたのも僅かな事、すぐ様木製の枷は炭に変わり、炎はすぐ様鎮火した。
『当然、脱獄よ』
力を込める事もなく、その結合を失った枷はポロポロと崩れ落ちていく。仄かに香る焦げ臭い匂いが、枷から漂う煙に乗って俺の鼻腔をくすぐった。
枷が付いていた手首をさすると、拘束され続けた事による痺れこそあるが、火傷による痛みや腫れ、痕などは一切見当たらない。やはりそこは炎の精霊、火力も加減もお手の物という証だろう。慣れている俺がやったとしてもこうは行かない。
自身の肌に触れさせないよう、細心の注意を払いながら足枷を再び生み出した炎で焼く。足首の周囲に少しは枷の跡が残ってしまうだろうが、そこは仕方がない。
「……いきなり脱獄つったって、準備なんて一切してねぇぞ」
『その割には主も乗ろうとしているではないか。普段なら怖気づくだろうに、一体どういった風の吹き回しだ?』
「気に入らないだけだ。いきなり無実の罪を掛けられて、大した調べも取られずに牢獄へぶち込まれるなんて、いくら何でも溜まったもんじゃない。出来るもんならさっさとここから抜け出すさ」
自由になった両足の感覚を確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。幸いそれほどの時間拘束されていた訳では無かった為か、すぐに血液が巡り十分な機能を取り戻した。
生み出した炎を頼りにしながら、薄暗い洞窟の中を照らし出す。影の映りで分かりにくいが、どうやら上向きに上がる階段が一つだけ備え付けられているようだ。一応格子のような物は立てかけられているが、それも木製であるため破壊することは容易いだろう。
俺が脱出の算段を立てていると、思いついたように精霊が話しかけてきた。
『……そういえば主よ、確か先の戦の終わり際に、我の名前を決めるだとか言っていたような気がするが』
「え? あ、ああ。確かに言ったな……ラトラ達と一緒に決めようと思っていたんだが、駄目だったか?」
『フン、別に良い。忘れよ。その程度の些事、我が意識をかかずらう程の事でもない』
先ほどまでの上機嫌はどこへやら、途端に冷静な声になってしまった。こういった場合、大抵彼女は不機嫌であるという事は付き合いの中で何となく分かってきた。
……が、何に不機嫌になっているのかは分からない。元より人付き合いはあまり宜しくない方だが、それに加えて人外の意思も読み取るとなるともう俺にはお手上げである。
彼女の事が気になりつつも、仕方なく俺は脱獄の為の準備を進めていった。
勇者のパーティーから追い出された俺が、最強になってスローライフ送るまでの話 初柴シュリ @Syuri1484
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。勇者のパーティーから追い出された俺が、最強になってスローライフ送るまでの話の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます