02「彼女の事情」

 朝から後輩にケンカを売られるという素晴らしい体験をした恭二は普通に学園に到着する。


 自分では当たり前ことを言っただけだし、友達の少ない俺に話しかけてくる奴もあまりいない。美夏との口ケンカを見た生徒と思われる人がちらっと見てくるが話しかけてこない。


 つまり、こういうことなのだ。


「恭二さ、往来のど真ん中で女の子とケンカすんなよ」


 いました。俺の数少ない友達で空気の読めない無駄に筋肉質のイケメンさん。教室に入るなり絡んでくるということは一瞬にして学園中に広がっているみたいだ。


「ケンカじゃねぇよ。ただ妹の心配をしていたら、そうなっていたんだ」


 これは事実である。互いに一人のことを心配して意見をぶつけあっていただけなのだ。それだけ彼女は周りから愛されている。本人はあまりその自覚はないけどな。


「ふーん、結構修羅場みたいだったから別れ話かと思ったんだがな」


「はっ? ちょっと待て。おかしいだろ」


 司の言った言葉の中にいくつか引っかかるものがあったので聞かずにはいられない。


「いや、お前と伊坂って付き合ってるんだろ?」


「なんだ、それ! いつの間にそんなことになってんだよ!」


 びっくりしてしまい、そのはずみで彼の襟元を掴む。条件反射みたいなものだが、自分でもガラが悪いなと思った。


「お前ら仲がいいだろ? どこでもそうだって話になってたし、穂乃華ちゃんもそうじゃないかって言ったぜ。あれは十月くらいだったかな」


 衝撃的な事実である。妹でさえ、美夏と付き合っていると思っていた。俺はお前を好きだというのに。なんということだろう。


「な、な、なんで俺の耳に入ってこないんだよ!」


「そりゃ友達少ねぇし、お前怖がられているからからかう奴なんて姉貴くらいだろ。姉貴は姉貴でそういう色恋沙汰にまるで興味ねぇから、からかう材料として使わなかったんじゃねぇの? 何にしても自業自得だな」


 動揺を隠し切れない俺に対して、司はしれっと答えた。


「うっそー……マジかよ」


 がっくりと肩を落とさずにはいられなかった。じゃあ周りの奴らは痴話ゲンカとして見ていたのか。


 じゃあ美夏はそう言われていたことは知っていたのだろうか。あの様子からすると聞いてないだろうなと思う。もし噂を知っていれば、あんなところでケンカしなかった。


「あ、そうそう。姉貴が放課後ちょっと付き合ってくれってさ。校門で待ってるって」


「え~行きたくねぇな……」


 こんな暗い気分で悪魔先輩を相手するなど無理だ。きっと精神が擦り切れてしまいそうになる。いや、絶対そうなる。


「来なかったら妹をマジでさらうって」


「行かせていただきます!」


 あの人ならマジでやりかねない。無駄に金も持っているので簡単に実現するだろう。


「お前の弱点、わかりやすいな。アキレス腱を切った以上の効果を発揮するし」


「うるせぇよ!」


 否定のしようがまったくない。その通りである。妹の体調は気にかかるが美夏が見舞いに行くことは確実だ。彼女なら俺がいないことを気にして看病するだろう。


 自分でも気づかない。彼は伊坂美夏をそこまで信頼していた。






 弟を使って脅迫をしてきた非道なる先輩は約束どおりに校門の前に立っていた。手帳を手に持ち、柱によりかかっている姿はまさに麗人。とにかくかっこよかった。女王様のような風格と男よりかっこいい立ち姿。加えて女性としての魅力も持ち合わせているなど、恵まれすぎている人だ。


 女の子から告白されることもあると聞いたことがあるが、こういうところを見た少女が勇気ある行動をとってしまうのだろう。


「うん、来たね」


 近づく俺に気づいた彼女は手帳を閉じて視線を俺に向ける。


「不本意ではありますが、あなたが脅すので行かないといけないのです」


「あら、今日はいつもより前向きに挑戦的な態度」


 意外だわと目を細めて薄く笑う。その笑みに背中がぞくっと震えた。ああ、恐怖を感じたのだ。しかも俺の言葉遣いがまた変になっている。


「それよりもなんですか? 俺が付き合う必要のあることなんですよね」


 手っ取り早く用件を済ませたい。家には病気の妹がいるのだ。


「せっかちね。そうよ、とりあえず歩きましょうか」


 歩きながら話そうということなのだろう。慌てて彼女の後を追って隣に並んだ。


「朝、恋人とケンカしてたらしいじゃない」


「あいつは俺の彼女じゃありません」


 歩き出してすぐに妄言を吐くので速攻で否定した。


「知ってる。君が好きなのは妹」


 普通に答える先輩を見る。まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかった。


「睨まないの。怖いわよ、恭二くん」


 ふっと微笑む彼女はいつもと同じように見えて、なぜか優しそうな雰囲気を持っていた。


 自分では気づかなかったが、そんな目で見てしまっていたようだ。ぬぐいきれない先輩への不安が現れつつあることに恐怖したのだろう。


「普段の君を見ていれば抱く感情が好き、いえ愛していると気づくのは当然のこと。女の子の目と勘はかなり鋭いのよ」


 からかうことなく言葉を続ける先輩。美夏とは違い、落ち着いた態度を崩さない。


「あなたは軽蔑したりしないんですか?」


「朝のケンカはそういうものだったのね」


 俺の一言で美夏とのケンカ理由を理解していた。ま、ケンカではないのだけど。

「ま、いいんじゃない。別に問題はないでしょ」


 自分とは関係ないから答えを投げている。そんな風に答えるが俺はそう思えなかった。先輩だからという理由だけで、納得できなかった。なぜならこの人は島のことを調べているのだから。


「知っているからこその――」


「そんな話をするために私は君を呼んだわけじゃない」


 そこで話題は終わりと断ち切られた。


 その後、会話もなく学園を出たあと北上していく俺たち。どこに向かっているか、なんとなくわかってきた。


「この話は話すべき場所で話そうと思って」


 着いた場所は夏峰橋。夏と冬の境界線より島に寄った地点。距離的にはだいたい二百メートル。車の行きかう道路を横目に見つつ、歩道で立ち止まっている。


「ここで何を?」


「私がこの島を調べる理由を教えてあげるわ」


 平坦な口調でしゃべったせいか、彼女の声が冷たいような印象を受けた。背を向けている先輩。何を見ているのかはわからないが、束ねていない髪が風になびく。


「あなたには言っておくべきかと思って」


 空を見上げた彼女はそうしゃべる。確かに俺もそれは気になる。この人の島への執着心。その根源たるものを教えてくれるのだから、それは知りたい。


「聞かせてください」


 すると彼女はゆっくりこちらに向き直る。


「今から五年前の話なんだけどね。ここで大きな交通事故があった。海に泳ぎに行こうと自転車に乗って島に向かっていた私はここで起きた現場を振り返ったの。いくつもの車がぶつかって、火もあがっていて、悲鳴が響いていた。私は何もできなくてただ見ているだけだった」


 そのときのことを思い出したのか、視線を下に落とし、悲しそうに目を細める。


「えっ? それはどういうことですか。今言い間違えましたか?」


 一瞬聞き間違えたと思い、聞いていた。


「そのままの意味。自転車から降りたはずなのに自転車に乗っていた。驚いた私は止まって周りを見た。そこは事故現場より向こう側。島のほうにいたはずなのに、気づいたら海老名市のほうにいたの。おそらく時間にして十分間ほど。距離が巻き戻っていた。でも事故は起きていて、見る位置が変わっていただけ」


 不思議な話だ。そんなことをそうだと感じとれるということが。


「それから秋が来ても夏のことないということを聞いて驚いた。同時に興味が湧いたの。島のことを知りたい。絶対に何かがある。あの時、おそらく私だけが時間が巻き戻っていたのを認識していた。それが島の夏で止まっている原因と関係しているかわからない。でも、それを知りたい」


 俺に歩み寄り、すべてを話し終えたと満足そうにこう告げた。


「これが理由。……あまり不思議そうな顔しないのね」


「この島がすでに不思議ですから。ま、驚きはしましたよ」


 驚かないのは予想していたらしく、そっけない。でも、残念そうに見えた。


「女の子の一生に一度の告白がこんなにもあっさり流されるのは悲しいものよ」


「そんなつもりだったんですか」


 台無しにしてしまった俺としては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「冗談よ。話せば恭二くんが何か助言をもらすかと思ってたんだけど」


 いたずらっ娘のような笑顔でふふっと笑う。ため息をつきながら俺は答える。


「なんで俺はあなたの中で何でも知っていることになっているんですか」


「神音のご当主様でしょ。あなたが知らないはずではない。八歳で当主なった神童はその名と別に当主たる資格を持っていた。この数十代女性が当主を務めてきた上根家で唯一男としてその座についた。そんなあなたが知らないわけない」


 確信を持って語りかけてくる先輩。前に当主の話したときには知らないのかと思っていたが、そうじゃないと気づく。あのときに『すべてを話した』わけでないようだ。


 この人はかなり深いところまで来ているはずだ。そう思うと崩していた警戒をまた築き上げなければならないと確信する。


「さて、そのようなことをおっしゃってもわかりませぬ。それにわかっていらっしゃるのになぜ少しずつしか踏み込んでこないのでありましょうか」


 さっきまで普通だった口調がそう意識するといつのもように変になっていた。


「聞くなら初めから核心にせまるようなことを聞けということね。わかったわ。次の機会にはそうしてみることにする」


 言い終わると先輩は橋の向こう側へと歩き出した。


「今聞こうとしないのはなぜですか」


「聞くべき時じゃないと思うから。ま、すぐにそうなるかもね」


 こちらに顔を向けることなく言った彼女はそのまま海老名市へと帰っていった。

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