03「美夏と真冬」

 午前中に先輩との話を終え、俺は昼食を家で食べると妹と約束していたので、こうして帰ってきたのだ。俺の中で妹と一緒にいることは最優先事項である。


 妹であるとはいえ、外見は藤崎穂乃華。想いあっていた恋人同士だったのに今のままではそういうことはできない。かと言って記憶が戻ってしまえば、望まない結果となる。


 彼女達に真実を打ち明けているとはいえ、問題は解決したわけじゃない。

むしろずっと平行線のままだ。違うのはその平行線の線を強くすることができたこと。すべてを知って、俺のわがままに付き合ってくれるらしい。美夏はどうなのかわからない。悠里はそう宣言した。先輩もあのあと卒業までなら、といってくれた。


 あとは俺が守り続けられるかどうかだ。


「はい、できたよ」


 妹が作った昼食を二人で食べる。何がどうであれ、やることは変わらない。俺はあいつを守ると約束した。覚えてなくても俺は守り続ける。


「あのね、お兄ちゃん」


 俺が食べ終わるのを見計らって声をかけてきた。声や表情は笑っているのにどこか真剣な話をするみたいで思わず姿勢を正してしまう。


「ほのは前から思ってたんだけどね。お兄ちゃんがお兄ちゃんで良かった。記憶が五年より前がないでしょ? お兄ちゃんがそばでほのを大丈夫だって言ってくれたからやってこれたの。もちろん言葉で直接言われたことなんてないよ。でもわかるの。安心して生活できたのも、お兄ちゃんのおかげだよ」


 言葉がうまくでなかった。こういうとき、どう言えばいいのだろう。


 この少女は藤崎穂乃華ではない。上根穂乃華という一つの人格を形成した少女なのだ。そうしたのも俺だし、俺がそうなって欲しいと思っていた。でも、何かが違う。これでいいのかという想いが胸をよぎるのだ。


「そう言われてもなぁ、俺は何もできないからな。そばで見守ってやることしかできなかったぞ」


「ううん、そんなことない。お兄ちゃんは優しい」


 そう言ってくれるが、俺は優しいのだろうか。自分ではそう思えない。この五年は特に必死にただがむしゃらに生きてきた。それだけのこと、のはずだ。


「ま、妹のお前がそう言ってくれるならそうなんだろうよ」


「……あ」


「どうした?」


 何かに気づいたように驚いたあと視線を俺からそらす。その顔は悲しそうだ。


「お兄ちゃんはずっとほのを名前で呼んでくれないよね」


「――――っ!」


 しまった、と思った。先輩に気づかれた所で気づくべきだったのだ。妹もそう思う可能性があるということに。誰かが気づくより、一緒にいる彼女が疑問に思う確率のほうが高い。そのことになぜ気づかなかった。


「そんなことねぇよ。それに名前で呼ぶ呼ばないだったら、お前だってそうじゃないか」


「あ、うん……それはそうなんだけど。そういうことじゃないの」


 わかっている。妹の言いたいことは痛いほどわかる。真実を言えないためにごまかすしかない。苦しい言い訳なのはわかっている。でも、どうしろというのだ。


「呼んで欲しいならそりゃ呼ぶけど、お年頃だろ? こんなダメ兄貴なんかに呼ばれるのなんて嫌じゃないのか」


「むしろ呼んで欲しいよ。ほののたった一人のお兄ちゃんだもん」


悲しみを笑顔で必死にごまかす妹。思い切って踏み込めば断るかもしれないと思った俺の思惑がはずれる。


「じゃあ……わかった。そうするよ、穂乃華」


 微笑む。ちゃんと笑っているのだろうか。胸が締め付けられて苦しい。息をするのも苦しい。大きく吸い込めば咳き込んでしまうだろう。


 食べ終えていた俺は「ごちそうさま」と逃げるように自分の部屋に戻った。






 ベッドの上でぼーっと考えていると携帯の着メロが鳴っていることに気づく。慌てて手にとって電話に出る。相手が誰かも確認しないままに。


「あ、恭二先輩。出るの、早いですね」


 美夏だった。電話に出るのはいつから鳴ったかわからずに急いで取ったのだが、まさかコールが数回のうちだったとは思わなかった。


「まぁな。それで何のようだよ」


 こうして彼女から電話をもらうのは実にひさしぶりだ。妹のことで言い合う前から連絡を取っていない。ほぼ毎日登校中に出会うのでいちいち電話で話すことなんてなかった。


「あ、いやほら……えーっとですね。昨日の話のことと関係あるような、ないようなことなんですけどね」


「おい、はっきりしろよ」


 彼女にしてはらしくない言葉である。ビシィっと意見を叩きつけるのに、それがない。そういえば俺と妹のことで言い合ったとき、一度だけ弱い部分を見せた。


 そこまでとはいわないが、それに近い状態であることは確かだ。


「あのですね。お話がしたいのですよ」


「いや今話しているだろ」


「そういうことじゃなくて直接話したいんです。だから来てくれませんか」


 まさかとは思ったが海老名市に来いということなのか。その思いは当たりらしく、また橋を渡らなければならない。一日に二度渡るのは人生で初めてかもしれない。


「わかった。今から行くよ」


 トーンの低い声で「ありがとうございます」と言って切った美夏との電話。

 待たせるわけもいかないので準備をして部屋を出る。


「お兄ちゃん、またどこかに行くの?」


 玄関で靴を履いていると居間にいたであろう妹に声をかけられる。後ろを向けば彼女の姿を見ることができるが、あのあとなので振り向いて会話する元気はなかった。


「ああ、ちょっと美夏に呼ばれてな」


「良かった。仲直りしたんだ」


 嬉しそうな声が聞こえる。きっと表情も笑顔だろう。


「ケンカしてねぇよ。付き合ってもないし、ただ言い争っただけだ」


「えっ、付き合ってなかったの?」


 そういえばこの誤解を解いてなかった。すっかり忘れていた。


「ないよ。俺はずっと付き合っている奴がいるんだ。浮気なんかできるか」


「知らなかった」


 それはお前だけどな、とはさすがに言えずに玄関を出た。追求される前に逃げたいと言ったことだが、帰ってから聞かれることを考えてなかった。


 どうにかしてごまかそうと思いながらバスへと乗り込んだ。






 待ち合わせ場所に指定されたのは海老名南商店街の児童公園、噴水前。海老名市は島に一番近い南区、霧丘家があり一番栄えている西区、大学のある中区、企業が多く集まっている東区から構成されている。


 伊坂邸は南区にあるが、あの一件以来あまり行っていない。妹は何度か行ってるらしいが、神の力は島の外にでも及ぶみたいだ。島から出ても時間は止まったまま。島も妹の時間のどちらもだ。止音が誰かの願いによって解呪しないと効果は永続的だと知ったときでもある。


「すいません! お待たせしちゃいましたか?」


 商店街の東側から走ってきた美夏は息を切らしながら俺に訊ねる。


「いや、そんなに待ってねぇけど。で、話してなんだよ」


「本題重視なのはわかりますけど歩きながらでいいですか」


 断る理由もないので商店街へと戻る。活気に溢れている西商店街と違い、どこか寂れているように見える。人が少ないこともそうだが、シャッターの下りている店が多い。


「話というのは穂乃のことなんです」


 すぐにその話題を切り出した彼女を見て納得する。沈んでいながら決意ある表情からもわかるがきっちりしないと気がすまないみたいだ。


「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、恭二先輩を勘違いしていました」


 立ち止まって頭を下げる彼女の頭をポンポンと軽く叩く。


「謝るな。知らなかったのは当たり前。美夏は何も悪いことはしてないじゃないか。純粋に友達の幸せを思ってくれただけのことだ」


「恭二先輩……」


 ゆっくりと顔をあげた少女は解放されたようなすっきりした表情をしていた。


「だからこの話はおしまいだ。これからも仲良く行こうじゃないか」


「……あのですね、明日も祝日で休みじゃないですか」


「えっ、そうだっけ?」


 携帯のカレンダーで確認すると明日の日付が赤くなってる。振替休日というやつだ。


「そうですよ。せっかくの休みですからみんなで泳ぎにいきませんか?」


 寒い海老名市にいるから想像して震えてしまう。島は夏なので一年中泳げるのをすぐに思い出すが、なかなかうまくいかないなと思う。


「いいんじゃないか。メンバーはこっちで誘っておく。時間も決まったらメールする」


「ありがとうございます。本来言い出したボクがやるべきことなんでしょうけど」


 申し訳なさそうに言う美夏だがある程度俺がそう言い出すと予想していたようだ。なにせ少し嬉しそうだったから。思ったとおりといった感じ。


「あ……っ!」


 しかしその表情が驚きに変わり、一気に暗いものになる。

 その視線の先にいたのは――


 一人の少女。歳は美夏と変わらないだろう。でもどこかで見たことある。どこだっけ、なんかものすごくオレンジ色が印象に残っている。


「あぁっ、美夏をいじめてた娘か」


 回想では語らなかったが結構可愛いのだ。だからこそ印象に残っていたのかもしれない。そんな娘がいじめなんかするんだって、ちとショックだったから。


 しかもお付きの少女達はいない。四六時中一緒じゃないのか、関係が変わったかは恭二ではわからなかった。


「あの子、近江真冬というちゃんとした名前があるんですけど」


 初耳である。美夏が暗いまま語るように、彼女もまたどこか気まずそうだった。あの時の強気な態度が微塵も感じられない。二人の仲はあれ以来修復されていないのだと悟る。


「そ、それじゃあ……」


「待って! 待ってよ、真冬」


 去ろうとした少女を必死に呼び止めた美夏。この二人には何か深いものがあるみたいだ。一部始終しか見ていない俺にはどこまでのものだったのかまでは考察できない。


「ボクたち、もう一度やり直せないかな。ずっと謝りたかったのに、言えなくて」


「謝るのはこっちよ、美夏。わたしは本当に子供だった。許してもらえるなんて思ってないし、恨まれているんだろうなって思ってたから」


「そんなことない! 真冬を恨むなんてできないよ!」


 涙目で必死に本音をぶつけあう少女達。あのさ、まったく話が見えないんですけど。俺がここにいる意味すらわかりません。


 この二人は元々友達だったのか。何らかの理由で決裂、いじめに変わっていったということなのだろう。


「ごめん、本当にごめんね……美夏」


 いつの間にやら抱き合ってますよ。美夏の視点から語ればものすごい出来事なんだろうが、いまいち俺では意味すらわからない。


 その真冬という少女と別れたあと涙をぬぐう美夏から話を聞いたが、とても長い話になるので回想するのはやめておこうと思う。


 それにしても美夏と真冬か。夏峰島とこの海老名市との構図を見ていたようだ。いずれ夏峰島も二人の友情のように溶け合い、普通に冬がやってくるのだろう。俺が死んだあとになるか、今すぐかはわからない。


 でも、そのときは当主権限を使って名前を昔の神音島に直そうかなと考えていた。

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