第8話 君の神様
「君らなら、大丈夫だ。」
私はそう一言言って、彼らを送り出した。
そして、その後は自室でコーヒーを淹れた。
やれるだけは教えた。
しかしそれでも不安だった。
去年までは二人で共有し合えた不安が、今年は一人にのしかかる。
こんなにも色々なことを考えてしまうのか。
どんな問題が出ているのだろうか。
ミサキは大丈夫だろうか。しっかり問題と向き合えているかな?
レンは大丈夫だろうか。彼に合う問題が出てるといいのだが。
シンは大丈夫だろうか。途中でうっかりミスなどしてないかとても心配だ。
不安が募る。際限がない。
ともすれば私が一番緊張でやられてしまうかもしれない。
受験とは、こうも辛いのか。
ストレスで腹が痛くなって来た。そんな時だった。
「邪魔するよ。」
なんと、トヨさんが入って来たのだ。
珍しい。しかしなぜ今日?
「これはトヨさん。ようこそ羚庵堂へ。今日はなんの用で?」
私が言うと、トヨさんは懐から箱を取り出し
「最中だよ。何、生徒が気がかりで仕方なさそうにしていたお主を見て、ついな。
茶を淹れてくれ。」
わざわざ最中持って来てるってことは、初めからくるつもりだったのだろうに——-
私は笑いを抑えながら
「はいはい。黒豆茶しかないのですが、いいですか?」
トヨさんが無言で頷いた。
私がお茶の準備をしていると、唐突にトヨさんが語り出した。
「私がこの村の長になってから、もう15年になる……。思えば、私の夫が逝き、取り残された年月と同じなのだよ。つまり私は、15年間、一人きりだ……。」
「……」
「受験する子供達も何回か見てきた。喜ぶ者、悲しむ者、どちらも見てきた。
しかし、お前たち夫婦の塾から出た子供に、後悔の悲しみの顔をしている者は一人もいなかった。」
「……」
「あの子が何を教えてるのか知らないが、見事なものだ。希望していた所に落ちても子供は絶望など一切していなかった。あるのは、笑顔だ。やりきったという満足感だ。もっとも大事なものだな。」
「……」
「お主。そんなに肩肘張らんでええ。彼らにとって合格がゴールではない。やり遂げること、それがゴールじゃ。彼らが帰ってきた時、暗い顔をしていることはない。これらのことを全て、あの子は子供達に伝えた。…問題は、次からじゃ。お主、どうするつもりじゃ?」
テーブルにお盆を置き、質問に答える。
「私は何も、変えるつもりはありません。」
彼女は茶を一杯啜った。
「それはいかん。私は子供に勉強を教えてきたことはない。しかし、そんな私でもわかることがある。それはお主とあの子は完全に別の教育方法だったということじゃ。お主は未来を大事にし、子供たちが将来楽にできるよう常に教えてきた。あの子も子供たちの将来を楽にさせるようにしてきた。そこは同じじゃ。しかし、あの子は〝今〟を常に重んじた。わかるか?」
「……はい。」
図星だった。
この人には全てバレている。
茶のお代わりを汲む。
「なら……私は、どうすれば——————」
「さぁな、知らぬ。ただ少なくとも今のスタイルを変えないでいる限り、お主は一歩も進まぬ。いや、進めぬ。」
「あなたは、一体———————」
「邪魔したね。茶、美味かったよ。また来るよ、合格祝いにな。」
トヨさんはそう言うと、さっさと玄関から帰ってしまった。
なんて人だ……。
私は実際、頭の片隅でずっと考えていたのだ。
今年はどうにかなった。
しかし来年の子は私が一から一人で教えないといけない。
その時、これまで通りの私のやり方でいいのだろうかと。
やはり……変えねばならないのか。
彼女はどんなやり方だっただろうか。
いや……今は、まだ考えなくていい。
今できることは、彼らを待つことだけだ。
妻との羚庵堂での、最後の塾生を。
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