第14章:急変

アイとアリーは身体検査を受けた後にアマギリ教の建物内へ案内された。

市民会館という建物を改造したものらしく、あちこちに鉄条網が張ってある。


「体の調子はどう?」

「問題ない。車ってのは便利だな」

「歩くのが馬鹿らしくなるでしょ」


二人は大きな部屋に案内される。

複数の照明を除けば絵や美術品などはなく、なんとも簡素な所だった。

大きな椅子に座った老人がそこにいた。

ここにいる住民は皆同じ衣装を着ており、アマギリという男も例外ではないが、年齢と部屋のおかげでいくらかの威厳があった。


案内役の部下が退出した。

見張りをつけないのはアイが最低限の信用を得ているからで、好都合だと彼は思った。


「よく来てくれました、アイさん」


机をはさんだ向こう側でアマギリは落ち着いた声を出した。


「また襲撃計画のお話ということで間違いありませんか?」

「はい」


アイは相手と場所を弁えて礼儀正しく答えた。

ただし、声は大きめで目下になるつもりはないと言っている様だった。


「ならば答えは同じです。お断りします」

「他のグループは全員参加しますよ?」

「他が全員参加しなくても私が必要だと感じれば参加します。周囲は関係ありません」

「医薬品の取引もしないということですか?」

「襲撃する理由にはなりません」


このグループも薬は不足しているとアイたちは断言した。

つまり虚勢だ。しかし、立場が逆なら仲間を助けるために仲間が死ぬかもしれない襲撃に参加するという矛盾を受け入れるかは判断が難しい。

この老人が変化を受け入れにくい年齢でもあるのだろうと彼は思った。


「どんな場合でも戦いなどすべきでないと?」

「いいえ、そこまでは言いません」

「残りの組織は皆立ち上がり、殺すか犯すしか能のない集団を討とうとしてますが、これは正義ではないと?」

「正義であるともないとも言いません」

「ちょっと質問してもいいか?」


彼は老人に言った。


「こちらは?」

「俺はアリーだ。教主は不思議な力を持っているのか?」

「私は海を割ることも水の上を歩くこともしません。皆が協力して困難に立ち向かうほど偉大なこともできません」

「肯定も否定もしないってことだな。では、水の上を歩けるような人間は神に選ばれたと思うか?」


老人は困惑したらしい。

となりのアイを見るが何の説明もない。

彼女もわからないのだから当然だ。


「特殊な力があり、それを人々のために使うなら神の使いかもしれません」

「なるほどな。ところで、机の上にあるそれは何だ?」

「これですか?」


アマギリは筆記用の紙とペンを見た。


「念のために用意しましたが?」

「そうか。それはそっちが用意したもので、俺たちは触れてもいない。間違いないな?」

「はあ……」


彼は横にいるアイの両目を片手でふさいだ。


「ちょっと……」

「待ってろ」


彼が10秒ほどしてから手を放す。

アイは彼のほうを疑わしげな目で見てから次にアマギリを見た。

老人の顔に恐怖が張り付いていた。


「神の使いかはわからないが、俺たちはこれからアイがいうところのゴミ掃除をする。皆のためになると思ってるからだ。そっちが参加しなくてもいいが、参加するとすごく助かる。感謝するだけでなく薬も渡す」


アマギリは黙ったままだ。


「教主、人間には戦うべき時がある。あんたも経験したことがあるな?」

「……は、はい」


アマギリの目が大きく見開いた。


「組む相手が信用できるやつかどうか悩む時がある。信用したくないって時もある。だが、そういう事と関係なく、相手を信用すべき時がある。今を逃したら次の機会なんて二度と来ないって時だ」


彼はちらりとアイを見た。


「他のグループが全員協力して戦うよりも良い機会がいつか来ると思うのか?」

「そ、それは……」

「神とやらがいるならこう言うと思う。これだけ準備をしてやったのにお前は何が不満なんだ、と」

「お……おお……」


(よくもまあこんなにぺらぺらと喋るなあ……)


彼は自分に呆れるべきか感心するべきかわからなかった。

思いついた言葉を勢いに任せて口から出しているが、自分こそが教主に向いているのではと思い始めた。元々はそういう腹積もりでこの世界に来たのだが。


「教主、神は十分に奇跡を降らせた。あとはお前が決めるだけだ。戦うか?戦わないのか?」

「た、戦います!」

「それでいい」


彼はアイに目配せした。

困惑しつつも好機を逃さない彼女は一気に話を進め、部下たちも呼ばせて参戦を誓わせた。二人が帰るときになってアマギリは彼に何かを聞こうとしたが、結局、聞かなかった。


「何をやったの?」

「内緒だ」

「あー、おかえりー。うまくいったのー?」


運転手のコマリが興味深そうに窓から顔を出した。

彼女が運転するには若すぎることをこの時の彼はまだ知らなかった。




3人が車で帰ってくると以前と同じく即座に裏門が閉じられた。

キョウコが車を降りたアイの方へ駆け寄る。


「リーダー、妊婦の人が近くを歩いてたから保護したんですけど……」

「いつもと同じ?」

「はい」


使い捨てられた奴隷のことだ。

キョウコの目に黒い炎が揺れている。


「尋問してもらえますか?」

「わかった。あんたも付き合ってもらえる?」


アイはアリーの方を見た。


「俺が尋問に?怖がるんじゃないか?」

「それが狙い。あんたを一度立ち合わせて、その後で退室させたら安心感が増すでしょ。最初からゼロよりもマイナスがゼロになった方がプラス感が出る。わかる?」

「えーと、つまり俺はお前らの引き立て役か」

「そういうこと」


彼は不満を覚えながらも了解した。

相手は優しく接しているうちに素性を話すだろうか。彼はそうであることを祈る。素性を黙っていたらグループで保護できないので、最終的にはアイが脅しつけて相手に泣きながら喋らせると聞いていたからだ。


暗い廊下を歩いていくと彼が最初に保護された部屋に着いた。

ドアを開けると毛布で身を包んだ女性が椅子に座ってうつむいていた。

マリアとサクラコが両脇に立っている。


「リーダー、お願いします。まだ名前も教えてくれなくて」

「わかった。ねえ、あなた。私はアイって言うの。たぶんあなたと同じ目に会ったと思うんだけど、私の顔を見てくれる?」


女性はゆっくり顔を上げ、アイを見た。

何もかもあきらめたという表情だった。


「あ……」


彼は女性の顔を見て思わず声が出た。

相手も彼に気づき、椅子が音を立てて倒れた。


「あ……ああ……」


女は震え始め、その場にうずくまった。

片手で大きく膨らんだお腹を押さえ、もう片方の手で頭をかばう。

その素早さは彼女がどんな目に合ってきたのかを示していた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


女は泣きながら謝り始め、周囲の視線はアリーに集中する。


「あんたの知り合い?」

「ああ、まあな」


彼は肩の痛みを思い出していた。


「たしか名前は……エリだったよな?」

「ごめんなさい……許してください……」


エリは震えながら何度も謝り続ける。

彼の名前がアリーになった発端の女性はあの時の売春用の服ではなく毛布で身をくるみ、まるで大きな赤ん坊のように見えた。




「尋問終わったよ」


アイは部屋から出てきた。

中ではマリアがエリに付き添っている。


「問題なし?」


サクラコが聞いた。


「問題ありすぎ」


その言葉にサクラコたちの表情が変わった。


「最初はただ捨てられた奴隷の振りしてたけど、ゴミどもに命じられてここに放火しに来たって白状した。胃の中にガソリン入りの袋を隠してた」

「胃の中?」


彼は思わず聞き返した。


「糸をつけたビニル袋を飲み込んで歯に結んでおくの。あとで糸を引っ張って取り出すわけ。何回か練習させられたって」

「火はどうやってつける気だったの?」


サクラコが今にも誰かを殺しそうな目で聞いた。

アイは右掌を開けた。


「子宮の手前にライター突っ込まれてた。あの人自体がちょっとした火炎瓶」

「うひゃー」

「あいつら、襲撃の話を聞きつけたんでしょうか?」


キョウコが聞いた。

こちらも人を殺す気満々という顔だ。


「たぶんね」

「誰かが裏切ったってことか?」


彼は深刻な事態だと思った。


「それは違う。裏切る理由がないもん。私たちがあちこちに行って会合を開いたでしょ?それで噂が出たのよ。こればかりは止められなかったからね。キョウコ、あんたがゴミどもの立場ならあの人を差し向けた後に何をする?」

「私なら……放火した直後に襲撃します」

「そう。周りに何人か待機してるのは間違いない。他のグループにも何か仕掛けてるかもしれないけど、よそはよそで処理するでしょ」


彼は襲撃される光景を想像して怖くなった。

相手は最大で40人ほどいるらしい。全員が参加しないとしても半数以上が襲ってきたら勝負は目に見えている。


彼はキョウコから聞いた話を思い出した。


「なあ、トラックで突っ込んでくることはないか?」

「キョウコのアジトがやられた手ね。ここは門に繋がる道に故障車を置いて車が加速できないようにしてるの。出かける時に気づかなかった?」


そういえば道路の左右に何台かあったなと彼は思った。

あれは単なる放置車ではなかったわけだ。


「私が対策を進言しなかったと思ってるんですか?」


キョウコが心外だという顔をする。


「じゃあ、どーする?こっちから狩りに行く?」

「素敵な提案ね、コマリ。皆で乱交してきてもいいかしら、リーダー?」

「うん、それじゃあコマリとサキで襲撃ね。サクラコとキョウコは援護をお願い」

「OK」

「わかりました」

「おい、いいのか?」


彼はあっさり了承したアイに驚いた。

4人が強いとはいえ相手の人数がわからないなら危険だと思った。


「アリー君は心配性だねー」

「散歩に行くだけよ。一緒に乱交する?」

「いや、でも……」


なんとか止めようとする彼を見てアイはため息をついた。


「ここを襲撃する時に使いそうな場所は皆でとっくに調べてるし、何箇所かは潰して、何箇所かは自分たちで作ったの。こっちが襲撃しやすい位置に」


アイはにたあっと笑った。


「人が侵入すると小石やテープが落ちて私達にだけわかるようになってるのよ。それを目印に狩っていくわ」

「皆でいろいろ考えたもんねー」


サキとコマリは楽しそうに言った。

アイたちは単にここで生き延びてきたわけではなかった。

この日が来るのをずっと待っていたのだ。




彼はエリとマリアがいる部屋に入った。

コマリたちが無事に帰ってくるかも気になるが、よくわからない理由から彼はエリに言葉をかけずにはいられなかった。

胃の中のガソリン袋はすでに取り出されて机の上に置かれ、彼女はぶつぶつと何かを呟いている。


「大丈夫か?」


彼が声をかけただけでエリは飛び上がるほど驚き、また頭と腹を守ろうとする。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「大丈夫です。この人は何もしませんから」


マリアが優しく語り掛けるが、彼女は謝り続けた。


「許してください……」

「大丈夫だ。俺は何もしない」


怯えきったエリの前に彼は膝をつく。


「俺は何も怒ってない」


彼はなんとかエリを安心させようとするがどんな言葉も効果がない。

最初に会った時にかろうじてあった生気が感じられない。

まるで亡者のようだ。


「ごめんな」


彼はとっさにその言葉が出た。

言ったあとでどうして自分が彼女に話しかけたかったのか理解した。


「俺はお前のことを考えないようにしていた。許してくれ」


彼は謝るしかなかった。

赤ん坊が死んで自分が悲しいとわかったときからエリのことを思い出さないようにしていた。彼が撃たれて逃げたあとにエリは間違いなく男から苦痛を与えられただろう。お前が何もしなかったせいだと。彼女は頭と腹をかばいながら謝ったはずだ。

自分はアイたちやテヅカに何度も助けられた。

エリは誰にも助けられなかった。

いや、アイたちは助けようとしていた。だから彼女たちは妊婦を保護し、元凶の排除に命をかけている。エリがどんな目にあっているかその身で知っているから。


「本当に許してくれ」


エリの震えが少し弱まった。


「妹を……」

「え?」

「妹を……助けてください……」


彼はマリアの方を見た。


「彼女の妹が人質にされているそうです。命令どおりに放火しないとその子を今よりも苦しめると言われて……」

「お願いします……助けてください……」


エリは彼の足にすがりついた。

彼女が命令を守っても妹が奴隷から解放されるわけではない。ただ、現状が維持されるだけのために彼女は燃料を口から飲み込んだ。胃の中で袋が破れたら死んでいただろう。


「なんでもします……妹を……」


マリアが「やめたほうがいい」と言うように首を振った。

奴隷救出を約束できないということだ。

しかし、彼には一つだけ作戦があった。

上手くいけば無傷で奴隷を救出できる。失敗すれば、自分は死ぬ。

迷っているとふと自分がアマギリに言った言葉がよみがえった。


神は十分に奇跡を降らせた。あとはお前が決めるだけだ。


そのとおりだ。死ぬはずだった自分は何度も助けられた。

彼は決めた。


「わかった。必ず助けるよ」


彼はその場を去ってアイの部屋に行った。


「何の用?」

「ゴミ掃除のことだが、奴隷の人たちはどうやって助けるんだ?マリアに聞こうと思ったが、なんだか言い難そうだったからな」

「ゴミを皆殺しにすれば全員助かるでしょ」

「むこうが奴隷を盾代わりにしたらどうする気だ?」


この言葉でアイの目が冷たくなった。


「見捨てるよ。それ以外にない」

「皆はそれでいいと言ってるのか?」

「言わないけど薄々わかってる」


アイは自分の銃を取り出した。


「威嚇のために奴隷を撃って悲鳴を上げさせたり、あるいは殺すでしょうね。その時はサクラコとキョウコが可能な限り近くで狙撃する。奴隷に当たるかもしれないけど、二人とも覚悟してる。私たちがこれで撃つよりマシだから」

「もっと安全な……いや、これしかないんだな」

「当たり前でしょ」


彼女は侮蔑の目で彼を見た。


「マシな方法があるなら教えてよ。味方が誰も死なない戦争なんてない。私たちの方だって襲撃するときに何人か死ぬよ。少なくとも1人か2人は確実に。コマリは最初に死ぬと思う」

「おい……」


アイが平然と名前を出したことで彼は耳を疑った。

そういう事も起こりうると思っていたが、それ以上考えることを避けていた。


「次に死ぬとしたら私。キョウコとサクラコはその後。サキは仲間が死んだら亡者になる前に首を切る係だから後方気味に。マリアは一番後方。でも、運が悪ければ全員死ぬ。皆、とっくに了解済みよ」

「俺以外は、か」

「そう。知らなかったのはあんただけ」


アイは悲しそうに言った。


「援護射撃してくれるならありがたいけど、参加しなくてもいいよ」

「最初から当てにしてないんだな」

「うん。あんたには命を捨ててあいつらを殺す動機がないでしょ?私たちにはある」

「お前は復讐じゃなくて将来のためだって……」

「理屈ではね。でも、私だって機械じゃないの」


彼女は額を押さえた。


「私もコマリたちもよく夢を見るの。あいつらに大事なものを壊された時の夢を」


たしかキョウコもそう言っていたと彼は思った。


「私も何回も見た。両親が殺されて、妹の心が壊れて、一緒に大勢の男に殴られて犯される夢。目が覚めたらそれが夢じゃなくて本当だったって思い知るの。あいつらを全員殺せばひょっとしたら……ひょっとしたら見なくなるかもしれない」

「そのために計画を立ててきたのか?」

「うん。どうしたの、そんな顔して。あんた、赤ん坊が死んだ時に泣いたんだって?あの頃から変わったよね。最初は私らより狂ってる気がしたけど、どんどん人間っぽくなってる」

「いや、それはな……」


その時、発砲音が聞こえてきた。

窓の暗幕を開けて外を見ると火柱が上がっている。


「火炎瓶よ。むこうの専売特許じゃないからね」

「4人で大丈夫なのか?」

「あいつらは本当に強いよ。確実に皆殺しにしてくれる。本当は私も行きたいけど、この後でごみ掃除のために伝令回す必要があるから」

「この後?」

「ここの掃除が終わったら車を走らせてグループ合同の本番を始めるの。アマギリの所にはいきなりで悪いけど、さっきの約束を果たしてもらう」


これから計画が始まることに彼は驚いた。


「むこうは噂を聞きつけただけだから完全に守りを固めてない。早く攻めたほうが犠牲は少なくてすむ」

「じゃあ、やるんだな」

「やるよ。いろんな事が今日で終わる」


アイは窓の外の遠いどこかを見ていた。


「一つ頼みがある」

「なに?」

「俺はこれから奴隷の人たちを助けに行く。もしも奴らの方角から車が来て白い布を振ってたら射撃を待つよう皆に伝えてくれ。俺がその人たちを乗せて逃げてきたやつだから」

「……何言ってるの?一人で何するつもり?」

「すぐ殺されるかもしれないけどな。まあ、当てにしないで計画はそのまま進めてくれ」


彼はそれだけ言うと部屋から出て行った。

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