第5話 ミサキの悩み
「ミサキを助けてあげてね。」
今回の手紙にはそれのみが書かれていた。
私は驚いた。というのも何か悩みがあるのかと思ったのは昨日が初めてだったのだ。
タイミングが良すぎる。まるで、やりとりを見ていたかのようだ。
差出人の謎は深まるばかりであった。
私は手紙を前と同じように保管し、切り替えて頭を働かせた。
差出人の言う通り、彼女にはきっと何かある。
そしてそれはもし悩みならもうじきにある受験に影響するかもしれない。
それは彼女にとってプラスではない。
ならやはり一度聞くべきだな。と考えた私は、今日もあの3人が来るのを待っていた。
そして、授業は始まった。
今日の授業は数学だった。
レンとミサキの手が止まりがちである。
シンは一人でもある程度わかっているようだが、レンとミサキは二次関数で苦労しているようだった。
「先生、なんでここの問題の条件にD>0が必要なんですか?」
「それはだね……」
今日は自由スタイルである。
私は様子を見て回り、苦労しているものを解説するというだけ。
それでも、生徒の質問は絶えずあるのだから十分に忙しい。
私はレンの質問に答えた後一度休憩にした。
それぞれが思い思いに休んでいる。
その様子を見ながら私はミサキを別室に呼び出し尋ねた。
「ごんぎつねの感想をいってくれた時から考えていたのだが……何か悩みでもあるんじゃないか?あるなら先生に話してくれないか?」
私は慎重に言葉を選んだつもりだったが、彼女は私の発言を聞くと俯いてしまった。
もしかして急に踏み込みすぎたのか?
いや、そんなことはあるまい。
タイミングは悪くないはずだ。
脳内で一人自問自答をしているとミサキが顔を上げ、
「先生……私、本当は受験なんてしたくないんです……。」
とか細い声で言い、また顔を下げてしまった。
なるほど。
彼女はおとなしい。
おそらく自分の意思を伝えることなく、志望校を親に決められたのだろうとふと考えたことも確かにないことは無かったので意外ではなかった。
やはり、ごんぎつねの感想は気付いて欲しかったのだろう。
声は震えていた。泣いているのだろうか。
おとなしい彼女が自分の意思を声に表すのはとても難しかったはずだ。
それでも言ってくれた。
しかし、今になって受験が嫌、か………。
塾講師としては、マイナスのは発言なので矯正しなければならないのかもしれない。
実際、前までの私なら理詰めでミサキに受験するよう勧めていたと思う。
それは間違いではない。
いいところの学校に行き、田舎を離れ都会の空気を味わえるチャンスなのだから。
それはどれをとってもプラスのはずだ。
しかし今回は違う。
頭に思い浮かんだのは、手紙のことであった。
「ミサキを助けてあげて。」
私の持つ考えでは、側から見ると解決したようだが彼女に対する配慮だけはできてない。
自分にとってのプラスマイナスでしか物事を見れないのではダメだ。
こんな時、文香ならどう答えを出すのだろうか。
…………………………………………。
いや、違う。
求められているのは、「私の」回答だ。
何かにすがってはダメだ。
そして、今一つまた気になったことがある。
私の言葉で、聞いて答えねば。
しばし間を開けた後に、私は語り始めた。
「受験をすぐそこに控えている。たしかにそれは重要な問題だ。だからこそ君は焦ったんだね?」
彼女は首を傾げた。私の言い方がよくわからなかったのだろうか。
「君は《受験が迫ってるのに、受験するかしないかで揺れている自分》に焦ってたんじゃないかってこと。受験するならするで勉強に集中しないといけないことはわかってたんだよ。つまり、君は別に受験するかしないかで迷ってるんじゃないってことだ。」
彼女の双眸が大きく見開かれた。
「僅かな違いだけどね……君の一番言いたかったことはこれからも親の決めたレールの上を歩き続けている自分に気付き、嫌悪感を、そして恐れを抱いたのではないか?
これからも操り人形のように指示された通りに動いていくことに、疑問を抱いた。
それでいいのかと。……どうかな?先生の考えは。」
するとそこまで黙って聞いていたミサキが初めて口を開けた。
「…そうです。先生。気づかないうちに、また自分の考えに蓋をしていたみたいです。」
そう言った彼女は寂しく笑っていた。
「いつでもそうだったんです……。中学に上がる時も、親に言われた通りの学校に行き、そして、今回も……。塾は楽しいのです。でもそんな感じで人の意見に流れているような人生に、なんの意味があるのかと、そう思いました。」
ミサキは一度そこで言葉を切り、深呼吸した。
そして、
「受験する意味ってなんでしょうか?」
まっすぐ目を見て聞いてきた。
ならば誠心誠意答えるのみである。
私は優しく語りかけた。
「法と社会に縛られたこんな世界だ。一つや二つ納得のいかないこともある。
子供が親の操り人形となっている問題は今に始まったことじゃない。
しかし、彼らも子供たちのことを思ってのことだ。親や私たち教師にできることは、選択肢を増やすことだ。君たちが目指す高校も、そこから沢山の大学につながるいいところだ。花は咲く場所を選べない。しかし、どう咲くかは自らの意思で決めることができる。高校に入れば、そこから先は君の自由だ。もちろん、今君にはっきりと受験をしたくない意思や別に行きたいところがあるなどの考えがあるのなら、それも自由だ。ちゃんと向き合って話すがいい。必ず理解をしてくれるはずだ。」
彼女は笑って、答えてくれた。
「なんかかっこいいですね………先生、ありがとうございました。きちんと、考えてみます。自分の考えを。」
先ほどまでとは違い、すっきりとした笑顔だった。
良かった。もう大丈夫そうだった。
……さてと
私はドアに向かって声を出した。
「そこの二人、入りなさい。」
しばし間が空き、その後気まずそうにレンとシンが入ってきた。
シンは「ごめんねミサキ、盗み聞きしちゃって。」と言い
レンは「今からでもがんばろーぜ、ミサキ!!俺はバスケ、こいつは研究。ミサキも一緒に、目標を持って頑張ろ!!!」と励ましていた。
ミサキはそんな二人に向けて優しい微笑みを向けていた。
私も、笑顔になった。
この3人なら、大丈夫であろう。
きっと苦しみを分かち合い、支え合っていける。
今の私とは違い、一人じゃないのだから。
そこで私は手紙のことを思い出した。
これで良かったのだろうか。
わからないが、私は今とても満たされていた。
「さて、みんなそろそろ戻って勉強しようか。」
話をしている3人に声をかけ、彼らをは授業に戻らせた。
部屋を出る前、ふと外の景色が目に入った。
外は冬の到来を示すかのごとく、もう日が傾いていた。
そして、落ちる前の太陽は今日も変わらず紅い優しい光を放っていた。
その日が突然、私に牙を剥くようにギラついた。
「………」
一瞬。だがたしかに聞こえた。
『それでいいのか?』
照らす光はたしかに私にそう忠告したのだ。
「……」
そして、私はまた歩を進めた。
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