第17話
「はあ……、なんだかなぁ、ちょっと早急に考えすぎのようにも思えるけどね。とにかく、海外に行く行かないはべつとして、未成年者への悪戯〈いたずら〉や女子高生へのレイプは絶対に止めてよ! 薬物も同じだからね! 絶対に止めてよ!」ペイタの肩を恨めしく叩く。
「なんで止めなきゃいけねえんだよ! おめえにそんな権限ねえよ!」叩かれた箇所を摩る。
「はあぁ? なんでって、兄妹だからあたりまえでしょ! そんなこと言うまでもないじゃん!」パツコの声が激する。
「おめえなんて、兄妹だと思ったことねえよ、せいぜい質の悪い肉奴隷ってところだ」ペイタがさらっと言う。
「最悪! ひどいよペイタ! なんてこと言うの! 嫌い! ペイタなんて大嫌い!」パツコはハンドルから手を離し、ペイタの顔目掛けて拳〈こぶし〉を振る。
「おい、やめろ! 危ねえだろ! ちゃんと運転しろよ」殴りかかってくるパツコからなんとか身を守ろうとする。
「ペイタの馬鹿ぁ! なんてこと言うのよ! 馬鹿ぁ! 馬鹿ぁ! わたしの気持ちも考えないで、馬鹿ぁ! 馬鹿ぁ!」パツコは狂ったようにペイタの体を殴りつける。後方からクラクションが鳴り響く。
「おい、わかった、悪かったよ、悪かったから運転してくれよ」ペイタが後ろを気にする。
「もう二度とそんなこと言わない?」殴りかかる勢いが弱まる。
「ああ、言わない言わない、だから早く運転してくれ、ほら、かわいい妹よ、運転してくれ」パツコの拳を脂肪で受けながら言う。
「じゃあさあ、妹の頼みを聞いて、性犯罪も薬物犯罪も止めてくれる? ねえ?」強い口調でパツコが問いかける。
「ああ、止める止める、もう犯罪はしねえよ」わずかに口元を歪めてペイタが答える(止メルワケネエジャン!)。
「ほんと! そう、それなら運転してあげる。ペイタ約束だからね!」目を大きく開き、パツコは素早い身のこなしでハンドルを握る。
「ああ、けどよぉ、いきなり全部止めるのは、ちょっと難しくねえか? タバコを禁煙するにも、本数を減らしていく人が多いじゃん」ペイタは体中を摩って話す。
「そんなのは止める意志のない人だよ、本当に止める気なら、止めると思った瞬間から止めてるもん。でも、いきなりはやっぱりつらいかもね、だめだめ、ペイタのは全部犯罪じゃない? 一度だってやれば犯罪だよ、すぱっと止めなきゃ」パツコは屹然〈きつぜん〉として話す。
「いや、そうだけどよ、犯罪でも急に止めるのはつらいもんだぜ? なあ、エクソダスだけは、数回の使用を認めてくれねえか? 他のことは一切止めるから、頼むからエクソダスだけは使わせてくれよ。おまえだってさ、急に達磨〈だるま〉集めを止めろって言われたらどうする? すぐには止められねえはずだぜ? たまたま地方に行ってよ、見たことのない達磨を見つけたら、絶対衝動買いするはずだぜ」ペイタが譲歩を求める。
「達磨と薬物じゃ比較にならないよ、達磨を買うことは法律で禁止されてないもん。一緒にしないでよ」ペイタの顔を一瞬向いて話すと、パツコは直ぐに前を向く。
「一緒だよ、自分の好きなことに変わりねえじゃん。おめえが達磨を買って快感を得るように、エクソダスを食べると排便に激烈な快感を覚えるんだよ」パツコの横顔を見てペイタは言う。
「さっきから不潔な話ばかり、またうんち? もう、うんちの話はよしてよ。そもそもエクソダスって何? すごいおっかない名前だけど、危ない物じゃないの?」パツコは顔をしかめて鼻をつまむ。
「エクソダスを食うと超すげえんだぞ! 腸が熱狂したように弛緩〈しかん〉してな、溜まっていたうんこが一気に外目指して移動し、バーナーのように穴から放出されるんだぜ! 一グラム残らず、十年居座った腸の主ともいえる宿便も、無理やり叩き出されるようにだ。その時のオルガズムといったら、もうすげえの! ちんこが臍〈へそ〉の穴に突き刺さるほど反り返って、プロボクサーのコンビネーションのように射精が繰り返されるんだぜ! 一発の一発の射精が、そりゃやっぱりプロボクサーのパンチのように強力で、切れがあり、自分の腹にボディーブローを連打するように飛び出てくるんだぜ! それが排便中ずっと続くんだからたまんねえよ! おまえ、自分の腸にどれだけのうんこが詰まっていると思う? きちがいのような量が出てくるから、うんこを流すタイミングを間違えると、便器に溢れちまうんだ、ありゃ見事だぜ!」両手をあげてペイタが興奮する。
「うわあ、地獄だね」パツコの顔がとんでもない。
「エクソダスはなぁ、排便と射精という素晴らしい快感を覚える行為を、なんと同時に味わうことのできる優れものなんだぜ! さらに贅沢を言わせてもらうと、これに嘔吐〈おうと〉が組み合わさってくれると文句なしだ! どの穴からでもいいからよ、何かをぶちまけるというのはすげえ気持ちいいことなんだよ、けどよ、嘔吐にオルガズムを感じるやつは少ねえからな、まあとにかく、エクソダスを食うと、大海を真っ二つに割るオルガズムに襲われるんだ。他の薬物のように、だらだら体に影響を与えるわけじゃなく、いたってわかりやすい! ただの一発勝負! ぶっ放したら終了だ! 幻覚や妄想、半端な多幸感なんてもんは一切ない! 精神や身体への依存もない! 後遺症も脅迫観念もない! いたって単純!」天井を叩きながらペイタが叫ぶ。
「えっ、糞出す? 強力な下剤?」パツコは思いついたまま訊ねる。
「全然ちげえよ! エクソダスはエクソダスだ! とある西方の民が生み出した、至高のスカトロジードラッグだ!」別人のような顔してペイタが話す。
「なんだかよくわからないけど、そんな変な下剤、飲むの止めてよ!」不快な顔を表してパツコが言う。
「だから下剤じゃねえんだよ! 詳しい製法は知らねえけど、一定の基準を満たした商業的人種のうんこを、特別な環境で乾燥させ、寝かせ、温め、メタルを聴かせ……」細い目を精一杯開かせて説明する。
「ようするに、見知らぬ人のうんちでしょ! 古いうんち食べて、お腹こわして、下痢するだけでしょ!」飛沫の飛びそうな勢いでパツコがしゃべる。
「下痢だなんて一言も言ってねえよ! 大量のうんこが出るって言ったんだよ! それによ、エクソダスは健康にいいって、ネットの掲示板にスレッドが立てられているんだぜ? そこでは純粋なスカトロジストが、食糞について熱い討論を交わして……」ペイタの眼は充血している。
「とにかく、変な物食べないで」パツコが話を遮る。
「とにかく、エクソダスはすぐに止められねえ、あと三回は食べてもいいだろ? なあ?」そう言って腋の下を嗅ぐ。
「もうっ、他の犯罪、特に人に迷惑かける犯罪をすべて止めるなら、あと、このあと大仏を見に行っていいなら認めてあげる」パツコは横目でペイタを見る。
「大仏? なんでそんな年寄りくせえもん見に行くんだよ、色々と後始末しなきゃいけねえし、さっさと家に帰ろうぜ」ペイタは顔を顰〈しか〉める。
「そんなに急いで後始末しなくても、すぐ警察が来るわけじゃないんだから、明日でも間に合うでしょ? わたしも一緒に手伝うからさぁ、ねえ、せっかく鎌倉にいるんだから大仏見て帰ろうよ。ほら、ペイタのうんちが発見されないように、大仏様にお願いしたほうがいいって」ペイタの腕をつかみ、パツコは促〈うなが〉すように揺する(ソレニ、約束モアルシ)。
「うんちじゃねえ! うんこだ! おれはなあ、辛気〈しんき〉くせえ、ああいった寺や神社みてえな物が大嫌いなんだよ、性的興奮を感じるような、なんつうか、色気が感じられなくてよ、けど、今後もエクソダスの使用を認めるなら行ってもいいぜ?」腕を揺すられながらペイタは話す。
「いいよ、大仏見れるなら腹一杯食べていいよ!」パツコの顔がにこやかになる。
「馬鹿! 腹一杯食ったら干からびちまう」ペイタの顔も緩む。
「見てペイタ! あのサーファーだけ体の色が変だよ!」パツコは右手に開ける七里ヶ浜を指した。
夕暮れに向かう鎌倉の色が枯れてくる。雄大に逆巻〈さかま〉く雲にも陰〈かげ〉りが現れる。破裂しそうな色を平等に与えていた昼の光線は、鋭さを収めていくと同時に偏った色を地上に投げつける。家路へと急ぐ人々が多ければ多いほど、道路は人々の希望とはまるで反対の様相を呈して、爛〈ただ〉れる疲労と倦怠を呼び起こす。
都合よく眠り始めたペイタの鼾〈いびき〉の中、パツコは鎌倉の海を相手に運転する。光線の加減のせいか、それとも濁りがすくないせいか、江ノ島の海よりも色の変化がおかしい。パツコの目には鎌倉の海がふかみごけ色に映る。しかしこれは、ある瞬間に映ったある部分の海の色でしかない。
ペイタが寝ていることを良いことに、両側の窓を全開にして、ボードの上に立ってオールを漕ぐ沖のサーファーをぼんやり眺め、パツコはのんびり渋滞を味わった。細身のパツコにはエアコンの風が寒すぎる。汗の滲む蒸れた空気の中、潮風に当たるほうがどれほどましだろう。騒音と言うに等しいペイタの鼾を独り占めするのではなく、過ぎる対向車に聴かせて反応を見るほうが楽しいだろう。うるさく眠るペイタの姿も愛らしく映る。
人工色のモザイクに惚〈ぼ〉ける由比ヶ浜に近づくと、パツコは信号を左に曲がった。長谷駅に向かって道の端を歩く、肌を露出した人の列が目に入ると、パツコは車窓を閉めた。
車は高徳院の傍の駐車場に停めた。ペイタが中々目を覚まさない。
「おぉい、ペイタ着いたよ! 起きて! 起きて! 起きてよぉ!」パツコが布団を叩く要領でペイタの腹を叩く。
「んがあ、あっ? 着いた? どこに着いた? へっ?」ペイタは涎〈よだれ〉を垂らした口を動かす。
「大仏に着いたよ、ほら、シャツを着て、ズボンを穿いて、早く行こうよ」後部座席からペイタの衣類を取り、ペイタの腹に渡す。
「大仏? なんで大仏なんかにきたんだよ、家に着いたら起こせって言ったじゃねえか」寝起きで開かないのか、それとも睨んでいるのか、よくわからない目でパツコの顔を見る。
「はあぁ? 何も言ってないじゃん! 嘘つき!」パツコが声を張りあげる。
「馬鹿、おめえが嘘だよ。いいか、おれは寝るから、家着いたら起こせ、わかったな」そう言ってペイタは眼を閉じる。
「寝ちゃだめ! メクソデスだっけ? 変な下剤を認めたら、大仏を一緒に見に行くって約束したでしょ、ずるいよ」体を近づけ、両眼を無理矢理こじ開ける。目脂〈めやに〉が黴〈かび〉みたいにこびりついている。
「何わけわかんねえこと言ってんだ? メクソデスなんて下剤知らねえよ、おれは色んな下剤を試したから下剤に詳しいけどよ、そんな下剤見たことも聞いたこともねえ。おまえだいじょうぶか?」肥えた体に似合わない、人体標本のような目差しをパツコに向ける。
「わけわかんないのはペイタでしょ! だいじょうぶじゃない人にそんなこと言われるなんて、ああ腹立つ! 見に行くでしょ!」瞼のひっくり返るほど指に力を入れる。眉の下から突き破りそうなぐらいである。
「行きたきゃ勝手に見に行けよ! おれが寝て留守番してやるから」ペイタには痛みが堪〈こた〉えない。
「駐車場のおじさんが居るからしなくていい! さっきの約束もあることだし、陽も暮れちゃうから早くしないと、ねえ行こうよ」ペイタの瞼を左右に動かす。
「駐車場のおじさんはさっき死んだぜ」ペイタは平気で言う。
「勝手に殺さないでよ、あそこにいるじゃない。もう、ほら、ペイタが話をしてくれたら、あそこに指を入れてもいいって約束したでしょ、だから、大仏を見に……」パツコは顔を背〈そむ〉けて小声で話す。
「おおそうだ! 今入れさせろよ!」ペイタが息を吹き返し、即座に実行に取り掛かる。
「ここじゃだめ! 駐車場のおじさんに怪しまれる! 絶対やだ!」パツコが慌てて身を退く。
「だから死んだって!」ペイタが身を乗り出す。
「大仏見てから! わたし人気のない場所知ってるから、そこでならいいよ。それを含めてここに来たんだからね、早く大仏見に行こうよ」ドアを開けて外に飛び出したパツコは、ペイタの動静を見ながら話す。
「おう! とっとと大仏を片づけちまおうぜ」ペイタも外に出て、肉を揺らして服を着始めた。
準備の整った二人は苔〈こけ〉むした外壁に沿って歩いた。
「眠っている間に、ずいぶんと周りの景色もいかれちまったな。道路や建物の色は夕方っぽさがあるけどよ、木の色がなめてるぜ、なんで今さら緑がかってきてんだ? この壁もおかしいぜ、人工物のくせに中途半端に緑がかっていやがる」滅多にない早歩きでペイタがぶつぶつ言う。
「陽が傾いたから色も変わってきたんだね、わたしも全体的に紫がかっている。昼間と違ってなんだか薄気味悪い。見てよペイタ、あの雲どう?」ペイタの後ろにつくパツコが話す。
「何緑色だかわかんねえ色してるぜ。おれの夕焼けはおそらく緑だ」振り向かずに答える。
「ふふ、夕焼けが緑色って、なんだかちぐはぐな感じがする」パツコの口元が綻〈ほころ〉びる。
二人は高徳院入り口にある仁王門に近づいた。
「見てペイタ、あの石の灯篭も竹の柵も色が変だよ」横に並んだパツコが対象物を指す。
「あたりめえだろ、石も竹も自然の物じゃねえか」指されたところにペイタは目を向ける。
「見て! あのおっかない人達も色が変だよ」ペイタの肩を叩いてパツコが教える。
「ありゃ、おかしくなっちまったんだよ」仁王門の両端に陣取る一対の仁王象を見て、ペイタは思わず口にする
「おかしくなったのはわたしとペイタでしょ? この人達は普通だよ、いやいや普通じゃないか。でも色が塗られているのに、色が変わってるから、きっと自然の物なんだろうね、それとも自然の顔料を使われたのかな、あれ? 色が剥〈は〉げてる?」パツコは阿像に近づく。
「知らねえよ、新宿にいたやつと同類なんじゃねえの?」そう言うペイタは仁王門を避けて先へ進んでしまう。
パツコが仁王像を観察していると(顔料ノセイジャナサソウダ、ヤッパリ全体ノ色ガ変化シテイル)、金を持たないペイタは大層不満そうな顔して戻ってくる(アイツ、何グズグズヤッテンダ)。券売所より先へ進めないと愚痴を交えて伝えるものの、パツコがその場を動こうとしないので、パツコの両腋に手を入れて体を持ち上げてしまう(面倒クセエ)。驚いたパツコは仁王門の柱にへばりつこうとするが(ウワア!)、ペイタが不器用に腋の下を擽〈くすぐ〉ったので、ついつい力は弛んでしまい、そのまま宙に浮いたまま券売所へ運ばれて行った(ウワア!)。
夕暮れに似つかわしくない陽気な口調で、パツコは券売所の係員に話しかける。まるで朝一番に訪れた人のようで、年配の係員は戸惑ってしまい、苦笑いを浮かべて返事をするのが精一杯だ。ペイタは潰れた顔をさらに顰めてパツコの背後に立つ(コイツハ、何無駄話ヲシテンダ?)。
三十秒も我慢できず、ペイタはスカートの上からパツコの股間を鷲掴みした。爪は寸分狂うことなくがっちり肉を捕らえる。「きゃあああ!」突然背後から襲われたパツコは、係員の顔に大きく声を出してしまった。その声に反応した戻りの観光客も、一斉にパツコを見た。ペイタの体の陰になって具合がよく見えない。
パツコは顔を膨らまして、反射的に自分の股をつかむペイタの腕を殴りつけ、笑いながら係員に言い訳を述べて券売所を離れた。
そ知らぬ顔してすこしばかり歩くと、パツコはうれしそうに眉目を下げてペイタに近づき、脇腹を小突き、隙間なく手を握り、元気好く腕を振って足並みを揃えた。
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