第4話「眼に映るもの」

01「神の眼」

 世界を見るために必要なのは光である。銀河の遥か彼方にある太陽から降り注ぐ恵みを捉え、ものを見る。


 例えば海が青色であるのは太陽の光の青が映っているため。海が青いわけではない。


 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の見える色の波長を可視光線。見えない赤外線や紫外線を不可視光線と言う。虹を構成するのもこの七色である。


 目はそれらの光の反射を捉え、脳へと情報を伝達する。そういうものであると見た人がそうであると認識する。電気信号を変換して見るため、人工的に作り出した映像を脳へと電磁波や波長を変換して送ると受信した脳はそれがあるように見えてしまう。


 目で見ているものが本当に見えているのか。そんな疑いを持ったことはあるだろうか。自分の目で見ている世界が本当にそんな世界なのかと思ったことは?


 その答えは『本当ではない』ということだ。もちろん真実でないという意味だが、嘘というわけでもない。曖昧であるという意味だ。


 人の主観的にしか世界を捉えることのできない目は常に一つの視点からしかものを見ることができない。他人の世界を認識できないのは当たり前のこと。同じ人を見て優しいそうと感じる人もいれば、弱そうと感じる人もいる。


 つまり人の数だけその人を視点とした世界が存在する。


 そこから捉える人や世界、すべてのものがその人の思うものとして見えている。正しいと思っていても実際は間違っている場合がある。それを指摘され、その通りに見ようとすればそう認識し、以前とは変わったものとして見る。


 間違いだらけの認識世界を正しくしていくために見て、知っていく。だからこそ人は学び続ける。世界がある限り、世界をすべて見る日まで。


 世界自体は変わることはない。変わっているのは人の視界である。世界を作り変えたのは人であり、世界が勝手に変わったわけじゃない。


見えるものだけが世界ではない。見えない世界も存在する。見えない存在も存在する。


 それらを『視る』人間もいる。


 俗にいう幽霊とかの心霊現象もその一部。世界には元からそういう世界も存在しているのだ。それを普通は捉えることはできない。たったそれだけのことである。


 元から存在するものは見えないだけで確かにある。幽霊、神々、精霊といったものもそうだ。そういったあらゆるものがすべて見れるのは本当に稀である。


 しかし、そういうものをすべて見ることのできる人間がごくわずかであるがいる。


 だからこそ、それらがいると信じているものがいる。人の歴史の中で作り上げてきた偶像は見えないだけで確かに存在するものを形にしてきた。


 これらすべての見え方は個人の主観性に委ねられる。見る人によって変わる世界。これは当然のことなのだ。


 もちろん特異的な眼もこれらに属する。心を読む眼であったり、人の死という未来を予知したり、人ならずものから与えられたとされる特異能力。


 何度もいうが世界が変わっているわけではない。


 世界は変わらず『其処』に、『此処』に在るのだ。


 真なる眼は『此方(この世)』から『彼方(あの世)』までも視る。


 『見る』から『視る』に変わるのは、眼であったり、血であったり、事件で負った傷であったり、元々そういう体質であったりと要因はいくつかある。


 上根恭二にはシオンしか見えない。矢部悠里にシオンだけじゃなく、幽霊も見ることができる。いや、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。本人が語らないだけのことかもしれない。


 こういったものは行使でない人と理解できない。もし幽霊から見る視点があったとして、そこから人を理解しろと言われても無理である。人も同様でできないものを言われても理解できない。


 もし、これら特異的な眼も幽霊や神を視る眼もすべての性能を持つ眼が存在するなら。

 それは『神の眼』であるといえよう。

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