C4 / 駆け出し脚本家の流儀

「ストーカーなんだよ、和月は」

「え!?」


 十分の一秒ほど、意識が飛んだ気がした。


「冗談。同じ私立の中学だったんだ。卒業式の日にね、和月が絶対同じ高校へ行きますって宣言してさ。本当に来てくれるとは思わなかったよ。一番レベルが高い県立なのに」


 すごい。なんだか、森守和月を遠く感じてしまう。

 ここしばらく、朝から下校時刻まで、森守和月とはたくさん話をしたのに、副部長さんとの話なんて一度も聞いたことがなかった。もちろん、副部長さんへの視線には気付いていたが、気付かないふりをしていた。和月の口から、副部長さんをどう思っているかなんて、聞きたくもなかった。


「ここまで健気なことをされてしまうとね、なんというか、特別な存在と思ってしまうんだよ」


 副部長さんが、ゆっくりと店内を見回した。

 客は頑固そうなじいさんが一人、テーブル席に座っているだけだった。店員さん達は厨房だろうか。コーヒーの香りを邪魔する無粋なケチャップの香りが漂い始めていた。

 もしかしたら、副部長さんは話しをしつつ、誰にも聞かれないこのタイミングをずっと伺っていたのかもしれない。


「……和月のこと、どう思う?」

「え!?」


 先程よりも大きな声が出てしまった。


「そんなに驚かないで欲しいな。まぁ、質問の意味を理解してくれて助かるんだけど」


 理解なんてしたくもないが、副部長さんが何を伝えたいか、分かってしまった。

 この外見も中身も非の打ち所が無い人物が、和月に対して自分と同じような想いを抱いているとは、神様もつれないことをしてくれる。


「す、すみません、り、理解出来て、ない……です」

「本当に? そんなに驚いておいて?」


 不適な笑みを浮かべつつ食い下がる副部長さんに、頭を思い切り縦に振る以上のことは出来なかった。


「そう。ならね、和月の相方には知っておいて欲しいし、相談させて欲しいんだ」

「な、何をですか?」


 目を伏せた副部長さんの両眼が湛える水の量が多くなったように見えた。

 聞きたくない。

 でもこの至近距離では、たとえ両耳を塞いでも聞こえてしまうだろう。


「……二つも年上の先輩から、好意を伝えても、いいものかな?」


 風が強く吹き付けるような衝撃が、全身に走った。

 心臓だけじゃない。肺も横隔膜もその衝撃を受け止めきれなかった。


「……そ、そんなに黙り込むこと? しばらく連絡すら取らなかったのに、都合良すぎるかな?」

「え? あの、いえ……そ、それは、じ、自由だと、思います」


 初恋は実らない。

 そんな言葉、何度も聞いたことがあるし、沢山の本でも漫画でも読んだ。

 だから、和月の相方という関係を大切にしようと思っていた。

 でもこれほど早く、これほど分かりやすい絶望が待っているとは思いも寄らなかった。


「大丈夫? こういう話に免疫ない?」

「あ、あの……はい」

「そう。ならこの情けない先輩の恋を芸の肥やしにでもしてよ」


 したくない。

 でも、今心の中に吹き荒れる暴風は、確実に物語を紡ぐ糧になってしまうだろう。


「で、でも、受験とか、ありますし、大変なんじゃ……?」


 自分が何を言っているのか分からない。


「実はもう進路は決まっていてね。これは学校に秘密にしているんだけど、もう結構大きな劇団に所属しているんだ。俳優事務所も兼ねている所で」

「え? お、おめでとうございます!」


 予想を大きく上回る答えが返ってきた。本当に、何でも持っている人だ。

 清々しいほど、何一つ勝てない。


「ふふ、ありがとう」

「あ、あの、森守は知っているんですか?」

「もちろん。すごく喜んでくれたよ」


 気管がキュっと詰まったような感覚を覚えた。

 和月がこの二人芝居に情熱を注ぐ理由。やはり、この人のためだ。


「そ、卒業したら、も、森守はどうするんですか?」

「遠距離になる、かな。いや、まだこの想いが成就すると決まった訳ではないよ。あいつはただ懐いてるだけで、恋心を抱いてくれてるとは限らないんだから」

「は、はぁ」


 抱いている。

 森守和月はあなたに恋心を抱いているに決まっているのに、誰もが惚れてしまいそうな美しい顔をして、何を気弱な。

 指先の感覚がなくなるほど、体の芯が冷え始めていた。


「ごめんね、宮元。そんなふうに悩ませるつもりはなかったんだけど。その、この二人芝居が完成するまでは和月に想いを伝えたりしないから、安心してよ」

「あ、あの、はい……あはは」

「わ、笑わないでよ……頑張って勇気を出したのに」


 あはは。笑いが出てしまう。

 ここまでの努力、そしてこれからする努力の全ては、森守和月と登馬副部長のための努力なのだと、はっきりと思い知らされてしまったのだから。

 この二人はもう深いところで繋がっていて、その繋がりを深めるために、自分は利用されているのだろう。

 あはは。

 笑ってしまうよ。笑いが出てしまうよ。


 でも、ここで心を凍らせるほど、愚かな人間にはなりたくない。

 森守和月に失望する必要もなければ、副部長さんという高い壁に絶望する必要もない。この劇を成功させたいという思いは、三人とも一致しているからだ。

 そもそも人に想いを伝えるのは自由だ。そして、そうしないでいることもまた、自由だ。


 それに、自分にはあって、この人にはないものが、一つだけある。

 目の前に広がっているA4の紙束。

 脚本を、ストーリーを作り出す権利だ。

 これに則して、森守和月は動く。

 舞台の幕が上がった瞬間、森守和月の時間は脚本家の自由になる。ほんの少しだけの時間だけでいい。

 森守和月の視線を、虚構の世界で独り占めする時間があれば。

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