III - 06
「ねえ、もう寝た?」
パジャマに着替えた紫苑が尋ねた。
照明が消され、ベッドの上段で光る読書灯だけが天井を照らしている。
「もう寝た」
僕は横になったまま答える。
買ったばかりの布団は自分の痕跡がまるでなくて、横になってもなんだか落ち着かない。
ページを
「……もう寝た?」
「もう寝てる」
「寝てよ」
「お前も寝ろよ」
「寝姿を晒すのが恥ずかしいんだよ。きみが先に寝てよ」
「別に見やしねえし、寝相が悪かろうが気にしねえよ」
「そういうこと言うから気になるんだよ。……えっち」
「えっち、じゃねえ」
「……淫乱?」
「それは言い過ぎだろ」
ベッドが僅かに軋み、また紫苑がページを捲る。
「とりあえず、きみの方が先に寝てくれると、嬉しい。以上」
「そうですか」
起きていてもやることもないので、ひとまず僕は白い壁紙を眺める。
壁紙の凹凸を眺めていると、凹凸がゆっくりと動いているように見えてくる。崖の亀裂から溢れる湧き水のように、凹凸が流れる。ぼうっと、その様子を眺める。意識がじわりじわりと溶けて染み出し、眠りがゆっくりと染み込んでくる。
壁掛け時計も置き時計もない部屋には秒針の音すら響かない。
代わりに、規則的な間隔でページを捲る音が聞こえる。
三〇秒に一ページほどの読書速度。一分に一回、紫苑がページを捲る。
静かな部屋で、紫苑の読書灯だけがぼんやりと光っている。
瞼はほとんど閉じて、意識だけがおぼろに残る。
「ねえ」紫苑が尋ねた。「寝た?」
ああ、と返そうとしたが、欠伸で声が出なかった。
「おぉい……?」衣擦れの音が聞こえ、ぱたん、と本が閉じる音が聞こえた。「ほんとに寝た?」囁くような声が近づいたと思ったら、また小さくなった。「寝たふりしてる?」そういうつもりではない。「もしかして、寝てる間にちゅーされるかも、とか思ってる?」思ってねえよ。「しないからね?」そうですか。「安心した?」……。
紫苑が無口になった。
「……寝てる、ね?」
きし、とベッドが小さく軋み、紫苑が梯子に足をかける音が聞こえた。
部屋は静かで、窓の外で細く雨が降っていた。
紫苑がベッド脇、僕の後ろに立っているのがわかった。紫苑の息遣い、こく、と息を飲むのが聞こえた。それから、そっと、紫苑の指先が頭に触れた。
髪の流れに沿うように、紫苑の手が僕の頭を二、三度、撫でた。
手のひらがやけに温かかった。
「ありがとうね、木戸くん」
紫苑は囁くような声で言った。
紫苑が僅かにずれていた掛け布団を僕の身体にかけ直し、紫苑の指が肩に触れた。かたかたと小さな音を鳴らしながら紫苑が梯子を上がり、LEDライトを消した。
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