そして彼らと彼女らは




意識を失い、ガクリとその頭を落とすバグス。崩れ落ちるその体を抱き止めたのは、背後に立っていた水の精霊だった。



「貴方、早くその手を放して――グッ」



 再び刃をフェリスへと向けようとしたメリダだったが、唐突に頭を抱え、何かに耐えるように地面へとしゃがみ込んでしまう。



『フン、漸く暴走が収まったか。聖剣なぞという無理なドーピングを行い続けなければ、もう少しマシにはなっただろうに』


『唆したのは貴方でしょう、焔の。いかに聖剣の暴走があろうと、その契機を作り出したのですから』


『それこそ愚問ださざなみの。あくまで我は背中を押しただけに過ぎぬ。後の暴走に聖剣が関わっていたとは言え、それを選択したのは紛れもなくあやつだ』



自身の主人が捕らえられているというのに、炎の精霊はその豪胆な態度を崩さない。それは信頼の表れなのか、或いは何とも思っていないのか。はたまたーーこの状況を危機とも考えていないのか。



『まあ、奴でと楽しめたのは事実だがな。下等種族には変わりないが、明確な自らの意思を持っている分有象無象の雑魚共よりは面白い。その分、最後に呑まれてしまったのは興醒めだったがな』


『相変わらず趣味の悪い……とにかくこちらの用件は済みました。この男の身柄は私達、エルフの里で預かります。異論はありませんね?』


『フン、我がとやかく言う話でもあるまい。貴様らの好きな様にするが良い』


『随分と物分かりが良いですね。率直に言って気味が悪いです』


『……だが癪には触るな。やはり燃やし尽くすべきか』



全身の炎を不愉快そうに揺らめかせる精霊だが、それにフェリスは片膝を立て、軽く礼をする事で応じる。



「お納め下さい焔の精霊よ。私達に争う意思はありません。彼の事も聴取が終われば穏便に返すと、我が魂に誓いましょう」


『……エルフの言葉で最大級の契約方法だったか。まあ良かろう。だがそこな男がどうして我との交渉に使えると?』


「お戯れを。彼は貴方様の契約者でありましょう? なれば私もエルフの頭領として、同じ精霊の契約者として礼儀を尽くすのが道理です」


『……ほお』



敢えてバグスとの関係を話していなかった炎の精霊だが、それを既に見抜かれているのは予想外であった。僅かな驚きと共に、感嘆の声を上げる。



『細かい問答を必要とせぬ事は美徳よ。貴様も下等種族である事に変わりはないが、他の者よりも幾分かはマシなようだな』


「ありがとうございます。それでは、これで我々は失礼して……」


『おっと、まあそう急くな。エルフの代表として来ているのならば、せめてこの集落の代表とやらにも会ってやるのが道理では無いか?』



再び一礼してその場を去ろうとするフェリス達。だが、その後ろ姿を焔の精霊は呼び止める。

刹那享楽的な趣味嗜好を持つ彼女の事だ、恐らくこの提案も禄では無い事なのだろう。しかしそれを理解しつつも、二人はその呼び掛けを無視する事はできなかった。


そもそも混乱に乗じて獣人の集落へと無断に侵入したのは彼女達の方であり、その点を突かれるのは弱味でもある。

獣人とエルフはとても友好的とは言えないが、だからといって無闇矢鱈に無礼を働ける程フェリスは厚顔無恥では無い。つまり、焔の精霊からの提案を断れる立場には無いという事だ。



「……分かりました。では挨拶だけでもしておきましょう。代表者は何処にいるのですか?」



水の精霊からの警告と短いやり取りの間で焔の精霊の性格を理解していたフェリスは、若干警戒しながらもその申し出を受け入れる。


だが、その言葉に答えたのは焔の精霊ではなく、別の男の声だった。



「……おいおい。女子供を避難させてやっとこさやって来たんだが、一体全体これはどういう状況だ?」



瓦礫の奥から歩いて来た複数人の男達。フェリスは頭に生えている特徴的な獣耳を見て、この村の獣人なのだと察した。


先頭に立つ獣人の男へ向かって、再び頭を下げるフェリス。だがその角度は精霊の時とは違い、非常に浅い。ほぼ会釈と変わりが無いと言っても良い。



「貴方が代表者ですか? 私はエルフの里の筆頭長老、フェリス・アクィナス・メラルーバ。少しばかり火急の要件があった為、無許可で集落へ足を運んだ無礼をお許し下さい」


「……あー、悪いが俺は代表者じゃない。一時的に場を預かってるだけの者だ。だが、それでも一つ聞きたいのは……そこでぐったりとしてるお方はどうしちまったんだ?」



先頭の男ーーフルは精霊の腕に抱えられているバグスの事を指差す。


その瞬間、面倒事の気配を感じたフェリスはチラリと焔の精霊の方を向く。予想に過ぎないが彼女の事だ。こうなる事を予測していたのだろうと様子を伺うと、やはりと言うべきか此方をじいっと見つめたまま身じろぎもしない。


嘘をついてやり過ごすという手もあるが、恐らく精霊はそれを許さないだろう。大人しく事実を言うほかはないと彼女は悟った。



「彼にはエルフ失踪の件について嫌疑がかけられています。その為にはエルフの里まで御同行頂く必要がある為、しばしの間眠りについて貰っているのです」


「おいおい、それはちょいと過激すぎやしないか? 事情を聴くんだったらここで聞いたってなんの問題もないだろ」


「いいえ、聴取を行うのはそもそも私ではなく専門の尋問官です。私ではその役目を執り行う事は出来ません」



そして、と一度言葉を切り辺りを見回す。



「尋問中にからの口裏合わせが入らないとも限りませんから」


「……それはあれか? 俺達がそのエルフ失踪とやらに関わってると言いたいのか?」



にわかに色めき立つ獣人達。それもそのはず、やってもいない犯罪の嫌疑を僅かなりとも掛けられたとなれば、その機嫌が良くなるはずもない。


その感情を代弁するかのように、不快な表情を隠そうともしないでフルは話を続ける。



「そもそもだな、有ったかも分からねぇ罪をぶち上げて、証拠も見せずに容疑者として連れて行くだと? 集落だなんだと言う前に、それはバグスに対して最大の失礼、そして侮辱だ。今すぐ発言を撤回して、そいつを下ろしてもらおうか」



彼が集落に来てから、バグスとフルは大した交流をしていない。だが、その短い付き合いの中でも『此奴は間違いなく良い奴だ』と、半ば確信のような感情を抱いていた。


彼が来てからは少し、ほんの少しだが物事が良い方に向かっている。サウリール姉妹然り、精霊然り、そしてペンダント探し然り。それらが全て彼の善性から起こった事なのだと気付くのに、そう長い時間はかからない。

勿論彼にも何がしかの狙いは有るのだろう。だが、それが自分達に悪影響を及ぼす物だとは到底思えなかったのだ。


故に、フルは彼の味方をする。エルフから嫌疑を掛けられようとも、彼はバグスが何もやっていないと信じる。それはもしかしたら、サウリールやラトラに向けていた父性のような物と同じなのかもしれない。


……勿論彼への心掛けばかりでは無く、そこにはサウリール達への心配も含まれている。幼いうちに一度家族を失った彼女らには、もう二度と身近な存在を失って欲しくない。そんな親心のようなものが心の中には渦巻いていた。



「繰り返しになりますが、それは出来ません。これは決定事項であり、覆される事はありませんので」



だが、フェリスにも譲れないものはある。例えこの青年が本当に無実だろうと、一度里で決定した事は例え筆頭であろうとそう簡単に覆す事は出来ないのだ。

それはエルフの掟だったり、上に立つものとしてのプライド、礼儀だったり。故に全体の会議で決定した事は、それを果たすまで覆る事はない。


これ以上時間をかける余裕は無いと、彼女は水の精霊へ目配せをする。合図を受けた精霊は一つ頷くと、抱えたバグスごと水溜りとなって地面へと沈んで行く。



「なっ、おい待ちやがれ!」


「それでは私も失礼致します。また機会があれば」



慌てて引き留めようとするフルの手。直前でフェリスの肩に届いたーーそう思えた瞬間、彼の手は思い切り空を切る。


いや、切ったのは空ではなく水だ。手に付着した水分が地面を濡らし、そのままフェリスも地へと沈む。


トプンーー。水に重いものが落ちる様な音と共に、フェリスと精霊、そしてバグスは完全にその姿を消した。



『……さてはて、今度はエルフの里か。全く、凡人だ凡人だと煩い主人だったが、全くもってその道は平坦から程遠い物よな?』

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