E3 / 二年間続くエピローグ

 部室の舞台に見立てた教壇の上で、和月の体を抱きしめるのは何度目だろう。


 ゆっくりと和月から離そうとしたのに、それは叶わなかった。

 和月の腕が、身体に絡まったままだった。

 二人きりで抱きしめ合える時は、今をおいてもう二度とない。

 上演日はもう、明日と決まっていたからだ。


「和月、も、もう一度、最後の部分を」

「祐鶴……その前に、聞きたいことがあるんだけど。知ってたでしょ? とーま先輩のこと、好きなの」

「う、うん」


 突然の尋問に、反射的に答えてしまった。


「……とーま先輩も好きだって、言ってくれてることも」

「うん。お洒落なカフェでコーヒーごちそうになりながら聞いたよ」


 わざと嫉妬を誘う言い方をしてしまった。

 和月の両腕が、身体に食い込む。


「祐鶴ばっかりずるいなぁ。とーま先輩とデートしてさ」


 和月の甘ったれた声は、甘美に響いた。

 せっかく落ち着いていた心臓が、再び高鳴り始めた。


「デート……? 好きでもない相手とカフェに行くのもデートなの?」

「そそ、れは……分からないけど」

「だったら」


 和月の身体を無理やり引き剥がした。どうしても、和月の顔が見たかった。

 今、何かの気持が一致した気がしたのだ。


「これから一緒に行こうよ」

「……それは、デートの誘い?」

「うん」


 和月の唇が、震えていた。そして、視線が下がった。


「あのね、祐鶴。このエピローグ……すっごく好きだよ。リクとレヒトは、誰も殺さずに、世界を支配して、どうするんだろうね?」

「さぁ? 何も考えてないと思う。ただ、二人が一緒にいることを、誰にも邪魔されないってことが大事なだけで」

「……そっか」

「それで、返事は?」


 和月の視線は下がったままだった。そして、その両腕の力が少し弱まった。

 あまりよくない返事をしようとしている。そんな気がした。

 

 聞きたくなかった。

 森守和月から、断りの言葉なんて聞きたくもなかった。

 腕を体から動かしてしまったら、和月は逃げ去ってしまうかもしれない。

 この状態で和月の口を塞げるものは、一つしかなかった。


 互いに目も閉じることもなく、特別な関係がなければ、触れ合ってはならない部分が、触れ合っていた。


 どちらともなく、合わさっていた部分を離した。


「……どうしてか分からないけど、祐鶴とはこうなると思ってた」

「……気を遣わなくていいよ」


 嬉しくもなんともなかった。

 ただ、罪悪感と、劣情ともいうべき感情が心を支配していく。和月の顔をみるのが辛かった。

 なのに、両腕の力を抜くことが出来なかった。


 突然、和月の顔が近づき、今度は歯同士が重なった。

 こつんこつんと不思議な感触がして、和月の顔が離れた。


「な、何してるの?」


 こんな疑問の言葉くらいしか、口を突いて出なかった。


「な、何って、改めて聞かれると、困る……かなぁ?」


 混乱しているのだ。

 多分、お互い混乱している。


「……あのね、祐鶴。四月のこと覚えてる? 実はあのサイト、知ってて声かけたんだ。ちゃんと脚本書けそうな、仲間が欲しくて」

「え……あぁ、そっか」

「祐鶴を利用して、とーま先輩の気を惹きたくって……ごめん」


 少しも心が軽くならなかった。

 罪悪感が、更に募った。

 今抱きしめている相手には、ちゃんと想っている人がいる。


「でも……ね。いつの間にか、祐鶴が離れるのがいやになって……二十分にしてもらったのも、終わっちゃうの、嫌で。今も完成したって言いたくない……とーま先輩に会いたくない。でも、先輩のことは、ちゃんと、その、大事で」

「分かってるよ」


 分かっている。

 こんなふうになっても、登馬副部長が一番だということくらい、分かっている。

 だってそれは、普通のことだから。

 森守和月はまず、宮元祐鶴との歪な関係に決着をつけなくてはならないのだ。


「もう一度、いい?」


 和月の甘えたような声が、神経を焼き切った。

 強く抱き寄せて、深く繋がった。

 痛かった。

 和月の並びの良い上下の前歯が、何度も舌と唇に突き刺さった。

 その度に、心臓も痛みを放った。


「……はぁ」


 お互い、新鮮な空気を求めて口を離した。


「……祐鶴は、いいの?」

「何が?」


「こういうのって、その、異性とすることだと、思うんだけど」

「和月は、和月だから」

「そうだね……祐鶴も、祐鶴だね」


 迷いなんて、一切なかった。

 ただ、説明のつかない罪悪感だけが、心に暗い影を落とした。


「どうしよう……離れ、られない」


 和月の怯えたような声が、脳と心臓を急速に冷やしていく。

 でも、いくら冷静になっても、和月が愛しかった。

 自分の想いは何も間違っていないと、脳と内臓の全てが主張していた。

 でも、いつまでもこのままには出来ない。


「和月、約束、しようよ」

「ど、どんな?」

「うん。お互い、一番好きでいること」

「え……? ゆ、祐鶴はそんな約束して、大丈夫なの?」


 結論を急いではいけないよ、和月。

 和月を、これ以上自分の中に絡めたままにしてはいけないのは分かっているから。


「だから、破ってもいい約束をしたいの」

「え……?」


 指先が、急速に温度を失っていった。


「ゆ、祐鶴……そ、それって……」


 不思議そうな顔をする和月に惹かれ、顔を近づけそうになってしまうが、なんとか堪えた。


「だから、約束はするけど、それは破ってもいい約束ってこと。というか、破らないといけない約束」

「そ……そんな……!」

「登馬副部長は言ってたよ。和月が誰を好きでも、自分が二番になってもいいって。絶対、一番を奪い返すってさ。ちょっと……勝てないから」

「と、とーま先輩が?」


 再び唇を触れ合わせて、離す。


「ねぇ、和月。次の芝居を作ろうよ」

「え? 次の?」

「うん。恋人同士の芝居。一方的に好きになった相手に、いつの間にか惹かれていく話。本当は好きな人がいるのに」


 安易に頷いてくれる。どんなに暗くて重たい芝居になるか、分からないのに。


「で、でもそれ、上演出来るの?」

「無理かな。辛くて、悲しいから、演じきれない」

「そう……だね。辛くて、申し訳なくて、出来ないよ」


 そうだよ。感じてよ、和月。同じ罪悪感を。

 そして、その罪悪感に二人一緒に押し潰されて、最後には和月だけその罪悪感を振り切って、登馬景の元へ走ってよ。


 ちゃんと先輩を受け入れて、まるで小説の主人公のように、高嶺の花の存在と愛し合って欲しい。

 それが、宮元祐鶴のあと二年間続く芝居の本筋であり、結末だから。

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