第13章:歩き始めて

「ここはどうですか?」

「痛くない」


マリアに怪我した部位を触られながら彼は答える。

最初に触られた時は痛みのあまり殺す気かと思ったが、一週間ほどで腫れは引き、1ヶ月後にはそろそろ歩けるのではという段階に達していた。


「そろそろ大丈夫かもしれませんね。足先のトレーニングはちゃんとしましたか?」

「ああ」


彼女に言われてアリーは怪我してない方の脚や右足指を毎日ほどほどに動かしていた。治療している間に右足や腹の筋肉が衰えるだろうからそれを補強するためだ。これをやっていると全快も早まるらしい。


マリアは何度も右足の関節を動かし、固まった部分をほぐす。

あとは両足を地面につけて歩くだけだが、これがなかなか勇気が要る。


「それじゃあ、ゆっくり立ち上がってみましょう。私に掴まってください」

「わかった」


彼はマリアの肩に掴まると両足を地面につけ、少しずつ両足に体重をかける。

いきなりぽきりと折れるのではないかという恐怖はあった。


「おお……なんとか……立てるな……」


二本足で地面に立つことがこれほど感動的だとは彼も思わなかった。

右足を一歩前に出し、次に左足を出す。よたよたと歩くとすぐに足の衰えに気づいた。左足はよく動かしていたつもりだったが、どちらの足も重りをつけたように動かしにくい。そして右足は膝を曲げにくい。一ヶ月歩かないとここまで弱るのかと彼は驚いた。


「今はこれだけにしておきましょう」

「もう終わりか?」

「これが普通ですよ」


彼は一歩前に進んだり下がったりを繰り返すとベッドに戻された。

早く歩きたいが仕方ないことだ。

この時、彼はふと気になることがあった。


「なあ、今回の傷の治りって早いのか?肩の傷はずいぶん早いと言ってたけど」

「ああ、あの時言ったのは嘘です」

「は?」


彼はきょとんとした。


「同じサブリーダーに嘘は嫌なので話しますが、傷は小さいしとても治りが早いといっておけば気が楽になるでしょう?その暗示だけで治りが早まるなら儲けものです。偽薬と同じですよ。患者さんにはいつも言ってます」

「そうだったのか……ははは」


治癒魔法だけ効果が高いなどおかしいと彼は思っていた。ひょっとしたらこの世界の人間は魔法使いより自己治癒能力が低いのかもしれないという仮説まで立てたが、実際には優しい嘘で騙されていただけ。彼はもはや笑うしかなかった。




「現状を説明しておくと」


アイは彼の治療室にサブリ-ダーを集めて会議を始めた。

もちろん彼に配慮してだ。

メンバーの中でサキだけがむっとした顔をしている。

治ったなら思い切りやりましょうと彼女が夜這いしてきたのを彼が拒絶したためだ。そんなリスクはとても冒せなかった。そんな理由で再び骨折したら呆れて治療してもらえないだろう。


「この4つとはかなり良い関係になってて、特にタニエの所はゴミ掃除にも乗り気よ。前にトラブルがあって人が死んだから」


サキは地図上の点を示す。

近隣のグループは自分たちを含めて6つ。それぞれのおよその人数が赤いペンで書かれている。(彼もこの世界の数字くらいはすでに学んだ)6つとは別に虫の玩具が置かれた場所があり、そこが全員の宿敵となっている通称ゴミグループのアジトだ。数字は30~40と書かれており、後ろに推定を意味するクエスチョンマークがある。人数だけならそう多くないが武装とガソリン、そして車両が多いので戦力では最大だ。どこも単独で戦えば負ける。


「でも、事を起こす時に怖気づかない?」


サクラコが当然の不安を指摘する。


「掃除のやり方次第よ。私達が先陣を切ればタニエもいくらかの危険は許容してくれる。あいつは親友が殺されたって私情が入ってるの。リーダーとしては失格だけどこちらには好都合でしょ。他のグループも通路の監視と閉鎖、逃げてきたごみへの攻撃ならしてくれると約束してくれた。こっちは当てにしていいよ」


彼はあちこちのグループにアイが医薬品を持っていって貸しを作ったと聞いており、妊婦や子供が必要とする薬は特に感謝されたと彼女から言われた。ただし、相手が最も欲しがってる薬はごく少量だけ渡し、残りはごみ掃除が終わったらと約束している辺りが実に彼女らしい。


「ただ、問題はアマギリの所」


アイは一箇所を指した。


「あのグループはどんなリスクも取りたがらない。正直、人数が少ないし、あんまり武装もないだろうから戦力として微妙だけど、宗教って説得が難しいんだよねー」

「テヅカさんの潜入捜査がばれて印象悪くなったんじゃないですか?」

「俺のせいか?」


彼はキョウコに反論したかったが、可能性はあった。

雑貨店にテヅカの死体はなかったらしく、ならばアマギリ教に行けたはずだが、何の連絡もない。生きているかも不明だ。


その時、最高のタイミングで知らせが入った。


「リーダー、あの太った人が帰ってきました」

「よかった。身ぐるみ剥いでここに連れてきて」


テヅカは身体検査をされた後に連れてこられた。

少しだけ痩せていた。


「みんな久しぶり!缶詰と引き換えに今日まで泊めるって取引だったんだ」

「本当にできたのか?すごいな」


彼は素直にテヅカを褒めた。

あの雑貨店を攻略し、アマギリ教に潜入するなど並の苦労ではないだろう。

どんな物語があったのか聞いてみたいものだ。


「連絡しなくてごめんね、アリーさん。方法がなくて」

「アマギリ教がどんな所かわかったか?」

「だいたい」

「むこうに気づかれた?尾行されてない?」


アイがすぐに聞いた。


「絶対じゃないけど大丈夫と思う。尾行は何回も確認したし、遠回りして家の隙間とかも通ってきた。それくらいの知恵はあるよ」


テヅカは誇らしそうに言った。


「ああ、そうだ。アリーさん、もう一つ謝ることがあるんだ。最初は持っていった缶詰と引き換えに3日間保護するって言われたんだけど、それじゃ調べるのに短すぎると思って倉庫の鍵を渡しちゃったんだ。まずかった?」

「いや……」


その瞬間、サブリーダーたちが彼に詰め寄った。


「オサム、何やってんのー!」

「お酒飲めないじゃない!」

「今すぐ殺すわよ!」

「殺すなんて駄目!じっくり苦しめないと!」

「足元を見られすぎです!いくつ渡したんですか!?」


コマリとサクラコとサキ。

ここまでは彼もわかるが、キョウコとマリアまで怒るのは意外だった。

コマリは皆で缶詰を分けあったのだろう。


「た、たぶん50個くらい……」

「リーダー、殺していいですか!?」


一番大人しいマリアがこれなのだから他は推して知るべしだ。


(食べ物の恨みは恐ろしいな。けど、あそこの缶詰はお前らのものじゃないんだが……)


彼がそこを不思議に思っている間にテヅカは泣きそうになる。

どうにかしてやれと彼はアイに視線を送った。

彼女は手を叩いた。


「はい、そこまで。殺すのは後にして今は話をさせてあげて」

「後もよくないよ!」

「お前ら、落ち着け。今度缶詰見つけたらやるから」


5人は一斉に彼のほうを見ると「約束ね」と言ってその場は収まった。


彼は次に缶詰を見つけた時を想像すると少し楽しくなった。

最初に見つけた時も嬉しかったが、その気持ちは一瞬で消えた。

今度は消えない気がする。なぜだろう。


(ああ、そうか……)


彼はその時まで一人で生きていたことに気づいた。


「テヅカ、アマギリ教はどういう集団だった?ああ、教義とかは知ってるから言わなくていい」


彼も外部からわかることはアイたちから聞いていた。

指導者曰く、空気感染した者は神に選ばれたのであって魂は別の世界に運ばれて救済されたらしい。しかし、残った亡者は抜け殻であり、それらに噛まれて亡者になれば救済されるなどという不届きな考えを持ってはいけない。残った人々は神の試練を受けており、みんなで協力して生きていれば死後に魂は救済されるだろう。そんな感じだ。

要は「亡者に噛まれるな。助け合って生きよう」という当たり前のことだった。


「みんな大人しくて礼儀正しいよ。僕が渡した缶詰は全員で分け合ってた」

「リーダーが多めに食べたりしないのか?」

「しない。必ず平等に分けるんだ」

「信者からの信頼はどうだ?皆に慕われてるのか?」

「そりゃあもう。奇跡の男についていくと皆言ってたよ」


ずいぶんと人気だなと彼は思った。

アマギリという男は元々食料品店の経営者で感染が広まった直後にそれを無償で皆に配って尊敬を集めた。その後で死にかけた病人に触れたら治ったという話が広まって奇跡の男というあだ名と宗教色が出たらしい。


「奇跡ですか。本当に起こせるなら私も頼みたいですね」


マリアが苦笑して言った。

彼は治癒魔法がほとんど役に立たない自分に少し罪悪感を覚える。


「アマギリってやつは何を最優先にしてる?」

「グループの安全だと思う」

「目の前の安全をね」


アイがうんざりした顔になった。


「ごみ掃除が必要なのはわかってるのに参加を拒むの。先のことを考えたらやるしかないのに……」

「だが、何をされても無抵抗ってわけじゃないんだろ?」


それならとっくに悪者に食い物にされてると彼は思った。


「さあ。そうなんじゃない?」

「いや、戦ったことはあるよ」


テヅカは言った。


「アマギリさんの所はすごく悪いグループと戦って死人が出たんだって。僕もその人の墓に手を合わせたんだ」

「え?そうなの?」


アイも知らなかった情報らしい。

テヅカを潜入させた甲斐があったなと彼は思った。


「戦わなければならない時もあるってアマギリさんは言ってた」

「本人と話したのか?」

「うん」


リーダーと直接話ができるほどテヅカは歓迎されたらしい。

コマリのように彼の漫画のファンでないなら大量に缶詰を渡したおかげだろう。

彼はこれから物資の価値を過小評価しないように気をつけようと思った。


「じゃあ戦う意思はあるんだ?ごみ掃除は拒否したくせに」


アイはますます不快そうな顔をした。


「迷ってるのかもな。なあ、アイ。俺がそのアマギリって男と会うことはできるか?」

「会ってどうするの?」

「まあ、その、説得するんだよ」


彼は内容を言えなかった。

自分の正体と切り札を話すことになる。

アイは胡散臭そうに彼を見た。


「何か企んでるでしょ?」

「まあな。どうやって説得するかは言えないが、失敗しても状況は悪くならないと思う」

「成功する見込みはどのくらい?」

「6,7割くらいか」

「そう……」


部屋に少し沈黙が下りる。

リーダーが考えている間は誰も口を挟まない。


「マリア、アリーを車で運んだら怪我が再発しそう?」

「あと3日様子を見て、車がよほど揺れない限り大丈夫だと思います」

「夜ならなんとかなるか……。わかった。ガソリン減るけど、アマギリの所が参加してくれるならやってみる。貸しだからいつか返してよ?」

「わかった」


会議はそれから少しして終わったが、小さな問題が起きた。

テヅカの処遇をどうするかだ。

アリーはとても感謝しているが部外者であるテヅカを泊める権限はない。加えていえば、缶詰が手に入らなくなったことでサブリーダーたちは少し機嫌が悪い。

彼がアイに慎重に頼むと「アマギリのところに寝返ってる可能性もあるでしょ?ごみ掃除までは倉庫に閉じ込めるから」と言われた。

こうしてテヅカは一応の宿を手に入れた。


「なんか悪いな」

「いいんだよ」


テヅカは笑って言った。


「食事ももらえるし、簡単な仕事もさせてあげるって言ってたし、いいことだらけだよ。寝返るかもなんて言ってるけど、アイさんなりに感謝して泊めてくれるのかも」

「それはない」

「ないかな?」

「ない」

「そうか……」


彼は少し落ち込んだ。

しかし気分を切り替えたのか荷物から白い紙を取り出した。


「それは?」

「ここに来る前に文房具屋で回収したんだ。また漫画を描こうと思って。ああ、もちろん仕事はちゃんとやるよ。少しずつ時間を作って描くつもりなんだ」

「コマリに頼まれたからか?」


彼はすぐに理由がわかった。

たしか闇の魔法使いという漫画だ。


「まあね。ああ、僕が彼女を漫画で感動させたいとか正気に戻したいとか思って自惚れてると思ったかい?」

「いや……」


彼は図星をつかれたと思った。

しかし、テヅカは笑って言った。


「そのとおりだよ。僕は世界一自惚れてるんだ。人の役に立ちたいなら漫画を描くより普通に働いて募金する方がいいって昔両親に言われた。でもさ、それは普通って才能があればだと思うんだ。普通も十分な才能なんだよ。歩けない人にとって歩くことは才能だ。僕は旅館経営者やサラリーマンの才能がなかったと信じてる。けど、それが普通の世界に文句を言っても出て行くわけにもいかないだろう?」

「…………ああ」

「できることを伸ばすしかない。僕は妄想を描いて人を感動させ、収入まで手に入れようって自惚れ野郎だよ。一応、収入を得ることには一度成功したし、こんな世界でもまた開き直って描いてみようと思う。絵を描くこと自体にも需要はあると思うし」

「……そうか。コマリが感動するといいな」

「上手くいったら僕にご飯をおごってくれるかい?ははは」

「ああ、約束する」


テヅカは倉庫に向かって去っていった。


彼は自分の足を見て思った。

歩けない人にとっては歩くことは才能だ。

なるほど。面白い。

あいつは魔法使いの世界にいても大成したかもしれない。

俺はどうなんだ?




翌日、彼は手すりを持って慎重に廊下を歩いていた。

膝の関節は柔らかくなっており、このまま行けば普通に歩ける期待が持てた。


中庭では女性たちが畑仕事をしており、彼を見て大半は怯えるが会釈する者も少数いた。その一人が妊婦だったのを見て彼は何かを思い出しそうになった。


(なんだっけ……まあ、いいか……)


「どうかしました?」

「いや、前よりも俺を怖がる人が少ないなと思ったんだ。怪我してるせいか」

「いいえ、そうじゃありません」


マリアは訂正した。


「貴方が命がけで薬を取ってきてくれた事になってるからです。外国人の外見も少しは影響あるのかも」

「命だけだったのは本当だ……」

「あっ、そうでしたね」


彼女はあわてて謝罪した。

屋根から落ちる所こそ見せたくないが、亡者を植木鉢で殴りつけるところは見せてやりたいと彼は思った。


「本当に感謝してます。以前は貴方を見るだけで体調を崩す人もいたけど今はそこまで酷くありません。良い変化だと思います。このままずっと男がいない組織にするわけにはいきませんから」

「アイもそう言ってたな。赤ん坊にも男はいるって」

「子供のことだけじゃありません。男は全員悪くて女なら信用できるなんて考えでは生きていけません」


彼女は少し小声になった。


「あのごみ連中だけが悪いのであって、他の男にも近づかないようでは相手の思うつぼです。あいつらは奴隷にした女が他の男と付き合ったり結婚しないために苦しめてるんですから」

「そうなのか?」

「考えるだけで殺したくなりますけど、おそらく。民族浄化みたいな目的でも費用がかからず効果が長く続くからそういう手段が使われるそうです」


マリアの目に少し危険な兆候が出てきた。

あまり興奮させないよう気をつけなければならない。


「性別に関係なく良い人は良い人です。ここの人たちにはいつか恋愛や結婚も素敵なものだと思ってほしいんです。それがどれだけ難しいかは私も知ってますけど」


繊細な問題なので彼はどう返そうかと悩んだ。

しかし、彼女は思わぬ一言を発した。


「このままだと恋愛対象がサキさんだけになっちゃいます」

「は?」

「あの人は何人かと関係を持ってるんです」

「あっ、そういえばそんな話があったな」

「サキさんは美人ですし、強くて頼もしいから人気があります。本気で想ってるなら口は出しませんけど、男がいない間の息抜きならやめてもらいたいです。ああ、貴方が来てからは少し大人しくなりましたね」

「そうか……」


彼は他に返しようがなかった。


「このままあの人の恋人になってくれませんか?サキさんが男と付き合っていれば他の人も敷居が下がると思うんです」

「俺に死ねと言うのか?」


彼には他の意味に聞こえなかった。


「入院中は彼女にいろいろしてもらってますよね?本人が言ってましたよ」

「情報共有のしすぎだ。それとこれは別問題だ」

「体だけの関係ということですか?」

「怒ってないか?とにかく断る」

「怒ってません。性欲と愛は別物ということですか?言っておきますけど、サキさんはウェディングドレスの衣装も持ってます。結婚願望があるってことですよ」

「いや、でもな……」


彼は苦笑しながらもなんて平和な会話なんだろうと思った。

このグループに入ってからとても楽しい時間を過ごしている。仲間がいるというのはこんなにも楽しいことだとは思わなかった。だが、自分は何かを忘れているような気がした。

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