03「三角ゾーン」

 上根家を出て数十秒、隣の家にやってきた。家主不在の一般邸宅、その鍵は俺の手の中にある。町長からもらった鍵はこの家の鍵だったのだ。


「……不法侵入だとか言った奴がいたらとりあえずもみ消すか」


 思ったことが口に出てしまい、不覚にも微笑んでしまう。


 こんなことをしている場合じゃないと切り替えて家の中を散策する。放置してあった時間が長かったため、ほこりがたまっている。汚れらしい汚れがないのはきれい好きの奥様がいたからである。でもほこりばかりはどうすることもできない。人が入らなかったおかげでそこまで汚いわけでもないのだ。


「ちゃっちゃっと済ませますか」


 玄関からトイレまで箒で掃き、雑巾をかける。家のすべてを掃除し終えたとき、三時間経過していた。思ったより早く終わった。


 それならそれでやることは他にある。


 掃除した家を出て鍵をかける。一度家に戻り、倉庫から柄杓と木造の桶を持ち出した。もちろん未だに会話を続けていた妹と美夏には気づかれないように。


 目的の場所に行く途中で商店街に寄り、仏花とサカキを購入する。


 その足で島を東回りに北上し、島の最東端の夏峰山を目指す。霊山とか大それた山でもないし、標高は高くない。この島で霊力があるとすれば神音の森だけ。とはいえ、霊感のない恭二にはその辺はわからない。


 周りを見回しても木ばかりの山を二十分登ると開けた台地に出る。山の頂上に築かれた墓地。ここは島を見渡せる場所でもあるため、故人に島を見せるために作られた。


 数え切れないほどの墓石の並ぶ墓地を歩く。同じような墓石ばかりに見えてそうではない。よく観察すると一つ一つ違うのがわかる。ユニークなものから普通のものまで様々だ。


 しばらく歩いているとやっと目的のお墓にたどり着いた。


「おひさしぶりです」


 初めに手を合わせてから掃除を始める。墓石を洗い、花活けに水を入れて、買ってきた花の半分を供える。再び手を合わせて目を閉じる。


「必ず守り抜きますから」


 あの時から胸に秘めていた決意を自分に言い聞かせ、夏峰山をあとにした。






 それからさらに北上し、夏峰橋の上を歩く。


「うぁ、さび!」


 橋の途中で急激な温度変化を感じ、一歩後ろに下がる。すると真夏の暑さが戻る。


「ここが境界線か」


 夏と冬の間を見つけた俺はそこに残りの花を添えた。ここでは手を合わせず、ただ花を見つめ、浮かんだ思い出をかき消す。


 ちょうど橋の真ん中あたりになるのだろう。感傷に浸りそうになりながらもその場を去る。ここにいても仕方がないのだ。


 それにしても墓参りをするにはだらしなかったと今更ジャージを着ている自分に後悔した。まぁ俺が顔を見せただけでもいいとしてもらおう。本当は足りないのだけど。


「あら、恭二くんじゃない」


 なんという遭遇率だろうか。ここ数日で二回目だ。島が小さいとか言った理由もあるのだろうけど、この人は冬休みに入っても毎日島に来ているんじゃないだろうか。


 彼女は愛車を俺の前で止め、ロードバイクから降りる。橋をそのまま抜けるつもりだったらしく、コートを羽織っていた。肌色のダッフルコートはファーもついていて暖かそうだ。相変わらず自転車乗りとは思えない服装である。


「先輩、先輩、気づいたことを一つ言います」


 ビシッと手を上げる。発言権を認めてくださいと目で訴えつつ、言わせてほしいと身体中でアピールする。これは以前から気になっていたことだ。


「どうぞ」


 あっさりと了承されて興奮しそうになる気持ちを抑えながらしゃべる。


「その格好で自転車に乗ると素晴らしき三角ゾーンが見えてしまうのではないかと思うのですか、どうなんですか? 心配より欲望に忠実な男からの質問です」


 今の俺はとても醜いだろう。視線は胸と下を行ったり来たり、目は血走っているに違いない。自分を冷静に分析しているが興奮でもうすぐそれもできなくなる。


「あらら、知りたいの? いいよ、恭二くんにだけ特別だよ」


 その言葉で何か糸が切れた音がした。これは理性のタガである。そう思う心と自然と先輩に向かう足。目の前にいるのがどれだけ危険な人物かわかっているのに、その静止を超えてまで欲望が前に出ていた。


「はい、じゃ~ん」


 なんと先輩は自分の大胆にもスカートをめくった!


「おぉ! って、あれ?」


 興奮が一気に冷めていく。先輩はスパッツをはいていたのだ。今はスパッツをレギンスというんだよと無駄な知識が頭をかすめた。


「ふふん、私は安くないんだよ、恭二くん」


 スカートから手を離し、人差し指を唇に当て不敵に微笑む少女が一人。


「ぬがぁああ~~~~」


 急激な興奮とその急降下に耐え切れなくなった俺は頭を抱えてうなる。


 悪魔だ。小悪魔だ、この人は。純粋な男の子の心を弄ぶ危険な少女だ。もちろん先輩の狡猾さと腹黒さにもやられたが、何よりも自分の不甲斐なさに失望していた。


「あははは、甘いよ、甘い。乙女がそう簡単に体を見せると思ったら大間違い」


 ケタケタと笑いながらポンポンと肩を叩く。


「ぐっ、その通りです。俺が未熟だったんです……」


 自分でそう言いながらがっくりとうなだれる。俺自身は結構やるようになったと思っていたのだが、全然だった。相手が悪すぎる。


「落ち込むことはないんじゃないかな? 男の子が欲望に忠実じゃないなら、それはそれで危険だよ。ありあまるものをもてあましてこそ、青春を駆ける男の子だよ」


 晴れ晴れとした笑顔で語る先輩。今日はあまり腹黒い発言も皮肉も出てこない。


「そういうものですか?」


「そういうものよ」


「先輩、ハンカチ持ってませんか?」


 この言葉に一瞬呆気にとられるがすぐに復帰して返事を返してくれた。


「そんな淑女じゃあるまいし、持ってないわよ。てか、なんでそんなものを」


「く、悔しいんでハンカチの端を噛んで『キィーーーー』というのをしたいんです」


「あ~あれね、私も一度はやってみたいわ」


 楽しそうな口ぶりからして先輩も関心があるようだ。実際にやっている人を見たことはないが、どんな気分になるのかは試してみたい。


「はぁ、妹から借りてやってみますか」

「う~ん、弟にやらせてみますか」


 同時に出た台詞に互いを見て二人とも噴き出してしまった。


 彼女が今日は島のことに関して何も成果がなかったとボヤきを聞いたあと、橋の上で別れる。こうやって違うものを目指してすれ違うのが俺と先輩の運命なのかもしれない。


 そんなことをふと思うのだった。

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