D2 / 脚本家であること、己自身であること

 何度目かのリハーサルが終わり、和月は休憩を告げつつ、床へと倒れ込んだ。

 怪物スーツを脱ぎ捨て、その横に寝転がった。和月が被っていたヒーローの仮面がころころと、床の上を転がった。


 面下代わりの水泳帽を被ったままの和月の顔には、なんの表情も浮かんでいなかった。

 きっと、自分の顔にも何の表情も浮かんでいないだろう。


 出来上がったね。


 そう和月に告げようとしたのに、喉はそれを声にして出さなかった。

 正しくは、言えなかった。

 和月の表情は、その全てをもってして、納得がいかないと主張していたからだ。


 この二人芝居が出来るまで、随分と時間がかかってしまった。

 演劇部の本公演の脚本会議に参加するようになり、なかなか時間を割けなくなった。和月も準主役級に抜擢され、血のにじむような練習を繰り返していた。


 それでも、妥協する気は一切ないという和月の思いが、痛いほど伝わってきた。


「……祐鶴」

「待って、メモするから」


 上体を起こそうとしたところで、和月に手を掴まれてしまった。

 汗でじめっとした合皮の手袋は、なんともいえない独特な感触だった。


「そうじゃなくて……その……」


 和月の歯切れが悪い。

 こんな和月は初めてだ。冷静になって、脚本の出来がそれほど良くないことに気付いてしまったのだろうか。


「そうじゃなくて……何?」

「ええと、その」


 和月が手に力を込めた。

 振りほどこうと思えば出来る程度の力だったが、そんなことはできなかった。

 上半身を起こした和月の眼が、まっすぐ自分に向いていた。


「エピローグ、足そう。先輩に頼んで二十分にしてもらうから」

「な、何言ってんだよ……え?」


 突然、和月が煩わしそうに手袋を外した。

 和月の生の指が自分の指に絡み合った。


「お願い……一生のお願い」


 背骨に、熱い鉄芯を突き刺されたような衝撃が走った。

 これはきっと、天啓だ。


 今の脚本は、脚本家としての本分を貫いた。

 自分が一番描きたいシーンから切り捨てること。これは物語を描く上での鉄則だと聞いたことがある。だから、納得のいかない脚本を書き上げて、自分はただ完成したという悦に浸っていた。

 でも、天はその行動に納得してくれなかったようだ。


 神様がくれたのか、和月がくれたのかは分からないが、どちらでもいい。

 森守和月の全てを独占出来る最後の五分間を得ることができた。


 和月の手は離れなかった。もちろん、自分から離す気も起きなかった。


「分かった。あとエピローグをあと五分ね。それが出来たら、すぐに上演しよう」

「うん」


 和月の手を握り返すと、和月も負けじと力を入れ替えしてくれた。

 お互い汗まみれで、熱い手だった。


 だが。

 二人の制服が冬服に戻る時期になっても、舞台の脚本は完成しなかった。

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