02「五年の積み重ね」

 手術中の赤いランプから視線をはずし、プラスチックでできた水色の長椅子に座る。どかりと後ろに体重をかけていると、頭が勝手に右へとうなだれた。色んなところに力が入りすぎていたらしく、それが一気に抜けた。


 ここ海老名第三病院は南区にある巨大な総合病院だ。この辺の病院の中で救命救急もしている数少ない病院である。大抵の救急患者はここに集められるのだ。


 それにこの病院は霧丘家当主に掛け合って名医を集めてもらっている。


「ふぅ……」


 ひとまずは安心だと安堵のため息が出た。


 彼女が手術室に入って何分経っただろう。到着した時間を覚えていないのであまり正確ではないが、たぶん一時間は経っている。あとどれだけ時間がかかるのだろうか。穂乃華は助かるのだろうか。いや、きっと助かる。俺がそれを信じなくてどうするんだ。


 パンパンと自分の両頬を手で叩いた。


「よしっ! あ……」


 気合を入れなおして立ち上がった俺はあることに気づいた。そういえばみんなに見つかったとか連絡を一切いれていない。もしかしたらまだ島を探し回っているかもしれない。


 まずいな。先輩とかには陰湿な悪戯とかされそうな気がする。その陰湿さときたらハンパのないこと。やべぇな、連絡しておこう。


 病院内で携帯は使えないので正面玄関に出てから美夏に電話をかける。一番安全な奴からかけておこうという思いから来ているのは言うまでもない。


「あ、恭二先輩!」


「すまん。連絡が遅れた。あのな、穂乃華をもう見つけて……」


「知ってます。みんなでそっちに向かっているんで。もう少しでつくと思いますけど」


 え、知っているとはどういうことだろうか。今の俺からと、病院側からいったであろう親父への連絡以外は彼女が病院に運ばれたなんて情報は出てないはず。


「海老名第三病院ですよね? あと五分くらいで行きますから!」


 ブツっと一方的に電話を切られる。美夏は的確に病院まで当てていた。狂言というわけではなさそうだ。ならどうしてだろうか。


 考えれば考えるほどわからず、五分の時間はすぐに過ぎてしまう。


「恭二先輩! 良かった、合ってた!」


 走ってくるのは美夏だけじゃなく、真冬を含めた海水浴に行ったメンバー全員。バス停から走ってきたのか、個人差はあるがみんな息を切らせていた。


 少し呼吸が落ち着くのを見計らって質問する。


「なんでここに運ばれてるってわかったんだ?」


 美夏に投げかけたこの質問は先輩が代わりに答えた。


「霧丘家も関わっているのよ、当然でしょう。それに冬になったというのは時間が動き出した証拠。恭二くんが打つ手は必然的に救急車を呼ぶことになる。お父様と蜜に連絡を取って贔屓にしていた病院はここしかないもの」


 そのあと先輩が他のみんなを集め、病院へとすぐに向かったらしい。


「霧丘家は本当に怖いわね」


 視線を下に向け、ぼそりと真冬が言う。


「それよりも穂乃は!」


「まだ手術中だ」


 美夏が飛びつきながら聞いてくるのに少し驚く。向けた視線の先には院内へ入っていく悠里がいた。


「あ、ボクも!」


 悠里に続くように美夏、真冬と入っていく。それを見届けてから先輩と司が俺に話しかけてきた。


「恭二くんが連絡をしなかったことは責めないわ。必死だったんだから気が回らなくなることだってあるもの。気にしなくていい」


 この言葉が謝ろうと思っていた俺の出鼻をくじいた。こう言われてしまっては何もいえない。


「そうだぜ、恭二。姉貴だって鬼じゃねぇんだ」


 ボカっと殴られる司。余計な一言が多いのがこいつの悪いところである。


「それよりも私達も行きましょ」


 俺たち三人も病院へと入り、ランプがまだついたままの手術室へと駆けつける。先に来ていた三人はそわそわした様子で立ったり、座ったりを繰り返していた。


 合流した俺たちだったが会話が続かない。沈黙が多くなってしまい、美夏が盛り上げようとするのだが、うるさくなりすぎて真冬に止められる。


 その繰り返しが終わるときがやってきた。


 赤いランプが消えたのだ。


「終わった!」


 手術室から最初に出てきたのは執刀医と思われる老人の先生だった。白い髭が特徴的であることから自分の中で勝手に白髭先生と名づけた。というか前からそう呼んでいる。


 この人は名医と呼ばれるうちの一人で、外科手術において、老いてもなお実力の衰えない化け物クラスの腕を持つ。


「穂乃華は……」


 キリっとした緊張感のある目が一気に緩み、白髭先生は笑顔で親指をぐっと差し出す。


「大丈夫。あの娘はちゃんと助けたぞい」


 先生の後ろからストレッチャーに乗せられた穂乃華が出てくる。酸素マスクをしており、これから集中治療室に運ばれていく予定らしい。


 全身麻酔で眠る彼女の元に美夏たちが集まり、口々に安堵の言葉をもらした。


「白髭先生、どうなんですか」


「さっきも言うたじゃろ。穂乃華は大丈夫じゃ。比較的に処置が早かったからの。それに状態だけはお前さんから聞いとったし。ま、ワシが生きとる間にできて良かったわい」


 俺たち上根と深い係わり合いのある先生。白髭先生こと下柳慶次郎は俺の母さんの病気の時にお世話になった人だ。俺の祖父である上根龍之介の親友でもある。


 五年前は海老名市にもおらず、他の県で働いていた。霧丘家の力で最初に呼んでもらったのがこの人だった。


「非現実的な話を信じてくれてありがとうございました」


 俺は先生に向かって頭を下げた。こうなった場合を想定し、四年前に他県の病院へ行き、先生の所に頼みに行ったのだ。笑うかと思ったが、真剣に聞いてくれたので意外だったのを記憶している。


「龍之介との付き合いがあったにせよ、なかったにせよワシら医者はいかなる場合にも対処せねばならん。目の前にある命を全力で救うだけじゃ。そこにあらかじめ的確な情報があった。そういう感覚じゃよ」


 救命救急の申し子といわれ続けて五十年。医者に尊敬される医者と言われる白髭先生の言葉。救急車で出会った救急隊員は先生の教えを受けた人なのだろうなと思う。


「さて、ワシはもういくぞい。恭二、あとで必ずたずねて来い。今後の話も少しせねばならんからの。あとその頬の傷もいい加減治療せんとな」


 去っていく白髭先生にもう一度頭を下げた。


「あ、恭二先輩、大丈夫ですか? ボクも今気づきました」


「痛いけど、まぁ、そこまでは。なんか頬を叩いたときに痛いなと思ったんだよな」


 上根家を出る時は意識してたのに病院についたときには忘れていた。穂乃華のことしか考えてなかったからだ。


「先に恭二くんの治療ね」


「いえ、血は止まっているので、穂乃華に付き添いたい」


 とにかく今はみんなと穂乃華の無事を喜びたかった。それからあとのことは考える。ストレッチャーで運ばれていく穂乃華に追いつき、みんなは恭二のその惚れっぷりに微笑むのだった。






 手術からまる一日後に目を覚ました穂乃華は一週間で一般病棟に移ることになった。傷の回復速度が早いということで驚かれていたが、止音が何かしたのだろう。


 おそらくは止まっていた穂乃華の体を人より早く動かし、治すスピードを速めているとかそんなところだろう。ある程度で止めないと老化も早くなってしまうかもしれない。

 あとで確かめて言っておこう。





「恭ちゃんとやっとまともに話ができるよ」


 ベッドの上で上半身を起こしている穂乃華は笑みを浮かべていた。お見舞い客もおらず、彼と彼女だけ。落ち着いて話せるのは五年ぶりだ。


「確かにごたごたしてたしな」


「ありがとう」


「どうしいたしまして」


 色々と話したいことはあるのにうまく出てこない。どちらともうまく言葉が続かず、口を開こうとして同じタイミングでしゃべってしまう。


「あ、そういえば止音が昨日の夜に来たんだけどね」


 穂乃華が一般病棟に移ったその真夜中に尋ねてきたらしい。傷の治りが早いのは体の時間を早めているからと教えてくれたとのこと。治ったら元に戻すけど、その間は急速に成長するけど、そこは我慢してくれと言われたと語ってくれた。


 俺の予想はぴったりだったようだ。さすが時間の神。


「それにしてもなんでわたしにも見えてるんだろう。神音の血なんて一切ないのに」


「今の止音は誰にでも見えるぞ」


 数日前に確かめたのだ。島の時間が動いた時、なぜ穂乃華に姿が見えたのか。思い当たる節のある俺は本人に聞いたのだ。


「えっ?」


「今のあいつは上根紫苑だ。うちの家が住民票とか用意して、親父の養子にしといた」


「はいっ?」


 まったく意味がわかりませんと混乱気味の彼女は眉をひそめたり、額に手を当てたりとせわしなく表情を変えていた。


「神は人に姿を見せるとそのまんまなんだよ。人に姿を見せると、通常は無限である神としての力は有限になってしまい、使うたびになくなっていく。それをすべて使い切った時は普通の人間になってしまうんだ。今のあいつは神の力を保有している人間なんだよ」


 所謂、現界というやつだ。俺は紫苑自身から聞いていたから驚きはない。ちなみに止音ではなく、紫苑なのは本人の希望である。これからはいち人間として生きていくとのこと。


 話し終えると沈んだ表情になった穂乃華。


「わたしの、せい……だよね」


「本人の前でそんなこと言ってみろ、殴られるぞ。これは自分の好きでしたことだって言ってな。紫苑なら人間になってもそれなりに楽しむだろ。いや、神でいた時以上に楽しむな。うん、絶対」


 まだ落ち込んでいる彼女を抱きしめた。


「だからお前も生きていることを喜べ、楽しめ。俺はここから嬉しいぞ」


体を離すとゆっくりと作りきれていない笑顔の穂乃華がいた。


「恭ちゃん……」


 泣きそうにも見える笑顔。そういえば彼女に言おうと決めていたことがあった。


「おっと言い忘れていた。……おかえり、穂乃華」


「うん。ただいま、恭ちゃん」


 どちらからでもなく互いに近づき、唇を重ねた。

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