第2話「夏、絶賛継続中」

01「夏、絶賛継続中」

 夏峰海岸、海の家『ビーチサイド』はこの島の目玉の一つである。沖縄ほどのきれいな蒼い海、年中夏であることが相乗効果として働き、忙しさはハンパではない。


「三番テーブル、焼きそば三人前あがり! 先輩、さっさと届けて!」


 美夏に急かされた司は慌てて運ぶ。恭二も妹の作ったメニューを運びながら、接客をこなしていく。


 調理のスタッフとして我が妹と美夏。接客スタッフとして自分と司。他にも常勤のベテランさんや冬休み短期募集で集まった新規スタッフもいる。


 俺たち四人は夏休みとか去年も経験しているので親父からはベテラン扱いである。そんなことはいいとして、人員を増員してもかなり忙しいのだ。


 覗きをしかけた司が今回も使われている理由もそこにある。


 忙しさの比率が夏休みのほうが冬休みの二倍であることは言うまでもない。夏の地獄を知っているため、心には多少の余裕がある。


 恭二は接客の才能がなかったことを産んだ両親に感謝した。


「神よ! 俺はここにいるぅ~!」


 岩場に足をかけて叫ぶ。バイトを終えてその場で解散となった俺たちは一人で海岸の端にある岩場に来ていた。ここは密会のスポットとして有名であるが、今は自分一人。


 才能のないことに海の神に感謝をしたあと、岩場を離れる。


日が落ち始め、すでに夕焼けに染まった砂浜を歩く。帰り支度をする人たちの中を邪魔にならない程度にゆっくりと歩きながら想いをめぐらせる。


「良き夢に溺れ、現実へと還った人の夢のあと、か」


 落ちているゴミを見ながらぽつりとつぶやく。大抵の人は自分で持ち帰るか、海の家のゴミ箱にいれてくれる。しかし、すべてがすべてというわけにはいかない。面倒だとそのままにしていく心の廃れた人間もいるのだ。片付ける奴がいるということを考えてほしい。相手のことを思えないようでは人を大切にすることなどできるわけないのだ。


 人は自分が可愛い生き物である。窮地に立たされたときに保身に走るのは誰だって同じ。いくら偉かろうと関係はない。「他人を優先することを考えろ」と説教する人でさえ、心の中では責任をどうやってうまくなすりつけるかを考えている。本人は隠しているつもりなのだろうが、割とわかる人にはわかるのだ。


 自分よりも他人を優先する人間はいない。事故で助けようと身を乗り出した人は自分が犠牲になることじゃなく、自分が助けて相手も助けることを考えている。


 自分が犠牲になるしかない状況でそうするのは他人を優先するからではなく、自分があきらめるしか方法がないとからだ。


 自分視点で世界を見ている以上、自分を世界の主人公と思うのは不思議ではない。誰にだって一度くらいはあるはずだ。俺もあった。


 つまり主観的な意味でとらえてしまえばどうにでも見えるのだ。


 自分よりも他人を優先する人はいないという主観から見たときにさっきまでの回答が浮かび上がるだろう。なら『大切な人を守るためには自分が犠牲になることも苦しくない人』がいると考えるならまったく違った回答が導き出されるのである。


 海岸にあるゴミの処理はその人間がどういう主観を持っているかで決まる。


「な~んてな」


 考察を打ち切る。


 いくらどうこう考えたところで主観の数だけの考え方がある以上、無駄なのだ。ただこれが自分の考えだと思っていれば、それだけで充分である。


 海の家に戻ってきた恭二は周りを見回す。


「穂乃華なら夕飯作るとか言ってもう帰ってたぞ」


 まるで彼の思っていることを見ているかのような親父の言葉。


 伝え終えた親父は調理場の火を落としたり、外にある椅子と机を運んだりと、どうやら片付け等でまだ時間はかかるみたいだ。


「そっか、ありがとう。親父」


 そう告げて海岸をあとにした。家では愛しのマイシスターの手料理が待っているみたいだ。急いで帰らなきゃな。心を躍らせながら帰路についた。






 街は年末に向けてせわしなく動いている。十二月二十八日を迎えた島も例外ではなく、そういった雰囲気で商店街を歩く人が多いのだ。俺はといえばその商店街に来て目的もなくぶらついていた。妹に買い物を頼まれていれば、寄り道などせず最速で最短の行動をしていち早く届ける。


「だって愛しのマイシスターのためだからな」


 思わず口から出てしまうほどに愛が溢れているのだ。


 とはいえ、妹は明後日に大晦日から正月三箇日にかけての食材を買い込むと言っているため、それに必然的についていき、ここにまた来ることになるだろう。


 夏峰北商店街。本土へ続く橋に近く、近年整備された道路のおかげか、若干の都会的な侵食を受けている。道路が通りやすいということは流通がスムーズであることにつながってくる。孤島にしては物が入ってくるため、かなりショッピングに関しては発達していた。カジュアルな服を専門に扱う店や本屋、CDショップは隣の海老名市に負けないほど最新のものを扱っている。


 商店街に店を構える八百屋や肉屋、豆腐屋、魚屋も新鮮なものが安く手に入り、スーパーで買うよりお得な価格で買い物ができる。そのためか、この島にショッピングモールのようなものが立つ計画は一度もあがっていない。あがったとしても俺が握りつぶしている。商店街の人が困るようなことは絶対にしたくない。


 島の人間と関わりをほぼ断っている恭二が思うようなことではないのかもしれないが。


「あ、恭二くんじゃない」


 目線を少しあげると、私服姿の悪魔先輩の笑顔があった。しかも、今日は愛車を連れている。自転車に乗ることが普通の趣味だが、彼女のロードバイクは最高級のものだ。


 普通は走りやすい服装、もしくはサイクルウェアを着るべきである。ましてやスカートでロードバイクなんて邪道だろう。


 しかし、スカートでも乗れるロードバイクもある。これがそれなのだろうか。


「恭二くん、無視はダメよ」


 いつの間にか人でにぎわう商店街を抜けていたようだ。このままアスファルトの道を進めばいけば南へと向かうことになり、自動的に自分の家の前につくのだ。


「誰かと思えば麗しき悪魔麗人の霧丘香苗殿ではないですか。金持ちお嬢様は年末もこんな島に来るなんて本当に物好きったらありゃしない」


 言葉遣いが変なのは相手が先輩だからである。この人の前だとどうも調子が狂う。せっかく作り上げたものを壊してしまいそうな雰囲気にいつも怯える。


「お金はありすぎると使い道がわからなくなるのよね」


 皮肉を怒ることなく受け止めた上でさらりと笑顔で一言。大人だなぁと感じながらも、沸いてくるこの屈辱にまみれた感情を抑えきれない。


「すいません。殴らせてください」


「そんな命知らずの発言できるの、恭二くんだけよ。本当ならコンクリ詰めにして夏峰の海に沈めたいけど、海が汚れちゃうから見逃してあげる」


 おおう、なんという発言としていたのだろう。自ら死亡宣言をしてしまっていた。わかっていたはずなのに言わざるを得ない心境だったのだから仕方ない。


 上根家も島を統一する家として金はたくさん持っている。だが上には上がいるもので、海老名市で名家として有名な霧丘家は上根の資産の五倍は持っている。以前司がポロリと口にしたことでわかったのだが、負けず嫌いの恭二は嫉妬した。


「何をしているかなんて、愚問でしたね」


「わかってるじゃない、恭二くん。そうよ、この島を調べているの」


 ふふんと鼻を高くしたように口角を上げて邪悪に微笑む彼女は腰につけていたウェストポーチから一冊の手帳を取り出した。


「この夏峰島と上根家。この二つは切り離せない関係である」


 催促したわけでもないのに彼女は淡々と調べた成果を発表し続ける。


「元は島の名前も、家の名も『神音』である。数代前の当主の意向により変えられたものと思われるがいつそうなったかの証拠は存在しない。ただ昔は神音島であった事実ことは古い日本地図から確認している。名残としては上根の所有する森、『神音の森』の名前だけが今残っているだけ」


 少し調べればわかること。例外なのは古い地図で確認していることだ。昔から続く霧丘家ならその辺の資料が残っていてもおかしくない。


「神音家、神音島。これらの名前である神音とは『神の音』という意味からつけられた。島は神を崇め、神が集まり、神が留まる場所として昔から重宝されてきた。特に神音の女子は『神の音』を聞くことのできる巫女として、神の代わりに信託を人々に授けてきた。逆に男子はその能力はないらしい、と……ここまでで間違ってるところはあるかな?」


 パタンと手帳を閉じた彼女は黙っていた俺に正解かどうかを聞いてきた。


「間違ってないですよ」


 ただ一点を除いて。


 曖昧に表現されているあたり、彼女が掴みきれていないのか、知っている人間がいなかったのか、どちらかだろう。


 今どんな顔をしているだろうか。悟られていないだろうか。やはり彼女は危険であると認識し、それを出していないことを祈るしかない。


「神なんて信じるんですか?」


 ごまかすように先輩に問う。この人にはすべて読まれているのかもしれないが、その場しのぎでもいい。それにこれは本当に聞いてみたかったことでもある。


「私は神なんてものは信じない。信じていない。偶像的な意味で言っているの。存在としてあるかないかと聞かれればあると信じたいと答える」


 迷いのない瞳で言った言葉はその決意を感じ取れる。なにが彼女をここまで突き動かすのだろうか。


「崇拝するものとしては信じないけど、ものとしてはあると思う、ですか? あなたらしい言葉です。では否定してあげましょうか? 神音家六十八代目当主、神音恭二が」


 神なんていない。そんなものは人が作り出した偶像でしかない。


「男子は神の音を聞こえない。元々恭二くんにはいるかどうかすらわからないでしょ。それに今の上根家は直系の女子が誰もいない。どのみち確かめる術はない」


 聡明な彼女には振りかざす威厳などまったく通じなかった。


「じゃあいいじゃないですか。曖昧なままで。そういうものでしょ、神というものは」


 いると思うものだけがいると思えばいい。今の夏峰島では神音のことなど、ほとんど忘れられているのだ。時代は神を必要としていない。今のこの国は特にそうだ。


「そうね。そういうことにしておく。じゃあまた」


 俺と先輩は歩き出し、すれ違う。俺は自宅へ、先輩は商店街へ。


 このときにはすでに知っていたのだ。俺はなぜ引っかからなかったのだろう。たぶん、幸せだからだ。幸せは視野を狭くする。それこそが盲点。


 幸せは疑うものではない。幸せと信じなければ幸せとはいえない。疑わないからこそ、信じたいからこそ、見えなくなってしまうものがある。


 それはある意味必然であった。






 商店街から帰った恭二は妹に森に行くと言って、神音の森へと入る。さっきの先輩との会話のせいか、心は乱れていた。落ち着かせようと思い、ここに来た。


 ついでに日課もこなそう。


「そうだ、筋トレをしよう」


朝からずっと紺のジャージだったので、このまま動いても問題はない。妹からはもう少し身だしなみに気を配ってくれと言われるが面倒だ。着たいものを着る。それでいいと思うのだ。


 練習している木に背中を預けていると、いつの間にかシオンが静かに佇んでいた。


「どうかしたのか?」


 声をかけてみるが、いつものような明るい反応は返ってこなかった。


「待っているの。そろそろ来ると思うから」


 真面目な口調に珍しいこともあるもんだと思う。


 口ぶりからして俺を待っていたわけではないようだ。では、誰を待っているというのだろうか。ここに来るとすれば、俺か妹である。じゃあ、妹か?


「待たせた」


 聞こえてきたのは妹の声ではなかった。


「うん、待った」


 シオンの視線を追ってその方向を見ると矢部悠里が立っていた。彼女の来た方向は森の裏側である。入り込める場所の一つではあるが、まさか島の人間である彼女が入ってくるなんて思ってなかったのだ。海老名市の学校に通っていたせいで、感覚が疎いのか見知れない。


「って、待て。なんでシオンが見えているんだ。委員長」


 そう、そうだ。しっかりとシオンのいるほうを見てしゃべった。彼女はちゃんと会話している。それは姿が見えているとしか考えられない。


 もしかして今なら妹にも見えるんじゃないだろうか。


「キョウジ、あたしはいつもと変わらない」


 驚いている心を読んだかのようにシオンはつぶやく。真剣な表情はまるでここで委員長と会わせるためにしたことと解釈してもおかしくないように思えた。


「ゆうりは両手じゃあとっくに数えれないくらいココに来ている。偶然にも奇遇にも気まぐれにまかせて彷徨った末に見つけたとてもお気に入りの場所」


 彼に向き直った彼女が悪びれることもなく、当然のように語る。委員長にとっては特別なことをしているという認識がないようだ。


 なるほどだからクリスマスパーティーの時も森を通ったのだろう。自分と先輩に見つけられる前にシオンと会っていたのかもしれない。


「ユウリは前からここに通っていたの。もちろんあたしと話すために。見える人は限られているから数少ない話し相手を気にかけるのは悪いことじゃないでしょ?」


 この森を出られないわけじゃないが、委員長がここは落ち着くと言ったことを配慮してそうしているのだと気づく。会うなら別にここじゃなくてもいいのだ。


「悪くはないさ。でも、なんで見えるんだ」


「見えるじゃないのよ、視えるの。説明が面倒だから気が向いたときに話してあげる」


 気まぐれなシオンは知っていることを語らない。今に始まったことじゃないが、こういうときに聞いても答えてくれないのを良く知っている。


「ま、それでいいけどさ」


 二人の時間を邪魔するのも悪いので日課をこなすと森を抜ける。


 楽しそうに色々話すシオンとそれを聞き頷く委員長。なかなかいいコンビだなと素直に思った。俺なんかではまともに相手できないからいいことだ。


 一つわかったのは、矢部遊里は言動だけじゃなく、その他にも不思議があるってことだ。


 神音の当主でありながら把握しきれていないのは情けないことである、まったく。

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