02「クロノスメーター」
土曜であった昨日は帰ってきた俺を心配する妹に説教された。本当に心配したと涙目で言われてしまうと素直に謝るしかない。やれやれ、本当は寝不足でしたと言うと説明しなきゃいけないこともでるから俺が困る。だからそうするしかなかった。
そんなわけで今日は日曜である。いつもなら妹がいる限り家にいるし、いないなら森にこもるというインドアだかアウトドアともつかない休日を送る。
そんな俺はバスに乗って夏峰橋を渡っていた。冬用の厚いコートを羽織ったのは橋を半分超えたからだ。バスの中は温度調節がきっちりしており、二十度を保つように設定されている。だから今着ているのは外に出たときのためだ。
今日は島を出て、海老名市に向かっている。こうしてあの街に行くのは今年になって初めてだ。特にいく用事もなかったし、遊びに誘ってくれるような友達もいない。
だけど俺は行かなくてはならない。海老名市、霧丘の家に。
霧丘家は海老名市を束ねる名家である。上根家のような島の独裁者ではなく、もっと強く影響する影の支配者のような家。
霧丘家の人間やその親戚は民生議員や市会議員、弁護士とあらゆる所にいる。その長が霧丘雄三。本家の当主であり、先輩と司の父親である。外見からして怖そうに見えるが、実はかなり笑顔が子供っぽい。世話焼きな人でいい人である。裏では非道にならざるを得ず、そこを割り切って決断できる精神力はぜひとも見習いたい。
なぜ知っているかというと上根の当主として何度も会っているからだ。娘が島を調べていることも知っており、力を貸してあげてほしいと言われたこともあった。
当主と会う理由は娘とは別のところにあるが、今日はその娘が目的だ。
海老名西のバス亭で降りた俺はまっすぐ霧丘邸を目指す。まぁ目指すも何も目の前に大きく建っているのだからわかりやすい。
実に神音の森ほどある広大な土地に巨大な屋敷と噴水、周りは鉄柵で覆われて木々が中を見えないようにしている。
ピンポンと巨大な門の端にあるインターホンを押す。
「すいませーん、上根恭二です」
ガガガっと門がスライドして開いていく。いわゆる顔パスである。
「意外と早いのね」
屋敷に入って出迎えたのは先輩だった。どこの城だよという造りの家。正面には二階へ続く広い階段。東館と西館、本館に分かれている構造。レベルが違いすぎる。
先輩は冬の装いで白いセーターに赤いマフラー、赤と黒のチェック柄の短いスカートに膝まであるハイソックス。これから外に出ようとしている服装だ。
「まぁこっちから行くって言ったわけですからね」
昨日の夜のうちに話があるので家に行きますと携帯で連絡を入れていたのだ。
「じゃ、街にでも行こうか」
「えっ? いや、別に家でもいいじゃないですか」
いちいち外に出る意味がわからない。
「家だと気分が乗らないの。付き合ってくれるわよね?」
悪魔的な笑顔を浮かべる先輩は言葉ではなく、雰囲気で脅迫してきた。これが父親譲りかと思えば、母親のほうである。前に会ったことがあったが、先輩と同じ雰囲気を持っており、雄三おじさんは完全に尻にしかれていた。
「行きますって、俺にはそれしか選択肢はないでしょうに」
「よくわかってるじゃない」
満足そうな表情をしてウィンクをする。ああ、これだけなら許されるのにどうして黒いのだろう。完璧である代わりに性格を悪くされたと言われると納得できてしまう。
そんな彼女と一緒に屋敷を出た俺は海老名市の商店街へとくり出した。
海老名西商店街はショッピングモールを中心に置いた長い商店街である。端から端まで約一キロという途方もない長さ。ここにくればなんでもそろうとされ、裏通りにはマニアックな店が並んでおり、マニア街とも呼ばれている。一部では海老名のヲタク街とも言われているのはほとんどの人が知っている。
商店街に到着した俺たちだが先輩の足は止まらず、仕方ないので後ろをついていく。
「そういえば恭二くんは私が部長を務めていた部のこと、知っているよね?」
「もちろんですよ。民俗風俗研究部の創設者ですから」
民俗風俗研究部は夏峰学園に二年前に新設されたクラブである。名前からあっちのほうを想像した人は俺と同類だ。仲良くしよう。ま、翻訳するなら民族の風習を研究するクラブだと言うことだ。
創設者も部長も霧丘香苗でもちろん目的は島を合法的に調べるためだ。
「部長の座は後輩にあげているけど、あの部に真実を置くつもりはないから。島の真実は私の胸の中にしまっておく」
「……ありがとうございます」
「それにしても卒業までにわかって良かった」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑っていた。悲願であったのは良く知っている。一度も見たことのなかった真実の霧丘香苗の笑顔に俺も頬が緩む。
自由登校となっている先輩は月末の試験と卒業式だけに学園に行けばいい。それでも島を調べるために毎日学園に行っていた。それが昨日報われたのだ。
「あ、ここだ」
彼女が連れてきたのはジャンク屋だった。裏通りの目立たない位置にある店は怪しいものばかりが並んでいる。パソコンのパーツや明らかに違法なツールを支援する部品、見ていて興味はつきないが、それと比例するように怖くなる。
「こんなところに来るんですね」
「うん、行き着けだからね」
目がランランと光らせながらせわしなく周囲を見る先輩。自転車以外にもパソコンとか詳しいんだなと初めて知った。
実に楽しそうな彼女に今日の目的である話をすることにした。
「先輩は自分で思ったことありませんか? 幸せな時間はとても早く感じるなとか、そういう感覚を持ったこと」
「ないわね。私はどんな時間も一定の速度で流れていると思っているから」
なるほど止音の言ったことは本当のようだ。
「それがどうしたの?」
どうしてそんなことを聞いたのか意図を読めないと不思議そうな顔をしている。先輩もそういうときがあるんだなと思いながら答える。
「先輩は時間が巻き戻ったことがどうしてわかったか、ということを疑問に思ったことはありますか?」
「ない……けど、それが?」
きょとんとした彼女は戸惑いながら話す。特異体質であることを本人は知らず、自分の感じたことは普通であると思っている。問題が問題だけに人に話すのも難しいのだけど。
「実はですね――」
時間が人間に与える影響とクロノスメーターという特異体質について話す。ここで説明しておかなければならないのが、クロノスとカイロスだろう。
クロノスはギリシャ神話に登場する神であり、のちに息子のゼウスに倒される。時間の概念としても扱われるクロノスは『外的な時間』のことをいう。人間が勝手に決めた時間という客観的な時間の流れ方だ。朝六時に起床して、七時に家を出て、八時に出社し、十七時に退社するなど一覧の客観的に判断できるのがクロノス的な考え。よく時間がない、時間がない、時間に追われていると人々が言うのはこのクロノスを意識しての事である。
逆にカイロスとは『内的な時間』、つまり主観的な時間。一番象徴的なのが一期一会的な体験。たった1度限りの体験なのにすごく濃密で長く感じられる。老人が過去を回帰して、人生一瞬じゃった、などというが、これはカイロス的な述懐。
クロノスメーターの人間はカイロス的な考えがあまり起きない。
「うーん、なるほどね。それだけ私は強い存在ってことなのか」
一言で言うとそういうことである。理解力のある人は余計な説明をしなくていいから本当に楽だ。これが司だともう一度頭から説明しないといけない。
「俺はあなたが怖かったですよ」
「何よ、いきなり」
呆れたように苦笑いをする先輩。
「島を調べるあなたが俺の守ってきたものを壊していきそうで怖かったんです」
「そんなの知ってたわよ。必死に虚勢を張って恐怖する心を隠しているのは見ててわかったもの。ああ、知っているなと思ったのも恭二くんが怖がったからよ」
なんだ、俺は初めのときに失敗していたのか。
「あなたと過ごした日々は本当に楽しかった。ありがとう、恭二くん」
お礼を言われるようなことはしていない。けど、感謝してくれる好意は受け取る。それに友達を傷つけてきた俺は嬉しかった。
ありがとうと何気ない言葉が何よりも輝いていた。
「お兄ちゃん、そこの塩取って」
「あいよ。ほら」
受け取った反対の手は食材を混ぜるための菜箸で埋まっている。こっちも見ない彼女の手にしっかりと渡したあと、邪魔にならないように台所を出る。
居間から妹の後ろ姿を見つつ、テレビをつけた。とはいえ、番組の内容なんて入ってこない。俺は彼女の背中を見ていた。
外見はあいつのまま、性格は同じだけど彼女は俺の妹であることを疑っていない。本人は記憶喪失であることを知ってはいる。けど、この家で暮らし始めた頃に「戻らないならそれでいい」と言ったのだ。
なぜ妹というポジションにしたのか。それは妹であることにしたほうが都合いいという俺の提案がそのまま通ったからだ。日常生活にあまり支障はでないとはいえ、友人や知り合いに関することは白紙に戻った状態。そんな時にそばにいやすいと主張した。
もっとも目的は別のところにあったけど、親父は俺の意見を尊重してくれた。
親父はすべてを知っている。神音として関わっている以上、知らないわけがない。俺が神の見える体質であることは母さん経由で知っていたし、当主を男が継いだ時点で隠しようもない。
なにより大人である親父の協力なしでは妹を支えきれない部分もあった。
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