第1話「真夏のクリスマス」

01「我が愛しの妹」

 季節は十二月を迎え、どこの街もクリスマスムードに染まっていた。

 イルミネーションに彩られ、眩さとロマンチックな雰囲気を作り出す。カップルは立ち止まり、独り者はそんなカップルを見て心の中でひがむ。

 一般家庭ではリースを玄関に飾り、家族でツリーに色んなものを吊す。子供はサンタにお願いし、大人はどうプレゼントを渡すか話し合う。

そんな空気などまったくない場所が一つ存在する。


 本州の南に位置する「夏峰島かみねじま」である。


 昔から南国だと言われてきた島だった。


「あっちー……マジであっちぃ~よ」


 上根恭二かみねきょうじは森を歩きながら、この島の暑さにうなっていた。暑いのは確かだが、彼自身はそこまで暑いと思っていない。ただ単にリアクションが大げさなのだ。それは恭二本人も理解している。

 そんなことを自分でわかっていながらも言わずにはいられない。


 なにせ、彼の住んでいるこの夏峰島は『夏のままで止まっている』のだから。


 全国の季節も、どこのカレンダーも、冬の十二月。ただこの島だけがはずれていた。

 そんな島が嫌いなわけじゃない。恭二はむしろ大好きである。

 

 しかし、こんな珍しい現象を学者たちが調べに来るのも必然である。初めは世界各地から来ていたものの、五年も経ってしまった今では数名のあきらめの悪い人が来るだけだ。

 同時に五年も止まってしまえば、島に暮らしている人間は慣れてしまう。


 この島だけが夏で止まっている。

 だが本州とこの島を唯一つなぐ橋、夏峰橋を半分も渡れば、冬を感じることはできる。夏峰島は海老名市えびなしに属する小さな島なのだ。

 その海老名市へと橋を渡れば冬に切り替わる。もちろん、街に繰り出す際、薄着は絶対に避けるべきである。


 元々、観光地として栄えていたが不思議な現象のせいで、島はさらに有名となり、外からの観光客は途切れない。


 島にある恭二の通う夏峰学園も物珍しさからか、海老名市やそれよりもっと遠くから通う生徒が増えてきた。


 そのおかげか、予算が増えてリゾート施設の拡張や道の整備などが通りやすくなった。五年前に比べるとかなり近代化が進んで、島中の移動が便利になった。


「ま、栄えることは良きことよ」


 誰に対して言ったつもりはないが、偉そうに言ってみる。自分も少なからず関わっているのだから言う権利くらいはあるはず。


 世間的に言うなら今日は日曜日。それなのに恭二は誰かと遊びに行くわけでもなく、家の所有する森にこもっている変人であった。


 周囲に広がる木々を時折見上げながら森の奥へと進んでいく。


 ここは夏峰島に広がる大きな森。上根家の所有する、いや守っている森。


 この森は「神音かみねの森」と呼ばれている。島の中心に位置する場所にあるこの森は東京ドーム五個分ほど広さを誇っている。


 その森の入り口にどでかく建っているのが彼の家、上根邸だった。


 島の木はリゾート開発で失われていくが、この森の木だけはこれまでもこれからも失われていくことはない。上根家が続く限り、の話ではあるが。


 夏峰島の一番の名家の上根家。島のどの人間も上根家の意見を覆すことはできない。

 つまり簡単に言うなら『この島で一番偉い』ということ。


「今日はいい風が吹くな」


 時より吹く風に葉を揺らし、ササァと音を奏でる森。広さは大きいが、ここで遭難とか迷うなんてことは絶対にありえない。真っ直ぐ行けば森を絶対に抜けられるからだ。


 こっちかも、あっちかもと方向を変えなければ遭難するような自体に陥ることはない。


 過去にそんな遭難事件があった試しは一度としてない。その起きない理由の大きな要因はこの森は上根家の所持する個人の森であるということだ。


 なんにしても森の申し子たる上根恭二にはまったく関係のない話だ。


「ま、その前に上根が管理する森に入ろうとする勇気のある奴がいないしな」


 そんな森で彼は目的地につくと日課を開始した。


 丈夫な木の枝に飛びつき、懸垂を三十回。膝の裏をその枝に引っ掛け、逆さにぶら下がった状態から腹筋を百回。それを終え、少し奥のマットを巻きつけてある木の幹に蹴りを入れる。ズドンと重い音が何度も森に響く。


 一通りのメニューをこなし、静かに構えた。腰を落とし、右手を引き、左手を前に出し、目を閉じ、精神統一する。


 この森は恭二のジムのようになっていた。空手でもなく、テコンドーでもなく、ただの我流。武術によって強くなりたいわけじゃない。


 ただ彼は守るための力が欲しかった。なにかしらの型にとらわれないほうがいいと考えたのもある。それ以上に彼がいくら練習しても武術は上達しないのも理由の一つ。


「君には武術に関する才能があったけど、体を鍛える才能はなかったからね」


 誰もいるはずのない森で、しかも俺の遥か上から声が聞こえてきた。透き通るほどきれいな声は一瞬俺と世界とを切り離したみたいだった。


「うっせーぞ、せっかくの集中が切れちまったじゃねぇか。シオン」


 その声で精神統一を崩された俺は木の枝に座る少女を見上げる。悪戯をしたばかりの子供のような笑顔。しかも、してやったりと満足そうなのが気に食わない。


「事実でしょ。紛れもない真実」


 言い終えると、ゆうに四メートルの高さはある枝に座っていた彼女が飛び降りた。自由落下する少女は地面につく直前で急速に速度を落とし、音もなく着地した。


「うん、十点満点」


「バカいえ、一点の価値もないってーの」


 自らの行為にうっとりした表情でうぬぼれる銀髪をこの言葉でばっさりと切ってやる。


「ん~……恭二には理解できないかなぁ」


 できるもんか。まずそんな常識が通じない時点で反則だ。


「つーか、やけにラフな格好してるよな」


 短いデニムのショートパンツに、黒のタンクトップ。その上に黄土色の薄生地の長袖Tシャツをだらしなく着こなしていた。肩が片方出ているのが色っぽい。これが出るとところが出て、細い凹凸のはっきりとした少女ならの話。


 少なくともこんな背も小さく、まったいらな娘には難易度の高い着こなし方だ。


「今すっごい失礼なことを考えたでしょ」


 あからさまにがっかりした俺の表情から読み取った彼女は眉間にしわを寄せた。

 自分の左頬に張ってある絆創膏を手のひらで押さえ、考えを少しめぐらせた。何かを思うとき、考える時に出る無意識な仕草。五年もやっていれば、自分でもその事実に気づく。


「あ~あ~なんで俺の周りにはこんなのばっかなのかな」


 こいつもそうであるが、俺の周りには成長途中というか身長的にも悲しい状況の女の子が多い。加えて女らしい二次成長も乏しい。


「はぁ、キョウジがそういう娘が好きだからでしょ」


 やれやれとため息をつきながら呆れ顔で俺に近づいてくる。


「ちょっと待て。それは俺が危ない人間と勘違いされる」


 すかさず反論すると立ち止まり、身を乗り出して一言。


「何言ってるの、このロリコン」


 ニタリと邪悪な笑みを浮かべて、人差し指を自分の口元に当てる。


「うがぁー! ムカつく。言っておくがな、違うぞ。俺がロリコンなわけじゃなくて、好きになった奴がたまたまロリっ娘だったというだけだ」


 ビシィっと人差し指を彼女に向ける。今自分は『決まった』と充実感ある顔をしているに違いないと恭二も自覚していた。


「うぁ~迷言。そこまで言い切るのもある意味勇気だよね」


 ありえないものを見たと引きつった表情であとずさりする。自分の身も危ないんじゃないのかと思っているのだろう。


「ち、言ってろ」


 付き合ってられなかった。彼女の場合、わかっていて言ってくるのだから本当に面倒なのだ。彼と彼女のこの似たようなやりとりはすでに何十回もやっているものであることは言うまでもない。


「お兄ちゃ~ん」


 森に愛しのマイシスターの声が響いた。程なくして現れた少女は肩まである黒髪を揺らし、トコトコと小さな体を走らせ、彼のところにやってくる。


 白いワンピースに麦藁帽子。百八十センチある俺の身長から約四十センチマイナスすれば、今俺の前に立ち止まった少女の高さになる。


 このちんまい少女は恭二の妹、上根穂乃華かみねほのか


「おう、我が妹よ。何か用か?」


「あのね、え~っと夕餉ゆうげができたから呼びに来たの」


 幼さの残る甘ったるい声で微笑む。ちなみに外見は十一歳に見えるが、実年齢は十六歳である。まことに残念なことに五年間も身長どころかあらゆる成長が止まっていた。


「つーか、ゆうげって。いちいち古い言い方を言わなくてもいいんだぞ」


 夕食とか晩御飯とか普通に言えばいいのに、と思う。考えて言うくらいなら言わないほうがいい。もちろん彼は過去にそう何度も指摘している。

 だが、その度に妹は腰に手を当てて威張るようにない胸を張って決まってこう言うのだ。


「いいの! 好きなんだから。古き時代をうやまうのはいいことじゃない」


「お前は開き直るのが早いぁ~、嫌われるぞ~」


「誰に?」


 きょとんとした表情のまま首をかしげる。


「俺に~」


「ならいいじゃん」


 スタスタと家に向かって歩き出してしまう。


「ああ、冷たい。だが、そこがいい!」


 愛しのマイシスター、最高だ。厳しいこともさらりと言ってしまう。素直すぎて表裏がまったくない。本人はきついことを言ったとは思ってないのだ。


「もうただの変態じゃない」


 静観していたシオンが後ろから話しかけてくる。ちなみに妹との会話の間、ずっと俺のそばにいた。それでも彼女はシオンに気づかなかった。


「好きなものを好きと言って何が悪い!」


「はぁ、わかったから。さっさと行ってあげたら? せっかく呼びに来てくれたんだし」


 何を言っても無駄だと悟ったのか。言い返すことなく、呆れた表情で妹の去ったほうを見る。


 それもそうだ。我が妹の行為を無駄にするのはいけない。


「だな。じゃ行くわ」


 ひらひらと後ろ手で手を振り、森を抜けていく。この速さなら先に行った穂乃華に森の入り口までには追いつくだろう。


 自然とスキップしながら森を出て行く彼を気持ち悪そうにシオンは見つめているのだった。




 そして、一人となった銀髪の少女は彼が見えなくなった所でまたため息をつく。


「昔から嫌な性格だったけど悪い奴じゃないのよね」


 キョウジは真面目だ。しかし、不器用だった。何でも上から見下ろすような感じだった頃に比べると今の彼は相当いい人間だ。


 これもすべてあの娘のおかげ、なんだろうけど。




 妹の後ろ姿と追って森を抜けると大きな屋敷の庭に出る。


 錦鯉の住む池や桜の木、それらすべてを囲う長い塀。その塀はさっきまでいた神音の森の大部分を囲っているのだ。


 森に入るにはこの家の門を経由するか。塀の途切れている裏を無理矢理入っていくかの二つだ。上根の所有地ということで地元の人間が入ることはほぼない。


 個人の森であることを理解している以上に、上根家の管理する森というのが大きい。


 そんな庭をまっすぐ抜け、正面の木製の門まで回る。閉まっているのを目視で確認して振り返り、スライド式の古風な作りの玄関に手をかけた。


 島で一番古く一番大きな武家屋敷。


 それが上根邸である。無駄に広く、父親と彼と妹の三人暮らしでは使いきれない。空き部屋が八つもあるのだ。いっそのこと、下宿人でも募ろうかという父親の提案もあったが、「すべての負担が我が妹に行く」と恭二が猛反対した。


 そう家事のすべてを受け持つのがうちの妹。


 ダメな男どもは戦力にはならない。


「家事の才能もあった、ってことか」


 そんな独り言をつぶやきながら自分のダメさ加減に呆れていた。


 この家は古いというだけであって、パソコンもインターネットもあるし、液晶テレビも最新型のHDレコーダもある。もちろん、エアコンは完備してあるし、台所も電気式。


 家は古風、家具は最新鋭。それがモットーであると親父が笑いながら言っていたのを恭二は思い出していた。


「ただいま」


 玄関を開けて脱いだ靴をそろえてから廊下を歩く。


奥の突き当りを曲がると居間に出た。十五畳の広さの部屋に大きなテーブルと料理と、おまけのように親父も座っていた。


「なんだ、帰ってたのかよ」


 妹の手料理を独り占めできるかと思っていた恭二は落胆を隠さず、言葉にそのままの気持ちを乗せて言い放つ。


 しかし、皮肉だと取らなかったようで親父はガハハと笑いながら答えた。


「おう、仕事が速めに終わったんでな! 先に飲んでるぞ」


 言わなくてもいいことを言って、さらに持っているビールの缶に口つけた。見た目もそうだが居間が酒臭いことから、飲んでいることも酔っていることもわかっていた。


 だから今更説明は要らないのだが、わざわざ言うのは親父の性格上仕方のないことだ。


 この酒飲み親父、上根真治かみねしんじはこの島にある夏峰島の観光会社『夏峰観光』の社長である。その傍ら海の家『ビーチサイド』も切り盛りしている切れ者である。今のこの状態を見ていてはそうは思えないが、社員たちからはかなり信頼されているのだ。


 筋肉質で日焼けした肌をタンクトップで露出させている風貌通り、豪快な性格だ。


「あ、お兄ちゃん。早く食べよ」


 台所からから揚げの盛られた皿を持って出てきた妹。それを置きながら座る。


「そうだな」


 彼女に促された父親の正面に座り、彼はあぐらを組む。妹は右側に正座をして座っていた。前にしびれないのかと聞くと「男の人の前であぐらなんてできない」と女の子の発言していた。その時の少し俯いて口を尖らせた表情が可愛くてしょうがなかった。


「穂乃華、学園は明後日から冬休みだっけか?」


 子供達が「いただきます」と手を合わせてすぐに缶ビールを片手に話しかけていた。


「うん、明日の終業式で学園はおやすみだよ」


 その日を最後に今年はもう学園に行かなくてもいい。クリスマスを四日後に控えて、親父は何を聞きたいのだろうか。


「恭二にも参加して欲しいんだが、二人とも冬休みに海の家でバイトしないか? ほら夏休みも手伝ってくれただろ」


 仕事の話になると真面目になる男が顔を真っ赤にしながら提案する。


「まぁ、少しくらいならいいぜ」


 金が稼げるなら別に構わない。妹も異論はないようで「引き受ける」と承諾した。


 そのあとすぐに箸を握ったまま、首をひねって考え始めた妹。


 どうしたのだろうかと俺が注目すると、はじかれたように立ち上がった。


「そうだ! クリスマスの日にみんなを呼んでクリスマスパーティーをしようよ!」


 突然の思いつきに俺も親父も呆気にとられた。確かにクリスマスだ。しかし、真夏である。去年はというと、そんなことしなかった。


「うん、美夏みかとか不思議先輩とかつかささんとか香苗かなえさんとかを呼んで」


「げ、委員長はともかく先輩もか……」


 彼がそんな反応を示すのには理由がある。


「あの人達はちょっと曲者だからなぁ」


 渋る兄の反応を察して、妹は少し甘えた雰囲気を醸し始めていた。


「うん、料理は全部ほのが作るから。ね、だめかな?」


 親父は「いいぞ」とあっさり承諾。妹の豪華な手料理は魅力的だ。むしろ、それだけのために嫌なことをすべて我慢できる。何より「だめかな」という仕草に心を動かされた。


 よっしゃ、なんでもこい。


「可愛い妹のためだ。俺も協力するぞ」


「じゃあ、ほの、がんばるね」


 妹は一人称が『ほの』だ。あいつはわたしだったが、自分の教育の賜物だと心のなかで深く頷いた。


「ふっ……」


いい感じに育ったなぁと思う、心だけは。なんていうか俺好みに。


「なにニヤニヤしてるの? お兄ちゃん」


「なんでもねぇよ。ちょっとどうやって誘うか考えていただけだ」


 当然嘘である。自分のやってきた成果にちょっと浸っていた。それだけのこと。


「普通に誘ってよ。わざとこじらせてややこしくしないでね。ただでさえお兄ちゃん友達少ないだから」


「わかってるとも」


 心臓をえぐられるほどきつい言葉だが、俺は満面の笑みで返した。友達が少ないと言われようとも構わない。図星であり、真実であっても、それは俺のことだ。


 妹のことでない限り、俺は笑顔でいられるだろう。

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