03「真夏のクリスマス」

 そんな昨日のことを思い出しながら瞑想の世界から帰還する。


 森は今日も静かに風に揺られている。何かに逆らうわけでもなく、そうすべてを受け入れているかのようだ。


 今日はあのふざけた銀髪少女はいない。島のどこか、そうじゃなければ海老名市のほうにでも行っているのだろう。


 いつも相手にできるわけじゃないし、俺自身もそこまで暇ではない。今日だって町長に会わなければならないという大事な用事があるのだ。


 時間も迫っている、と木の根元に置いてある携帯を手に取る。


「うげっ!」


 ディスプレイを見て約束した時間まで急がないといけないことに気づいた。とはいえ走れば簡単に間に合う程度。しかし、のんびり行くことを決めていた俺の冬休み初日の予定は早々に狂ってしまった。


 すばやく思考を切り替え、森を走って抜ける。そのままの勢いで家を出て海岸へと向かう。観光客で賑わう夏峰海岸を横目で眺めつつ、夏峰橋と反対の方向に歩き出す。


 ここまでくれば急ぐ必要はない。呼吸を整えながらはしゃぐ女の子たちの揺れる胸を目の保養にしていると海の家が視界に入る。


 海の家『ビーチサイド』、一昨日親父から誘われたバイト先だ。


「ま、明日のことは明日考えるか」


 明日の朝からあそこで働くことになっているが、今は町長に会うほうを優先しよう。


 数分歩いてついた町役場に入り、案内の女性に町長と会う約束をしていることを告げる。若すぎる訪問者に女性は疑いの眼差しを向けてきたが、上根の当主であることを明かすとすぐに案内してくれた。たぶん今年来たばかりの人なのだろう。当主の俺の顔を知らないのは去年の九月以降に入った島の外から就職した人間のみ。


 まだ大学を出たばかりという雰囲気があるなと思っていると目的の部屋につく。


 去っていく女性を見送ったあと、ノックをしてドアを開けた。


「邪魔するよ」


 声に気づいて振り返った中年男性。中肉中背の取り柄のない体型と見るからにいい人そうな優しい作りの顔。とはいえまだ四十歳である。


「おお、来たか。待ってたよ、恭二君」


「いえいえ、お忙しいのに無理言ってしまってすいません。叔父さん」


 親父の弟で上根謙次郎かみねけんじろう。町長としては若手であるが、その手腕は見事と誰もが言う。


「気にするな。まぁだらだらと長いのは好きじゃないんでね。さっさと渡しておく」


 ポーンと町長の手から投げられたものをスチャっと横から宙で掴む。


「さんきゅ、叔父さん」


 手に握られているのは雪だるまのキーホルダー付きの鍵。大きさや形からして家の鍵であることは確実。これを手にするのは二度目だ。一度目はあいつが落としたのを拾った時。


「今はオレの持ち物になっているとはいえ、あれから何も手はつけてない。何に使うかも、どうして必要なのかも一切聞かない。お前なら使い方は誤らんだろ、当主殿」


 少し皮肉を込めて言っているが、悪気はまったくない。基本いい人だから、他人を悪く言うことはないのである。


「はい、もちろんですとも。感謝します、町長」


 その言葉を口にしたあと頭をさげた。






「お邪魔しま~す」


 元気よく上根家の玄関をあがるのは蜜柑。彼女は午後三時から始まるクリスマスパーティーのために来たのだ。一番乗りの蜜柑に声をかけてから玄関を出る。


 他の人を迎えようと門を出ると霧丘姉弟が海岸のほうからやってくるのが見えた。なんか司がぐったりしているように見えるが理由はあの悪魔的な姉にあるとしか思えない。


 長い髪をツーテールに束ねている私服の先輩。ピンクのキャミソールと白のスカート。肩にかけているコートは島に入るまで着ていたのだろう。彼女の私服姿は初めてではない。何回か遭遇したことがあるが、私服の時だけツーテールに髪を結んでいるようだ。


 家の門の前で立ち止まった彼女はすかさず話しかけてくる。


「ちょっと覗き魔を適当にボコっちゃいました。褒めてくれるかな?」


 ペシペシと先輩が司の頭を叩く。彼の申し訳なさそうな表情を見る限り事実なのだろう。


「いきなりの超展開! もしかして海の家で?」


 頷いた先輩はやけに早く出た弟を怪しく思い、あとをつけたら海の家『ビーチサイド』の更衣室で女性の着替えを覗こうとしていたらしい。


「男は性欲に忠実!」


 そんな言い訳を言うので俺も顔が変形するくらい殴っておいた。仮にも俺の親父の経営する場所での行為だから。


 あの約束を守るためにボロ雑巾と科した司を妹に任せ、先輩をつれて庭をまっすぐに進んで森の入り口へと移動する。


「ここが神音の森……」


 感傷深く森の奥を細めながら見る先輩。何を考えているのかわからないが、珍しく真面目な雰囲気に真剣なんだと感じる。


「あら?」


 彼女の声を聞いて、その見つめる方向を見ると森の奥から一人の少女が歩いてきた。水色のワンピースの上に薄緑のカーディガン。あの眼鏡とカチューシャは……


「こんにちは。きょう、かな様」


「ちょっと待て、委員長!」


 何事もなかったように家に向かおうとする彼女の腕を掴む。


「きょう、大胆」


 ポっと顔を赤らめる委員長。殴りたい衝動に駆られるが女の子を殴るわけにはいかないというプライドでなんとか抑え込む。


「なぜ森にいた」


「迷ってた」


「そうじゃなくて、どこから入った。塀の切れ目か」


「今日はどうだったっけ」


 どうやら常習犯のようだ。この森の申し子のプライドが傷ついていた。侵入者に気づけなかったという事実に。


「そういえば妹さんには何度か、ばったり」


「なるほどな。そういうことだったか」


 森で筋トレする自分を呼びに行く途中か、その帰りに妹は委員長と何度か出会っていたのだ。学年も違うのに繋がりがある理由はそれだった。


「少なくとも不法侵入じゃない」


「それは俺の裁量次第だ」


「じゃあいい」


 このまま会話をしても彼女からきっちりとした回答は得られる気がしない。


「あれ? 先輩は」


 ふと我に返り、この森に入った理由を思い出す。


「かな様ならあっちに」


「あっ! か、勝手に奥に行かないでくださいよ!」


 抜け目のない先輩を追いかける。解放された悠里は上根邸のほうへと歩き出した。


「どいつもこいつもマイペースすぎ!」


 自分のことを棚に上げている自覚がある分、他の人よりはマシだ。恭二は心底そう思うのだった。






 数分後、恭二はようやく先輩に追いつく。


「あら、ついてこなくてもいいのに」


「そういうわけにも行きません。俺は上根家の当主ですから。管理者としての責任がありますからね」


「わずか八歳で当主になったのはこの森のため、かしら?」


「それはどうでしょう」


 動揺すれば本音を見抜かれてしまう。それを直感して表情を作らずに返事を返した。


「……つまらないわ。もっといい反応を期待してたのに」


 こちらに興味を失った彼女は森を練り歩く。何を確かめているかはわからないが、行動の一挙手一投足に気を配る。もしもの時は自分が止めに入らなければならない。


「そろそろ戻りませんかね? あの我が愛しのマイシスターの手料理が出来上がっていると思いますので」


「もう少しいさせてほしいわ」


「そ、そうはいいますけども」


 こんなやり取りを何回も繰り返しつつも、めげずに続けた。長引けば不利なことが起きるかもしれない。そんな不安を抱えながら。






 ようやく家の方へ戻る気になった先輩をつれて、居間へと入っていく。


「おっそ~い! お兄ちゃん!」


「なにしてたんですか」


 待ちくたびれた妹と美夏が同時に力強く言葉を飛ばしてくる。


「すまん。先輩が」


「あら? 人のせいにするの?」


「実際そうでしょう。俺は早く戻って我が妹の手料理を食べたかったのに」


 包み隠さない本音に対して妹が少し照れた表情を浮かべる。


「も、もう……お兄ちゃんったら」


「まぁ少しくらい待ってもいいじゃないか、がはは」


「親父、もう出来上がってんのかよ」


 すでに酒の入っている父親の姿に少し情けない気分になる。会社では本当に頼られる人と信頼されている人だ。嘘じゃない。


 けど、この場にいる皆にはただの酔っ払いおじさんである。


「早く始めようぜ、もぐもぐ」


「おい、司。てめぇ、何食ってやがる」


「へっ? フライドチキンを」


 一口かじり、ひとしきり噛んで飲み込んだ。


「妹の手料理に最初に手を付けるのは兄の役目だぞ!」


「そんな役目ないよ」


 すかさず否定してきた妹に向き直る。


「……ないのか」


「ない」


 はっきりと言われてしまい、返す言葉がなかった。


「とにかく司、これだけは言っておく」


「……きょ、恭二。怖いんだが。フライングで食べたのは謝」


「ふんっ!」


 言い訳、謝罪をする彼の手首に手刀を入れて、フライドチキンを叩き落とす。


「ぎょへっ!」


「司、まずはみんなでいただきますだ」


「……すまん、そうだな」


 言いたいことをわかってくれたらしく、司も反省の色を見せていた。


「ねぇねぇ、あの人ってば真面目なことを言ってごまかそうとしてない?」


「ですね」


 悪魔先輩の大きな独り言に同意する美夏。図星を突かれてまた返す言葉を失う。


「きょう、おなかすいた」


「いたのか、委員長」


「うん」


 存在を感じないと思ったらきちんと隣に矢部悠里が座っていた。


「じゃあ音頭は主催者の愛しの我が妹にとってもらうか」


「しょうがないなー」


 慈悲深い妹は助け舟を出したことに気づいて、あっさりと引き受ける。


「じゃ、かんぱーいっ!」


一通りグラス同士を合わせ、飲み物を口に運ぶ一同。そして、率先して両手を合わせた恭二に妹、そして皆へと続く。


「いただきます」


 様々な大きさの声がクリスマスパーティーの開幕を告げた。






「おい、恭二」


「なんだよ、親父。酒がなくなったのか?」


「いや、そうじゃなくてあそこなんだが」


 指差した先に見える光景。それはボロ雑巾と化した霧丘司の姿だった。畳に顔面から突っ込むように突っ伏し、お尻がつきあがった状態で、両手は力なくうなだれている。


 なによりもみくちゃにされたと言わんばかりの服装の乱れっぷり。


「うーん、海の家で覗きをしようとしてたらしいからバチが当たったんだよ」


「そうか。それは仕方ないな」


 酔っているせいなのか、あっさりと納得してしまった。実際に何があったかは見ていないのでわからない。


「本人には聞けそうにないしな」


 表情が見えないが白目むいて気絶している可能性が高い。


「どうしたの?」


「おお、委員長。実は司に何があったのか知りたくて」


「あ、ほんとだ」


 どうやら彼女もあの状態に今気づいたらしい。そばで盛り上がっている姉の香苗が関わっているのは間違いない。話し相手をしている美夏と妹も見ていたはずだ。


 だが、乙女の会話に割って入るほど恭二は無粋ではない。同時に割り込むことへの危険性も理解していた。


「んっ……任せて」


「委員長?」


 唐突に眼鏡をはずす。その行動の意味が理解できなかった。じっと司を見つめる彼女の眼が光っているように見えるのは気のせいだろうか。


「……なるほど」


 眼鏡をかけなおした委員長が頷きながらこちらに向き直った。


「間違ってお酒を一口飲んで、酔ってかな様にありとあらゆる暴言と日頃の愚痴をぶちまけてしまったみたい」


「それで思いっきり制裁されたんだな」


 自業自得。理不尽な我儘に振り回されて、たまったストレスを覗きで発散しようとして、さらにこの結果である。


「って、なんでそこまで言い切れるんだ。見てなかったんだよな?」


「見てない。視ただけ」


 その意味がわからなかった。


「まぁいいか。あとで確認取ってみる」


 これ以降の内容はあまりにも混沌としてしまい、回想するのもためらわれるものとだけ言っておく。


 その中で悪魔先輩からボロ雑巾のことを聞き出すことには成功していた。委員長の言葉通りのことが起こっていたのだ。


 不思議ちゃんは単なる不思議ちゃんではないのかもしれない。


 あとこれだけは言える。「妹の作る料理は天に昇るほどおいしかった」と。

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