第15章:その日、色々なことが終わった

星空の下で彼は道路を歩いていた。

久しぶりに魔法で身体強化と重量軽減を使って屋根を飛び渡ったが、やはりまだ本調子とはいかない。それでも目的のものを入手することは簡単だった。

念力で金庫の鍵を開けるのも問題なかった。これからはいろんな店の鍵を開けて物資を手に入れられるだろう。マリアたちに約束していた缶詰も手に入る。他の病院を制圧して薬を大量に手に入れることもできる。先行きはとても明るい。


(でも、これから死ぬかもしれないんだよなあ。ははは)


彼は苦笑する。

彼の立てた作戦は相手の気分次第で崩壊する。


今、彼が歩いているのは普段なら絶対に行かない悪党どもの危険地帯だった。

いきなり撃たれるかもしれない。

しかし、サキやコマリたちも命がけで戦っているだろう。

かっこいい所を見せたいんだというテヅカの台詞がよみがえる。


(そうだ。俺だって一度くらいかっこいい所を……今の俺ってかっこいいのか?)


彼は背中に担いだ大きな袋を見た。

かっこいい男というよりコマリから聞いたサンタクロースという人物になった気がする。子供たちに贈り物をするらしく、ちょうど今の季節に来るらしい。しかし、この袋には子供に配るようなものは入っていない。


危険地帯に入っているがまだ声はかからないし、銃弾も飛んでこない。

アイたちのアジトを襲撃するのに人手を割いているのだろうか。

それはそれで彼女たちが心配だったが、ついに声がかかった。


「そこで止まれ!」


暗闇の向こうから照明が向けられた。

二人いる。


「撃つな。取引がしたくて来た」


彼は両手を広げて無抵抗を示した。


「どこのグループだ?」

「今はどこでもない。お前たちのグループにいれてほしい。報酬は袋の中だ」

「中身は何だ?袋を逆さにして出せ」


彼が言うとおりにするとがちゃがちゃと固い音が広がった。

黒い拳銃がいくつも地面に転がったのだ。

警察署から回収したものだ。


「銃か?」

「そうだ。警察署から持ってきた。俺は鍵を開けられるんだ」

「あの金庫を開けたのか?」

「嘘だろ」


二人はお互いを見て、何か話し合っている。


「銃弾はまだ金庫の中だ。俺を仲間に入れる気はないか?そうすれば銃弾は手に入るし、他の金庫も開けてやる」


彼は今すぐ撃たれたらどうしようかと考えた。

答えは単純だった。どうしようもない。


「両手を頭の後ろにやってひざをつけ」


彼が言うとおりにすると相手は身体検査を始めた。

まだ殺すつもりはないらしい。


「これは何だ?」


男の片割れが彼の服の下にあった白いシーツに気づいた。


「防弾だよ。折り畳むと丈夫なんだぜ」


彼は二人に銃を向けられたままアジトまで連行された。

その途中で彼らと短い会話をし、ゴミどもとアイたちが呼んでいたグループには正式名称があると知った。この世界では勇ましい意味があるらしいが、彼に覚える気はなかった。今日中に消滅するのだから。


高いビルの入り口には2人の見張りがサクラコたちと同じ大きな銃を持って立っており、自分を連れてきた二人もそうだが目つきが悪いなと彼は思った。邪悪に慣れきった顔だ。


「なんだ、そいつは?」

「仲間に入りたいらしい」

「殺せばいいだろ?」

「銃をたくさん持ってきたんだ。妙なことを言ってる」


門番に事情を話すと彼はそのまま1階のある部屋へ誘導された。

ドアを開けると奇妙な空間があった。

椅子や机があるのは普通だが、床一面には青いビニルシートが敷かれている。壁や天井にはなぜか柔らかいマットを打ち付けてあり、まるで飛行魔法の練習をするための部屋のようだと彼は思った。ガソリンストーブが点いているおかげでとても暖かい。


部屋の中には4人の男がいた。

どれもこれも悪人面だが、一人は彼の知っている顔だった。


「おお、久しぶりだな」

「おめえは……」


かつて彼の肩を打ち抜いた男はアリーのことを思い出したらしく、すぐに怒りに満ちた顔をして銃を抜いた。

せっかちな奴だと彼は思った。


「よせ。そいつは何だ?」


中央の椅子に座っていた大柄の男が制止して、彼はほっとする。

おそらくこの中で最も偉いのだろう。その男に言われて短気な男はしぶしぶ銃を仕舞った。連行してきた二人が袋を渡して説明をした。


「サツの金庫を開けたと言っています。これを持ってきて、仲間に入れてくれたらタマもやると」

「ほう……土産を持ってくる奴は何人かいたが、こんなに用意した奴は初めてだ」

「だろう?」

「鍵を開けたって?日本語がやけに上手いが、アメリカの軍人か何かか?」

「さあな」


彼がそう言うとそれまでにやにやしていた男の表情が消えた。


「テツ、そいつがもう1回軽口を叩いたら撃っていいぞ」

「うっす」


自分の肩を撃った男はテツという名前らしく、喜んで銃を手にした。

急に一触即発の雰囲気になり、彼の緊張が限界まで高まる。


「弾丸はいらないのか?」

「お前に命令すれば済むことだ。タマをやるから仲間に入れろって?俺たちは取引なんてしない。奪えばいいんだからな。」


周りにいる男たちがにやにやと笑っている。


「なんで床にシートが敷いてあるかわかるか?」


男は靴で床を叩いた。


「掃除するのが楽だからだ。天井や壁のマットはなんのためかわかるか?」

「……わからない」

「声や音が響かないようにだ。リーダーがうるさいって怒るんだよ」


目の前の男がリーダーではなかった。

そして彼はこの部屋の目的にも気づく。


「拷問も調教もここでやるんだ。タマを渡さないうちは何もされないと思ったか?お前が何か企んでるのは知ってる。俺たちを潰すって変な噂を聞いたが、お前はあいつらの尖兵か?手足を切り落とす前か後どっちに答えてもいいぞ」


そう簡単に騙せるわけないかと彼は思った。

しかし、ここまで連れてきてくれただけで十分だった。


「ああ、尖兵といえば尖兵だ」

「正直だな」

「ついでに奴隷の女たちも助けに来た」


男たちはそれを聞いて大笑いした。


「どこにいるか教えてくれないか?」

「ははは!2階にいるぜ。鍵もかかってないから簡単に助けられるかもな」

「鍵をかけてないのか?」

「抜け出せる女なんていない。最初に痛めつけて服従させるからな」

「一人も逃げた事がないのか?」


彼は思わず聞いてしまった。

アイやサクラコの例を知っていたからだ。


「ん?まあ、一人はいたな。服従した振りして逃げやがったやつが」

「いや、もう一人いましたよ」


部下の一人が訂正した。


「妹を絞め殺したイカレ女が」

「ああ、あれか」

「誰っすか?」


リーダー格の男は苦い顔をした。

しかし全員が知っている話ではないらしい。


「前にいたんだよ。妹を亡者にして、俺らにけしかけた女が」

「そんな奴がいたんすか?」

「あの女は狂ってた。いや、妹の方も親を殺したときに頭のネジが飛んだみたいでな。いくら殴っても『うー』としか言わないんだよ。売り物にならないから埋めることにしたんだが、その前に姉がそいつの首を絞めて亡者にしやがった。それが俺らを襲ってる隙に逃げたんだよ」

「……狂ってるな」

「まったくだ」

「いや、お前らだよ」


彼は銃を持っている男の目を見た。

催眠の魔眼を使う。


「ここにいる仲間を全員撃て。そして自分も撃て」

「……はい」


男は拳銃で仲間の一人を撃った。


「おい!」

「やめろ!」

「お前、何を――」


周囲の声など聞こえないように男は5人の仲間を撃ち、最後に自分の胸を打った。

最後の一発を自分の胸に撃った瞬間に男は正気に戻った。


「ぎりぎり間に合ったな」

「おまえ……なにを……あのときも……おかしな……」


男は念力で灰を飛ばして目潰しされたことをやっと思い出したらしい。

彼は何か言おうかと思ったが、男がすぐに死んだので儀式を始めることにした。


(6人ちょうど。手間が省けたのは天の采配か……?)


彼は神々の意思を感じずにはいられなかった。

床にスペースを作り、机の上にあったマジックペンで床に円を描く。

召喚魔法に必要な魔法陣だ。

テヅカの描く漫画のようにごたごたした模様はない。ただし3.1415926535……と永遠に続く円周率をその永遠まで再現した完全円だ。魔法使いは生まれつきこれが描ける。この世界の人間には再現不可能な図を描いた彼は死体を動かし、全員の頭部が円の内側に入るよう動かした。


彼はこの世界に来る直前を思い出した。

あの時も悪魔召喚のために死体安置所から一部を盗み出した。体は魂の器といっても死体損壊が許されるわけではない。あの時に捕まっていれば10年は思想強制所に入れられただろう。


彼が短い呪文を唱えると死体から目玉が消失し、空中に同じ数の目を持つ悪魔が宙に現れた。

12個の目が彼をにらみつける。


「またお前か……」

「悪いな。俺の魔力で呼び出せるのはお前くらいなんだ。お前は眼球さえあれば来てくれるからな」

「この世界はどうだ?気に入ったか?」

「そりゃあもう!お前には感謝するしかないよ」


悪魔がそれを聞いて何を思ったのかは彼にはわからない。


「願いは何だ?」

「仮にだが、この建物周辺にいる男たちを全員眠らせると寿命はどのくらい減る?」


彼は本当ならこのグループを消滅させたかったが明らかに捧げる寿命が足りない。

また、今は寿命が減ることが単純に惜しかった。

以前は平気で寿命の半分を捨てたが、今はとても怖かった。


(怖いのに俺はこんな所に来てる。どうしたんだろうな。ははは……)


「6年だ」

「6年、か……」


彼は考える。

自分はあとどのくらい生きられるのだろう。

ひょっとしたら明日死ぬかもしれない。

だが、この場で誰かに撃たれるより1日長い。


「なあ、悪魔が気まぐれなのは知ってる。でもなるべく長く眠らせてくれ。頼む」

「頼む、か。お前は少し変わったな」


悪魔は短い間隔で音を出した。

笑ったのかもしれない。


「契約は完了した。さらばだ」


悪魔はそう言うと消滅した。

彼はそれが本当かどうかなど考える前に急がなければならなかった。

死体の武器をいくつか回収し、もう一つ必要なものを見つけると部屋を出ようとする。


(死体がもうすぐ亡者になって動き出すはずだ。念のために鍵をかけて……)


彼は念力で鍵をかけると入り口の門番を見た。

2人とも倒れている。悪魔は人間よりよほど真面目だな、と思いつつ彼は階段を上がって最初にあったドアを開けた。

備品も家具も何もない部屋で5人の女性たちが震え、身構えた。エリが最初に来ていた衣装と同じものを着ており、4人はお腹が膨らんでいる。間違いなく奴隷の部屋だった。


「エリの妹はいるか?」

「わ、私です!」


一人の妊婦が素早く言った。

目には恐怖以外の感情がなく、従順な振る舞いは男たちが言っていた調教の結果だろう。


「お前らを助けに来た。奴隷にされた人はここにいるので全員か?」

「……え?」


予想外の質問に彼女は答えられなかった。

他の女性たちも反応がない。


「他の部屋にも奴隷にされた人がいるのか?時間がないから早く逃げるぞ。車の場所を知っている奴はいるか?」


彼がいくつも質問するがエリの妹たちは何も言おうとしない。

やがて一人が言った。


「に、逃げることは許されてません。私たちはここにいます」

「は?何言ってるんだ?」

「逃げません」


彼は一瞬苛立ったが、彼女たちの考えを察した。

逃げる意思のある者はとっくに逃げている。それを徹底的に削がれたから彼女たちはここにいる。ドアが開いてようが誰かが助けに来ようが逃げる意思を持てないのだ。

どうしたものかと考えた彼は強硬手段に出ることにした。


「よく聞け!お前たちが逃げなかったらここのリーダーを殺す!」


やや逆説的な宣言だが効果はあった。

彼女たちはお互いを見合わせ、どうすべきか悩みだした。

まるでこっちが悪党みたいだと彼は思ったが、立て続けに脅しかける。


「逃げないってことはリーダーを見捨てるってことだ。ここのメンバーに怒られるぞ。それでもいいのか?」

「よ、よくありません……」

「それでいい。俺の言うとおりにしろ」


彼は複雑な気分だった。


「もう一度聞くが、奴隷にされた人はここにいるので全員か?他の部屋にもいるのか?誰か知ってたら教えてくれ」

「あ、あの……一人だけいません。お頭様のところでお世話を命じられています……」


エリの妹が答えた。


「オカシラサマ?ああ、リーダーのことか。部屋はどこだ?」

「4階の一番奥の部屋です……私も行った事があります……」

「わかった。じゃあ、車の場所は?」

「この裏に……何台もあります……」

「よし、全員そこへ行け。誰かに咎められたら頭のおかしい男に命令されたと言え」


彼は次に4階奥の部屋へ走るとドアを開けようとした。

鍵がかかっており、彼は焦りながらノックする。

男たちがいつ起きるのか気が気ではない。


白い布を羽織った女性が出てきた。

彼がまず気づいたのは彼女の顔にいくつも痣があること。

その痣と一緒に全てをあきらめた表情があった。


「あの……お頭様が急に倒れて……」


彼女は部屋の中央で倒れた裸の男を指した。

ガソリンストーブがついているので中は十分に暖かい。壁にはいくつかの絵が飾られており、調度品や酒らしき瓶も飾られていた。

しかし、みすぼらしさを必死に誤魔化した感じがして彼は笑いたくなった。


(これが王様の部屋ってやつか?)


彼は少しだけ男の人生に興味がわいた。

よく考えたら諸悪の根源といってもいい人物の名前さえ知らない。

この男はどんな経緯で略奪者のグループを組織したのだろう。

女たちを浚って犯し、赤ん坊が生まれそうになると追い払うのはなぜだろう。

彼はこの世にすでにいない一人の赤ん坊と目が合ったときに恐怖を感じた。

この男もあの不思議な力を持つ目が怖いのだろうか。


彼はすぐに馬鹿げた好奇心を捨てた。

やつの名前も人生もどうでもいい。

ひたすら愚かで醜い人間の話など聞いてどうするのか。

早く帰ってアイやテヅカたちと夕食の話でもしたほうがいい。


「よく聞け。お前たちを助けに来た。皆はもう車の所にいる。一緒に来るんだ」


この女性も抵抗するだろうかと彼は不安になる。

案の定、彼女は一歩下がった。


「……嘘よ」

「嘘じゃない」

「私が逃げるか試しているんでしょう?」

「信じない気持ちはわかる。それでも頼む。時間がないんだ」


またリーダーを殺すと脅そうかと彼は思った。

だが、彼女が悲鳴を上げて奴が目を覚ましたらまずい。

彼はなんとか気持ちが伝わるように彼女の目を見た。

催眠の魔眼ではない。自分の意志をこめて。

彼女の目には暗い闇しかなかった。

だが、その中にほんの少し光が差した。


「私を……解放してくれるんですか……?」

「そうだ。行こう」

「あとで殴ったりしませんか……?」

「そんなことはしない。信じてくれ」


彼女の目から涙がこぼれた。


「信じます。ここ以外のどこかへ連れて行ってください」


名前さえ知らない女性の手をとって歩き出した途端、彼女に服を着させるべきだったと彼は後悔した。夜の屋外はかなり寒い。せめてもと自分の上着を着せてやると自分も寒さが身に染みた。


階段を下りていると彼は焦げ臭いと思った。

嫌な予感は薄い煙が上がってきたことで火災だという確信に変わる。


「煙が……え?」


女性は自分たちの周囲だけ煙が避けていくことを不思議に思ったらしい。

その原因である彼は階段を下りながら火災の原因を考えていた。


(何が起きた……?あっ、まさかあの部屋か!)


彼は6人の死体がある部屋にガソリンストーブがあったことを思い出した。やつらは部屋の中を歩き回り、どれかがストーブを倒したのではないか。それしか考えられない。

彼は自分の不注意に頭を抱えたくなった。


「急ぐぞ!」

「は、はい!」


下りるほどに煙は濃くなり、熱気さえ感じられた。

普通の人間なら呼吸もままならない状態だが、煙を操る彼は1階まで降り、混乱する彼女をよそに裏口から脱出した。この時の出来事を彼女は後でどう語るだろうかと彼はちょっとだけ気になった。


裏口の脇にも見張りの男が倒れて眠っていた。

駐車場には多くの車両が置かれ、トラックやタンクローリーもある。

彼が脅迫して誘導した女性たちはそこで赤々と燃える炎に照らされながら泣いている。ビルが燃えていることで本当に逃げられるとわかったからだ。


(早く逃げないとまずい……)


その一方で彼は焦っていた。

どのグループもアジトには暗幕を張り、明かりが漏れないようにするのは亡者たちの注意を引かないためだ。エリが放火を命じられたのもここに理由がある。むこうは襲撃時に抵抗が激しければ門を開けて亡者に任せる気だったのだろう。

このアジトも亡者が集まるのは時間の問題だ。アイたちには朗報だが、ここから逃げ出す彼らにとってあと数分待ってほしい現象だった。


「車は……あれがいいな」


彼は人数から考えてワンボックスカーとやらに乗るしかないと考える。


「鍵はあるんですか?」

「心配するな」


4階で保護した女性が不安そうに聞いたが、問題はなかった。

6人の部屋から車の鍵を全て取ってきている。この車に合う鍵がありますように、と祈りながら試すとなんと一つ目でドアが開いた。

全員を乗せると彼は運転席に乗ってエンジンをかけた。


(ここから大変だぞ……うまく操縦できるか?)


彼は車の操縦に少しも自信がなかった。歩行訓練をしている時にコマリからいろいろと教わったのだが、あちこちに擦らせて「ヘタクソー!」と罵られた。

しかも、あの時とは車の種類が違うので操作もやや異なる。


(ええと、シフトレバーってこれか?Dの文字に合わせるんだよな?これでいいのか?サイドブレーキというやつを下ろして……)


彼の乗った車はゆっくり前進を始めた。

アクセルペダルを踏むと加速する。


(よし!あとは逃げるだけだ!)


彼はライトを点けようか迷ったが危険だと判断した。

とても見え難いが亡者をおびき寄せるよりマシだ。


その時、やや遠くから男の悲鳴が聞こえた。

続いて銃声らしき音も。

ここのメンバーが寝ている間に亡者に襲われたのだろう。

銃声で余計に亡者がやってくるので逆効果だと彼は思った。もちろん当人もそんなことはわかっている。悲鳴を上げたということは噛まれて正気を失ったのだ。逃げてももう助からない。


「全員伏せてろ。絶対に頭を上げるな」


彼はそう指示すると車を加速させた。

あと少しだけ奴らを眠らせてくれと彼は悪魔に祈る。

車の後ろからは女性の一人が神に祈る声が聞こえた。


駐車場からのろのろと出た後も面倒だった。

このビルはよほど武装に自信があるのか門や防柵を設置していないが、アイたちと同じく車両による突進攻撃を防ぐために故障車をいくつも置いており、S字に曲がらないと出られない。運転技術が未熟な彼はここで難儀した。


(急げ急げ!ああ、ぶつかる!)


彼は一度バックしてやり直す醜態をさらすが、幸いにも頭を伏せている女性たちは気づかなかった。コマリの運転教習を思い出して彼女は無事だろうかと不安になった。コマリだけではない。サキもサクラコもキョウコもだ。ひょっとしたら帰るアジトがなくなっているかもしれない。そんなことになったら死ぬより辛いと思った。


S字の道が終わった直後に異変が生じた。

ビルから男たちの悲鳴と怒号が聞こえてきたのだ。「火事だ」「起きろ」という声が彼の耳に届く。6年分の寿命を捧げた奇跡の時間が終わったのだ。時間にして10分も経っていないが彼は悪魔に感謝した。よくやってくれたと。


しかし、前方の闇に動くものが見えて彼は鳥肌が立った。

腰の曲がった集団がのろのろと歩いてくる。

火災に惹かれてやってきた大量の亡者たちだ。

不可能だが引き返したいという誘惑さえ彼は感じた。


「おい、あの車だれが動かしてる!?」


後ろから声がした。

この世界の言葉でいう前門の虎、後門の狼だがおかげで彼は吹っ切れることができた。

撃たれる前に突き進むしかない。

彼はアクセルペダルを強く踏んで発進した。


後ろから発砲音がした。

女性たちの悲鳴が上がり、彼も頭を伏せたかったがそうもいかない。

カカンと車に弾丸が当たる音がし、彼は「自分はもう死んだのでは?」と思いながら車で突き進む。


「全員何かにつかまれ!揺れるぞ!」


彼は亡者が最も少ない空間をすり抜けようとした。

しかし、それでも数体を跳ね飛ばす衝撃は激しく、柔らかいなにかを踏んで車は大きく揺れた。

フロントガラスに一体が衝突し、白い亀裂が走る。

それでも彼は決してアクセルを緩めなかった。


亡者の大群を抜けたかに見えたが、亡者はまだあちこちにおり、危険は減っていない。エンジン音が奴らの興味を引いてしまい。車線上に寄ってくるのだ。

彼は速度を緩めずにハンドルを切って亡者を避ける。


ずっと後方からまた発砲音が鳴った。今度はいくつも。

自分達にではなく集まってくる亡者に対してだ。

どう考えても結果は見えている。自分の不注意が原因とはいえ、放火を企んだグループが自分のアジトを燃やされるのは因果応報だなと彼は思った。


「誰か怪我をしたか?」

「だ、大丈夫です!」


全員の無事を確かめ、彼は安堵する。

亡者の数は次第に減り、気をつけていれば衝突しない。

救出作戦は成功したといってよかった。


彼は上着の下から折り畳んだシーツを取り出すと窓を一度開けて大部分を外に出し、再び閉めた。アイに伝えておいた合図だ。

他のグループには意味が伝わるだろうかと彼は少し不安になった。


(最後に俺だけ撃たれたらいい笑い話だな……)


彼がそう思っていると車に異変が生じた。

アクセルを踏んでいるのに速度が徐々に落ちてゆく。


「おい、嘘だろ!?」


彼は何度目かの絶望を味わった。

先ほど発砲されて車が壊れたのか。

それしか考えられない。

車両は無慈悲に速度を落とし、道の真ん中で止まろうとする。

数匹の亡者が寄ってきた。


「皆、床に伏せろ。亡者に姿を見せるな」


彼は小声で怒鳴り、自分も足元にうずくまる。

音を出さず、人間の姿を見なければ再び火災の方へ寄っていくと期待してだ。

しかし、亡者は車を叩き始めた。


(なんでだ?ああっ、あれのせいか!)


窓から出したシーツの匂いが原因だった。

彼は懐の銃を握る。

撃てば他の亡者が集まってくる。

しかし、放置しても同じだ。

ひび割れたフロントガラスが内側に折れ曲がり、亡者の声がはっきり聞こえた。


「ぎへしししゃうううえ」


女性たちが嗚咽を漏らし始めた。

銃を撃つのは初めてだがやるしかないと彼は覚悟を決めた。

その時、何かが砕ける音がした。

似た音が何度かして、短い静寂が生まれる。


「あんた、ビル燃やすなんて言ったっけ?」


静寂を破った声を聞いて彼は涙が出そうになった。


「……何年かぶりに会った気がするな、アイ」

「そう?ところで、呼び捨てにしないで」


アイは亡者を葬った手斧をくるくると回し、不満そうな顔をした。

彼女の後ろには大きな車両2台とやたら良さげな武装をした歩兵たちがおり、どの顔にも面識はなかった。


「ごみを焼却処分するのはいいけど、こうやって亡者が来るから手順が滅茶苦茶になっちゃったじゃない」

「いいではありませんか」


大きな車両の運転席から老人が降りてきた。


「ご無事で何よりです」


アマギリ教の教主だった。

その男がやたら深いお辞儀をするので彼は困惑した。


「この人のグループ、装甲車なんて隠し持ってたの。ずるいでしょ?」

「申し訳ありません」


アマギリはアイに向けても頭を下げた。

今度はやや低めだ。


「貴方様が哀れな女性たちを一人で救出しに行かれたと聞き、ここで何もしなければ地獄に落ちると確信致しました」

「そ、そうか……」

「本当に彼女たちを救出なさるとは。やはりそういう御方なのですね?」


アマギリは泣き流しそうな顔だった。

彼は自分が非常に厄介なことを引き起こした自覚はあったが、今更どうしようもないなと思った。あわててアイたちの状況を確認する。


「なあ、コマリたちは?アジトは無事なのか?」

「んー、なになに?」


装甲車の後ろからコマリが姿を現し、怪我もない様子に彼は涙をこらえた。

だが、サキやキョウコやサクラコ、マリアまで出てくるとこらえる自信がなくなってきた。


「みんな無事だったのか……」

「みんな強いって言ったでしょ?ゴミが一箇所に固まってたから火炎瓶で退路塞いで撃ちまくって終わり」

「超簡単だったよー」

「久しぶりにイケたわ」


かたや楽しそうな、かたやとろけそうな顔をしたコマリとサキに彼はなんとか笑顔を作った。


「ああ、そうだ!この人たちを早く保護してくれ。寒いから何か着るものを」

「畏まりました!」


アマギリは彼女たちを丁重に車に誘導する。

彼はエリの妹を見て早く姉と会わせる必要があると思った。


「なあ、この子の姉さんが俺たちのアジトにいるんだ。できるだけ早く連れて行ってあげてくれ」

「お姉ちゃんと会えるんですか……?」


彼女は消え入りそうな声で聞いた。


「会いたいです……会いたい……」

「大丈夫。ちゃんと会えるから心配しないで」


アイがその子の頭をなでると彼女は堰を切ったように泣き出した。

アイは彼のほうをちらりと見た。

その表情に彼は違和感を覚えた。


「どうかしたか?」

「別に」

「ねーねー、あのビルすっごい燃えてるよー」


コマリが双眼鏡を見ながら言った。


「ベランダで誰かが手を振ってる。やっほー」

「あれ、煙で苦しんでるだけじゃないかなあ?」


キョウコもそれを見ながら首をかしげた。

彼はその男の顔を見たかったが、肉眼では厳しい。


「どこだ?」

「4階の一番端っこです。この寒いのに裸ですよ」

「裸?変態ですね」


マリアが容赦なく言った。


「変態だよねー。あ、落ちた」

「落ちたの?あの高さじゃ即死ね」

「まあ、真下で見たかったわあ」

「サキちゃん、さすがに趣味悪いと思うなあ」


彼の目にも何かが落ちたのはわかった。

あの高さだと助からないのは病院の亡者落としで知っている。

彼は迷ったが言う事にした。


「そいつ、グループのリーダーだ。助けた女の人たちがそう言ってた」


全員が彼を見た。

そして少し経つと笑い出した。

コマリが最も笑っていた。


「あはははは!それ、さいこー!あっ、おかしすぎて涙出てきた!」


彼女は大笑いし、本当に目から涙をこぼした。


「コマリちゃん、笑いすぎですよ!あははは!」

「えー、マリアちゃんだって涙出てるじゃん」

「二人ともどうしたの?涙腺ゆるいわよ」

「サクラコ、そういうあなたも泣いてるわよ?キョウコ、あなたも。ふふふ」

「あれ?変だなあ……」

「え?あら、ほんとね。でも、そういうサキだって……」


初めは笑い涙だったがやがて笑いが消え、涙だけが出続けた。

彼女たちは泣いていた。


「みんな、よく頑張ったね」


アイだけが泣かずに言った。

無表情で彼を見る。


「命と引き換えでもと思ってたのに、あんたのせいで復讐が台無し」

「ご、ごめんな」


彼はよくわからないが謝るしかなかった。


「でもな……誰も死ななくて良かったと思ってる」

「なにそれ?もっと真剣に謝りなさいよ。あんたのせいで全部台無しになったんだから」

「ごめんな……」

「真剣に謝って」


アイの怒りに彼は違和感を覚えた。

いつもと違って理不尽な怒りだ。確かに復讐を台無しにしたが、彼女も誰にも死んでほしくなかったし、人質も全員救出したかったと思っている。どちらも叶ったのにここまで怒るだろうか。理不尽というより正気を失っているようで怖かった。


「ご、ごめんなさい……」

「あんたね……私たちはずっと……」

「アイ、もういいのよ」


サクラコが泣きながら彼女を抱きしめた。


「もういいから。一緒に泣こうよ」

「……なに、サクラコ?私を名前で呼ばないでよ」

「もういいの。あれを見て。あのビルよ。燃えてるでしょ?やっと終わったの」

「……終わった?」

「そう。もうリーダーしなくていいの。普通の女の子に戻って」

「……え?」

「もう我慢しなくていいの。全部終わったから」


アイは燃え上がるビルを見た。

その目にオレンジ色の光が映る。

やがて光が頬にこぼれた。


「う……あ……ああああああ……」


アイは見たこともない顔で泣き始めた。

エリの妹を見た時の彼女に対する違和感の正体がやっと彼はわかった。

アイは泣きたかったのだ。


「なんで……あの子は助かったのに……なんで……私の妹は……私たちは誰も……誰も助けてくれなかったの……なんであの子たちだけ……」


アイは彼の方を見て言った。


「助けてほしかった……あの子……目の前でお父さんとお母さんが殺されて……心が壊れて……喋れなくなって……一度だけ私に『お父さんとお母さんの所に行きたい』って……だから……私は……ああするしかなかったの……なんで私たちの時は助けてくれなかったの?ねえ!なんで!」

「ごめん……」


彼は謝るしかできなかった。


「あんたは不思議なことができるんでしょ?奇跡であの子を助けてよ!あの子をここへ連れてきて……お願い……なんでもするから……」

「俺には何もできない……許してくれ……」

「なんで……もっと早くこの街に来てくれてたら……あの子は……私達のお父さんとお母さんだってあんたがいたら……」

「そんなことを言ったらだめよ、アイ。彼もあなたも傷つくだけよ」

「だって……だって……あああああ……」


アイは泣き続けた。

彼もそれを見て泣くしかできなかった。

サクラコも泣き、コマリもサキもマリアもキョウコもみんな泣いていた。

理屈からではない。失ったものは帰ってこない。

ただひたすらに悲しかった。


燃え上がるビルはオレンジ色の光を放って夜を照らし続け、星空に火の粉が上がっていく。 その光景が神々の望んだものだったかは誰にもわからない。

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