第6章:病院を目指して
彼は7日間の間にいくつかの仕事を任された。
木の実割りが終わるとオイルヒーターという器具の部品交換や洗浄を何個もやらされ、毛布の洗濯、大量の古紙の切り分けという作業もやった。油は臭いし、洗濯の水は冷たいし、古紙を何度も触ると油脂が吸われて手が荒れたりと散々であった。
それでも念力を使って右腕をさほど酷使しなかったので肩は順調に治り、6日後に縫った部分をマリアが抜糸した。本当に治りが早いと彼女は驚いた。
アイやコマリ、マリアとの何度か雑談をするうちに彼はいくつかの情報を手に入れた。もっとも大きな収穫は警察署という施設の金庫におそらく銃が保管されているが、誰も開けられないことだった。念力を試す価値はある。
強制労働が終わった天気の良い早朝、アイは言った。
「ほら、さっさと出ていきなさい」
「けっこう真面目に働いたつもりだが、そんなに俺が嫌いか?」
いくらか信用されたかもという期待は崩れ去る。
といっても、彼が逆の立場でも同じだろうから怒りはない。
「グループに知らない人間がいるってすごく嫌なの」
「アリーちゃんは釈放か。元気でねー。あ、物資の取り合いになったら容赦なく殺すから」
コマリはニコニコして言う。
彼はこの少女の素性を未だによく知らない。わかったことといえば物資回収の時に彼女も参加し、子供向けの漫画をよく持ち帰るのでアイが困っていることだ。「闇の魔法使い」という漫画がお気に入りで、文明が崩壊して続刊が出ないことが不満らしい。彼にとって全くどうでもいいことだった。
「寂しくなるけど、リーダー命令だから仕方ないわね」
サキは相変わらず毛皮や派手な服を着ており、妖しげな視線を送ってくる。アイが禁止したのか夜這いはあれ以来なかった。彼女について新しく知ったことはグループ内の女性と何人か関係を持っていることだ。男がいないせいらしい。
「マリアはどうした?」
「仕事中。これを渡しといてって」
アイは一つの背嚢を彼に投げ渡した。
少し重く、中を開けてみるとフカシイモという食べ物が入っている。
「ほら、さっさと消えて」
門から追い出されると彼は久しぶりに一人になった。
さっそく身体強化と重量軽減の魔法で民家の屋根に登ってみる。肩に少し違和感はあるが移動に支障はない。健康がこれほど素晴らしいと思ったのは初めてだった。
彼はさっそくもらった食料を食べることにした。
まだ少し暖かいし、収容されている時に朝食がないことが彼はずっと不満だった。
甘い味を楽しみながら次の行動について考える。
向かうべき目的地は3つある。
大型商店。病院。そして警察署。
食料。貴重な医療品。武器の3つだ。
彼は先に銃を見つけようと思っていた。食料や他の物資を確保してもまた奪われる危険があるからだ。しかし、銃の基本的な使い方を知らないという大問題があった。
自分が撃たれる時に一度だけ見たが、銃に関する常識がまったくわからず、致命的な誤操作をして自分が死ぬかもしれない。金庫にも妙な操作をしたら電流や爆発する仕掛けがないとも限らない。
そこで彼は今日中に医薬品を手に入れてアイのグループに持っていき、取引を持ちかけようと考えた。薬と引き換えに銃をもらい、ついでにその使い方も教えてもらう予定だ。
彼は彼女たちが銃を持っているところを一度も見なかったが、所有していると信じる理由があった。自分が彼女たちの立場だったら何をおいてもまずそれを手に入れるからだ。強い武器がなければ彼女たちが憎むグループにいつ襲われてもおかしくない。そんな状況を許す人間はいない。
さらに、奴らが来たら皆殺しにしてやるとアイは言っていた。あの発言は銃を持っていないと出てこない。銃をもらうために誰とどんな取引をしたか、あるいはどんな騙まし討ちをしたかは知らないが、彼女たちは銃を持っていると彼は確信している。
(病院の薬は間違いなく手に入る。だけど、この計画って致命的な問題があるんだよなあ……)
彼はそれについて考えると頭を抱えたくなった。
薬を持っていって「武器と交換しよう」と言ったとして、アイたちが欲にかられて「全部もらう」と略奪してきたらどうするのか。薬の一部だけを持っていき、残りを隠したとしても口を割らせる方法は無数にある。とても不快で想像したくもない方法が。
彼女たちは今のところ理性的だが、欲望のない人間はいない。
(部下がいれば伝令係とかに使えるんだが……)
彼は魔法で水を創り出して飲みながら、そこらに利用できそうな人間が歩いていないかと探した。残念ながら見つかるのは亡者だけだった。
彼は屋根の上を、時には塀や車の上を飛び渡って病院を目指しているとマリアが話していた川が見えてきた。
ここの水はどれくらい綺麗なのだろうかと彼は考える。アイたちが食事を運んできたときに水のお代わりを頼んだことがあった。本当は魔法で水を創り出せたのだが、彼女たちの目の前でそれを行うわけにもいかず、あえて頼んだ。その際にアイは水を浄化する道具も無限にあるわけじゃないと言って彼を叱った。この川の水をそのまま飲めるわけではなさそうだ。
川を上がっていくと病院よりも手前に雑貨店らしき建物が見えた。
エリたちに襲われた雑貨店より小さく、入り口には亡者が何匹かいる。
病院へ行く前にちょっと調べる価値はあるだろうと彼は思い、道端に落ちている布切れに魔法で火をつけて煙の要塞をまとう。
「しゅ……ぎぎ……」
一体が煙の塊に気づいたが、飛び掛ってはこない。
ほっとする反面、彼はこの要塞がどうにも不安だった。やつらの中に変わり者がいて、煙に飛び掛ってくる可能性がないわけではない。奇妙な話だが、普通に襲われている時の方が逃げることに徹せて気が楽かもしれない。
「ぎ……いし……しし」
他の亡者も煙に気づいた。
やはり襲ってこない。
彼はのろまな動物のように1歩ずつ進み、店舗の入り口に入ろうとするが、ふと別の入り口に気づいた。
(あっちの扉は何だ?)
小さな扉の意味を考えて、彼は職員用の入り口ではないかと推測した。
そこでふと閃く。
雑貨店なら商品を納入して保管する場所があるはずだ。店の陳列棚は生きた人間に荒らされているかもしれないが、保管部屋はどうだろう。もしも鍵がかかっているなら今まで誰も手をつけておらず、自分なら念力で開錠して商品を持ち出せるのでは。
試す価値はあると彼は思い、煙に包まれながら進んでいく。扉に手をかけてみると鍵がかかっていた。今こそ念力を試す時だった。
念力は自由自在に動く第3の腕を作るような感覚だ。
透明な手を思い浮かべ、それで箱の中の物体を触って形状を当てることから念力の修行は始まる。それが終われば次に小さな物体を動かし、徐々に重さを増やしていく。才能次第で動かせる重さは変わるが誰でも自分の体重くらいのものを操れるのが普通だった。アリー以外は。
彼は何度やっても小石を動かすのが限界で、他の生徒や教師陣から同情の目で見られたことを今でも忘れていない。
(小さい手を想像しろ……鍵穴の中に侵入して内側を探って……)
彼は煙の要塞を維持しつつ、極小の手を扉の鍵穴に侵入させて魔法による触覚で鍵の構造を探っていく。
(金属の棒みたいなものが何本かぶら下がってるな……これを全部押し上げると……いや、それだけじゃ駄目なのか……)
いくつも金属が組み合わさった鍵は仕組みが複雑で、この世界の時間でいえば5分が過ぎ、10分が過ぎても彼は挑み続けた。
(ああ、ドアを回す時にこの棒が揃っていれば……これなら力はほとんどいらないんじゃ……)
さらに10分ほど経つと内部の金属が回転した。彼はドアノブを手で持ち、それが抵抗なく回ってドアが開いたことで叫びたくなった。やったと。念力による開錠が成功したのだ。
中から亡者が飛び出してくることに備えつつ、ゆっくりと中を覗く。
空気に酸っぱい匂いが混ざっていた。何かの腐敗臭だろう。
彼に吐き気と入りたくないという気持ちがこみ上げてきたが、ここまでの苦労を徒労に変えるのは嫌だったので鼻をつまんで中へ入った。
照明はなく、薄暗い通路を歩くと右手に別の扉があった。
あちこちに凹みがあり、ドアを破ろうとした形跡がある。
それを一旦放置して通路を進むと彼は愕然とした。その通路は店内と繋がっていたのだ。外の扉を開けなくても入り口から店に入ってここまで来られたとわかり、彼は大きなため息が出た。
(いや、さっきの扉こそ……今度こそきっと……)
彼はそこまで戻ると鍵穴を操作する。
構造はほとんど同じだったので先ほどより短い時間で開錠できた。
ゆっくりと扉を開けると茶色の箱が山積みになっていた。
いくつか開封してみると半分ほどは形が崩れ、カビに覆われていた。
つまんだ鼻を解放したら酷いことになるだろう。
(食べられるものはないか?これは……?)
金属の容器で覆われたものを彼は手に取る。
表面に丸っこい植物の実が描かれており、普通に考えれば保存食だろう。
彼は期待に胸が膨らんだが、すぐに問題に気づいた。開ける道具がない。
また、道具があったとしても中身が腐敗していないとは限らない。
彼は慎重になることにした。
銃の怪我がようやく治ってきたところで食中毒で死ぬなどご免だ。
彼は缶詰を全て箱から出し、そのうち3つを背嚢に詰め込んだ。
重量軽減の魔法があるとはいえ、病院に行くのであまり荷物を増やせない。
また、この部屋はまた鍵をかけるので盗まれる心配もないと考えた。
悪臭さえ我慢すればちょうどいい金庫になる。
(ついでに店の中も見ておくか?)
多くの物資は盗まれているだろうが、取りこぼしがあることを期待して彼は見回ることにした。倉庫に鍵をかけると煙をまとったまま商品が陳列される場所へ進んでいく。今日は晴天なので窓から入ってくる光が十分に店内を照らしてくれる。
彼が見つけたかったのは刃物だ。
生活でも戦闘でもあったほうがいい。
しかし、調理器具を置いてある陳列棚からは全ての刃物がなくなっていた。
いずれ錆や刃こぼれすることを考えて誰かが回収したのだろうと彼は思った。ただし、切るものが食品なのか別のものなのかは相手の性格次第だろう。
他の陳列棚を見ていると彼はある区画で自分の目を疑った。
(これ……ジュウってやつじゃないのか?)
包装された銃が売ってある。
しかし、すぐにそれが本物でないと気づいた。
周囲に並んだ商品を見るに子供向けの玩具らしい。
(こんなところに本物があるわけないか。……待てよ。これも威嚇ぐらいなら使えるんじゃないか?)
彼は包装をはがして玩具の銃を手に取る。
あの時見た銃とは色が違うが、この店ならどこかに黒い染料は置いてあるだろうし、それを使って本物のように見せることは可能なのでは。
彼はすぐに実行した。
店内で黒いペンを見つけ出して色を塗り、虚仮威しの偽銃を作り上げてみた。
手が黒く汚れたが、彼の見る限り本物とほとんど変わらないと思えた。
(遠目なら騙せるんじゃないか?夜なら余計に見え難くなるだろうし)
彼はもしもの時に備えてそれを持っておくことにした。
ついでに店内で見つけた粘着性の強いテープやハンマーも病院で役立ちそうなので回収した。彼は病院の薬を回収するだけでなく、うまくいけば病院を丸ごと占領できそうな作戦を立てていた。
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