第8課 ヴォニ・ターティ


その旅路が楽しい物になるとは、初めから期待していなかった。

見るからに商機に敏い、そして油断ならない眼。

人を値踏みすることに、驚くほど躊躇いのない態度。

いかにも世慣れています、という風貌。

ファトルと名乗ったその男は、俺をうさんくさそうな目で見る。


「ホプツァ! ハルトゥーアイ!」


容赦のない口調。叱られたらしいことだけが分かる。

馬車に乗り込もうとする俺を冷たく制すると、ファトルは馬車の入り口に吊るした鍵束を揺らしてみせた。ボロボロの、とうてい使えそうもない鍵の束だ。ちゃり、がちゃり、と音が鳴る。

そして俺にも同じことをするよう、視線で促す。


「――プラーファホントにフシスカ・レスムなーんにもネ・テアー知らねーんだな


今度は俺も分かった。…なにも知らないのは事実なので、「プロフ・ロビーラごめんなさい」と頭を下げるしかない。

鍵束を鳴らすのは恐らく馬車に乗るときの習慣なのだろう。

理不尽にも思えるが、今の俺には従うほかにない。

相手が自在に言葉を操る一方で、俺の手元には初学者レベルの手札しかないのだ。「悪かったよ、そういきり立つなって」ぐらいのことが言えたらもう少しうまくやれるだろうに、口から出るのは子供が言うような「ごめんなさい」だけだ。


タムここでオドゥハイ休め


吐き捨てるようにそう告げると、さっさと御者台のほうへ行ってしまう。

示された馬車に乗り込むと、数人の先客。商人には見えない――バゾ達のような農民然とした姿をして、各々の荷を抱えて座り込んでいる。

村の間の移動に使われることも多いんだろう。俺もその隅に座らせてもらい、外の景色を眺めながらしばらく過ごすことにした。




「――ホディウじゃあなホプツァぼうず

バゾを一回り若くしたような屈強なおっちゃんが、そう言って降りていく。

なんでも近隣の村に手伝いに行った帰りだとか。意外にも村の間はそれなりに緊密で、気軽ではないが行き来もあるようだ。前の村で降りた女性は娘の嫁ぎ先に顔を出してきたと言っていた。…言っていたのを聞き取れた自分を褒めてやりたい。


行商の馬車は、幾つもの村落で止まっては取引を繰り返す。さっきの村のように乗客が誰か降りることもあったし、村の人間が何か買っていくだけのこともあった。

商人は商売に専念していてこちらにはほとんど姿を見せず、下働きの青年が何度か世話を焼きにきてくれただけだ。村をひとつ越すごとに積荷は減っていき、数日もすると馬の速度が上がるのを体感するほどだ。

商いには詳しくないが、空荷で戻るのは損失なんじゃないか?

途中の村で乗り込んできたおばちゃんに尋ねてみる。

「あー…ヴォンかれはトルグものをネコイファかーないのか?」

カーなに? アー、…ヴォンあいつはネコイファナかわないよウ・タハこのへんのクヴァイフ土地じゃあね

不思議そうな顔をするおばちゃん。あ、…活用間違えてた。変な顔をしながらも言い間違いを直してくれるおばちゃんの横から、まだ幼さの残る女の子が口を挟む。

「アーヂャ!ヤーズわたしザナウしってる!『ヴォド・タハ・クヴァイフこの地からはネヴザーイ奪うなかれ』!」

「レプリカ!ティあなたレプよくザナシュしってるわ

「ヂャー! レプリカ・トールカだけ? 『リカ』・レスムなんかヴザーイなくして!」

腰に手を当てて可愛らしく怒る女の子。おばちゃんは「ロビーラ・プロフリクごめんねえ」なんて微笑ましそうにしているので、恐らくヒーブこれは「もう!おばちゃんってば!」程度のやつだ。

ヤズわたし・ヤーヤ・ネーイェーじゃないもん!」

イェリカイェリカそうよねそうよねプロフわるいことロビーラしたわ

微笑ましい光景を目にしながらも、頭の奥に「レプリカ」という言葉が――否、「リカ」という言葉が浮かび続ける。たぶん「レパ(良い)」とか「レプ(良く)」にくっつけた「レプリカ」にお嬢ちゃんは不服らしい。

「ヤーヤ…」

カーなーにティあなたトジまで――」

「ネー!違うって…あー、プロフ《わるいこと》・ロビーラしたヤズおれはティきみが・ヤーヤ・イェジュなんてネムルヴィーラいってない!」

狼狽えながらもなんとか釈明する俺に、おばちゃんは助け舟を出してくれる。

イェルそうヴォンこのひとヤザクンことばのレスムことプロフリクわるくロズミわかっている

悪く理解している。まあつまり「こいつ言葉よくわかってないから」だな。

「イェル、イェル、ヤーズおれネロズミウわかってないレープよく…」

「ヂャー? …サードならウリードいいけど…ヤーヤ・イェってマルカーちいさなツアヴァークひとだよ!」

「マルカー…」

小さい、というジェスチャーをしてみせると、女の子は頷く。

「イェールっ!インそしてヤーズわたしはマールカーちっちゃくネーイェーないからね!」

賑やかな子だ。胸を張る小さな姿を見て、その時はただそう思った。



意外にも女の子――アズーと名乗った――は、一人での旅だった。さっきのおばちゃんも、顔見知りとかでさえないらしい。小柄な中学生くらいに見えるけど、流石に危険に思える。

ウリードだいじょぶ! タムここはネ・タケーそんなにウフカあぶなくない!」

おばちゃんが否定しない、それどころか頷いている辺り、少なくともこの子が乗ってきた区間はそう危険ではないのだろう。

現に、もう乗客は俺たち三人だけ。おばちゃんが次の村で降りて、街まではアズーと二人の旅だ。辺りの風景も純農村というよりは郊外の村。少なくとも凶暴な獣が突然現れる感じではない。


サードじゃあホディウいくわね

そう言い残しておばちゃんが降りていくと、にわかに速度が増す。おばちゃんの村に売り渡した商品に割れ物が多かったのと無関係ではないだろう。もうここには気を使って運ぶべき荷物はないと判断されたわけだな。

シーパはやーい!シューマ、オガダーイみてみて!」

アズーはこのスピード感を全力で楽しんでいる。俺も酔ったりするほうではないから、適度に風景の流れるのを楽しんで…


轟音、衝撃。

「何だ!?」「カーなに!?」

脈絡のない縦揺れ、それに続く減速――ほどなく、馬車は完全に止まった。

急停止の勢いで傾いた馬車から顔を出せば、


「――これって」


俺たちを馬車が、全速力で逃げ出していた。

追うのは騎乗した人間――どう考えても公権力じゃなさそうな方――の群れ。


とうとう逃げ切れなかった馬車が強引に止められる光景と、逃げ出す馬のいななきを茫然と聞き届けながら――


ヴォニあいつらターティ盗賊だ!」


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レベルを上げて語学力で殴る異世界奇譚 @thereforeitis

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