第20話

 「なんにもかわいそうじゃねえよ、完全にいかれちゃった不具な人だろ? そんな宇宙人は、死んだほうが世の為だ」侮蔑するペイタは色の変わったホッケに齧〈かぶ〉りつく。


「そんな言いかたないでしょ、あの筋肉は長田さんが望んだかもしれないけど、体質は望んでないんだからね。それに、長田さんはプロボディビルダーとして、なんだっけ、たしかミスターオリンピアっていう大会で、上位に入賞したこともあるんだって。世界大会だってさ、すごくない?」白桃色を顔に浮かべてパツコが話す。ビールはまだ半分しか減っていない。


「ああ、すげえよ、きちがいを競う世界大会に出るくらいだから、よっぽど質の高いきちがいなんだろうな」ペイタは豚足に噛みつく。


「きちがいなんて言っちゃだめ! でも、ボディビルの大会って、何を競うのかなぁ? テレビでボディビルダーを見たことはあるけど、大会があるなんて知らなかった。あと長田さん、スポーツクラブも経営しているらしくてね、今度遊びに来なさいって誘ってくれたの、わたしそういうところ行ったことないから、すごい行ってみたい。ねえペイタ、今度一緒に行かない? わたしはバストアップの為、ペイタは肉を削〈そ〉ぎおとす為、二人で体を改造しに行こうよ」


 パツコの眼がわずかに潤〈うる〉んでいる。


「行かねえよ! ぜってえに行かねえからなぁ! 無理に体を動かすなんてよぉ、暇人のやることだぜ。何もせずに放っておくのが、一番体にいいんだぜ」ホッケの太い骨も気にせず噛み砕く。


「そんなわけないじゃん、どう見てもペイタの体は放ったらかしすぎだよ。でも、ペイタはそのままの体型がいいかもね。じゃあわたし一人で行ってこよ、ちょうどヨガも体験してみたかったしね、それとも、ボディビルにはまって、筋肉の為に生きるようになったりして」パツコは小海老揚げをつまむ。


「そうなったら自殺しろよ。おれが拳銃を手に入れてやるから、脳天から真下に打ち込んで死ねよ」食べ物の詰まった口を動かして、ペイタが素っ気なくしゃべる。


「ひどい、なんてこと言うのよこのでぶちんは、せめて口を空にしてから言ってよね。ねえペイタ、わたし帰りの車で考えたんだけど、あきらかに普通の人と異なる外見を持ちつつ、外見どおり異なる性癖を持っていても、当の本人にはそれが普通なんだろうね。それに気づいているのかどうかわからないけど、あたりまえのことだと感じているんだろうね。そういえばさぁ、デフォさんや長田さんとは違った、外見と身合わない人達が大勢いることに驚いたことがあるの。ほら、長田さんやデフォさんはさぁ、外見どおりの職に就いて、外見どおりの性癖を持っているでしょ? でも、わたしが驚いたのは、言動は普通じゃないのに、職業を聞くと普通の人達なの。二週間ぐらい前かな、大学の時の友達が、仲間とパーティーをやるから遊ぼうと誘ってくれて、一緒に長野県の山の中に行ったの。レイブパーティって言うんだね、人の話で聞いたことはあったけど、実際に行ったのはそれが初めてだったの。わたしそこでびっくりしちゃった。山に囲まれた谷間に、きちがいみたいな音楽が、きちがいみたいな音量で流れていて、きちがいみたいに大勢の人が踊っているの。でも、あれは踊っているのかな? わたしね、踊りって言われたら、社交ダンスやクラシックバレエ、盆踊りを思い浮かべるの、だから友達に『踊りに行こうよ!』って言われて、何か違和感があったの、だって、友達の言う踊りは、音楽に合わせて体を動かしているだけでさぁ、ただ狂ってるだけなんだもん。それなのに友達の仲間はみんなして、踊り、踊りって言うんだよ。なんかわたしだけおかしいのかなって思っちゃった」


 パツコはビールに手をつける。


「おめえもおかしいが、そいつらもおかしい。踊りっていったらポールダンスだろ」ペイタがバターコーンを掻き込む。


「じゃあ自分の言葉を使って、踊りと言わずに狂いって言うね、で、その喜んで狂っている人達の中に、わたしもおそるおそる入ったの。そう、わたしも真似して狂ってみたの、最初は恥ずかしくて、なんだかきまり悪かったんだけどね、お酒を飲みながら友達とその仲間と狂っていたら、とても楽しくなってきたの。そうしたらいつの間に、ニュースで聞いたことのある薬物が回ってきてね、一緒にやろうみたいな雰囲気になってたの。わたしそんな物やりたくないからね、遠慮して断ったの、すると友達の仲間は調子のいい適当な言葉を口にして、強引に勧めてくるの。それでも断り続けると、急にノリが悪いって言い出して、わたしのことを無視しだすの。全員が全員そうだったわけじゃなくて、一部の人だけどね、それでもわたしを抜いた全員が薬物を使って狂っていたの。とにかく、想像したこともない狂乱が山の中で行われていたの。それで一夜が明けて、昼頃にそのパーティーは終わったんだけど、その間に、土に顔を埋めて倒れている人や、素っ裸で走りまわる人、小便を漏らしながら叫ぶ人、全身にわけのわからないペイントをしてはしゃぐ人、見ていられないほど奇態な狂いをする人、尻の穴に空き瓶を挿して喜ぶ人、神様がどうのこうだと語る人、自然がなんやかんやだと微笑む人、多くの人、ううん、多くのきちがいがわたしにしつこく話しかけてくるの。わたしも酔っ払ってたし、話を断れないから、ついつい語られることが多かったんだけどね。あまりに変な人ばかりだから、普段何をしているのか知りたくなってね、つい職業を訊ねちゃったの。すると驚くことに、作業員、事務員、営業員など、普通の職業ばかりで、美容師やデザイナーも中にはいたけど、むしろお堅いサラリーマンって人が多かった。友達からパーティーの仲間について訊ねても、やっぱり普通の職についている人がほとんどだったの。でも、友達にそういうことは聞かない方がいいって言われた。なにしろ、薬物を使ってきちがいのように狂う人の多くが、平日に普通の顔して普通に働いているんだもん、取引先の人を思い浮かべて、わたし信じられなかった。こういう人達は、デフォさんや長田さんと違って見た目は普通だけど、裏ではきちがいをしていて、また休日はきちがいだけど、平日は普通の人なんだろうね。その点、プロレスラーやプロボディビルダーは、誰でもなれる普通の職業じゃないから、その人が変わったことをしていても、あまりギャップを感じないし、なんか納得できる感じがする。ほらペイタ、あそこに真面目そうな店員さんがいるでしょ、あの人が長田さんのような性癖だとわたしに話したら、おそらく本当に気持ち悪いって思うよ。だって、あの人普通に見えるもん」


 パツコは料理を運ぶ男に目を向ける。


「あんなやつ、何言ったって気持ちわりいよ」ペイタはビールを飲み干して、空いたジョッキグラスを上にあげる。


「ひどい、無茶苦茶だね。でもね、ふと気がついたの。会社で働いている時のわたしを見ている人からすれば、ペイタと一緒にいる時のわたしはすこし違う人で、もしかしたら、まったく違って見える人もいるかもしれない。程度の差はあるけど、平日の顔と、休日の顔は、違って当然なんだろうね。山の中で狂っていた人達は、普段はサラリーマンを演じているけど、きちがいが多く集まっている場所に来れば、きちがいを演じても誰にも怪しまれることなく、堂々ときちがいを演じられるんだと思った。むしろ、平日の顔をしているほうが、きちがいだと思われるくらいだったからね、正常と異常がひっくり返って、異常が正常で、正常が異常だったもん。でもその次の日ね、おもしろい光景を見たの。取引先に向かう途中、たまたま実家の近くを歩いていたら、中学の同級生だったトンコちゃんを見かけたの。トンコちゃんはダウン症だったから、青葉というクラスにいたんだけど、そのトンコちゃんが交差点の角に立って、一人で楽しそうに踊っているの。そう、イヤホンをつけて、何を聴いていたかわからないけど、体を揺らして踊っていたの。あまりにもうれしそうに踊っているからね、そばを通るおばあちゃんが微笑んでいたの。わたしもにこにこしてトンコちゃんを見ていたらね、昨日行ったパーティーを思い出して、なんだかおかしくなったの。山で狂ってた人達は、夜、社会の目から届かない場所に集まり、似たような仲間で固まり、酒や薬物を使って狂っていたけど、トンコちゃんは、昼前、駅の近くの人通りの多い交差点で、たぶん何も使わずに、たった一人で踊っていたの。なんて強い人なのだろうと思った。トンコちゃんは踊りたいから踊っている。山で狂っていた人達は、一人で狂えないから、狂える場所がないから、狂える薬物がないから、あんな山で一緒になって狂っているんだ。それでいて、平時にトンコちゃんのような姿を見ても、知らんぷりして平然と馬鹿にしたりするんだ。なんか、トンコちゃんの踊りは純粋に見えたけど、山で狂っていた人達は、とても汚〈けが〉らわしかった。でも、『じゃあ、あなたもトンコちゃんのようにできるか?』って聞かれれば、『とてもできない』って言うと思う。もし狂うのが好きだったとしたら、わたしはきっと似た者の集まる山へ行くと思う」パツコの顔は林檎〈りんご〉のようだ。


「トンコちゃんは素でいかれてんだろ、山の中のやつは化粧していかれてんだろ、どっちにしろいかれてんだよ。基本、人間はいかれてんだよ、ただ、社会の中ではいかれを見せちゃいけねえから、大きく育つ間に身につけたいかれ調整装置を作動させて、いかれを封印するんだよ。だから溜まったいかれを休日に解放して、山の中で思いきりいかれるんだ。ただトンコちゃんはいかれ調整装置を持てない身体で生まれたから、日常からいかれてるんだよ。おそらく、デフォさんや長田さんも、いかれ調整装置が故障しているか、いかれが強くて制御できないんだろ。おれの師匠なんかも、やっぱり調整装置がねえんだろうな、自分の好きなことが直結して、スカトロ男優、企画、監督の仕事に結びついているんだからな。とにかく人間はきちがいな生き物なんだよ、だから表面上はまともに生活して、誰にも知らないところでいかれたことをするのが、いわゆるまともな社会人だ。ところが、いかれが表面上に許される環境になると、喜んでいかれたことをするんだぜ。だからよぉ、相手を占領した軍隊が残虐な行為をするのは、まともな人間だからするんだぜ。そして残虐行為に対して真っ向に反対するか、過剰に殺戮〈さつりく〉するのが、トンコちゃんのような純粋なきちがいだ」ペイタは豚キムチに食いつく。


「なんだかよくわからないけど、一見まともに見える人も、裏では何かしら変なことをしていて、それが普通の人だってことでしょ? そうかもね、他の人から見たら、ペイタとわたしは普通の兄妹か、せいぜいカップルぐらいでしょ、夫婦なんて見る人はめったにいないと思うけど、まさか、自然の色が異なって見えるなんて、誰一人思いもしないだろうね。だって、あそこにいるカップルが、実は人工の物が違った色に見えているなんて、誰も思いもしないからね。けど、現にわたし達の目は変なんだから、あの人達の目がおかしくないなんて、絶対に言えないもんね。『実は、事情を話したら変人扱いされるかもしれないから、怖くて誰にも伝えていないんだ』なんてお互いに話しているかもしれないしね。本当は、誰もが狂った感覚を持っていて、誰もが警戒してそのことを話さないから、その事実が実際に知られていないだけかもしれないしね。そういえば、わたし小さい頃ね、『わたしの見ているこのチューリップの黄色は、他の人から見たら、わたしが見ている黄色なのかな? 本当はわたしの見ている黄色とは、まるで似つかない色を見ていたりして』って疑問に思ったことがあるの、それではっきりと確かめたくなったんだけど、確かめようにも確かめる方法が見つからないの。わたしが友達に、『このチューリップ何色に見える?』って訊ねても、『黄色に見えるよ』って答えが返ってくるだけでね、友達の黄色がどんな色かわからないの。それでね、『じゃあ、色鉛筆で黄色を塗ってみて』って言ったら、わたしの見える黄色を塗るの。友達にとったらなんの変哲もないやりとりだろうけど、わたしはもどかしくなっちゃってね、思わず泣き出しちゃったの。友達に言葉で説明しようにも、どう説明したらいいかわからないし、確かめようとしても、友達はわたしの知っている黄色を見せてくれるだけなの、どうやっても友達の見ている黄色を見ることができないの。だから、その疑問は今まで答えが出なかったんだけど、今日という一日を通したおかげで答えがわかった! きっと、わたしの見ている黄色は、わたしだけにしか見えない黄色で、他の人が見る黄色と言葉は同じだけど、同じ色に見えていないはずだよ。対象物は変わらなくても、一人一人の顔形が同じでないように、色彩の感覚もまったく同じことはありえないの。感覚が似てることがあって、同じような感想を覚えることもあるけど、まるっきり違う感想を言う人もいるでしょ? それに、今日のわたしは青空がレタス色に見えるけど、それを隠して、他人に合わせてレタス色を青色だと嘘をつくことに慣れれば、わたしの見る青空は、やっぱり他人と同じ青空になるもの。言い続ければ、レタス色の空という言葉は昔のことになって、いずれ新しい青空がわたしには見えるはずだよ。ただね、他人みたいに『爽やか青空だ』なんて思わず、『癒される青空だ』なんて、一風変わった感想を述べたりするかもしれないけど、やっぱり青空は青空だから、色鉛筆で青空を塗ってと言われれば、他人が納得する青色を選んでいると思うの。でもその色は、昔レタス色と認識していた色なの。だって色なんていうのは、これは青だと言葉を教えられて覚えるだけで、こんな色が青だよなんて、他人の感覚を完全に教わることはできないもの。視力の良い人が見る遠くの建物と、視力の悪い人の見る遠くの建物は絶対に同じに見えないし、絶対音感の人が聴く水の滴る音と、聴覚の曇った人の聴く水の滴る音は、絶対に同じではないし、ペイタの見るうんちと、わたしの見るうんちでは、まったくおなじうんちに思えない。わたしは吐き気がするけど、ペイタはよだれを垂らすもん。わたしは鹿を見たらかわいいと思うけど、デフォさんは性行為の対象として実行に移るもん。わたしは男の人の筋肉があまり好きじゃないけど、長田さんは筋肉に全生涯を捧げているもん。わたしはむしろ、脂肪のほうが好きだもん。同じ対象物でもこれだけ感じ方が違うと、まったく同じ色なんかとても見えないと思う」


 パツコの眼が充血していて、どうも腫れぼったい。


「おれはうんこを見てもよだれを垂らさねえよ、勃起してカウパー液を垂らすんだよ」ペイタは食べることに集中している。


「何を垂らすか知らないけど、垂らすものが違うでしょ。わたしだって、うんち見て股から垂らさないもん。なんにも感じないもん。でも、わたしの目の前に、平気でうんちに興奮を感じる人がいると考えると、この店内にも、ペイタと同じようなスカトロジストがいるかもしれないね、もしかしたら、あのきれいな店員さんもうんちが好きだったりして、きゃあ、いやだな、もし本当にそうだったらなんかショックだな、でも、ありえるんだから怖いよね。ねえペイタ、今日水族館で見たお魚さん達はさぁ、なんかみんな同じ感じだけど、なんで人に限っては、こんなに色々な人がいるんだろうね。外見は似ているにしても、とても同じ人間とは思えない人が大勢いるじゃない? 今日出会ったデフォさんや長田さんを含め、わたしの嫌いな道で唾を吐く人、道端でぶつかっても謝らない人、電車内で化粧する人や、ペイタの部屋で見た、泣いている女の子にびんたする人、泣いている女の子を縛りあげて、見るにも耐えない悪戯をする人、変な機械を使う人、女の子に浣腸して漏らす姿を笑いながら見る人、その他にも色々、わたしにはまったく理解できない行為をする人がたくさんいるじゃない? いつの間に慣れたのか知らないけど、ちょっと新聞を広げれば、わたしの理解できない人が無数に広がっているでしょ? わたし、同じ人間なんていう言葉自体が間違っていると思った。これだけ性質や感覚がばらばらな人間だからこそ、同じ人間とは思えない、まさしく人間らしい犯罪をしていると思うの。人間一人一人が、完全に別種の生き物だと思ったほうがいいと気づいたの。同じ人間なんて思っちゃだめ、まったく違う生き物の人間だと思ったほうがいいの。そのせいか、時たま恐ろしくなるの。山のパーティーに行ってからね、道を歩いている人々を見ると、ふと、それぞれの人がわたしの理解を超えた醜悪な面を持っていて、静かに潜めて生活しているんだと思うことがあるの。誰もが公〈おおやけ〉になっていないだけで、ぞっとするような事実が、街を歩く人々と同じ数だけ散らばっているの。きっと、それらを全て曝〈さら〉け出したら、まっとうに生きるのが奇跡と思うほど、想像を絶する事実が浮かびあがってくると思う。ペイタの言うとおり、狂っていない人なんて、まったくいないと証明されるんだろうね。それでも、ほとんどの人が何食わない顔して生きている。見た目は素っ気ない人工色のようだけど、ちょっと本性を表せば、今日見た海や空、植物のように、捉〈とら〉えようのない複雑な色を表すんだろうな」


 パツコはテーブルに顔を伏せ(アァア、ナンカ疲レタ)、ちょっとすると寝息を立て始めた。食べることだけに意識が向いているペイタは、声をかけることもせず、運ばれてくる料理を唸〈うな〉りながら食べる。料理が運ばれる、皿を重ねる、次の料理を注文するといった流れを一人続け、酒を飲んで語らう客の中で、ただ一人食い放題の店にいるような振る舞いをしていた(グフ、グフ)。

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