II - 06

「同じクラスの子に遊びに誘われたんだけど、行くべきかな?」


 晴れ渡った空の下、屋上、休み時間残り二〇分。

 ぽつりと紫苑が言った。

 薄着だと肌寒いが、厚着では暑いような、半端な気温の日だった。


「きみはどう思う?」


 紫苑が首を傾げた。

 ありとあらゆる人付き合いが欠如した人間である僕の意見を仰ぐ理由がわからなかった。


「……行ってみれば? つまらなかったら帰ればいいし」

「そういうものかな」

「そういうもんじゃないか」

「今日はきみ一人だけど寂しくて泣かない?」

「ないない」

「そっか。じゃあ、今日はちょっと部屋に行くのが遅くなるかも」


 ちょっと遅くなるという言葉の程度がわからなかったので紫苑にスマホの電話番号を教え、帰ってくるときに電話しろとだけ伝えて一人で学校を出た。紫苑のクラスメイトがどんなやつかなんてことに興味を持ちたくなかった。


 それから、町を歩いた。


 あの部屋以外にどこか他に部屋がないかを探し、マンションやアパート、雑居ビルを行ったり来たりした。不法侵入先の予備、あの部屋が使えなくなったり新たな住人が現れたりしたときの避難先、バックアップ、シェルター。大した意味もないのにそんなものを探して時間を浪費した。


 マンションを見つけ、非常口から中に入る。


 防犯カメラがないか気をつけながら階段を上り、インターホンが鳴らない部屋の解錠を始める。足音やエレベーターの稼働音に耳を澄まして鍵を開け、部屋の内見をしてすぐに出る。


 雑居ビルの旧式指紋認証パネルにグミを押し付け、前に触れた誰かの指紋で扉を開ける。

 薄れた文字刻印からナンバーを推測し、暗証番号パネルを叩く。

 空っぽの部屋を見つけては次の行き先を探す。

 鍵を開ける。開ける。開ける。開ける。


 おわり。


 陽が沈み切って空が黒ずむ頃、作業を止めていつもの部屋に帰った。

 鍵のかかってない扉を開けたが、部屋は真っ暗だ。

 勘を頼りにいつも座る位置まで進み、フローリングの床に腰を降ろしてぼんやりと壁を眺める。紫苑はいないし、読書灯代わりのLEDライトもない。散発的な会話もなければ、ページを捲る音もしない。

 暗闇の中、腕時計の針が蛍光塗料を光らせながら回るのを眺める。


 紫苑は楽しくやってるかな、と思う。

 男子高校生の身ながら、女子高生がどういうところでどういう遊びをするのかが僕にはよく想像できない。まあ、同級生の男ですら何をやっているのかよくわからないから、当たり前とも言える。人との接点が減ると、他人への想像力が痩せる。


 紫苑にクラスメイトの友達ができたとして、友達ができた紫苑は昼休みに学校の屋上に逃げる必要もなくなるし、放課後に空っぽの部屋に直行する必要もなくなる。


 紫苑がいくらかマシになると僕はいくらか不要になる。

 窓の外、どこかの道路でバイクがエンジンを空ぶかしする音が聞こえ


 コンコンコン、と。


 ドアがノックされた。


 ポケットから垂れていたイヤホンがフローリングでコトリと音を立てた。スマホの画面を点灯させ、バックライトに目を刺されながら画面を見るが紫苑からの着信はない。僕はドアを開けずに反応を待つ。銀色のサムターンは横を向いたままだ。大丈夫、鍵はかかっている。コンコンコン、とまたドアがノックされる。僕はスマホの画面を叩き、紫苑の電話番号をコールする。ルルル、と耳元でコール音が繰り返す。


 大丈夫だ。

 珍しい事態じゃない。緊急事態でもない。


 例えば、隣人がこちら側の部屋の気配を察知した場合、こういうことが起きる。隣室で気配がする、だが隣は空室のはずだ、おかしい、そう思った誰かがノックへの反応を期待してこういうことをする。気取られるのは落ち度ではあるが、危機じゃない。


 唯一の正解は息を潜めて静かに待っていることだ。

 相手が立ち去るのを待って、そのあとにこちらも立ち去ることだ。


 この部屋にはもう来ないように、紫苑に伝えなくちゃならない。ルルル、ルルル、とコール音がループする。闇に慣れた目が視界を明瞭にし、徐々に部屋の輪郭を浮かび上がらせる。


 ぱたん、とドアに付いた郵便受けが鳴った。


 投函口に指を突っ込んで探りでもしているのか、音は続く。

 ぱたん、ぱたん、ぱたん。


 遠ざかっていく足音は聞こえない。誰かがドアの前に立っている。心臓が音を立てている。ぴりぴりと肌の上を電流が流れるような感覚が走っていく。数歩歩けばドアに辿り着くような短い廊下を長く感じる。一歩、足を浮かせると床板が小さく軋んだ。


 ピーンポーン、と、間延びした音がした。


 電気も水道も通っていないはずの部屋で、鳴らないインターホンが鳴った。

 ざらついた音が聞こえた。


《――もしもし?》


 耳元で紫苑の声が聞こえた。

 水平だった錠が垂直に起きた。

 レバーが傾き、ドアが開いた。


《どうし――


 受話器のアイコンをタップして通話を叩き切った。


 開いたドアの隙間から手が覗き、男の顔が見えた。


 眼鏡をかけていた。

 眼が鋭く、ひょろりと背が高い。口には笑いを浮かべている。

 カマキリ。

 それが第一印象だ。


 男は僕と同じブレザー、カッターシャツとネクタイを身に着けている。


「木戸」そいつが僕の名前を呼んだ。「話をしようぜ」

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