第15話

 それから二人は互いの経緯〈いきさつ〉を交わした。


「そういうわけだから、射精するまでちょっと待ってろよ」腰をもぞもぞさせてペイタが話す。揺れる体に合わせて、包む砂がさらさら滑り落ちていく。


「じゃあ何? わたしはこうやって砂をかけながら、ペイタの気味悪い姿を監視していなきゃいけないの?」膝をついて、パツコが子供達の役割を受け継いでいる。


「ああ、手を休めるなよ」変わらない姿勢の女性を凝視してペイタは返事する。


「もうっ! ねえペイタ、わたしさぁ、あのいやらしい子、てっきりペイタに教わってあんなことしてたのかと思った」両手で砂を掬い、腰のあたりにかける。


「そんなことしねえよ、勝手にやりはじめたんだよ。あいつ、たぶん初めてだぜ? 情けね声を出して一発目を発射するとよ、二度目を求めてすぐに腰を動かしたんだぜ」ペイタは額の汗を拭う。


「そうなの? いやらしい」パツコは眉を顰〈ひそ〉める。


「男としちゃあ普通だけどよ、人のにぎわう砂浜で、けつまるだしでオナニーするのはいかれてるぜ? あからさまにちんこをしごくわけじゃなく、熱心に砂に擦りつけるところが、また妙にむかつくぜ。あいつ自分の姿に気づいてねえんだよ、じゃなきゃ、毛の生えたちんこをさらして、海岸をうろつかねえぞ。やっぱりここがおかしいんだよ、将来が楽しみなやつだぜ」ペイタは首を一瞬動かして話す。


「え、ええ? そうだね、でも、ペイタもやってることはあまり変わらないんじゃない?」パツコが動きを止める(ペイタモジュウブンオカシイヨ)。


「全然ちげえよ! てめえ何言ってんだ? おれはな、知恵をふり絞った綿密な段取りでことを行ってんだよ。人目につかないようにカモフラージュする、精液の量が増すように小道具を使う、オルガズムが大きくなるようとことん焦らす、あいつとは技術と経験が違うんだよ! あんな、『勃起したから出しました。すみません』みてえなくそと一緒にすんじゃねえよ!」ペイタが吠える。


「はあ? 馬鹿じゃない? やってることは同じじゃない!」パツコが呆れた声を出す。


「だからちげえんだよ! うるせえ女だな、集中できねえじゃねえか! おめえどっか行けよ、あの宇宙人のとこでも行って、もう一度かき氷でもおごってもらえよ。巨根にしゃぶりついて、黄ばんだ練乳でもぶっかけてもらえよ!」ペイタが捲し立てる。


「あっ、ペイタ妬〈や〉いてるんだね、長田さんと一緒にいたから妬いてるんだね? 馬鹿々々しい! いいよ、かき氷食べてくるもん」


 パツコは立ち上がると、素足でペイタの横っ腹に三度蹴りを入れ(フンダ!)、ペイタが握っているとうもろこしをぶん取り、海に向かって放り投げた(コンナ物握ッテ、頭オカシインジャナイ?)。とうもろこしは赤いビーチパラソルに跳ね返り、無残に地面に落ちた。


「おいてめえ! 取ってこいよ!」わらわらパツコの足を捕まえようとする。


 足を引くとすぐにペイタの顔に砂を蹴りあげ(ウルサイ!)、ペイタの背中の上で高く飛び跳ねてから、パツコは鞄を手に取り走り去ってしまった。汗を浮かばせた分だけ顔に砂を張りつかせ、眼を閉じてペイタは呻き声をあげている(チクショウ! 女ガ見ネエヨ)。目を擦りたいのを我慢して、ペイタは涙に洗われるのを待った(クソ、パツコメ、アトデ絶対下ッ腹ニ喧嘩キックカマシテヤル)。


 遠く走り去ったように見せかけて、パツコはすこし離れた海の家の脇に立って、ペイタの動静を窺っていた(チョット、ヤリ過ギタカナ?)。両手を回して鞄を提げた格好で、パツコは目を細めた(ンン、マタ動キ出シタナ、ホント変態ナンダカラ)。パツコの顔がにこやかに笑う。


 視力が戻ると直ぐ、全身の神経をきたるべき絶頂に向けて、ペイタは激しく腰を動かす。開けた視界を一点に狭〈せば〉めて女性を観る(ホント動カネエナ、寝不足ダッタノカ?)。積もった砂の頂〈いただき〉が、細かい揺れに磨〈す〉り減っていく。


 口元を手で覆い隠して、パツコは溶けていく砂の山を観る(フフフ、ペイタガ頑張ッテル! フフフ、アカラサマダトアノイヤラシイ子ヲ非難シテタクセニ、自分ノ方ガ随分アカラサマジャナイ。砂ノ山ナンテ、有ッテ無イヨウナモノダヨ。アノ姿ヲ見テ、視線ノ先ヲ見レバ、何シテルカ誰ダッテワカルヨ。ペイタモ、アノ女性モ、スゴイ目立ツモン。フフフ、ペイタカワイイ、オカシイナ!)。ペイタの傍を、笑う人、顰〈しか〉める人、驚く人等、色々な表情が通り過ぎ、多くの目が惹きつけられている。


 五分もすると、砂の動きがぴたっと止まった。パツコは思わず両腋を締め、口元に手を運んだ(アッ! 出タンダ! ペイタオメデトウ!)。ペイタの動静をはっきり確かめると、パツコは海の家に入った。


 砂に噛みつかれて息絶えたような姿である。太い腕、膨張した顔、どこにも濡れていない箇所はない。パツコに浴びせられた砂も、疾〈と〉うに流れ出た汗に落されている。ペイタは荒い呼吸を味わっているかのようだ。かすむ視線の先には、三人相撲をとる痩せこけた青年が見える。非難する気も起こらない。


「お疲れ様!」人の気持ちを明るくさせる、パツコの元気な声が聞こえた。  


「おう、おまえか」


 目の前に立ち塞がるように、右手にジャンボフランクフルト、左手に練乳のかかったかき氷を持っている。器用に膝にスカートを挟んで屈みこむと、「どっちがいい?」えくぼの浮かんだ頬をさらに緩ませる。 


「馬鹿野郎、両方に決まってんだろ」そう言う前に、両腕が蛇蝎〈だかつ〉のように獲物を捕らえる。


「へへ、わたし偉いでしょ?」空いた手を膝頭〈ひざがしら〉に置く。


「なかなかしゃれのきいた組み合わせじゃねえか」ペイタが脂の光るフランクフルトを齧る。


「でしょ? ペイタの言うとおり、長田さんをイメージして買ったの」そう言ってペイタの手をつかむと、フランクフルトを顔に近づけてかぶりついた。 


「おまえ、やけにかわいいじゃねえか」パツコの仕草を見て、思わずペイタが言葉にした。


「ふふふ、今頃気づかないでよ」パツコはうれしそうに顔を紅潮させて、ペイタの頭を優しく撫でた。


 目を見張る速さでペイタが食べ物を腹に収めると、「やべえ、糞したくなった」がさつな声をあげた。


「また? さっきしたじゃん」顎〈あご〉に両手を添えてパツコが言う。


「もうさっきじゃねえ! 冷たいもん食ったせいで、腹が刺激されたんだよ。おい、ぼっとしてねえで、早く砂をどかせよ。漏れるだろ」


 パツコは慌てて砂をどかしだした(モウ、人使イガ荒イヨ)。先ほどまでは必死に体を動かして砂を落としていたペイタも、今ではまったく動かない(オセエナ)。それどころか、強引に動かせば体を起こせるだろうに、全部取り除いてもらうのを待っている。


「もう大丈夫でしょ? 立ち上がってみてよ」パツコはペイタの肩を叩く。


「重くて無理だ」動かす素振りも見せずに返事する。


「嘘だよ! 漏らすのがいやなら、動く努力してよ!」ペイタの右腕をつかんで、砂から引き抜こうとする。もちろんまったくの徒労である。


「おれはスカトロジストだからな、このまま漏らしても構わないんだよ。むしろここで出すほうが都合がいいくらいだぜ」ペイタは敢然〈かんぜん〉と話す。


「馬鹿言わないでよ、こんなところでしたら周りの人に迷惑でしょ」パツコは足に力を入れる。


「ごく少数の人間は喜ぶぜ? 砂に潜む微生物も喜ぶぜ? 何よりおれが喜ぶぜ?」ペイタは腕を引っ込めようと力を入れる。


「ちょっ、多くの人が喜ばないからやめて!」急に引っ張られてパツコの体がよろめいた。


「わかったから手を離せ、ここでする気はねえよ」


 ペイタは体を砂から起こし、おもむろに立ち上がった(ヨッコイショ)。埋まっていた部分にはすべて砂がついている。特に股間はやけに大きく固まっている。


「臭っ! なにこのひどい臭い!」パツコは鼻をつまむ。


「試しに三分の一だけ出したんだよ。新鮮な糞便感にうながされて、出したばかりのくせについ勃起しちまったよ」そう言いと、のそのそ海へ向かって歩き出す。


「最悪! ほんと最悪!」瞬間的にパツコはペイタから離れる。


「うるせえ! さっきのクイズのヒントを与えてやる、今日のおれのうんこは軟便だ。答えが知りたきゃ、おれのけつからこぼれる砂の固まりを調べてみろ」そう言いながら歩くペイタの尻から、砂に覆われていない橙色の便が落ちた。


「馬鹿ぁ! 砂なんかついてないじゃん! それにトイレはそっちじゃないよ!」鼻声でパツコが叫ぶ。


「馬鹿野郎! スカトロジストらしく、海中でぶっ放すんだよ!」ペイタが振り返る。


「はあぁ? じゃあ、スカトロジストらしく、落した物を拾って、海に捨ててよ」パツコはペイタの便を指す。


 邪悪な視線をパツコに向けると(チッ、偉ソウニ命令スンジャネエヨ)、ペイタは自分の便を躊躇〈ためら〉いなく拾い、指から食み出るほどに握りしめた(アイツニハ、オレノイケ糞ガ理解デキネエノカ)。


 ペイタは便を握ったまま遠回りして、ビーチチェアに眠る女に近づいた。(ホント、マッタク動カネエヨナ、ソレニシテモスゲエ体ダゼ)。まじまじ観察し終えると、持っていた便をビーチチェアの裏に放った。距離を保ってペイタを追っていたパツコは、破けるほど激しく咳き込んだ(最悪!)。


 ペイタは気にすることなく海に向かって歩き続ける。パツコが女性の傍に近づくと、激烈な臭いが鼻についた(スゴイ臭イ! ペイタノウンチ臭スギ、アノ量デコノ臭〈ニオ〉イハ、イクラナンデモ異常ダヨ)。パツコも女性をまじまじ観る(トンデモナイ体ツキダワ! 同ジ女性トハトテモ思エナイ、ドウヤッタラコンナ胸ガ育ツノ? スゴイ! デモ、ウエストノ細サト、脚ノ細サハワタシノ勝チダネ、脚ノ長サト、尻ノ大キサハ太刀打チデキナイケド……、ニシテモ、青白イホドノ肌ネ、トテモ涼シゲニ眠ッテル)。


 ペイタは腰ほどの深さまで歩くと、「パツコ! 今からうんこするからな!」大声でパツコに呼びかける。波のかかる場所に立つパツコは、目を泳がせて知らん顔をする。


 すると見知らぬ若い男が、パツコからすこしばかり離れた場所にヘッドスライディングして、「うほほほ! うほほほ! ほほぉ、ほほぉ、うほほほ!」常軌を逸した雄叫びをあげて、どんどこ胸を叩き始めた。男の胸板は厚く、体もがっしりしている。


 腰を下ろしたペイタは水面から顔を出して、脱糞しながら男を眺める(ナンダアノ馬鹿ハ)。声に驚いたパツコも、ペイタの衣服を抱えて男に視線を向ける(ナニアレ?)。


 男は不器用な倒立をして背中から倒れると、「おほぉ! おほぉ! おほぉ!」曲線を描かないブリッジをして蟹歩きを始める。そこに同年代の男が三人駆け寄り、男を捕まえた。「うほぉ! うほぉ!」男が抵抗して暴れるのを堪え、三人が男の各部分を押さえて歩かせる。「恥ずかしいからやめろよ」、「おまえ何してんだよ」、「まわりの人が引いてんだろ」三人は笑いながら、暴れる男に声をかける。「うほぉ! うほぉ!」男は得意そうな顔で絶叫しながら、やはり暴れている。


「迷惑だぞ! やめろ! このきちがいが!」海の家に近い場所から、若い男の声が発された。その周りにいる茶色い髪した若い集団も続けて笑い声をあげる。


「うるせぇ! きちがい上等! うおおお! きちがい上等!」暴れまわる男は過激な言葉を発する。若い集団から再び笑い声があがる。


 脱糞を終えたペイタは、股間を海水で洗いながらそのやりとりを眺めている(死ネ、キチガイ!)。パツコもきょとんとした顔で出来事に目を向けている(随分ト陽気ナキチガイサンダネ、ペイタナンテ、陰湿デ、不潔デ、畜生ナキチガイダヨ)。


「おいきちがい! 恥ずかしいからこっち来んな!」また野次がとんだ。


「うほおお! うほおお!」狂った声はさらに勢いを増し、三人の男を振り切って、二百メートル走者のようなフォームで走りだした。強く腋を締めた腕の振りと、極端に突き出した胸、ぶれない頭を保持して、野次を飛ばした集団へ全力で向かう。三人の男達も笑い声をあげて追いかける。その場に居合わせたほとんどの人々も目で追った。


 緑のレジャーシートに座る女の子二人組みを避け、ビーチボールを抱える中年男子を避け、手を繋ぐ若い男女を避け、ビーチパラソルの下にいる四人連れの家族を避け、小さな男の子を避け、玉虫色のビーチチェアに眠る若い女を避けきれず、滑稽〈こっけい〉なまでに全速力で衝突した。


 男は勢いよく半回転して、海老反〈えびぞ〉りに顔面から地面に突き刺さり、蹴りあげられたビーチチェアはひっくり返って、中途半端に折り畳まれた状態にいる。投げ出された女性は転がした人形みたいに、力の抜けた状態で顔面を砂浜につけている。女性自〈みずか〉らの力で体を動かした形跡は無く、五体は至極自然な状態に散らかっている。見た者に不安を抱かせる非常識な体勢だ。


「いてえ! すげえいてえよ!」折れ曲がった脛〈すね〉を抱えて男が喚いた。遅れて仲間の三人が駆け寄った。


「うおおおっ!、この女性冷たいぞ!」動かない女性に触れた三人が、同時に尻餅を着いて叫んだ。

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