03「夢と理想と現実と」
家に帰ると案の定、美夏がいた。妹の部屋に入ろうとする俺が彼女に止められることはなかった。そこまで強硬手段を使うつもりはないらしい。いや、妹の前でそういうところを見せたくないだけかもしれない。
「大丈夫か?」
ピンクで統一された部屋で薄い毛布をかけてベッドに寝ている彼女に声をかけた。
「うん、だいぶ良くなった。明日には学園にいけるよ」
「そっか」
ぐるりと部屋を見回す。カーテン、座布団、テーブルクロス、すべてがピンク。床が畳のせいで奇妙な違和感を覚える。ものはあまりない。趣味があるわけでなく、毎日家事に追われているため、そんなものに余裕を費やさない。時間がないわけでもない。彼女は家事が好きだし、それを楽しみとしていた。世話好きなのだ。
本人は楽しいからいいのかもしれないが、俺としてはもう少し趣味というものを持ってもいいんじゃないかと思う。
「無理するんじゃないぞ」
「うん……ありがと」
寝ている彼女の頭をガシガシとなでたあと、部屋を出る。あの様子なら大丈夫だろう。
「意外と早かったですね」
居間に戻った彼を美夏はそんな言葉で迎える。自分で入れたであろう麦茶を飲みながらその視線は挑戦的である。
「長くいると突入してくるつもりだったろ?」
「ええ、そのつもりでしたよ。それにしても遅かったですね。心配なのにどうして」
今朝言ったことは本当なのかと聞いているような口ぶりだった。
「そりゃな。俺にだって用事はあるさ。それにお前が診てくれると思ってたからな」
「信じていた、と。このボクをですか」
俺の言葉が意外だったらしく、黙り込んでしまった。
「すまん、ちょっと外に出てる」
「えっ、ちょっ」
美夏を残して玄関から庭へと出る。居間で話している間に堂々と庭を通る不法侵入者を見たからである。こんな島だから鍵をかける家は少ない。うちも例外ではない。
こうして落ち着いているのは危険性が少ないからである。侵入者はまっすぐ庭を抜けて、森の中に入っていたのだから。そんな人物は一人だけだ。
さほど距離は開いてなく、入ってすぐに彼女に追いついた。
「委員長」
矢部悠里は俺の声が聞こえなかったのか、視線は上を見ていた。枝に遮られた空があるだけで猿がいるわけでもない。それ以前にこの森には動物がいないのだけど。
上を見たり、左右を見たりしながら何かぶつぶつとつぶやく。まるで誰かと会話しているようだ。
「いつからそこに?」
後ろに向いてやっと俺の存在に気づいた彼女は不思議そうに聞いてくる。
「さっきからだ。というかな、人の家に無断で入るな。家主の俺に一言断ってから行け」
「あ、それもそうか」
ポンと空のほうに手のひらを向け、その上に握った手を叩くように乗せる。本気で言っているのか判断がつかないのでこれ以上は言わないことにしよう。
「なぁ、前から気になっていたんだが何を見ているんだ?」
「そこにいるもの」
即答する委員長。もちろん彼女の視線の先には木しか存在しない。だが、あの廊下でのことから考えて浮かんでくる答えはすでにあった。
「……? おかしい。しーちゃんが見えているなら、ゆうりと同じものが見えているはず」
彼女は首を横にひねった。何のことかと思ったが、どうやら彼女はシオンをしーちゃんと呼んでいるようだ。
「確かに俺はあいつを見れるが、委員長とは同じじゃないよ。何を見ているんだ?」
「幽霊」
平坦に言う彼女。ああ、やっぱりそうかと納得する。あっさり言ったものがどれほどのものであるかがわからないわけじゃない。
「残念ながら俺は霊感ないし、霊も見えないんだよ」
「そう……でも、しーちゃんは見えている」
納得がいかないみたいで自分に言い聞かせるようにつぶやく。俺はそういうものであると委員長に思われていたようだ。
矢部悠里という少女が霊感を持ち、それを視ているとわかった俺は今までの奇行に納得した。彼女はいつだって霊に目を向けていたのだ。
「委員長は霊を見えるだけじゃなく、会話もできるんだな?」
これまでの彼女の行動を思い起こし、推察を重ねた結果で至った答えをぶつける。
視線をこちらに向け、彼女は質問に応じた。
「できる。ほとんど念話で大丈夫。しーちゃんだけは別だけど」
なぜだろうと考え込むように腕を組む。そりゃそうだ。シオンと念話なんてできないだろう。しかし、あっちはこっちの心を読めるのでそこは理不尽である。
「面白そうな話をしているのね」
そんな声がしたあと、スタっと上から降りてきたシオン。また木の上にいたらしい。
「……お前な。唐突に現れすぎなんだよ」
「なによ、人と出会うのとどう違うのよ。人と遭遇するのだって唐突でしょ」
そんな論理を言われてしまっては言い返せない。まったく持ってその通りだ。人と人との出会いは唐突。妹に朝を起こされるのだって、登校中に美夏に出会うのだって、平たく言えば唐突に分類されるのだ。
「きょう、困ってる」
「ユウリは優しいね~。ま、こうしてあなたが来てくれているのだから、それに免じてキョウジをからかうのはこれくらいにしとくわ」
両手を上に向けて肩を上下させる。止めなければもう少し俺で遊ぶつもりだったのは間違いない。目がそう語っているのだ。
「しーちゃん、迷惑じゃない?」
委員長がいきなり放った言葉は意外なものだった。他人のことを考えていないマイペースな奴だと思っていたがそうではないようだ。
「ユウリは心配性ね。そんなこと思ってないわよ。あたしは楽しい。キョウジはまともに話してくれること少ないからね。今は特にそう。だから、ユウリとしゃべれるのは楽しいわ。あたしが見えるのはあなたとキョウジだけだから」
俺は未だになぜ委員長がシオンを見えるのかを知らないが、それをふまえてもシオンの言うとおりだった。少なくともこの界隈ではシオンを視ることができるのは俺と委員長だけだろう。
「ま、俺はシオンの話し相手にはなれないからな」
「ええ、あなたはいつもあの子ばかりを見ているから」
皮肉のつもりなのか、あいつを引き合いに出してくる。いや、まったく持ってその通りなので反論すらない。
「だから帰りなさい。あたしはユウリと乙女な話をするから」
男子禁制の話をするから俺は来るなと警告してくる。そんな話に興味はないし、体調が良くなったとはいえ妹が心配であるのは否定できない。
「ここから先は綺麗なお花畑展開ですか?」
「そんな趣味いないわよ。あたしにも、ユウリにも」
そうなのか、と委員長を見ると首を横にひねってから答えた。
「ゆうりはしーちゃんと今日の出来事を話すだけ。ゆうりは男の子が好きだし」
恭二の遠まわしの発言を理解はしてくれているようなので、二人に挨拶をして別れる。ま、俺としても冗談だし、触れることすら互いに叶わないのだから問題はないだろう。シオンが特別なことをしない限りの話ではあるけど。
家に戻ってきた俺と妹の部屋から出てきた美夏がまた居間で鉢合わせしてしまう
親友を襲うかもしれない人物を前に彼女は訝しげな視線を送ってくる。
「信用がねぇな。俺はケダモノ扱いかよ。あいつの嫌がることなんてしないし、悲しませるようなことは絶対しない。愛しているからこそ大事なんだよ」
「そうですよね……ならボクは帰ります」
普段の明るくノリのいい笑顔を見せた美夏。俺はその反応に対応できず、考えが動き出したのは彼女が家を出てしばらく経ったあとだった。
そのあと美夏が用意していたらしいお粥を持って部屋に入る。妹はぐっすり寝ており、起きる気配もない。仕方なくテーブルの上にお粥を置いた。
すぅすぅと寝息を立てる彼女の額に手を当てる。熱がまだ完全に引いているわけじゃないと感じながら少し思い出していた。
「あいつを好きになったのはあの時だよな、やっぱ」
妹の頭をなでながら思い出す。
六年前の八月、夏峰海岸での出来事を。
あの日も今と変わらず熱い日だった。島が夏のまま止まる約一年前の話だ。すでに観光地として知られていた島は海岸に泳ぎに来た観光客でいっぱいだった。
俺とあいつもその中の一組で二人きりで海水浴に来ていた。友達のいない俺はあいつしか誘うことができず、あいつは友達がいるくせに俺を最優先として遊んでいた。なぜだろうと疑問に思っていたが、その想いはやがて解決されることになる。
神童時代の俺は着替えに行っているあいつを待っていた。ドキドキしている胸の高鳴りに戸惑いながら場所取りしたシートでパラソルを立てる。上根家当主の権力を振りかざしてもいいのだがここは公共の場である。横暴を地元の人間が見せるのはよくない。
「俺も成長してるよな」
自信過剰な発言をする自分に少し酔う。ああ、俺ってかっこいい。
今から思えば恥ずかしくて殴りに行きたい気分になる。タイムパラドックスとかどうでもいい。本当に殴りたい。歴史が何だ。それを超越してでも何とかしたい。
「お待たせ、恭ちゃん」
待ちかねた少女の声を聞き、後ろに立つ彼女を見る。
「おおう、なんと挑発的な……」
赤いビキニのフリル付で紐は肩でなく首の後ろで一つに結ばれてリボンができていた。成長過程にある(胸がない)とはいえ、美少女であることに変わりなく、大人の水着を着こなす彼女に熱い視線が集まっていた。
「どう、かな?」
恥ずかしそうに俺の足元に視線を向けつつ、人差し指同士を何度もくっつけあう。そんな風にするなら着なければいいのに、と思う。
「あんま良くないな」
「えっ?」
はじかれたように俺を見た彼女は不安そうで涙が出てきそうな表情になった。
「そんな風に可愛い奴が魅力的なものを着たら他のやつがお前を見ちまう。俺は嫌だよ。知らない誰かにお前のきれいな体を見られているなんて、なんかモヤモヤする」
きれいだし、仕草は可愛い。けど、これが俺だけが見て感じているんじゃないと思うと納得できないという気持ちが先行して、素直に喜べない。
「……あ、はは。なんか嬉しい」
安心から涙ぐむ彼女にあたふたする。予想以上に褒められたこと。彼女も自分で意識していない恋心が爆発したことも含まれていることは二人とも気づかなかった。
海で思いっきり遊ぶことにした俺たちは準備運動してからひと泳ぎする。一対一のビーチバレーをしたあと、また海に入る。
「恭ちゃ~ん」
足のつかない場所で浮きながら手を振る彼女を見て頬が緩む。泳ぎは彼女のほうがうまいので適わない。競争ではないのでどうでもいいこと。とにかく彼女のところまで行こうとしたとき、様子がおかしいことに気づいた。
「…………!」
さっきまで微笑んでいた彼女が混乱し、取り乱していた。水しぶきを散らしながらバタバタと動く彼女を見て、俺は急いで彼女へと向かう。
溺れているのだ。足をつった、直感的にそう思った。近づく俺に比例して、動く体力をなくしていく彼女は海の中へと消えていこうとしている。
「あぁあーーーっ!」
絶対にそんなことはさせないと潜りながら伸ばした手は彼女に届き、水中で彼女を抱き寄せた。混乱で暴れる彼女の唇にキスをする。潜った際に吸い込んだ息を彼女へと送り込む。キスに驚いたあと目を閉じた少女は徐々に落ち着いてきた。大人しくなった彼女を連れて水面へと浮かび上がった俺はめいっぱい息を吸い込む。
「大丈夫か!」
頷いた彼女の気道を確保しながら片腕に抱きつつ、もう片方の腕で浜辺へと泳いでいく。あせらずゆっくりと。ここで急いでは俺も同じ目に遭うことだってある。それだけは避けなければならない。彼女を救えるのは俺だけなのだ。
そんな想いもあったおかげで無事に浜辺に着き、彼女を抱きかかえてパラソルで作られた影が重なるシートの上に寝かせた。
「ありがと、恭ちゃん」
「バカ、心配させんな。マジで驚いたんだぞ」
もしあのまま救えなかったらと思うと今更ながら恐怖が胸をよぎる。冷静ではなかったんだと気づいたのもこのときだったし、何よりも俺は彼女を見ていた。
「お前がいないと、俺は困る」
顔が熱い。突発的な行動とはいえ、俺は彼女とキスをしてしまった。我ながら大胆なことをしたと思う。
「うん……ごめん」
彼女も顔を真っ赤にして視線をそらす。
俺たちは互いに男と女として意識していた。俺は好きと言い始めた頃にあったものを思い出し、彼女はその対象として初めて俺を見ていた。
そのあとライフセーバーを呼んで足を診てもらった。本人と話し合った結果、大事を取って病院に行くにした。もしものことがあってもいけない。彼女も俺も異論はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます