04「危険な海水浴」

「えーというわけで祝日なのにやることもない暇な奴らはこいつらだ!」


 トランクス型のハイビスカスの描かれた黒い海パンを穿く俺はパチパチと叩きながら後ろにフェードアウトしていく。


 ノリノリの奴もいれば、マイペースな少女も、苦笑いを浮かべる少女すらいる。


「ごめんね。強引なお兄ちゃんで」


 苦笑いを浮かべる妹はかつて穂乃華が着ていた赤い水着を身につけていた。藤崎家にあったものを勝手に拝借し、妹のものであると突きつけたのは昨日のことである。俺から水着をプレゼントされると思わなかった彼女は少し顔が引きつっていた。


 急に決まった海水浴に妹が可愛いのがないと騒いだために俺が手を差し伸べた。だから嫌味も言えないし、可愛いので文句は言われなかった。


「私はそう思わないけど?」


 続いて現れたのは先輩だった。妹と同じビキニであるが、腰にパレオを巻いている。ブルーを基調とした南国風景のかかれた水着。決定的に妹と違う見事な胸に生唾を飲み込んでしまう。そこが魅力を分けているのだと実感せざるを得ない。


「同じく」


 マイペースな悠里はワンピース型の水着を着ていた。イエローを基調としたハイビスカスが描かれている。大きな露出はないが、彼女らしいと思う。特に格好に気を遣わない少女なので誘った際に「スクール水着だけはやめとけ」と忠告すると不満そうな返事をした。おそらく言わなかったらそれだったに違いない。


「あはは、楽しいですよ!」


「な、なんでわたしまで……」


 夏と冬のコンビ。ノリノリで終止笑ってばかりの美夏とオロオロと戸惑う近江真冬。昨日のあの現場に居合わせたという不運のおかげで美夏が強引に誘ったらしい。


 美夏はホットパンツスタイルのビキニというカジュアルな格好。オレンジ色なのが俺から見たイメージカラーにぴったりで合っていると思った。


 真冬のほうは黒の競泳水着。タンクトップとスパッツを融合したスタイルである。前にチャックがあるのは驚いた。なにせ初めて競泳水着を見たからだ。それでも先輩に負けないほどの胸があり、これはこれでエロい。聞くところによると水泳部らしい。


「おおう、よりどりみどり……!」


 感動のあまり海に向かってひざまずき、胸で十字を切ってから両手を合わせて祈る。神よ、感謝いたします。


「お兄ちゃん、そんなことするくらいなら準備運動でもしようよ」


 真面目な妹はすでに柔軟体操をしていた。


「泳ぐ気満々だね、穂乃! よーっし、ボクも泳ぐぞぉ~」


 やけにテンションの高い美夏は屈伸を始める。


「疲れるからパラソルで休んでるわ」


「ゆうりは本でも読んでる」


 早くも泳ぐ組とパラソル避難組ができていた。


「真冬はどうするんだ?」


「いきなり呼び捨て! あんたいい根性してるわね」


 はぁっと深いため息をつく。怒るよりあきらめが専攻しているのが表情でわかる。


 そんな彼女の顔立ちは可愛く、本当に美少女である。スタイルもいいし、運動もできそうだ。性格が特別悪いということはない。


「だったらどう呼べばいい? ふゆっちか、まーたんか、どっちがいいよ」


「苗字で呼ぶっていう選択肢は! あ~なんか疲れる」


 がっくりとうなだれる真冬。そんな彼女に近づいたのは悠里だった。


「ふゆ、あきらめる。きょうはそういう人間」


「いやあなたもいきなりアダ名ですけどね」


 ナイスなツッコミである。近江真冬はボケばかりの中で生粋のツッコミ体質だ。なんとも貴重な存在である。


「近江さんだっけ。自己紹介してほしいのだけど、いいかな?」


 先輩の申し出にハッと気づいたような表情に変わり、ポンっと手をあわせた。

「そういえばわたし、自己紹介してませんでした」


 苦笑いを浮かべつつ、ぺロっと舌を出す。なるほど初めは固い印象を受けたが、こういう茶目っ気もあるようだ。こいつとは仲良くなれそうである。


 大きな声で「すいませーん」と言った彼女にみんなが注目する。


「わたし、美夏の友達で近江真冬って言います。よろしくお願いします」


 頭を下げた彼女に俺たちから拍手が起こる。礼儀正しいし、面白い。いじめっ娘であったことなど嘘のようだ。とはいえ彼女自身も美夏をいじめるのは苦しかったはずだ。


 こいつはマジでいい子だと勘で思う。あの事件の時は一ミリも思わなかったが。


「ほのは上根穂乃華です。よろしくです、近江さん」


「霧丘香苗よ。ま、困ったことがあったら何でも言って」


「ふゆ、ゆうりは矢部悠里って言うの」


 それぞれが自己紹介をする。彼女は先輩が霧丘の人間であることに驚いていた。こんなところでそんな強力なコネクションがあるとは思わなかっただろう。


「今日は楽しくなりそう!」


 美夏は太陽のような笑顔で笑う。親友と仲直りした友達に囲まれて彼女は本当に嬉しいのだろう。今日出会った時から、いや昨日の真冬を誘った時からこんな感じだった。


「ねぇ美夏。一つ疑問なんだけど」


「ん、なにかな。真冬」


「あれ、なに?」


 真冬が指差した先には砂浜に尻を突き出したまま顔が埋まっている人物がいた。あれはさすがに死んでいるんじゃないだろうか。


「私達の着替えを覗こうとしたから制裁を加えただけ。いい恥さらしよ、愚弟」


 あそこに埋まっているやしの木の海パン死体は霧丘司らしい。クリスマスパーティーの時もそうだが学習能力のない奴である。


 あまり怒りの感情を前に出さない先輩が血管を浮かせて声が押し震えていた。ここまで怒らせるとは司は何度目なんだろうか。


「あんなものは気にせず泳いで。あの程度でくたばるなら所詮そこまでの奴だったのよ」


 厳しい意見である。身内だからあえて愛の鞭を打っている。そう思っておこう。純粋にムカつくからやっている可能性は大いにあるけど。


「じゃレッツゴー!」


 美夏は左手に妹を、右手に真冬を掴んで海へと走り出した。


「あ、まだ準備運動終えてないよ~」


 そんな妹の訴えも認められず、三人は海へとダイブしていった。本当に元気な奴である。さて、と俺もいつでも動けるように準備運動をしておこう。


 いろんなところの筋肉をのばしたあと、埋まっている司を掘り出してやる。


「俺って慈悲深くね?」


「もっと早めに頼むぜ、相棒」


 生きていた司は大きく深呼吸したあとでニンマリと笑いながら告げる。俺はこいつの相棒になった記憶などないので聞かなかったことにしよう。


「つーか、俺らも泳ぐか」


「僕は構わないけどさ。あそこにいるのってうちらの女性陣?」


 指差したほうを見ると泳ぎにいった三人がいた。


「ああ、そうだ」


「なんか様子がおかしくないか?」


「えっ……」


 指摘されて目を細めて三人を凝視する。いや、二人しかいない。美夏と真冬だけ。妹はどこにいる。それよりもなんで二人は慌てているんだ。まるで……


「――っ、穂乃華!」


 気づいた時には走っていた。海に飛び込んだ俺は急いで二人の元に泳ぎ着く。


「あいつはどこだ!」


「それが、足がつったってそのまま沈んじゃって……」


 動揺している美夏の説明を聞き、真冬に彼女をなだめるように頼んだ。俺はその場で下へと潜り、目を見開いて凝視する。


 透き通るほどきれいな海が幸いし、すぐに沈んでいく穂乃華を見つける。必死に彼女の手を掴もうと自分の手を伸ばす。でも届かない。もう少しなのに、あとちょっとなのに。


 届け、この手が彼女にまで届け。願いながら懸命に伸ばした手は穂乃華の腕を掴み、一気に抱き寄せた。意識のない彼女を抱えたまま、海面へと浮上する。


「ぷはっ!」


 片手で泳ぎながら陸を目指し、足のつくところに来たら走って浜辺まで行き、彼女を寝かせた。


「穂乃華! 穂乃華!」


 ペチペチと頬を叩くが反応はない。顔は真っ青だ。まさかと思い、口元に耳を近づける。


 呼吸をしていない。


 心臓のあると思われる胸に手を当てる。


 あるはずの鼓動はない。


「くそっ! 目を覚ませ、穂乃華!」


 彼女に馬乗りになって気道を確保し、心臓マッサージを開始する。十回やったあと、鼻をつまみ、唇を重ねて息を吹き入れる。マウストゥマウスと心臓マッサージを繰り返していく。何度も何度も、彼女の小さな体が息を吹き返すようにと願いながら。


 長い時間だった。本当は一分にも満たない時間だったというのに。気が遠くなる、そんな感覚に襲われかけた時、穂乃華に変化が起きた。


「っは! ごほっ、ごほ、はっ……は、はぁ……」


 息を吹き返した彼女は俺をじっと見つめて荒い呼吸を繰り返す。


「良かった……本当に良かった」


 彼女から降りて砂浜にペタンと座り込む。安心から力が抜けていく。


「恭二先輩! 穂乃!」


 美夏が駆け寄ってくる。その隣には真冬が、後ろからは先輩と悠里が走ってきていた。


「ごめん、ごめんなさい! ボクがちゃんと準備運動をさせずに急かしたから……」


 涙を浮かべながら穂乃華に抱きついた美夏。責任を感じているのと安心したのと真逆の気持ちが彼女の中でせめぎあっている。けど、今は無事なことに喜ぼう。


「……美夏、自分を責めないで。わたしの注意不足だから」


 その声に息を止めてしまう。なんだ、その藤崎穂乃華のようなしゃべり方は。今のお前は上根穂乃華であるはずなのに。


「ね、泣かないで」


 ぐっと美夏を自分から引き離した穂乃華は彼女に笑顔を見せた。


「ほ、穂乃?」


「ちょっと救護室に行ってくるね」


 一人で歩き出した穂乃華に美夏は付き添うことを申し出るがそれを断る。一人でいけると頑なな少女に最後は美夏が折れてしまう。


 救護室に向かう彼女は俺とすれ違う。その刹那、


「ごめんね、恭ちゃん」


 と一言を耳元で囁かれた。立ち上がろうとした俺だったが、安心で腰が抜けたせいでうまく立てない。


「恭二くん、ほのちゃんは……」


 駆けつけた先輩や悠里たちは俺に訊ねてくる。


「先輩、俺を起こしてください。いえ、あいつを、穂乃華を今すぐに追いかけてください!」


「いったいどうしたの?」


 状況の読めない真冬はただ戸惑うばかり、悠里はすでに走り出していた。


「記憶が、穂乃華の記憶が戻ったんだ! 今のあいつは藤崎穂乃華そのものだ!」






 俺たちは島中を捜索することにする。着替えている余裕がないことをわかっている俺を含めた真相を知る少女たちは水着のままで探すことに。


 時間はない。あの「ごめん」という言葉は俺に対してであり、それはあの時のことを思い出しているという事実でもあった。


「穂乃華。どこにいるんだ……」


 焦る気持ちと積もっていく不安。冷静に考えようとしているのに、うまくまとまらない。混乱する頭を落ち着かせようと腿をドンドンと叩く。


「って、さむ!」


 急激な温度の変化に身を縮めるように震える。肌を手でさすりながら体を温める。徐々に考えがまとまりかけたとき、


「なぁ……!」


 雪が降りだした。夏峰島が冬になっていた。それは止まっていた時間が動き出したという証拠。それは穂乃華の時間が動き出したという意味。


「穂乃華!」


 俺は目指した。彼女と止音がいるであろう、神音の森に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る