夏日の既往より、冬日の今日へ
きーたん
夏日の既往より、冬日の今日へ
プロローグ
「紅い記憶」
気づけば、そこは紅くなっていた。
八月二十一日、午後四時四十分。夏である今のこの時間、夕暮れが世界を照らしているから、紅いのだ。
いや、それだけが理由ではない。
彼は幼い少女を抱きしめていた。少女の服もまた赤く染まり、さらに広がっていく。
少年は十二、少女は十一歳になるが、少女は周りに比べ少し成長が遅いのか、実年齢より幼く見えた。
赤い水溜りの中で少年は少女の名を叫んでいた。
彼にもわかる。
――彼女がこのままでは助からないことくらい。
この場所から病院までとても生きているとは考えられない。十二歳でありながら、少年は本能的に感じとっていた。
どうすればいい。どうすれば、助けられる。嫌だ、彼女を失いたくない。さっき約束したばかりなんだ。守れなくなるなんて絶対に嫌だ!
少女の体から滴る赤い雫。後頭部と何かで切れてしまった左腕から滴る。頭を打っただけじゃなく、内臓もダメージをかなり受けたようだ。
咳き込むたびに彼女の口から血が少年の体へと飛び散った。
目の前で消えていく命の灯火。どうすることもできないという絶対的な無力さとなんとか助けたいという想いがぶつかりあう。
「何を迷っているの?」
その声でここが二人だけの紅い世界でないことに気づく。
周りの音がない。
まるですべてが止まってしまっているかのように静かだった。
周囲を見れば音がない状況とは到底思えない。
なぜなら左にはトラックに押しつぶされてしまった車。後ろには巻き込まれた車が何台も並ぶ。ここも紅かった。車が燃え、道路は紅く染められ、大人が大きな声をあげているはずだが、聞こえない。
近くで子供が泣いている声も聞こえない。
少し離れたところにロードバイクに乗った少女が見える。巻き込まれることはなかったが、この惨状に対して振り向かずにはいれず、立ち止まっていた。どう対処していいのかわからない。そんな迷いもあるように思える。
さらに視線を少しズラすと少年と赤い少女を呆然と見つめる眼鏡の少女もいた。
眼鏡の少女はそのコバルトブルーのフレームの眼鏡をはずし、赤いカチューシャを触りながら二人から視線をはずす。
少年はその視線を追い、さきほどの声の主を捉えた。
地面につくくらいの長さの髪を風になびかせる少女。その髪は銀髪。花柄の着物に身を包んでいる少女はわずかに地面から浮いている。外見的には赤い少女とさほど変わらない。
しかし、その姿は浮世絵離れしていた。神々しさを感じる。右往左往する大人たちも、泣き叫ぶ子供も彼女にまったく気づかない。
混乱しているからではないことは少年にはわかっていた。
「あなたが対価となるものを差し出せば、今のその願い、叶えてあげる」
「けど、あなたにもできないことがあるはずだ。シオン」
少年は銀髪の和服少女を知っていた。彼だけにはずっと見えていた。だから知っていた。彼女が『何であるか』を。
「確かにその通り。だけど、望みに限りなく近くはできる。迷っている暇はないはず」
そうだ。時間がない。迷っている今はない。目の前に出されている可能性に手を伸ばすかを迷っている時間はないのだ。
「頼む! 助けてくれ! 俺の大切な恋人を助けてくれ!」
迷いを捨てた少年は願う。その必死な表情からはどれだけ赤い少女が大切であるかを感じ取れる。
「その願い、叶えよう。神音の血を引く者よ」
笑顔で二人に微笑みかける。さきほどまでのこの世界と違う何かではなく、この世界のどこにでもある可愛い少女のごく普通の笑顔。
彼女は純粋に嬉しかったのだ。こうして頼られることが。
例えそれが間違った想いであったとしても、彼女の行動を止める結果にはならなかっただろう。
彼女は自分を間違っていると思ったことがないのだから。
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