第5話「たった一つの願い」
01「たった一つの願い」
「上根穂乃華なんて実在しない」
悠里がそう言い放つ。やはり前から知っていたんだな、と思いながら何も言わないでくれたことに感謝する。先輩だってここまでの事実は掴んでいたはず。
彼女達に言わなかったことに感謝できるほど俺の心境が変わっていた。
「先輩、教えてください! 穂乃のこと、一人で抱えないでください」
「……そう、だな。話すべきときが来たんだ」
静かに見つめる先輩を見た後、俺は空を見上げた。森の木の隙間から見える蒼はあの時と変わらない色だった。
「上根穂乃華はいない。俺が穂乃華と慕っていたのは藤崎穂乃華。俺の隣の家に住む活発で勉強もできて可愛い少女。俺の初恋の人で、恋人。だが、五年前にその少女はいなくなった」
視線を下ろし少女達を見る。それぞれ三者三様の面持ちで俺を見つめていた。美夏はぐっと胸の辺りで拳を握って耐えるように、先輩は相変わらず静かに大人しく、悠里ははずした眼鏡を手に持ち、俺を見ていた。力を使っているのだろうか。
「正しく言えばいなくなったわけじゃない。藤崎穂乃華は上根穂乃華になったということだ。五年前にそうなったと同時に俺は島の人間を避けてきた。かつての俺たちを知っているからだ。上根穂乃華に藤崎穂乃華を思い出させてはならない」
そのためにただそのためだけに島の人間との交友をなるべく断った。彼女一人で出歩いても、誰かに思い出話されても問題ない。俺と一緒にいるときに話をされるとまずかった。
「今のあいつは記憶喪失だからな」
「……記憶喪失」
美夏が眉をひそめてつぶやく。あとの二人はなんとなく予想がついていたのか驚きはなかった。
「五年前、夏峰橋で大きな玉突き事故があった。そのとき後頭部を強打し、エピソード記憶だけを失った。つまりは思い出だけな。料理はできるし、勉強もできる。だけど、そこで隣にいたのは誰だったかを覚えてない。事故で両親を失ったあいつを島の町長が養子として引き取り、上根家に預けた。俺は思い出さないようにあいつを妹として接し、そういう関係であることを貫き続けた」
そうすると当然の疑問が浮かんでくる。それを指摘したのは美夏だった。
「ちょっと待ってください。おかしいですよ。恋人だったのなら覚えていて欲しいですよね。思い出せようとせず、なんで思い出させないんですか」
言うとおりだ。俺は想いと真逆のことをしている。
「思い出せばきっとあいつは自らの死も顧みず、俺にすべてを返そうとするからだ」
「どういうことですか?」
まだ納得できない様子の美夏に向き直る。
「あいつは『死にかけている』んだ。五年前からずっとな」
静寂が支配したあと、乾いた笑いを浮かべる美夏。
「な、なんですか……それ」
「なるほどね。恭二くん、この島はそういうことだったのね」
頭の回転の速い先輩はそれとあの事実を結びつけたようだ。
「そうです。この島は穂乃華の体と共に時間が止まっているんです。五年前の八月二十一日午後四時二十八分のまま。だから、上根穂乃華は成長しない。ずっと止まったままだから。伸びるはずの身長も、大きくなるはずの胸も、死へと至る傷も」
「それなら傷が残っている。本人が気づかないはずがない」
悠里の指摘もあっていた。彼女の体には傷らしき傷はない。
「それは事故から十分だけ巻き戻っているからだ。事故の三十八分には穂乃華の体はボロボロだった。頭を強打し、内臓はかなりのダメージを受け、左のわき腹に深い傷を負って血を流していた。体だけの時間を巻き戻したけど、頭に受けた衝撃で失った記憶までにはその効果は及ばなかった」
「つまり島の時間が戻った時、十分後には同じ傷が再現される」
すでに眼によってこの未来を視ていた少女の言葉に頷く。
恭二に左頬の絆創膏の下に傷などない。しかし、十分後には切り傷が浮かんでくる。それはもう絆創膏じゃ治まりきらない傷。それでも貼っているのはジンクスのようなものだ。
これが目印の一つ。傷が完全に再現された時、穂乃華の傷も完全に再現される。そういう目印。
「で、でもそんなことありえないです! なんで時間が巻き戻って止まっているんですか。そんなこと誰ができるって言うんですか!」
非現実的なことを受け入れられない美夏は声を大きくして取り乱しそうな心を隠す。
「神、だね」
確信を持った先輩の声が空気やものに影響されることなく響く。
「そうです。神に願ったんです。俺が穂乃華を助けて欲しい、と」
「私の調べた中では男子で神が見えるなんて事実なかった。でも、恭二くんには見えているってことでいいんだよね?」
「ええ、俺は神の声を聞くことのできる一族。正真正銘の神の音の当主です。声を聞けるから姿も視ることができる。神音の女子には誰でも巫女としての力が備わります。男子はその力はない。しかし、何百年に一度いるんです。男子でも神の見える力を持ったものが」
それが俺、神音恭二である。八歳の時、母親が病気で死んで俺が継いだのだ。
「神が見えるからそんな歳でしかも男で当主の座につけたってわけね」
「えぇ、そうです」
親父よりも権力を持っている理由はそこだった。
シオンを含めた神が見える。神の音、つまり神の声を聞く一族。神音家。時代が移り、上根へと名前を変えても役目は変わらない。巫女でもある女性が当主を継いできたが、視えるのなら男性でも構わない。
神を視るものが一族の長。それが絶対的な掟だった。
「ちょ、ちょっと待ってください。神だったらそんな回りくどいことしなくても、傷を一発で治しちゃうとか事故をなかったことにするとかもっと良いやり方があるはずです」
美夏のその意見はもっともなものだろう。
「残念ながら神だって万能じゃない。起こる事象をなかったことにすることは神も許されない。許されるのは起きたあとに力をわずかに貸すのみ。そして、当時のこの神音にいた神は――」
「時間を操ることのできるクロノスの化身、『
故にこうするしかなかった。
「昔は神音島とされ、この神音の森には多くの神が住み、留まり、次なる地へと旅立っていく。そんな場所でした。人間は次第に神を必要としなくなり、その存在意義を失っていく。今ではもうシオンという神しか島にいません。彼女は物好きで、この島の人間に興味のある神だった。他の神は世界各地に必要としている人を求めて去っていったのに」
「しーちゃん……」
悠里の見つめた木の枝にシオンが座っていた。見えるのは俺と悠里だけ。
「恭二くん、それでもただで神は願いを叶えてはくれないはず」
「そうです。神に願いを叶えてもらうにはそれ相応の代償が必要だった」
後悔はしていない。代償として捧げたものなど、守れるものと比べるとまったく必要のないものだったから。
「だから、俺は神童と呼ばれていたものの才能のすべてを捧げました。『将来なれるであろうものへの可能性』を捧げ、『彼女の命を留める可能性』を手に入れたんです」
運動も勉強も、母の代わりとして親父の面倒を見るために身につけていた家事の才能も失った。そして、接客、ケンカ、筋トレなどの才能のないものが俺の才能となった
「藤崎穂乃華としての記憶が戻ってしまえば優しいあいつのことだ。俺に返そうとするだろう。将来を奪っているなんて優しいあいつには耐えられない。そんなことしたら自分が死ぬかもしれないのに」
「おかしい。先輩が願った時にはすでに記憶を失っていたでしょ? なら……」
「美夏。記憶喪失はすぐになるものだけじゃない。ストレスによる健忘症ならあるかもしてないが、事故などの衝撃では意識を失うまでは記憶する。しゃべれなかったが、願いが叶ったあとも記憶はあったんだ」
傷の治った穂乃華は「恭ちゃん、ごめんね」と泣きながら意識を失った。この島で、いや、この世界で俺をその名で呼ぶのは藤崎穂乃華だけだ。
そしてシオンという存在を恭二は穂乃華に語っている。そして、恭二のシオンへの願いを聞いている。だから何を捧げて自分を助けたかを知っている。
「失った記憶と巻き戻して止めた体のことはまったく別の問題なんだよ」
その説明を聞いて納得した美夏は「そうなんだ」と黙る。
「じゃあ、この夏峰島が夏のまま止まっているのはそのせい?」
「ええ、シオンは時間を操ることに関しては得意すぎて、穂乃華どころか島まで止めてしまいました。神である本人は『ごめ~ん。でも、夏のままって素敵でしょ』と必死にごまかそうとしてましたが」
枝の上にいるシオンは「仕方ないでしょ」と怒っている。
「でも先輩、今なら時間を動かして穂乃を救えるはずです。病院で時間停止を解除してもらうとか」
「それはできない」
「どうしてですか?」
「願った者は願いを取り下げることができない。だから俺以外の誰か俺の願いを取り消してほしいと願わない限り……穂乃華も島もこのままだ」
「そう、なんですか」
名案だと美夏は思ったのだろう。確かに名案ではあるが、それができるならとっくにやっているのだ。
「神への願いはそれだけの代償と制約、覚悟を求められるってことね」
「はい。すべてを捨ててでも俺はあいつを守りたかったんです」
その気持ちをシオンは叶えただけなのだ。
「五年間、恭二先輩はそのことで悩み続けて、必死に守ってきたんですね」
「そんな大層なものじゃないさ。俺のわがままだからな」
彼女からしてみれば迷惑だったかもしれない。
失いたくなかった、その想いだけで。
「ゆうりはあなたに協力する。きょうのたった一つの願いだもの」
この話を終えたと自己完結した悠里は歩き出す。彼女はシオンに目で挨拶したあと、森の奥へと消えていった。
「恭二先輩、ボクは……いえなんでもないです」
首をぶんぶんと振って美夏は走り去ってしまう。
「神音の森、か。時間が巻き戻ったという確証が得られた。やはり私の推測に間違いはなかった。有意義な時間だったわ、恭二くん。じゃあまた学園で」
森に神と残された俺はその神である止音を見上げる。意図を読み取ったのか、彼女は枝から飛び降りて、地面へと着地した。
俺と止音は向かいあった。そこに不穏な空気はなく、互いに微笑みあっていた。
「ついに他の奴に言ってしまったが、どうするよ。神さま」
「どうするも何もあたしは秘密にするつもりはなかったんだけど? キョウジがそうしてくれって言うから。ま、人に見えないから伝えようもなかったんだけど」
あはは、と笑いながら話す止音。彼女にとっては笑い飛ばすようなことかもしれないが、俺たち人間にとってはものすごく重要なことである。
「止音にとって五年間も俺が秘密にしてきたことなんてそんなもんだよな」
自分のわがままで作ってしまったこと。だから、それを知られたくなかったという気持ちもあった。だって神様の力を借りたとはいえ、俺が島の時間を止めたのだから。
「そんなもんだよ」
「あ、そうだ。一つ聞きたいことがあるんだ、止音」
さっきの会話の中で俺の中で解決していない問題が浮かび上がった。
「カナエのことね」
さすがは神である。思っていることなんて筒抜けらしい。
「あぁ、先輩は十分間巻き戻ったことを自覚していた。それで島を調べようと思ったらしい。でも、悠里は時間が巻き戻ったことは知らなかった」
彼女達の話を思い出して欲しい。先輩は明確に戻ったとわかっていた。それが彼女を調べる動機に駆り立て、真実に至るまでの確信する材料の一つとなった。
逆に悠里は気づいたら病院のベッドの上だったと話していた。ここで巻き戻ったという発想は浮かび上がっていない。
なぜなら十分後の記憶は残っていても、なぜか時間が巻き戻った思考には至らない。それは時間を巻き戻す際に『時間が人間に影響している』ためである。
つまり人間が時間を戻る際に、時間が人間に及ぼす影響。これは神である止音からの聞いた話である。世界がなんらかの理由で巻き戻った、もしくは進んだ場合、人間が混乱しないように記憶が自動修正される。未来にならそれまで歩んだ道を、過去になら戻ったことの自覚である。
過去へ戻ったら記憶は残るが、戻ったとは思わないようになっているのだ。
「だからカナエがなんで巻き戻ったとわかっているのか、ってことね」
「そういうことだ」
元々あなたの話したことだけどね。そのおかげで疑問を持てたし、先輩もその問題はまだ解決してないだろうから。
「あの娘はユウリと同じよ」
「同じって何かの能力者ってことか?」
「う~ん。間違ってはないんだけどね。正確には特異体質」
どう説明しようかと考えているらしく、額にピタピタと手で叩く。
「クロノスメーターって言うんだけどね」
「クロノメーターなら知っているぞ。スイスクロノメーター検定協会(COSC)による検定に合格した高精度の機械式時計のことだろ。正確な時間を刻む時計という……」
「わかってて言ってるよね」
このまま続けると神の裁きとか言って、今その作っている笑顔が怒りに変わって何されるかわからない。やめよう、やばいからやめたほうが身のためだ。
「うんうん、お利口さんだね」
言うまでもなく恐怖に震えている。止音を怒らすと怖いって忘れてた。ああ、三年前に怒らした時にあまりにもひどくて、俺は記憶から抹消することにしたのを思い出す。
「でね、クロノスメーターの話なんだけど。これは神の間ではどの時代、どの時間からのあらゆる干渉を受けない特性のことを言うの。もしも時の運行に変化が生じても、それによる影響を受けない。最悪の場合自らが本来属する時間が消滅しても、絶対的な時間軌道にある人物だけは消滅しない。まぁカイロス的な時間に関して疎いという難点もあるけど」
「えーっとつまり時間に影響されない体質だから、時間が巻き戻ったことを自覚できた。それでいいんだよな?」
「そうだけど……なんかすっきり理解したわね。もう少し時間に関して考察したいのに」
不満そうにじろりと俺を睨む。時間の考察に関しては今まで散々聞かされてきたので勘弁願いたい。
「ああ、それとさっき自分も言ってたけどホノカの記憶は時間が止まっていることとは別だからね。そこのところ、どうするかはキョウジ次第」
「……わかってるさ」
この俺が一番わかっている。止音もそれをわかっていて改めて言っているのだ。
「もしものためにやれることはやってきたんだ」
自分の手で願いを取り下げることはできない。でももし穂乃華に記憶が戻った時に起こりうる事態。五年前にできなかったことが今ならできる。
島中を通りやすく道を整備した。島の中にも救急車を置くようになった。病院との連絡体制、海老名市に入ってから病院までのルート。上根家だけでは無理な部分は霧丘家にも協力してもらった。そうして出来上がった命を救うためのネットワーク。
そのおかげで助かった命がこの五年でもいくつかある。
もちろん感謝された。島の住人のためにやったのは事実。でもきっかけは自分が好きな娘を助けるため。
「なんにしたってシオン次第って気がするがな。お前が穂乃華に見えなきゃ記憶が戻ってもどうしようもない」
「そうね。あたしが見えるようにならなければ見えないね」
見えない相手にわざわざ姿を見せる。方法は一つだけあるが、それをするのはシオンにとってデメリットのほうが大きい。
簡単に言えば、シオンの気分次第。
「ま、俺ではどうにもならんさ。そんな日が来るとも限らないしな」
彼女に手を振りながら家に戻る。家では妹が待っているだろうから。
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