第4章:修羅場
(地道に自分のグループを作るしかないのか……?)
彼はこの先の予定を考えた。
まず拠点を作って食料と武器を十分に集める。
流れ者を見つけたら物資をいくらか都合し、部下にする。
たくさん物資を持っていれば他のグループから移る者も出てくるだろう。
そうやって自分の傘下を増やし、やがて他のグループを吸収していくのだ。
(却下!話にならん!)
彼は今考えたばかりの案を捨てた。
何年かかるかわからず、その前に半分を悪魔に渡した自分の寿命が尽きる可能性があった。さっさとグループの頂点に駆け上がる必要があった。
彼がそう思っているとバタバタと誰かの走る音が聞こえてきた。
眼鏡をかけた20代の女が扉から入ってくる。
自分の治療をした女性だと彼は気づいた。
(たしかマリアだったか?)
「リーダー、また侵入者です!」
「今日も?」
アイとコマリの視線が彼に向く。
彼は無関係を主張しようとしたが、眼鏡の女は続けて言った。
「ゴミどもの一人です。負傷して仲間に見捨てられたみたいで助けを求めてます」
「……ああ、そういうこと」
アイの口調が今までより一層冷たくなった。
彼女は床の縄をとって彼の両手を結び始める。
「一緒に来て。立ち会ってもらう」
「俺が?どうして?」
「いいから」
彼に拒否権はなく、手を拘束されると連行された。
向かった先は彼が寝ていた部屋ではなく、建物の隣にある開けた土地だった。
ばんっと重く乾いた音が響き、その音がまた聞こえた。
何だろうかと彼がいぶかしむと近くに来てやっと答えがわかった。
数人の女が地面に横たわった男を取り囲んでいる。
女の一人が柄の長いスコップを両手で振り下ろし、男を殴打しているのだ。
男は腹から血を流しており、顔色が非常に悪いが、胸や腹を殴られるたびにぎゃあと叫ぶ力は残っているらしい。
(よっぽど恨みがあるのか?)
彼は攻撃している女性を観察した。
女性は涙を流しているが、表情は怒りに満ちており、息を切らしながら男を殴りつけている。周囲は誰もそれを止める気配はなく、ただ憎悪と侮蔑の目を男に向けるだけだ。
「こいつのせいで……よくも……よくも……」
「いいぞ。やっちゃえー」
コマリがけらけら笑って言った。
アリーは特に思うこともなくその光景を見ているとアイからの視線に気づいた。
「なんだよ?」
彼は怪訝な表情で応じる。
アイは何も言わなかった。
女性は体力が尽きたらしく、数十回目で殴打をやめた。
「いてえ……やめてくれ……」
瀕死の男も泣いている。
「亡者から逃げる最中に怪我したの?」
「そうだと言ってました」
瀕死の男の代わりにマリアが答える。
「塀の上から足を滑らせ、民家の柵に腹が突き刺さったそうです。仲間に見捨てられ、必死に逃げているうちにここを通りかかり、救助を求めたと」
「自分の顔を覚えてる女がいると思わなかったんだ?」
「あはは。最悪の場所に来たねー」
アイはポケットから小刀を取り出した。
コマリのものとは違った形状だ。
殴り疲れた女性へそれを差し出す。
「とどめをさす?」
女性はそれを奪うように取ると男に馬乗りになり、振り上げた。
男の首をめがけて振り下ろそうとする。
しかし、ナイフはぶるぶると震えたままいつまで経っても下りない。
男は「やめてくれ」とつぶやいた。
やがて女性の腕が弛緩した。
「できません……」
「まあ、それが普通だよね」
アイは小刀を戻すと言った。
「あとは私たちがやっておくから仕事に戻って」
「リーダー、彼女は今日はもう……」
マリアが疲れ果てた人物を心配して言った。
しかし、当人は首を横に振った。
「何かしてるほうが気が紛れます……大丈夫ですから……」
仲間に支えられながら復讐を完遂しなかった女性は建物に入ってゆく。
残ったのは幹部クラスの3人と部外者のアリーだ。
「さあて、穴掘るのが面倒なんだよね」
「困るよねー。ショベルカーとか使えたらいいのに」
「この人には無理ですか?」
マリアはアリーを指した。
彼は急いで首を横に振る。
「それはさすがにかわいそーだよ、マリアちゃん」
「じゃあ、誰に頼みましょうか?もう。このゴミが動けるなら自分で掘らせるんですけど」
マリアは男を蹴った。
この3人は修羅場に慣れているなと彼は思った。
元より非力な自分ではあるが、彼女らとは決して殴り合いをしないと誓った。
「たすけて……」
男はアイにすがりつき、目からぼろぼろと涙をこぼしている。
「助けると思う?」
「たすけて……」
「あんた、今まで襲った人たちに申し訳ないとかと思ってる?」
「おもってる……たすけ……くれ……」
「へえ」
アイはにたにたと笑った。
「じゃあ、私の顔を見て。まだ思い出さない?」
アイは身をかがめて顔を近づける。
男は怯えた顔で彼女をじっと見た。
「リーダー、知ってる男だったんですか?」
マリアは驚いたように言う。
コマリも小さい声で「わーお」と言った。
「うん。こいつは覚えてないみたいだけど」
アイは近くにある木の枝を拾ってくると真ん中で折った。
男はろくでもないことをされると直感したのか、這って逃げようとした。
「ナイフ汚すの嫌だから」
アイはそう言うと男の顔に尖った部分を躊躇なく突き刺した。
これほどの体力が残っていたのかと誰もが驚く絶叫が生まれた。
「め、めが……やめ、やめてくれええええ」
「私たちもそう言わなかったっけ?」
アイは残った片目を見ながら笑う。
「すまないと思ってるのに私のこと覚えてないってどういうこと?記憶力悪すぎでしょ」
「あーあ、リーダーを怒らせちゃった」
「早く思い出したほうがいいですよ?」
3人の女性に囲まれながら男はのろのろと這って逃げようとした。
アリーはこの男と同じ最後だけは迎えたくないなと思いながら見物する。
「じゃあ、頭が悪いあんたのためにヒントをあげるね。私には妹と両親がいたの。どう?思い出した?」
「うう……あああ……」
「日本語を喋りなよー。アリー君だって言えるのに」
コマリが男の背中に乗ってどすどすと踏みつける。
怪我人にここまでできるのだから彼女も容赦がないなと彼は思う。
男は踏まれながらも必死に這い、花壇の横まで来た。
「まだ私のこと思い出さない?」
「たすけて……たすけて……」
「本当に覚えてないようですよ?」
「これで人違いだったら大爆笑だねー」
「ないない。私、記憶力いいから。拉致されてから相手をした21人全員覚えてるよ」
アイはうつぶせになった男の髪の毛をつかんで頭を上げさせ、残った枝を刺した。
再びの絶叫。
「じゃあ、ヒントあげるね。『あー』とか『うー』しか言わなくなった妹。どう?何か思い出した?」
「お……おまえは……ああああああ」
男は何かを思い出したらしい。
「やっと思い出した?」
「ゆ……ゆるし……て……」
「ゆるしてほしい?」
「は……はい……」
「じゃあ、ここを噛んどいて。離したら駄目だよ」
アイは花壇の一部であるレンガを男に噛ませた。
そして助走をつけ、男の後頭部を全力で蹴りつける。
男の顎が砕け、声ではない声が生まれた。
「あっ、いたいた!殺していいゴミ虫ってそれ?」
斧を持った女性が走ってやってきた。
おそらく20代後半。背が高めで毛皮のコートを着ている。
あの6人の1人だと彼は思った。
サキと呼ばれ、しきりに彼を殺そうと主張していた女性だ。
「ああ、サキ。いい所に来たね。こいつやっちゃっていいから埋めてくれる?」
「えー?穴掘り?そいつにやらせたらいいじゃない」
サキはアリーを指す。
「怪我人だからちょっとね」
「そんなに甘やかさなくてもいいのに」
「サキちゃん、リーダーの決定だよー?」
「あー、はいはい。仕方ないか。よいしょっと」
サキは血まみれの男のそばに立ち、斧を振り上げた。
彼は最後に血を吐きながら「あうええ」と言ったが、重く湿った音がするとその意味は永久にわからなくなった。
「はああああ……いいわあ……」
彼女の顔に恍惚としたものが満ちる。
サキは殺人快楽者。
その情報をアリーは脳内に刻み込んだ。
「首を落とすの忘れないでね」
「わかってるって、リーダー」
「亡者になったら大変だもんねー」
サキは斧を数回振り下ろして死体の首を切断した。
(ああ、空気感染や噛まれた時だけじゃなくて死体からも動く亡者が生まれるのか……)
彼は重要な事実を知った。
ここで気づけてよかったと思う。
知らなかったら今後思わぬ危機に陥っていたかもしれない。
「深めに掘ってくださいね。野良犬が掘り返すと面倒なので」
「そう思うなら手伝ってほしいんだけど」
マリアからシャベルを渡されると彼女はぶつぶつ言いながら墓穴を掘り始めた。
「なあ、どうして俺を連れて来たんだ?」
彼はずっと疑問に思っていることをアイに聞いた。
「ああ、あんたたちがグルなら表情に何か出るかなーと思ったの。でも、何も出ないし、本当に無関係っぽいね」
「当たり前だろ」
「ああ、それが狙いだったんですか?てっきり恐怖を与えて従順にさせたいのかと思ってました」
「リーダーはいろんな事を考えてるんだねー」
マリアとコマリは感心して言った。
対してアリーはただ不満だった。
彼にとっては昼食を邪魔されただけだ。
「用が済んだなら戻っていいか?昼飯の途中なんだ」
「待って」
アイは彼を引き止めた。
「こういう光景を見ても怖がらないってことは修羅場を経験してるんでしょ?それなのに1人の男にまんまとやられたの?」
「あれれー、それは確かに変だねー」
「え?そいつもやっていいの?」
殺人快楽者も穴掘りを中断して彼を見た。
目をきらきらさせている。
どうしたものかと彼は考える。
自分が冷徹だと思われたのには理由がある。魔法使いにとって肉体は魂の器に過ぎず、肉体の死は単なる容器の損傷だ。魂が消滅するわけではない。もちろん死は大きな出来事であり、葬式では魔法使いも涙を流す。殺人も重罪である。しかし、それでも死者の魂は別の世界へ旅立つだけだ。
といっても、彼はそんな魔法使いの中でもかなり薄情な側であることを自分で自覚している。最弱の魔法使いとして生きた彼は誰にも相手にされなかったので他人の生死にも関心を持つことをやめた。
「いや、修羅場に慣れてるわけじゃない。俺はなんというか……」
「なんというか?」
「は、薄情なだけだ……」
その答えにアイは少し考え、ため息をついた。
「薄情、ね……。まあ、そうでないと生きていけない世界だもんね。私らも他人のことは言えないし」
「アリー君、ほんとに素人なのー?米軍の凄腕ソルジャーだったりしない?」
「それはないですよ、コマリちゃん。肩を治療したときに体を見ましたけど、ヒョロヒョロでしたから。変な傷跡もありませんし」
「ほら、聞いただろ?」
「でも、不思議な人ってことに変わりはないんですよね。アリーさんってどこから来たんですか?別の地方で病院が機能してる場所があったら教えてほしいんですけど」
「それはちょっと知らないな……」
「ねえねえ、こいつもやっていいの?」
「駄目。サキは穴掘りに戻って。リーダー命令よ」
「ちぇー」
ちょっとした危機をやり過ごし、彼は食事と木の実割り作業に戻ることができた。
しかし、ほかほかだった植物の塊がすっかり冷めていた事でがっかりした。
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