第13話 二つの月


「んー……」


 セミの鳴き声が聞こえる。

 朝の登校から約七時間後の昼過ぎ……今は五限目の授業中である。

 教師の口から発せられる子守唄と、ひまりが作ってくれた弁当による満腹感により、俺は猛烈な睡魔に襲われていた。


「ふあぁ……」


 眠い……俺の席は窓際の最後部だから居眠りしやすいけど、バレる時はバレるからなあ……前の席のひまりは真面目にノートをとっており、となりの席の勇介もちゃんと授業を聞いてる。かと思ったが、よく見ると勇介は笑顔のまま寝ていた。器用なことしやがるなーと関心しながら、俺はおもむろに窓の向こう側を見る。

 

 三階の教室から見える景色……青空と、木々と、住宅街……更に遠くには駅と電気街……俺が見ている、いつもの風景。


 

 平和だ……



 そして、俺の意識はプツンと途絶える。

 深い闇の中へ落ちていく感覚……これはアイルやエリシアさんと出会った時の、あの夢を見る前兆だ。昨夜見たばっかりなんだが……まあいいか。退屈な授業よりアイルと夢の中で喋ってる方が面白いしな。そんなことを考えながら、闇の中で俺は再び意識を失った。



「……ん?」


 また母ちゃんに追いかけられるシーンから始まるのか……と思ったが、今回の夢は違っていた。


 目を覚ますと、そこは知らない世界だった。


 紫に近い瑠璃色の空に、満月が二つ並んでいる。一つは紅で、もう一つは蒼。辺りはやけに薄暗く、肌寒い。顔を上から正面に下げると、手入れの行き届いた庭が目に映る。光を発する美しい花々と石造りの道……その先に古い館が見える。


 ここが森林に囲まれた屋敷の敷地内、ということは把握したが、こんな場所に来た覚えはない。木を背もたれにし、座って寝ていたようだが……どこなんだここは?


「むにゃ……」


「……!?」


 軽く寝ぼけていた俺は、自分の右足を見て少し驚く。気付かなかった。俺の太ももを枕にして、赤髪の女の子が眠っていたのだ。


「くー……」


 おそらく五、六歳であろう幼女が、気持ちよさそうに寝息を立てている。ショートカットの赤髪と白のワンピースが、そよ風に吹かれ揺れている。


 こいつ、誰だろう……どっかで見たような……うーむ……

 この女の子が一体誰か思い出そうとしていた所、後方から少女の声が耳に入った。

 

「ダメですよ、お二人とも。そんな所で寝ていると、風邪を引いてしまいますよ?」


 いつの間にか俺の前に、メイド服を着た黒髪の少女が立っていた。

 この切れ長の目と青色の瞳は……あっ!


 間違いない……エリシアさんだ。

 

 しかし俺が知っているモデル体型のお姉さんと違い、今は随分と幼い姿をしている。多分十歳くらいか? クールビューティからキューティーロリへと変化したエリシアさんであったが、凛とした佇まいと、キリッと引き締まったその表情は、成長前も後も変わっていなかった。


「むにゅ……あー、エリシアだ」


「ほらルージュ様、起きて下さい。お食事の用意が出来ましたので、館に戻りましょう」


「うー……わかったー」


 ルージュ? ああ、そうか。こいつは俺がガキの頃、いきなりナイフで襲ってきたあのルージュか……こいつもエリシアさんと同じで、あの時より随分幼いな。あ。確かお姉さん版のエリシアさんが、『昔はルージュと家族みたいに仲良しだった』って言ってたけど……


 ちょっと待て、これはいつの時の光景なんだ?


 ん? ん? い、いかん、全くわからん……

 つーか夢ってのは、記憶にないことまで映し出せるものなのか? 


 静かにパニック状態になっている中、ゆっくり立ち上がるルージュが目に入る。そして彼女は、満面の笑顔で俺に手を差し出してきた。


「いこう、ノア!」


「ええ、ノア様も行きましょう。皆が待っています」


 ルージュの手を取り、立ち上がる俺。頭は働いていたが、体は思ったように動かない。自分の意思とは関係なく、俺は二人に付いていく形で古い館に向かって歩きだした。


「ねえ、エリシア! 今日のご飯は何?」


「カレーという地上で人気のスープ料理です。お口に合うとよいのですが……何分初めて作ったものなので」


「うん、多分大丈夫! あたし、すごく楽しみ!」


 三人揃ってにこやかに笑い合う。平和だ。

 そういえば以前、元魔王であるアンジェが『キミは色々なことを忘れている』って言ってたけど、このことか……? 俺は昔、エリシアさんとルージュに会っていたのか……?


 

 そんな答えの出ない答えを探しているうちに、俺の意識は再び暗闇へとフェードアウトしていった。




「おはようさん、ノア」

 

「……! お、おう。ひまりか」


 夕陽に照らされたひまりが、ボヤケて映っている。時刻は十六時を周っており、今は放課後……どうやら俺は、六限目の授業もまるまる寝ていたようだった。


「あっはっは、かなり熟睡してたみたいだねえ、ノア。よくぞ先生にバレなかったものだよ」


「いや、多分バレとったけど、先生ももう起こすの面倒になったんやろ……ノアはしょっちゅう授業中に爆睡しよるからな」


「ふああ……そうだなあ。ひまり、後でノート見せてくれな」


「しゃーないなあ」


 イスに座ったまま体を伸ばした後、俺は下校の準備をするためカバンの中に教科書等をつめる。三人で教室を出て階段を下り、下駄箱でシューズから靴に履き替え、校舎から出る。いつも通りの夕焼けと、木々と建造物……俺の知っている日常風景がそこにはあった。


「で、今日はどうする? どっか遊びに行くか?」


「うちなー、今日はモールで買いもんしたい!」

 

 モールとは駅前にある大型ショッピングモールのことである。日用品や電化製品、衣類、食材など様々な商品を取り扱っており、そこにいけば大抵のものは揃えられるのだ。


「モールかー。何か欲しいもんでもあんのか?」


「地下の食材コーナーで特売やってんねん。これからノアの夕飯作らなアカンからな!」


「おー、夕飯まで作ってくれるのかよ。ひまりちゃんマジ天使だな。んじゃ食費だけは持つから、料理の方はよろしく頼むわ」


「任せとき!」


 学校前のバス停で待つこと五分。俺たちはバスに乗り込み駅前まで向かった。

 しばらくして、勇介はこれからバイトがあるため途中下車する。


「あっはっは、お邪魔者は退散するよ! 二人仲良くラブラブな時間を過ごしてね! それじゃバイバイ~!」


 という爽やかな捨てゼリフを残して。となりのひまりは、怒りで顔を真っ赤にさせプルプルさせている。よほど悔しかったのであろう。勇介はすでにバスを降りた後だったため、その場では何のアクションも起こせなかったのだ。ただ今は呑気に笑って手を振っているあのバカメガネだが、後日、鬼のひまりに報復されることは間違いないであろう。バイバイ勇介。

 

 発車したバス内で、俺はとなりの席のひまりを適当になだめる。

 いつもと変わらぬ日常に呆れながら、ふと、学校で見た夢のことを思い出す。

 

 紅と蒼の二つの満月……見知らぬ世界……幼いルージュとエリシアさん……


 モールへ向かう道中、勇介の今後についてひまりと話し合いながら、あの不思議な夢の光景を思い出していた。

 

 

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魔王使いノア ぽん @hatsuyuki

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