そして彼と彼女とで




精霊の言葉に答える様に、次々と飛来する槍状の何か。砲弾もかくやという勢いを込めて、殺気と共に精霊の元へと向かう。


だが、その程度で墜ちるような精霊では無い。腕組みをした状態のまま、的確に着弾点へと炎の盾を創り出し防ぎきっている。盾に触れた瞬間、槍はその身を跡形も残さず蒸発させられていく。



『ハ、相変わらず覇気の無い挨拶だ。その程度の攻撃は大した痛痒にもならんと、我との付き合いの中で何も学んでこなかったのか?』


『ーーならば貴女にもその言葉を返しましょう。そのさざなみという呼び名を私が許容した覚えは無いのですが?』



聞いたことのない女の声が、何処からともなく耳に届く。だが、この声の響き方は聞き覚えがある。


そう、目の前にいる炎の精霊と同じ響きーー!



「まさかーー!」


『流石に気付くか主殿。想像の通り、此奴もまた精霊だ。我と同族のな』



地面に出来た水溜りから、しゅるりと流れるように現れる人型。威圧感は炎の精霊に勝るとも劣らず、しかし流麗なその姿は荒々しく顕現する炎の精霊とは対照的に、音もなく佇んでいる。



『私は水の化身。僅かに吹き起こるだけの漣とは格が違います。二度とその名で呼ばない様にと何年も前から言い含めていたはずですが……小火ぼやを撒き散らし続けて来た所為でその記憶さえも燃え尽きましたか?』



だが、その流麗な雰囲気とは正反対に、刺々しい敵意に溢れた言葉。彼女の言葉を鑑みて、炎の精霊とは長い付き合いであろう事は分かったが、どうにもその時からこの二人の因縁は続いているらしい。

最も、炎の精霊の態度で敵を作るなと言う方が難題なのだろうが。


口さがない水の精霊の言葉に対し、しかし彼女は余裕ぶった態度を崩さない。先ほどのメリダの言葉にはすぐ様顔色を変えたところを見ると、やはり言われる相手というものが関係しているのだろうか。



『吠えるではないか。不意を打った程度で勝者を気取るか? 我と同種たる故、度重なる不敬も三度みたびまでは許そう。だが先の不意打ち、そして此度の戯言……次は無いぞ?』


『生憎ですが、それは此方の台詞です。いつまで経っても治らない呼び名、これは最早私への侮辱ととっても過言はありません。お望みであれば、この場で決着を付けても構いませんが?』



瞬時に浮かび上がる炎弾の群れと、それと対を成すかの様に現れた水槍の群れ。群れ、とは表現したが、恐らくその一発一発に込められたエネルギーは、集落一つ滅ぼすには十分過ぎる程の物だろう。

一発と一発の間隔も非常に狭く、しかしその量は果てしない。先にメリダを襲った炎を『幕』と表現するなら、これは最早『カーテン』と言える。


両者がぶつかり合えば、この場にいる者達どころか土地すら危ない。かといって両者を諌めるには平和的に収めるだけの材料が無く、迂闊に一歩を踏み出すことができない。鎖に対抗していたメリダさえも、今では固唾を呑んで状況を見守っている。


まさに一触即発。だが、この空気を破ったのは俺でも、メリダでも、ましてや地に伏しているメリダスでも無く、全く聞き覚えのない第三者の声だった。



「控えて下さい、スィーリアブロザ。貴女の気持ちは理解しますが、今はその時ではありません」


『っ、申し訳無いフェリス様。私ともあろうものが、この様な挑発に乗ってしまうなど』



いつのまに現れていたのか、水の精霊の側に立つ一人の美女。輝いているのか、と一瞬見紛う程に色素の抜けた白い肌と、縦ロールに纏められた金髪が格段に目を惹く。


だが彼女の一番の特徴は、その鋭く尖った耳だ。獣人とは違い、極めて人間に近い容姿をしている分、その異質さは格段と目に付いた。



『ハ、随分と謙るものだな漣の。尻尾を振るのは勝手だが、それで我ら精霊の格を貶めるなよ?』


『……貴女は何処までも腹立たしいですね。第一貴女にも主人と見初めた相手がいるのでしょう?』


『ああ。だが貴様のように口調を変えて媚びるつもりも、ましてや使われるだけの存在になり下がるつもりも無い。あくまで我は我の意志で行動するのみよ』


『……本当に、一言多い』


「ですから落ち着きなさいと。焔の精霊様も、あまり挑発するような行為は控えて頂けると」



エルフの美女は形の良い胸に手を当て、静かに拝礼する。炎の精霊は鼻を鳴らしつつも、それ以上何かを言うことは無い。やはり本来彼女と接する時は、それ相応の態度というものが必要なのだろう。



「改めまして、私の名前はフェリス・アクィナス・メラルーバ。偉大なる水の精霊に認められ、エルフの集落にて筆頭長老として活動しております。以後お見知り置きを」



彼女は顔を上げると、その吊り上がった眼を此方へーーより正確には、俺の元はと向けてくる。



「この状況で色々と問いたい事はありますが、まずは此方の用事を済ませましょう。そこの殿方ーーお名前をお伺いしても?」


「……バグス。バグス・ラナーだ」


「ではバグス様、誠に不躾な話ではありますが、貴方にはエルフの里まで御同行をお願いしたいのです」



……急だ。あまりに急過ぎる。全く予想もしていなかった話に思わず固まってしまう。


だが真に俺を驚愕させたのは、その後に続いた彼女の言葉だった。



「貴方にはエルフ失踪の件についていくつかの嫌疑が掛けられています。大人しく付いて来て頂けると、此方としても手間が省けるのですが」


「……何だって?」



エルフ失踪の件? 少なくともこの大陸に訪れてから関わったのは、幾分かの魔物と獣人だけだ。エルフと関わる事はもちろん、見る事すら彼女が初めての相手なのだから。



「どういう事だよ、俺はそんなのに関わった覚えは無いぞ!」


「証言ならば後でいくらでも聞きましょう。ですが今は時間が無いのです……大人しく、付いて来て頂けると」



物腰は柔らかいが、その言葉には有無を言わさぬ圧が含まれている。だが、此方としても訳のわからない事情で痛くも無い腹を探られるのは堪ったものではない。精霊の力を借りてでも、この場をどうにか切り抜けたいが……。



「……一つ聞くが、俺が断ると言ったら?」


「私としても気は進みませんが……互いの主義主張が異なった場合、一番手っ取り早いのはでしょう?」



フェリス、と名乗る美女の胸元で、青色のペンダントが揺れる。次の瞬間、彼女の身体を水の奔流が鎧のように覆い尽くした。



「精霊骸装……!」


「よくご存じで。これでも分からずに争う様でしたら、その身に脅威を刻み込まないといけなかったのですが、その手間は省けた様で何よりです」



柔らかい笑みを浮かべてこそいるが、そこに一切の油断や優しさは含まれていない。仮にここで全力の不意打ちを仕掛けたとしても、彼女には傷一つ付けられないだろう。


そも、俺自身水を操るという能力とはすこぶる相性が悪い。ある程度ならば蒸発させる事で対処も出来ようが、それが無尽蔵となるともう打つ手が無くなるのだから。



「……連れて行くとか何とか、勝手に話を進めないでよ。バグスは私の。誰にも渡すつもりは無い」



炎の鎖による拘束を破りながら、メリダが聖剣を構える。今度は精霊骸装を纏ったフェリスに切っ先を向けながら。



「人間大陸からの勇者ですか……生憎ですがその切っ先を向ける方向が間違ってはおりませんか? それはあくまで魔を払う為の剣。聖なる存在たる精霊様に向けるものではありません」


「五月蝿い! 邪魔するんだったら誰だろうと斬り捨てる!」


『……駄目ですね、完全に聖剣とスキルの『意思』に呑まれています。この状態では話が通じません』



スキルの『意思』? 気になる言葉が精霊の口から出て来たが、それを問い詰める間も無くメリダが駆け出す。



「『聖術ホーリーシャイン:鳳神剣ブレイブソード』!」



教会に伝わる神聖術により強化された光り輝く剣を携え、全力の踏み込みにより一瞬でフェリスとメリダの距離がゼロになる。


だが、続く必殺の突きをフェリスはなんと体で受けて見せた。背から吹き出るのは血液ではなく、透き通るような美しい雫。



「水の本質は『可変』。どの様な環境に置かれようと、その身を適応させ変化させるーー」


「っ!」



突き刺した筈のフェリスの体が、一瞬にして溶ける。いや、溶けたように見えたが違う。液体となってその姿を崩したのだ。


そして次の瞬間、俺の四肢が拘束される。いつの間に回り込んでいたのか、背後を振り向くとフェリスの顔が間近に映る。まさに一瞬の早業、気付いてから抵抗するには遅過ぎる対応だった。



「なっ!?」


「申し訳有りません。ですがこれも必要な措置ですので」



何が必要な措置だーーそうはっしようとしたが、その言葉は急に気道へと入り込んで来た異物により妨げられる。



「(クソ、水か……)」



滲む視界の中、必死に呼吸をしようともがくが、精霊による術がその程度で解けるはずがない。


やがて肺に残っていた最後の空気が吐き出されると、俺の意識は徐々に闇へと沈んでいった。

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