02「クリスマスパーティーの誘い」
上根恭二の朝は穂乃華のかかと落としがみぞおちに決まってから始まる。
「うごぉ~! 今日もいい落とし方だ~」
悶えながらベッドから転がり落ちて、妹を見上げた。
「ねぇ、いつか死んじゃうよ。普通に起こしてあげるから、そうしない?」
心配そうに床で這いつくばっている俺を見下ろす。正確に言えば顔を下げてきていた。
つーか、顔が近い。顔が近いよ、我が妹。こうして俺がダメージを受けていなかったら、その唇に迫っていただろう。
「それは拒否する。男が言い出した以上引けないし、自分に対しての自制でもあるんだ」
妹に頼んだのは俺だ。嫌々ながらも続けてくれるのは感謝を通り越して、感服に値する。優しいのに無茶なことをさせているとは思う。
「そこまで言うんだったらやるけど……う~ん、ほのはあまり気が進まないのに」
ぶつぶつと言いながら部屋を出て行く。真剣に悩んでいるのを見て、本当に申し訳ないと感じる。けど、そうしていないと時々忘れてしまうのだ。
幸せな生活の中で俺が起点であることを。いつかは踏み出さなければならないことを。今はこのままでと思う想いと葛藤し、選ばなければならない。
その時に迷わないために。
彼女が彼女に戻った時に迷わず選ぶ決意を、忘れてはならない。
「さてと、準備しますか」
まだ鈍痛の残るみぞおちをさすりながら立ち上がる。
純和風の畳部屋にベッドを置き、木製の机の上には買った当時は最新鋭のパソコンがある。十畳もある広さの部屋には他に本棚やゲーム機、クローゼット。さらに小型の冷蔵庫まである。
隅にあるクローゼットを開けて、学園の制服を取り出し着替える。紺のブレザーにベージュのネクタイ、白いワイシャツに灰色のズボン。というのが冬服である。
年中夏であるため、夏服で通うのは言うまでもない。だから、ブレザーなんて一度も着たことないのだ。手を右にスライドさせ、半袖のワイシャツを手に取った。
腕を通してベルトを締めて着替えを完了する。やっと鈍痛が引いてきた。
「やれやれ、いつからこんなに臆病になったんだろうな」
クローゼットの扉の裏に貼られている鏡に映る自分に問いかけてみる。左頬に絆創膏を貼っているが、無駄に顔がいいと言われている上根恭二がそこにいた。
「元から、だったな」
自嘲したあと、扉を閉める。行こう、妹の手作り料理が待っている。
家族三人で朝食を終え、すぐに親父は先に仕事へと行った。準備を整えた俺たちも大きな門の前に立つ。さすがに五メートルもある門を開けるのは面倒だ。だから、その脇についている小さな引き戸から外へと出て行く。
最初にこの家に来た人は自分の思っていた入り口が違って見えるのか戸惑う人が多い。
「今日も暑いな」
じりじりとアスファルトを焼く太陽の熱。道路整備が整っているのは便利だが、体感温度は反射熱のせいでより暑く感じてしまう。
「便利なのも考えものだよね。お兄ちゃん」
我が妹も同じことを思っていたようだ。島の人間は暑さに慣れてきたが、それでも暑いと思うのはそこに一因がある。便利さと暮らしは密接であることがわかるはずだ。
「ああ、そうだな」
ちらりと彼女のほうを見る。学園の女子の夏服は白いブラウスと紺のスカート、襟元に赤のリボン。常に夏場なので女子は汗や雨でブラが透けるという危険と常に戦っている。しかし、悲しいことに妹にはあまり意味のないことだ。
ここは五時間もあれば島を一周できるほどの小さい島。島の人間はだいたいの住人と知り合いである。妹は覚えてないが、俺は知っている。上根家としては当たり前のこと。だが、俺はあえて島の人間とは多く関わりを持たない。
それには理由がある。誰にも言えない理由が、ある。
そんな考え事をしている最中だった。
「っいて!」
背中をバチンと叩かれ、思考は断たれ、痛みに顔を歪ませながらゆっくり振り返る。
「やっほ、恭二先輩」
軽い口調で額に手をあて挨拶をしてくる少女。見るからに明るそうな美少女は悪びれることもなく、口元を緩ませる。
「おはよ、美夏」
「うん、おはよう。
俺のヒリヒリとした痛みなんてなんのその。親友の二人はこの状況でもまったりしたやりとりをしている。
ウェーブのかかった肩甲骨まである髪をいじりながら、彼に視線を戻す少女。
「……おはようさん、蜜柑」
「ボク、柑橘類じゃありません!」
ペチっと小さな手ですかさずツッコミを入れてくる。力のいれ所がわかる奴で単に全力で叩いたりするわけではない。
「だって、
「だからそのことを思い出さないでって言ってるんです」
何度も繰り返してきたため、多少作業的になっているのは考慮して欲しい。彼女本人もそこを理解しているので、あまりノリ気ではない。なにより顔があきらめ顔である。
「仲がいいよね。美夏とお兄ちゃん」
半歩下がってこのやり取りを見ていた妹は頷いて微笑んで告げた。
「付き合ってみるか?」
ちょっと悪ノリしてみる。
「え~恭二先輩とですか? 少し想像してみますね。……あ、二秒ほど考察してみましたがあまりにもありえないと本能が否定したので考えないことにします。そもそも考えること事態、いえ付き合うという発想自体おかしいです。変です。そんなものポイです、ポイ」
しきりに投げ捨てる動作をする蜜柑。ほんとに良くしゃべる奴だ。さっきの台詞、一度も噛むことなく、早口で四秒以内に言い切っていた。
「そこまではっきり言われると落ち込むよな」
「そうは見えませんけどね~」
ニコニコと微笑みながら言う彼女を見ると、本当に妹とは気が合うなと感じる。そうサドの属性という点において。
ちなみにバス通学である。美夏は島の人間でなく、本土の人間だ。夏峰橋を渡った先にある海老名市に住んでおり、物珍しさから入学した生徒の一人だったりする。
こういう外部からの生徒のお陰で島が賑わっているだ。
「そうだ、思い出した」
学園へと歩いている最中、ふと昨日のことを思い出す。
「蜜柑、クリスマスの予定は空いているか?」
妹も自分で提案したくせに忘れていたようだ。
俺が口にして「そうだった」という表情になったのだから。
「なんですか、いきなり」
急に聞かれて不思議そうに俺を見上げる。妹よりも背が高いとはいえ、百六十センチほどでは目線を上げざるを得ないようだ。
「恋人もいねぇんだろ? 寂しいクリスマスを一人で過ごすより、俺の家でクリスマスパーティーをしようぜって話。ちなみに発案者は俺じゃねぇぞ」
「や、それは穂乃だってくらいわかってますよ。恭二先輩がそういう気の利いたことを思いつくとも思えません。それよりもですね、ボクに恋人がいないと勝手に決め付けたのには意義を申し立てます。先入観や偏見はよくないですよ」
わずかに怒気を混じらせつつも早口で語る。
「じゃあいるのか?」
「いないですけど……」
悔しそうに頬を膨らませて俺から視線をそらす。
「美夏、だめかな?」
「ううん、参加で」
笑顔で即答。妹の一言でこれである。まぁこの妹の「だめかな」という言い方にはなぜか逆らえない魔力がある。上目遣いで儚げな口調。一つ一つの仕草が可愛さを発揮し、母性本能と守ってやりたいという想いが湧き上がるのだ。
昨日の俺と親父もこの「だめかな」に負けたのである。
「それでただ行けばいいの?」
「そうだよ。準備はほのが全部するから。時間は」
妹の告げる時間を携帯のスケジュールに打ち込んでいく美夏。
「二十五日午後三時に穂乃の家、オッケー。必ず参加するよ」
どうやら妹の中では具体的なプランができているようだ。さっきまで忘れていたというのに。もっとも今ここで決めているのかもしれない。
そんな現金な後輩と愛しのマイシスターの両手に花状態で学園に向かう。
はたから見れば美少女と美幼女をつれたダメな男。言っておくがそのまんまである。
島の南に広がる市立夏峰学園。敷地内には付属学園もあり、プールやテニスコート、グラウンドは四百メートルトラックが引けるほど広い。創立百年を去年迎えたが、三年前の改装で校舎内は真新しさをまだ保っている。
全校生徒五百人を越えているが、学力のレベルはさほど高くない。そうじゃなかったら俺がこの学園に通えていない。自分で言うのもなんだが、今の学力は絶望的である。
「じゃあね~お兄ちゃん」
学生玄関で上履きに履き替えたあと、後輩二人と階段の踊り場で別れる。二年である俺は三階、彼女達一年は四階に教室があるのだ。
二年四組の教室は廊下に出てすぐだ。考えに浸る余韻もない。ま、いいか。
「ちーっす、天下の色男ともっぱら噂の恭二ですが何か問題でも?」
来ていたクラスメイトは視線を一度くれたあと、ゆっくりと自分のしていたことに戻る。
そう、これだよ。これ、この朝からすごいもの見ちゃったっていう寒い空気。最高だ。
「あ、そこ。もう少し右に避けたほうがいい」
気づいたら後ろに少女がそこにいた。近づいてくる気配など微塵も感じられなかった。
「は? あ、ああ、わかった」
黒髪のショートボブ、青フレームの眼鏡に赤いカチューシャ。幻想的な雰囲気を醸し出している彼女に従って移動する。俺と同質のものを感じるのは気のせいじゃない。
「委員長、一ついいか?」
話しかけられたクラス委員長の
「ん? 今取り込み中」
え、どこかですか。ただ誰もいない空間を見ているだけのような気もしますが。
「終了」
そう言い終わると持っていた眼鏡をかける。
なにが終了だったんだ。謎だ、マジで謎だ。
彼女は電波を常に受信しているみたいな不思議少女のせいか、みんなから距離を置かれていた。
悠里は「それで?」とこちらに向き直る。おかしな行動をする彼女は整った顔とニキビのないきれいな白肌を持つ美少女である。
「ああ、お前さ、クリスマスは暇か?」
「ん、ゆうりはいつだってどこだってボーっとしていられるくらいの時間をもてあましている」
「暇ってことだな」
やけに遠まわしにいうのも彼女の特徴である。極端に短く用件だけか、遠まわしに長く言うか、両極端なのだ。
彼女は島の人間であるが中学まで海老名市の学校に通っていた。そのためか学園で会うまで面識がない。そうでなければ島の人間なのに恭二が普通に話しかけることはないからだ。
それにこの委員長と妹に繋がりがあるのが前から不思議ではあった。
「おいおい、恭二。教室でナンパかよ」
「おおう、これはこれは無駄にイケメンの
今更説明はしたくないが、言葉通りの人間が会話に割り込んできた。
「何をやらせてもダメダメで口だけは達者な君には言われたくないなぁ、おい」
バチバチと火花を散らすほどの睨み合いをしながら、鼻と鼻が触れるまで顔を近づける。
「これがいわゆるボーイズラブ」
「や、違うから」
委員長がぽつりと言ったことを否定しておく。美夏の口調がつい出てしまったのは自分でも驚きではあった。
「これは僕と恭二のスキンシップの一環だよ。仲はあまり良くないから勘違いしないでね」
本人はこうやって否定するが内心親友とも思えるほどの信頼を置いているらしい。
恭二の勝手な妄想の中での話だが、まんざら嘘ではない。
「それよりも恭二、その話に僕も混ぜろ」
「なぜに上から目線なんだ」
自分が偉そうにする理由はあっても、偉そうにされる理由はない。いや、司は偉そうにしてもおかしくはなかった。恭二も思い出す。上根家でもあの霧丘家に敵わない所があるのだから。
「なんとなく」
しかし本人はただその場のノリで言っただけであった。
「いっぺんマジで死んでみるか?」
痛い目に遭っておかないとわからないようだ。
拳に手を被せ、指の骨音を鳴らしながら威嚇する。顔は言うまでもなくイラ立ちを隠してない。
「い、いや遠慮する。ともかく騒ぐんだろ。なら行きたいんだよ」
恭二の腕力を良く知っている彼には痛い目に遭うとどうなるか想像できるようだ。
前に海老名市で不良に絡まれた時、相手をボコボコに返り討ちにしてやった。自己流で鍛え、勝つことのみに特化した喧嘩の仕方。
その手段を選ばない攻撃に司からエグいと称された。
それから拳をアピールすると彼は大人しくなる。
どうやらそれほどの恐怖を与えてしまったようだ。そこだけはさすがの恭二も申し訳なく思っていた。
「まぁ殴るのは冗談として、誘う人間は多いほうがいい。だが、司。お前の姉も誘うぞ?」
「うげっ、マジかよ」
反射的に体をのけぞらせて驚く。彼の姉、霧丘香苗は弟のこいつでさえ拒否反応を起こすほどひどい性格の人間である。
「俺の愛しのマイシスターのご指名なんだ。誘わないわけにはいかない」
そこは我慢するべきことと昨日決めている。妹のためならどんなに罵られようとも精神的に追い込まれようともがんばれるのだ。
そんな俺の思考回路を感じ取ったのか、司は呆れたと言った口調でぼやいた。
「お前のシスコンぶりには毎度気持ち悪さを感じずにはいられないよ」
「あっ? なんか言ったか」
「いえ何も!」
敬礼をして姿勢を正す。怒気とか殺気を発しただけでも体は反応してしまうようだ。
「ゆうりは参加する。詳細を」
委員長に日時、場所、時間を教えてやると「わかった」と言って自分の席に戻ってしまう。前から思っていたがなんともあっさりした奴だ。嫌いじゃない。
その会話を聞いていた司に改めて言う必要はなかった。
そんな中で彼は一言を告げる。
「なんで運動ダメなのにケンカは強いからなぁ、恭二」
「強いのは俺にケンカの才能がねぇからだよ」
「いや、わけがわからん」
不満そうに表情を曇らせる彼を放置して自分の席へと歩き出す。
これから自分はあの狡猾な淑女を誘う手立てを考えなきゃならないのだ。付き合っている時間がもったいないし、なにより言っても理解はできないだろ。
見えないものを視ろということなのだから。
終業式を終えた体育館を外で見届け、渡り廊下に移動する。
あんな退屈な行事に参加する気などさらさらない。それよりも妹のために相手にしなければならない強敵とのことが最優先である。
だって妹の頼みだもの!
通り過ぎていく三年生を尻目に妹のキュートな笑顔を浮かべて悶えてしまう。
「そこの犯罪者一歩手前のシスコン君」
「なんですか、容姿は端麗、中身は悪魔。才女という殻を被った腹黒少女……冗談です。あなたさまのような方に暴言を吐くなど無礼にもほどがありましょうから」
グラマラスなボディとその禁断の果実とも言える胸まである黒髪。背も高く、美少女というよりお姉様という顔立ちとオーラを発する少女。何より切れ目なのが、女王様の風格も匂わせる一因なのだろう。
「勉強も運動も家事すらダメなのに口だけは達者。いいわ、何か用件があるようだし、聞いてあげる。言ってごらん、恭二くん」
「先輩、クリスマスパーティーに参加いたしませぬか?」
朝からずっと考えたあげく、普通が一番であると結論に至ったのだ。
「珍しく直球ね。変化球を投げてくるものと思ってたから、意外よ」
そういう彼女の表情に驚きは微塵もない。これすら予測されていたのだろう。
「条件として『神音の森』に入れてくれるなら、私は喜んで上根家に行くわ」
彼女にしてはかなり優しい条件だ。ひどい場合は一生奴隷宣言させられることもある。さすがにそれは俺も司も避けてきたが、犠牲になった人もいるのだ。ご愁傷様。
「先輩も好きですね。こんな島を調べてどうされるのですか。わたくしのようなパッパラパーにはわからないのですよ。学者さまですらわからなかった島の現象を解明する気でございましょうか?」
何をやらせてもトップである完璧腹黒超人はわざわざ自分の学力レベルより低いのに、この学園を選んだ。それはこの島を調べるためという周りからは理解されにくい
ものだった。ありとあらゆる手を使って両親までも黙らせたのは司から聞いている。
ああ、それよりもさっきから変な敬語になってる。この人と話すといつもそうだ。苦手であると本能が告げている。この人はあまりも危険すぎる。幸せを壊す、崩壊因子。
「それはただの一部でしかないの。私が知りたいのは島のすべてよ。夏のままずっと秋にならないなんて、そんな現象程度どうでもいいわ」
島のこの状態をそんなものと言ってしまえるのはすごいと素直に思う。性格は破綻しているように見えて、この人は純粋なのだ。知りたいという欲望に対して貪欲すぎる。
「上根家現当主、上根恭二。いえ、神音恭二。あなたはすべてを知っているはず」
体を射抜かれるかと錯覚するほどの鋭い目つき。神音という名くらいは島の人間に話を聞けばわかることで驚きはない。
彼女もその程度のことでは動揺を引き出せないとわかっていたらしく、好戦的な視線は崩さない。ならばこっちもそれ相応のものを示す必要がある。
「……知っているさ。俺は神音恭二だぜ? 他の上根の人間と一緒にされちゃあな」
ひさしぶりだ。自分でも吐き気がするほど自信過剰で偉そうな人間。この自分が本質であると認識させられてしまう。
本当の神音恭二は霧丘香苗と比較にならないほど嫌な人間なのだ。
「やっぱ君、面白いわ。ほんと楽しいわよ。かつて運動も勉強もできた天才、神童と呼ばれたあなたに挑戦するのは」
昔はそんな風に言われたこともあった。今では何もかもダメな人間となってしまっているが、俺はこの上根恭二で十分なのだ。神音恭二など邪魔でしかない。
「約束はお守りいたします。クリスマスで会いましょう、先輩」
ひらひらと手を振って逃げるように生徒の流れに乗って教室へと去る。上根恭二ではここまでが限界だ。今日は先輩に対して虚勢を張れただけ、立派だと自画自賛しておこう。
悪魔先輩にケンカを売ったあと、ファッキンに退屈な担任の話を聞き流してやっと冬休みに突入した。
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