第13話

 パツコは膝下を海水につけたまま、もう一度ペイタに電話をかけた(ペイタ何ヤッテンノ? 電話ガ切レチャッタジャナイ)。しかしつながらない(ナンデ電源切ルノ? ワケワカンナイ)。掃い落しきれない砂を髪や衣類につけたまま、海水を蹴りあげてゆっくり歩く。しかしつながらない(ペイタノ馬鹿!)。


 携帯電話を閉じて鞄にしまうと、サンダルを持っていない方の手で腿〈もも〉のあたりに結んだスカートを触り、すこしばかり腫れあがった両眼を擦〈こす〉った。丈の短くなったスカートから、白く細い足が海水に刺さっている。


 ふとパツコの耳に女の喘ぐ声が聴こえた。驚いて沖に目をむけると(今ノ声ハ怪シイヨ)、沖までいかない腰ぐらいの深さの場所で、男女が向かい合って体を密着させている(エエ! スゴイ近イ!)。二人ともタイヤと同じ肌の色をして、横断歩道のような髪の色をしている。女が男の首に腕をまわし、男が女の腰の下あたりに手をまわし、女の膝が折れて海面から突き出ている(エエェ! 足出テルヨ、モロジャン!)。男がぎこちない腰の動きで、沖からのうねりに負けじと小癪〈こしゃく〉な波を立てる。女は波の崩れる音とはまったく異質な声で喘ぐ。パツコは口を開けて見とれてしまった(大胆ニモ程ガアルヨ、何コレ、周リヲ考エテ、モット沖デヤリナサイヨ。砂浜カラ丸見エダシ、子供達ニ悪影響ダヨ。モウ、ワタシハヒドイ目ニ合ッテイルトイウノニ、コノ人達ハナンテ呑気〈ノンキ〉ナノ、ナンダカナ……)。


 そのまま見とれていると(ホント、ヨクヤルヨ、塩水ハ沁〈シ〉ミナイノカナ?)、一段大きなうねりが無秩序な性交に励む男女に近づいてきた。波の引きに海水は沈み、一瞬、二人の結合部分がパツコの目に焼きついた(ウワア! グロッ!)。それから波の力に男女の体は倒され、共に生殖器を海面上に投げ出して波に巻かれた(ヘヘン、ザマアミロ!)。崩れた波が寄せてくるのを見て、笑いながらパツコは砂浜に走った(ハハハ、イイ気味ダ)。


 波の届かない場所まで離れ、後ろを振り返ると(ゲッ! パワーアップシテル)、先程の男女が体を離さないように、羽交〈はが〉い絞めの様な体位をしている。女の声にも一段と緊迫した感じが加わっている。再びパツコは見とれてしまった(アンナヤリ方モアルノネ、不思議ダナ)。


 ペイタの存在を忘れて見とれていると、濡れた手がパツコの肩にかかった。不意なことに首を竦〈すく〉めて振り向くと、そこには鱗の派手な蛇の胴体が見えた(イッ!)。見上げると、鼻柱の曲がった顔が、脂に汚れた歯を剥きだしにしている(ヒッ!)。


「君さあ、さっきから何見とれてるの? おれさあ、いかれたババアに砂をかけられていた時から、ずっと君を見てたんだけど、なんかさ、ずっと発情しっぱなしって感じだよね、もしかしてさあ、あれが欲しいの? ナンパ待ち?」この世に存在しそうにない色の蛇を全身に彫りつけた男が、パツコの肩に腕を回して顔を近づける。


「えっ? ち、違います」顔を紅潮させるも、体が震えて抵抗をみせない(イキナリ何スルノヨ)。


「えええ? 本当? じゃあさあ、なんでさっきからセックスしてるやつらを、うらやましそうに眺めてるわけ?」腐敗した黄色い吐息をパツコの顔に吹きかける。


「そ、そんな、べつに、あの人達を見ていたわけじゃなくて、その、波を見ていただけです」どもりながらパツコは下を向いて弁解する(コノ人、息臭ァイ!)。


「へえぇ、そうなんだ、波を見てたんだ、ふぅん、じゃあさあ、あの男女は何をしてるの?」


 男は濡れた体をパツコに密着させ、パツコの首元を指でなぞりながら、顎〈あご〉を前に出して性交に夢中の男女を指す。パツコは顔を上げず、視線だけを上げた(激シクナッテルシ!)。鬼気迫る声で喚く女がチョークスリーパーを受け、男は真剣な顔して腰を振っている。


 賑やかな海水浴場で色に狂う男女は、性にたかる蠅を知れずに集める。自慰行為が盛んな男子中学生や、処女を捨てる捨てないに躍起〈やっき〉になる女子中学生はもちろん、好奇心溢れる子供、精巣がぱんぱんに張った青年、見境のない中年、滾〈たぎ〉る更年期の人妻など、人間である者すべての興味を惹きつけた。気がつけば、男女の周りにはやけに多くの人が集まっている。


「あんなところでやるなんて馬鹿だよ、恥ずかしくないのかね、ぼくだったらあんなとこじゃやらないね」


 男は笑いながら、パツコの乾いた膝に手の平をあてる。全身に鳥肌が立ち、(イヤァ、気色悪イ!)、パツコは股間目指して進み始めた男の手を必死に押さえる。得体の知れない液体を全身に塗り込んでいるせいか、男の腕はぬるぬる滑る。


「ねえ見てよ、向こうにも馬鹿がいるよ、ぎこちない腰つきを見ると高校生かな? あれだろうね、おそらく、触発されてチャレンジしたんだろう」男らしい力で強引に股間を目指しつつ、首に回した手を胸に近づける。


「えっ?」男の見る方へパツコが視線を向けると、波がわずかに届く辺りのところで、肢〈あし〉の本数の足りない、巨大な蟹があたふたしている(ゲッ! イツノ間ニ? 露骨スギルッテ)。よく見れば、ハサミに見えたのは宙に向かって上げられた女の足であり、正上位で重なり合う若い男女の姿だった。 


「若いって、無知というか、無謀だよね、あれじゃ盗撮されて、動画サイトに投稿されるのがおちだよ。けれど、ぼくたちは大丈夫、心配いらないよ。ぼくは用意周到だからね、二人の体が密着できるように改良した浮き輪を用意したんだ。海の中で人に気づかれずに結合するために、ぼくが開発した浮き輪でさ、これを使えばクラゲみたいに沖で浮きながら、重力から解放され、イルカのような腰つきでセックスを楽しめるんだ」そう語りながら、男の右手が乳頭、左手が割れ目に達した。


「きゃああああ!」鼓膜を突き抜ける叫び声をあげて、短距離走者らしい初動でパツコが必死に走りだした。左の腋を締めて鞄を押さえ、サンダルを持った右手で帽子を押さえ、砂を蹴りあげながら走る。滑〈ぬめ〉る肌の男は表情を変えず、首を曲げてパツコの走る姿を眺めたまま、追いかけることもせずに突っ立ていた。


 野兎のように人々の隙間をすり抜けて、パツコは男から遠ざかる。捲くし上げていたスカートの結び目が解〈ほど〉け、薄い生地は走る足に絡みつき、円滑な動きを妨げる。横に並ぶ女子の集団を避けると、すぐ目の前に蛍光ピンクのビキニパンツを食い込ませた、驚くべき筋肉が寝そべっていた(キャアァ、ドイテ!)。


 パツコは避けきれないと判断して、てかてか反射する筋肉男の体を跳んで跨〈また〉ごうとした。すると着地点を誤り、大きな体に不釣合いな、小さく締まった尻に足を着いてしまった。柔らかい肉を包んだビキニパンツに足を滑らせて、パツコは手を着く間もなく前に倒れた。顔は熱く焼けた砂にめり込む(ムギュ!)。


 一呼吸置き、体を起こして膝頭に立つと、「うわあぁん!」ついにパツコは人目を憚〈はばか〉らずに大泣きを始めた(ウワアァン!)。


 


 ペイタは黒い水玉のパンツ姿で寝そべっていた。最初はとうもろこしを食べる女性の凄艶〈せいえん〉な姿を鑑賞しようと、体を地に着けたのだが、膨張した陰茎が熱い砂に思わぬ心地良さを覚え、女性を視姦しての射精へと目的は変わった。まず皮膚の感度を高めるためにTシャツを脱いだ。それにより、乳首を砂に擦りつける技を発見した。


 次に、砂の温度と質感をより肌で感じようと短パンを脱いだ。正直なところパンツも脱ぎたかったのだが、そこまでの度胸はペイタにはなかった。鈍い頭を働かせて、パンツ姿で寝そべるありふれた海水浴客の姿に留めた。しかし体の動きは誤魔化しようがない。


 好きなことに関しては驚くほど大胆な行動を取るペイタも、さすがに腰の動きが周囲の人の目につくのではないかと恐れた。むしろ目につくのが嫌なのではなく、目についたことで誰かに茶化されたり、からまれたりして、集中力を奪われるのを恐れた。誰の邪魔も入らずに、自分の体に感じる官能だけを味わっていたいのだ。


 ペイタは毛細血管を痛めんばかりの眼力を込めて、変わらぬ姿で仰向けになっている女性を凝視している。身体全体から臭い汁を流し、特に腿の裏が著〈いちじ〉るしい。ペイタがもぞもぞ動く周辺の砂の色は変わり、すっかり湿っている。


 神経を尖らせてペイタが一人努力している右前方に、海からあがった女子高生の集団が戻ってきた。ペイタの腰の動きは目立って静かになった(オイ! 戻ッテクンナヨ、クソ雌ドモガ)。会話ともいえない独り言をそれぞれ考えなしに発し、女子高生の集団は喧騒を作り出す。ペイタの耳に、形容詞と感嘆詞ばかり強調された声が飛び込む(ウルセエ! 知性ノ足リナイコト言ッテ、オレノ邪魔ヲスルナ、クソ雌ガ! アンマリウルセエト、テメラ一人残ラズ、首ヲ掻ッ切ッテカラ、肩カラ腕ヲブッタ切リ、レイプシテ喉元ヲヒュゥヒュゥ言ワセンゾ)。ペイタの腰の動きはさらに弱くなる。


 女子の一人は瓢箪〈ひょうたん〉よろしくという腰つきをしている。女子の一人は棍棒に勝る脚をしている。女子の一人は蟷螂〈かまきり〉のように肘が尖っている。女子の一人はガサミと紛〈まが〉う股間をしている。女子の一人は黒部ダムと並ぶ尻をしている。女子の一人は甲〈かぶと〉虫の生えた様な鼻をしている。女子の一人は顎が裂けて奥歯が見える。女子の一人は背中一面ニキビ畑である。女子の一人は胸が陥没している。女子の一人は妊娠した大きな腹を垂らしている。ペイタには女子高生の姿がこのように映った。


 女子高生の集団が口を閉じることなく写真撮影をはじめた。まずは手を互いに繋ぎ合わせ、恍〈とぼ〉けた案山子〈かかし〉のようなポーズを撮った。次に各々〈おのおの〉かわいいと思い込んでいる自慢の尻を突き出し、質の低さを競い合って品評してもらうポーズを撮る。さらにキュートなサクランボだと勘違いしている憐れな胸を寄せ、グラビア誌を飾る意気込みでポーズを撮る。彼女らはペイタの目にそう映っていた。


 微動だにせず、汗もかかず、涼しく寝そべっている女性から目を外し、ペイタは腰の動きを止めて女子高生を睨んでいる(コイツラハ新手ノ愚連隊カ? ナンテウルサクテ、キタネエヤツラダ。女ラシイ性ノ欠片〈カケラ〉モネエクセニ、コウイウヤツニ限ッテ進ンデ処女膜ヲ破ロウト、男ノ股間ニケツヲ擦リツケル。汁ノ量モ無駄ニ多ク、臭イモ強烈、ソレデイテデカイ喘ギ声デヨガリ、『チヨゥ気持チイイ! チホゥ気持チイイ! モット突イテ!』ト生意気ヲヌカシヤガル。本人ハ気持チイイヲ、カワイラシイト勘違イシテンノカ知ラネエガ、テメエラミテエナ粗悪品ハ、存在自体ガ気持チワリインダヨ! 駄作ノアダルト動画ガ存在スルノモ、テメエラノヨウナ糞虫ガウジャウジャイルカラダヨ!)。


 そんな気配を察してか、尻の大きな女子がペイタの存在に気がついた。女子と目が合うと、瞬間的にペイタは目を逸〈そ〉らした(コッチヲ見ルンジャネエ)。


「あの超でぶ、超いやらしい目で、うちらを超見ているぞ、見ろよ、超デブ、超気持ちわる!」


 気づいた女子がペイタに聞こえるのも憚らず、遠慮のない大声を仲間にかける。女子校生が一斉に軽蔑の視線を向ける。たまらずペイタは顔を伏せる(早起キシタカラ、眠イゼ)。


「超でぶ! なにあれ!」、「あいつ何? うちらを盗撮してんの?」、「あいつ、今寝た振りしたぜ?」、「ずっと見てたのかよ? 気持ちわるう!」、「なんであんなやつが海に来んだよ、死ねよ!」、「あいつぶっとばす? どうする?」、「超でぶ、うちのクラスの浜田よりでぶだぜ!」、「おい! 見たらぶっ殺すぞでぶ!」、「あのでぶ、ちんこを砂浜にすりつけてんだぜ!」、「お腹の子に悪影響だわ」、女子が一斉に声を出す。ペイタは知らん振りをする(フン!)。


 さらに何十倍もの罵声を捲〈まく〉し立てて、「気持ちわりいから、場所移動しようぜ?」妙に腰のくびれた女子が先頭きって動き始める。ぞろぞろ動き出した女子を確認しようと顔をあげると、O脚の女子がペイタに気づき、「だせえ! あのでぶ、うちらの様子を窺ってるぜ!」大声で仲間に伝達する。反応したペイタは、体に見合わない素早い動きで再び顔を伏せる(フン!)。すると頭の上に濡れた物を投げつけられた。


 耳を欹〈そばだ〉てて女子高生の声が遠ざかるのを待ち、周囲の雑音に掻き消されてからペイタは顔をあげた(フンッ、クソ雌ドモメ、ヨウヤク消エタカ)。すぐに頭についたままの濡れた物に手を伸ばすと(イッタイ何ヲ投ゲタンダ?)、粘々した液体を指に感じた。見れば、悪露〈おろ〉の染み込んだ脱脂綿である(クソ雌ガ!)。ペイタは反射的に口の中に放ると、力一杯に歯で噛みしめた。




「ほんと、今日は災難ですよ、まさかあんな大胆にさわってくる男がいるなんて」紫色のレジャーシートに座り、パツコは青いかき氷を食べながら話す。


「ははは、夏のビーチには変な輩〈やから〉が集まるからね、かわいい女の子一人では格好の的だろうね。ははは」ボディービルダーと一目でわかる筋肉を保持する男が、パツコの隣にでかでか座ったまま低い声で笑う。


「二十歳にならない小娘ならわかりますが、わたしもう二十二歳ですよ? まさかこんな怖い目に遭うなんて思いもしませんよ」呆れたような口調でパツコが海を見て話す。


「ははは、わたしからすれば、四十歳の女性でも小娘だよ」男も海を見て話す。


「そもそもの原因は、兄がわたしを置いて行っちゃうからですよ。それも携帯電話の電源を切るなんて、信じられます?」男に顔を向け、一寸ばかり見上げて話す。


「ははは、女性の尻でも追いかけているのだろう、男は勝手だからね」男は海から目を逸らさずに答える。

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