第4話


 さらに歩いていくと田舎道になった。建物は徐々に減り、青い空と、荒れ放題の農地が広がっていった。田んぼ、麦畑、畝、ビニールハウス、葡萄棚、放牧地、簡易倉庫があり、それぞれの区域が柵などで隔てられていたが、植物は今がなんの季節なのか分からず、混乱したようで、背丈も成長具合もさまざまの姿だった。同じ種類の植物でも、あるものは花を咲かせ、あるものは実をつけ、あるものは穂を垂らし、あるものは枯れていた。ビニールハウスは破れて骨組みが見え、麦畑からは何本も、違う植物が飛び出していた。


––食べ物がたくさんあるけど、なんだか奇妙だな。


ネズミが言った。


 荒れた農地を進んでいくと、どれくらい時間が経ったのか分からないが、夜に近づいてきたのかもしれない。あたりが夕焼けのような赤い光に包まれていった。


––日が暮れますね。


アンドロイドがポツリと言った。家屋らしいものはなく、今夜はその辺りにある簡易倉庫で眠ることになりそうだった。


––食べ物はあるし、ちょっとした屋根代わりになるものさえあれば俺は平気だよ。何も襲ってくるものもなさそうだ。


ネズミはそう言って、二人は風も音もない、赤い荒れた農地の風景の中を歩いて行った。

 しばらくして、二人は違和感を感じた。いつまで経っても夜にならず、夕焼けのままなのだ。空に太陽はすでにないのに、晴れた夕空に闇がかぶさって、一番星が見えて来ることはなかった。時計を持っていなかったので時間の感覚は分からないが、ネズミは疲れ具合でそれを感じ取った。アンドロイドもおかしいと思い始めていた。おかしい、と思いながら二人とも何も言わず、歩き続けていると、何か、それまで通り過ぎてきたものとは違うものの気配を感じた。植物や動物ではない。恐ろしい感じもしない。ネズミとアンドロイド、二人とも同時に気配を感じたので顔を見合わせ、辺りを見回した。二人の横にある畑に、かろうじて人の形をした、人を横にずっと伸ばしたようなものが、多分、立った姿勢で畑の中にいた。帽子をかぶって、クワかスキのような農具を持っているようだ。服の様子、顔の造作、表情は、夕焼けといえど、赤い夕焼けの空気の中に闇がいくらか混じって、分からない。けれど、その人らしきものは二人の方を向いているようだった。ネズミとアンドロイドは、そっと向きを変え、ゆっくりと近づいていった。もしかしたら、不器用に作られたカカシかもしれないと思った。けれどそれは、どうやら人だった。目をこらすとようやく見えてくるような不確かな視界の中で、それはアンドロイドとネズミに話しかけてきた。


––あのう、誰? どこへ行くの。


––俺はネズミ。こっちはアンドロイド。それで君は、ここの…人?


––そうだよ。人。突っ立って、カカシか何かだろうと思ったでしょう。作業が途中なんだけど、君らが歩いてくるのが見えたので手を休めたんだ。どこから来たの?


その「人らしきもの」は、夕暮れの空気の中でさらに闇に沈んだように見えた。表情を動かすと、ゆがんだ鏡を覗き込んだときのように、おかしな方向に姿が伸びたり縮んだりして姿が歪むので、なかなか全体像がつかめなかった。言葉ははっきりと耳に届いた。


––大きな街からです。とても長く歩いてきました。


アンドロイドが答えた。


––ふうん。あっちはまだ、何もないんだね。


––どういうことですか?


アンドロイドが訊ねた。


––僕はそっちにいったことがあまりないんだけど。このとおり、仕事が忙しくてね。でも、君たち、何かおかしいと思わない?


「人らしきもの」が訊き返した。


––ここは、ずっと夕焼け。


ネズミが言った。


––そう。


「人らしきもの」が言った。


––あのね、もうどれくらい経ったのか僕も分からないんだけど、ここはずっと夕焼けなんだ。白夜とか極夜とかあったでしょう、世界のどこかに、ずっと昔。そんなのでもないみたい。ここはもう、ずっと夕焼け。


––どうしてか、知っていますか?


アンドロイドが訊いた。


––僕は農業以外、詳しくないからよく分からないけど、時間の進み方が不規則になったらしいよ。僕は農業をやっているから、季節もなくなってしまって、最初は困ったことになったなと思ったよ。種や肥料を、いつ撒いたらいいか分からないでしょう。天気も分からない。芽は出ないし、出ても成長しない。電気もないので、光を当てることもできないよ。

 それに加えて、人もいなくなっちゃった。ここに人としているのは、僕だけ。だから商売をする必要もないし、植物は時間が経つごとにそれなりに順応してきたから、この夕焼けの町で一人暮らしていくには、困ることはないんだ。ずっと夕焼けだけどね。


「人らしきもの」がそう言って、あたりを見回すために体を動かすと、顔の面積がぐっと細長く伸びて、一度膝くらいまで下がってまた戻った。しかし、説明はしてくれたが、ここで何が起きたのかは分からないようだった。どこへ行くのと聞かれ、ネズミとアンドロイドは顔を見合わせ、目的地は特にないと言った。


––何が起こったのか、分かったらなと思って。外に出て、歩いてみようと思ったんだ。


ネズミが答えた。


––旅さ。短いか、長いかも分からない。


少し得意そうに。


––そりゃあ、いいね。


人らしきものが言った。


––何か分かって、またここを通ることがあったら、僕にも話をしてくれよ。僕は受け入れるだけだけど。夕焼けだけの街だけど、時間が流れるのかどうかさえ、僕には分からないから。君たちが再びここに来ても、僕は「やあ、さっきはどうも」って言うかもしれない。時間が経ったのはわからないかもしれないけど、君たちのことはちゃんと覚えているよ。話しかけてくれたのが嬉しかったから。今は植物以外に、誰とも話すことがないからね。こんなに不思議な世界にいることも。


ネズミとアンドロイドはうなづいた。


––あのう、君は、姿が不思議なように見えるんだけど、なんで。


アンドロイドが遠慮して聞かなかったことを、ネズミは聞いた。


––何か違うかな。君たちと。全く同じではないだろうけど。


人らしきものは、のんびりと聞き返した。


——歪んだ鏡に映ったみたいに、身動きするたびに、君の姿が大きく違って見えるんだ。


ネズミがそういうと人らしきものは、自分の腕や足、首を動かして、自分で自分の体を見た。


——そうなのか。ここにはもう僕しかいないから、鏡も持っていないから、そんなことに何も気がつかなった。僕は歪んでいるのかな。別に不自由な感じはしないよ。歩くのにも、農作業をするのにも。一応時計はあるから、見ながら生活はしているんだ。カレンダーはなくなってしまった。季節がなくて夕焼けしかないからね。カレンダーがあっても仕方ないでしょう。僕が歪んで見えるのは、この夕焼けと何か関係があるのかな。赤い粒子が空気中にあって、光は進む速度が違って、昼間の明るさの中とは、違う見え方がするのかもしれないよ。でも僕には、君たちが普通と違って見えるとは思わないよ。なんでだろう。普通というものを忘れてしまったのかな。ブドウや麦や、リンゴやひまわりの形は、覚えているんだけど。多分、僕が覚えているもので正しいと思う。


人らしきものは考えながら首を傾げて、今度は耳のあたりが膝あたりまで下にぐっと伸びた。ネズミとアンドロイドはお互いを見て、お互いの姿が歪んでいないことを確認して、もう一度人らしきものを見た。


——うん、ここにいるとそうなるのかもしれない。でも、特になんでもないことなんだろうね。君はここにいて、赤い光の中で植物と生きている。


ネズミは言った。


——そうだね。これからもそうだと思うよ。時間が止まったままのような気もするし、反対に、今までは明るい昼間で、いつもこれから夜になるような気持ちでいるから、前みたいに、夕方の疲れを思い出すような気持ちにもなることがあるよ。それでも、僕は多分ここでずっと、植物と生きるんだ。時間が経つかどうか分からないけど、死ぬまでね。


 時間が経たないと死ぬこともないのだろうか。死ぬことを忘れてしまうのだろうか。タネをまいて植物が芽を出し育つことは、時間を忘れたこの街の時計代わりなのかもしれない。この、人らしきものだけのための。

 ネズミとアンドロイドは先へ進むことにした。じゃあね、と言って、その街を去ろうとすると、人らしきものは「待って」と呼び止め、水と食べ物をくれた。服のあちこちにあるポケットを探るたびに、腕が途方もなく横に伸びたり、胴がちぎれそうに細くなったりした。人らしきものがくれたのは、十粒ほどのぶどうと、クラッカーだった。


––少しだけど、とっておいたんだ。ここの水はきれいだから、おいしいよ。持って行ったらいいよ。


––これはさ、育ったんだ。酸っぱいかもしれないけど。ぶどうに見えるだろ?


二人はうなづいた。


––前の世界が懐かしいわけじゃないけどさ。こうなってしまったのは、多分どうしようもないことだったから。でも、僕はここで、死ぬまで今まで通り暮らしていきたいよ。この世界に死が残っているのかどうか、分からないけど。


と言った。帰ってきたら寄ってね、と言って、人らしきものはネズミとアンドロイドが見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。ネズミとアンドロイドは、その街にずっとずっといたような気がした。街を出ると夜になって、物陰で眠ると、朝が来た。

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ネズミとアンドロイド @manolya

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