第8章:生存者テヅカ

彼が侵入するときに使った雨除けを戻った時には陽がほとんど沈みかけていた。この危険な経路以外に出入りする手段を設けるべきかと悩んだが、そんなものがあれば他人も病院に入ってしまうのでこのままにしようと決めた。


(さて、寝床をどこにするか。亡者がいない家があればいいんだが、どうすれば見分けがつくんだ?)


彼は無数にある民家のうちで無人のそれを探す方法を考えた。

病院と同じく亡者を撲殺する事は可能だが、誰もいない家を使う方が安全に決まっている。やがてアイたちが車と呼んでいる乗り物に注目した。家の車置き場が空なら住人は避難した後だろうから今は無人なのでは。彼は本当かどうかもわからない思い付きを頼りに空の駐車場がある大きな家を見つけるとそのベランダに飛び移った。


彼が窓から室内を覗くとそこは寝室らしく、大きなベッドが置かれていた。念力で窓の鍵を開け、部屋に入ると煙の隠れ蓑を使いながら慎重に他の部屋を調べる。浴室やトイレを含めて本当に無人であることを確認すると安堵のため息が出た。


(おっ、これはひょっとして……)


完全に日が沈む前に彼は家捜しして素晴らしいものを見つけた。エリやアイたちが使っていた照明装置である。指先でスイッチを押すと光が出た。指先に炎を灯すよりはるかに明るい。さらに台所で刃物を見つけたことで彼は非常に嬉しくなった。ずっとほしかったものだ。

しかし、そういった嬉しさも空腹を感じると消えていった。


彼は寝室のベッドに寝転び、飴を舐めながらもう一度アイたちとの取引方法を考える。


(初めは少しだけ取引するか……どれだけ薬を揃えたら銃をくれるか探って……いや、むこうも薬を手に入れた方法を探ってくるだろ……暴力を使われたら逃げる手段が……)


彼は病院で一度寝たおかげで眠気はなく、あれこれと考える間に一袋の飴玉がなくなった。腹に溜まるものではなく、悲しい夕食だった。またあのフカシイモが食べたいなと思った。

その時だった。

彼の耳にピシリと小さな音が聞こえた。

もう1度鳴ったことで気のせいではないとわかり、彼は起き上がった。

寝室のドアをゆっくり開けると音は1階で鳴っていた。

ガラスが割れる音だ。

それは小刻みに何度か続き、やがて鍵が開いて窓が動く音がした。

もちろん亡者ではない。


階下から一人分の足音が聞こえた。

恐る恐る慎重に歩く様子はやはり生きた人間のものだ。

相手も亡者を恐れているのだろうと彼は考えた。刃物と偽の拳銃を用意しつつどうすべきか迷う。略奪者が家捜ししてるなら逃げるべきだ。こちらと違って本物の銃を所持しているかもしれない。しかし、相手が一人というのはある実験をする上で好都合だった。

催眠魔法の実験だ。

この世界の人間にあの魔法を使えばおそらく数秒は相手の自由を奪えると彼は思っている。エリの時は油断し、アイたちは常に2人以上で接してくるので魔法を見られたくなかったが、今なら実際の効果を試す良い機会だ。


(でも、いきなり銃を撃ってくる奴だったらまずいし……)


相手の性格がわからず、彼は躊躇する。

その時、階下から男の声が聞こえた。


「かあちゃん……」


弱弱しい鼻水声だった。

相手の母親が近くにいるなどと彼は思わない。飢えか疲労かあるいは負傷かは不明だが、戦う気力のある人間が出す声ではない。

彼はゆっくり階段を下りていった。


物音と小さな光が台所から漏れてくる。


(食料を探してるのか?)


彼も一度探したが、食べられそうなものはなかった。

部屋の端からゆっくり覗くと太った尻が見えた。横に置かれた背嚢からは武器らしき金属の棒が突き出ている。相手は片手に照明装置を持ちながら床下収納に上半身を突っ込んで物資を漁っている。やはり飢えて食料を探しているらしい。

彼は偽物の銃と刃物を構えてゆっくり接近し、声をかけた。


「おい、動くな」

「ひいいいいい!」


悲鳴が上がり、相手はすぐにこちらを振り返る。


「動くなと言っただろ」


彼は焦った。

銃が本物なら撃ちたいところだ。

侵入者は太ってる割に頬だけがこけた中年の男だった。

予想通り泣いており、彼が向けた銃を見て濡れた目を大きくした。


「う、撃たないでくれ!」

「静かにしろ。あいつらが寄ってくる」


銃が本物だと思っており、彼はそこに安堵する。


「食料を探しているのか?」

「あ……ああ。見てのとおりだよ。君も?」

「まあな」

「銃を下ろしてくれ。武器なんて持ってない」

「わかった。だが、手をポケットに入れたり、変な真似をするな。お前が危険そうならすぐに撃つ」

「わ、わかったよ」


彼は少し後ろに下がって銃の角度を下げ、相手を安心させた。


「君……日本語上手いね。銃をどうやって手に入れたの?」


男は鼻水をすすって言った。

彼はその話に付き合うつもりがない。


「ゆっくり背嚢を開けろ。中身を全部見せるんだ」

「ご、強盗なのか?取るようなものはないよ」

「いいから見せろ」


彼が再び銃を上げると男は短く悲鳴を上げ、言うとおりにした。

武器と思われる太い金属棒。汚れた毛布。使い古した調理器具。水の入った透明な容器。

雑誌が何冊かあり、一部は裸の女が写っていた。


「おい、俺の目を見るんだ」

「え?」

「いいから見ろ」


彼は男に催眠の魔眼をかける。

男の両瞼が下りかかり、表情が消えてゆく。

やはりこの世界でも催眠は有効だと彼は安堵した。


「お前は俺に危害を加える気があるか?はいかいいえで答えろ」

「いいえ……」

「どこかのグループに所属しているか?」

「いいえ……」」


エリの時と同じ目にあわないで済みそうだ。

彼は少し安心したが偽物の銃はまだ降ろさない。


男は目をぱちぱちとさせ、不思議な表情をする。

魔法が切れたのだ。治癒魔法のように強化されてないかと彼は期待したが、当てが外れた。男は催眠状態で話したことを覚えておらず、何か言おうとしたが彼は無視した。


「流れ者か?」

「え……?う、うん。少し前まで仲間と移動してた。見捨てられたんだ」

「理由は?」

「どこへ向かうかで揉めた。あと、僕が食料をよく食べるから」


とても納得行く理由だった。


「世界がこんな風になる前は仕事仲間だったんだ。3人が僕のアシスタントで、世界が滅茶苦茶になった後もそれなりに仲良くやってた。でも、だんだん喧嘩するようになって……」

「何の仕事だ?」


マリアのように有益な職業なら部下にしてもいいかと彼は考えた。

悪意や敵意がないことは証明された。食料が減ることになるが、雑貨店に備蓄があるのでいくらか余裕はあるし、いざとなったら男を切り捨てるつもりだ。

しかし、男の答えは意外なものだった。


「漫画家」

「それは……絵本を描く職業のことか?」

「それ以外にあるのかい?」

「いいや」


彼はその男に興味がなくなった。


「この家は俺が使ってる。出て行け」

「で、出て行ってほしいならそうするよ。でも、一つ頼みが……」

「食料をわけてくれって言うんだろ?」


図星だったらしく、男は居心地の悪そうな顔をした。


「お前が俺だったら分けるか?」

「よ、余裕があれば分けるよ……」

「じゃあ、余裕がなかったら?」


男は沈黙した。


「こんな状況だ。お前が他人の家から食べ物を盗むのも仕方ないし、俺が分けなくても仕方ない。そうだろう?」

「盗む気はなかった。人がいたら何でもするから食料をくれって頼む気で……」

「お前にしてもらうことはない。いや、待て……」


彼は少し考え直した。

他の土地から移動してきたのならそこの状況を聞いておいて損はない。一緒にいた仲間とやらもそのうち遭遇するかもしれないので彼らの所持品や武器も知るべきだ。


「1度だけなら分けてやってもいい」

「本当かい!」


男が目を輝かせ、同時に腹の音がなった。

体に蓄えたものはどうして役に立たないのだろうかと彼は不思議に思った。


「他の地域がどうなっているかを詳しく聞かせろ。仲間のことも」

「なんでも話すよ。だから先にご飯を……」

「先に話を聞いてからだ」


男は不満げな顔をしながらもいろいろと話し出し、彼は近くにあった椅子に座って話を聞いた。


男はテヅカという漫画家で東京の新宿という都市で暮らしていた。謎の感染症によって都市機能が壊滅し、3人のアシスタントと車を使って地方に逃げてきた。人口が少ない土地なら亡者も少ないので安全であり、田畑があるなら食料も多そうだと考えたからだ。

だが、どの共同体も避難民が集まってぎりぎりの生活をしており、有益な専門知識や技能がない人間を住ませる余裕はなかった。あまりしつこくすると猟銃を持った老人たちが出てきたので彼らはやむなく都市部に入って亡者を避けつつ、保存食や食べられそうな商品を回収する行為を繰り返していた。

だが、燃料の問題が生じた。それまでは放置車から燃料を採取して自分たちの車に補給していたが、他の人間も生活のために同じことをするので使える車が徐々に少なくなって補給できなくなり、彼らは車を捨てるしかなかった。

その頃から4人の関係が悪化した。疲労と飢えから喧嘩が増え、たまに食料が手に入るとその配分で揉めた。2日前に目的地を巡って言い争いになり、一人だけ意見を違えたテヅカが朝起きると仲間は消えていた。


「という感じなんだ」

「仲間だった3人はどこへ向かっているんだ?」

「沼津。あそこに救助船や空母がやってきてるって噂があっただろ?」


彼が知るはずもない噂だった。


「それで、お前はどこへ向かってるんだ?」

「実家を目指そうと思ってた。温泉旅館をやってるんだ。でも……」

「でも?」

「今は仲間と同じ場所へ向かってる。一人だと心細くて……」


テヅカは苦笑した。

それなら最初から喧嘩しなければよかっただろうと彼は思った。


「2日前か。3人はこの辺りにいるってことだな」

「たぶん」

「3人の武器は?銃や弓矢は持ってるのか?」

「いいや、僕と同じくバールやハンマーくらいだよ」


テヅカは背嚢の鉄棒を指した。

彼はもう一度魔法を使ってみた。


「今、言ったことはすべて本当か?」

「そうです…………あれ?今、なんか……」

「気にするな。約束だから食料をやる」

「あ、ありがとう!」


テヅカは自分の身に起きたことなど忘れ、彼が背嚢から出した果物の缶詰を渡すと持っていた道具で急いで蓋を開けた。


(あれは缶詰を開ける道具だったのか!)


彼は雑貨店やこの家で見つけた奇妙な道具の目的を理解した。

あとで回収しようと決める。


テヅカは自前のフォークを使って果物を食べ始めた。


「うう……美味しい……」


テヅカは黄色い果物を食べながら泣き始めた。感極まったらしい。

どうやら腐ってないようだと彼は安心した。明日の朝までこの男に異常がないなら自分も食べようと思っている。缶詰を与えたのはそれが理由でもある。


「なあ、出て行けと言ったが、今夜くらいはこの家で寝てもいいぞ」

「いいのかい!?」

「ただし、2階には上がるな。寝首をかかれたくない」

「あ、ありがとう!あっ、君の名前は?」

「アリーだ。なあ、お前は銃を持ってないが、使い方も知らないよな?」

「当たり前じゃないか。日本じゃ知ってるのは警官くらいだよ。ああ、猟やクレー射撃をやってる人もいるけど」

「そうなのか……」


彼は残念に思った。

2階に上がったらすぐに撃つと念を押して寝室へ戻る。


ベッドを移動させてドアが外から開かないようにすると彼はテヅカの別の利用法を検討し始めた。

食料と引き換えに取引の仲介をさせてはどうかと。少量の医薬品を持たせてアイたちの所へ向かわせるのだ。そこで他の医薬品もあることを匂わせて銃と引き換えにする気があるかを確かめる。むこうがテヅカを締め上げるかもしれないので彼に余計な情報は与えない。怖いのはテヅカが寝返った時だが、それはやつが帰ってきた時に魔法で確認すればよい。


彼はもっと良策があるだろうかと考え、やがて眠りに落ちた。

翌朝、彼はテヅカを勧誘してみた。


「テヅカ、缶詰をもう1個渡すからちょっと頼みを聞いてくれないか?」

「なんでもするよ!」


案の定、テヅカはすぐに食いついた。

バールとやらで殴りかかってくるかもしれないので決して背後に立つなと念を押しつつ、彼はテヅカを連れてアイたちの住処に向かうことにした。


問題はすぐに起きた。


「テヅカ、早く来い」

「ま、待ってくれ!君、オリンピック選手なのかい?」


屋根の上を見上げてテヅカは言った。

魔法で身体能力と体重を変えた彼と違ってテヅカは屋根を飛び回ることができない。

そのせいで彼には地面を歩かせ、その先に亡者を見つけた時は迂回させるか、民家の塀をよじ登って民家の細い隙間や庭や突っ切らせるしかなかった。そのせいで無駄に時間がかかる。


「パルクールの世界チャンピオン?それとも忍者なの?」

「何を言ってるのか全然わからん。とにかく走れ」


通訳されない単語が彼の脳内に入ってくるが、きっとどうでもいい事なので相手にしない。早く進みたかったが、テヅカは外見を裏切らず非常に足が遅かった。


(贅沢な願いだが、もっといい駒がいれば……)


彼はテヅカを見下ろしながらまた次の家に飛び移った。


彼は決して油断していたつもりはない。亡者を警戒し、魔法で尋問したテヅカさえも信用していなかった。しかし脅威は最も近いところにあった。家々を飛び渡って移動することに対する慣れ。それが最大の敵と化していることに気づかなかった。


着地した瓦が屋根から外れ、彼はバランスを崩した。


(え?)


景色がぐるぐると回転し、一瞬の浮遊感を覚える。

そして足と腰に加わる衝撃。

彼は病院から落とした亡者たちのことを一瞬思い出した。


「うあああっ!」


彼は土の上にいた。

魔法で体重を軽くしているので落下の衝撃はいくらか和らいだはずだが、下半身は激痛を訴えている。

テヅカが助けに来るだろうか。

それを期待しつつも彼には不安が生まれた。

動けない人間と食料と医薬品の詰まった荷物が目の前にあれば飢えた人間はどうする?


彼は自分がテヅカの声を聞きたいのか聞きたくないのかわからなくなった。

だが、彼の耳に届いたのは最も恐ろしい声だった。


「ぎへしし……」

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