第12話
茶ばんだ手拭を絶えず体に滑らせ、パツコを追いかけ必死に海岸通を歩く(クソ、アイツ何処〈ドコ〉マデ行クンダヨ)。人々は家畜が歩くのを避けるように、ペイタから距離をとってすれ違う。
「おい見ろよ! すげえでぶが歩いてるぜ!」
曲った海の家の前にいる、髪を鶏冠〈とさか〉にした黒い骸骨染みた男が、似た風貌の仲間に大声で声をかけた。ペイタは男達に合わせないよう目を泳がせながら、聞こえていない振りして歩き続ける(下等ナ蛆虫〈ウジムシ〉メ、本当ダッタラ今スグブン殴ッテヤルトコロダガ、今ソンナコトスレバ、パツコヲ見失ウカラナ、ソレニ人ヲ半殺シニシタナンテ知ッタラ、アイツ大泣キスルシナ、スグニデモフルボコニシテヤリテエケド、ココハ仕方ナク我慢シテヤル。ジャナカッタラ、ユックリ石段ヲ下リテアノ糞虫ニ近ヅキ、イキナリ眼球ニ指ヲ突ッ込ンデカラ、金玉ニ大振リノアッパーカットヲカマシテヤル。ソレカラ横ッ腹ニ蹴リヲ入レテ、首根ッコマデ砂ニ埋モレルホドノ、垂直式ノ裏DDTヲカマシテ、ビーチニ腐ッタ墓標ヲ立テテヤル。アトノ仲間ナド掌底〈ショウテイ〉一発カマスダケデ、脳ガ破裂シチマウ。パンパンパンッテナ、次々ト破裂サセテヤル。残ッタクソビッチドモハ、ソノ場デ……)。
「ちょっと、そこの超かわいいお姉さん、ねえねえ、今来たところ? うちの海の家超いいよ! 目の前の海で取れた超すげえ食材をふんだんと使ってさ、超うまい料理で評判なんだよ、それにビーチパラソルもすげえロコって感じでさ、超いかしてるぜ。働いてる仲間も超イケメンばかりでさ、お姉さん一人? 一人で来てるの? ねえ、サービスでおれが日焼け止め塗ってあげるからさ、ねえお姉さん、こっち向いてよ!」
コックローチ色した海の家の前から、使い古した竹箒〈たけぼうき〉さながらの男が、海岸通を歩くパツコに声をかける。萎〈しお〉れたヤモリの刺青を貧弱な胸に刻みつけている。ヤモリの眼は不気味な色の乳首で仕上がっている。
「ごめんねぇ、連れがいるからさぁ、勝手な行動とれないの。超すげえ食材がちょっと気になるけどね、それに、わたしイケメン苦手なの」人懐っこい笑顔を浮かべてパツコが返事する(ナニアノ髪型、ドウヤッタラアンナ風ニナルノ?)。
「そうなの? じゃあ、お姉さんがリクエストを言ってくれれば、リクエスト通りの男を連れて来るよ、だからさ、ちょっとこっちに来てよ、連れの女の子に電話してくれれば、おれが事情を話すからさ、ねえ」男は猿みたいに手足をばたつかせて話す。
「そう? じゃあ、リクエスト言うね、わたしね、くそでぶがいいの、黒いのじゃだめだよ、赤みがかった白いくそでぶがいいの、どう?」歩みを止めずに元気良くパツコは話す。
「ははは! それはきちぃよ、秋葉原まで行かないと無理だって、ははは、お姉さんいかした趣味してるね」腹を押さえて男が大笑いする。
「でしょ? 友達にもよく言われるのぉ! じゃあね!」手を振ってパツコは海岸通を歩き続ける。
直射日光を食らう中、ペイタは水着の女性だけを見て歩き続ける(中途半端ナ体ツキバカリダ、マルデ好〈ヨ〉イノガイネエ)。すると、前方にかなぶん色のビキニを身につける、至極〈しごく〉優れた体つきの女性が歩いているのを見つけた(ウオオ!)。右手に焼きとうもろこしを持ち、石段を下りて揺らめく海の家の脇に入っていく。ペイタは視線を女性だけに向けて、その後をついていく(アレハオカズニ使エルゾ、タップリト網膜ニ焼キツケテ、何度モ使エルヨウニシテヤル)。
揺らめく海の家の脇をすり抜け、茶色いタイ米に似た人々の集まる西浜に出た。ペイタの目に、人工色の点在するアッシュグレーの砂浜が広がり、視界の外れに青紫色の江ノ島が浮き出る。だが肉づき好い割に身の締まったこの女性以外は、まるで気にならない(グフフ、好イ感ジノ肉ノ揺レダ)。
例〈たと〉え今その瞬間に通り魔が現れ、ビーチに狂乱を引き起こしたとしても、ペイタは女性の肉を追いながら逃げ惑い、通り魔が捕まり騒然とした野次馬の中でも、陽炎〈かげろう〉揺れる女性の肉だけに目を刺し、女性が通り魔に刺されたとしても、治療を施〈ほどこ〉す素振りを見せながら、実際は肉を弄〈まさぐ〉ることだけに集中するだろう。へたしたら肛門に指を突っ込むかもしれない。
肉の好い女性がふと、とうもろこしの先端を齧〈かじ〉った。それを後ろから見たペイタの股間は、魚雷の破裂した水面を超えて盛り上がった(ウヒョ、カブリツイタ、アアタマンネエ、アノ女野糞シネエカナ)。
パツコが後ろを振り返ると、幅の広い見慣れた人の姿が見えなかった(アレ? ペイタガイナイ)。素早く周りを見回してから、見逃さないよう何度も周囲に目を向ける(アレレ? ドコイッタンダロ?)。
「水色のワンピが似合うお嬢さん! 海の家決まった? ちょっとこっち来てよ!」すこし離れた場所から、全身に軽度の火傷を負った客引きが雄叫〈おたけ〉びをあげる。
パツコは客引きに体を向け、両腕を交差してX印を示すと(女ノ子ガ一人デ歩クニハ、チョットウルサスギル通ネ)、すぐに歩いてきた通を引き返した。
海岸通を戻っていると、行きに声をかけてきた客引き一人一人に勘違いされ、再び熱心に家の中へ誘い込まれる。パツコは愛想笑いを崩さず(ホントシツコイ人達ダナァ、商売トナンパガ混ジッテ、熱心ニ働ク人バカリダ)、大きな声で簡単に事情を説明する。話せば話し返され、たわい無いやりとりを続けながらパツコは道を戻る。
新江ノ島水族館の裏手に戻るが、ペイタの姿が見つからない。パツコはぐるりと見回してから海岸通を見つめ(サスガニコノ通ハ、モウ歩キタクナイナ)、肩から提げた鞄に手を入れて携帯電話を取り出す。しかし時刻を確認すると、電話を使わずに砂浜へ歩き出した(マダ時間モアルコトダシ、ノンビリトペイタヲ探ソ)。
大きな障害物のない砂浜へ出ると、パツコの目に橙色の江ノ島が印象強く映った(美味シソウナ色ネ、昔見タ印象ト全然違ウ)。鋭調色のビーチパラソルや明調色のレジャーシート、柄の水着を着る人々がごちゃごちゃする、スターライトブルーの砂浜が軽い眩暈〈めまい〉を起こさせる(スゴイ人ノ数! ミンナ休ミダシ、天気ガ好イカラ海ニ集マルンダ。コリャ目立ツペイタヲ探スノモ、一苦労ダネ)。
サンダルを脱いで素足を乾いた砂につけると、パツコは慌てて足を持ち上げた。(キャアア、熱イ!)。いきりたつスタート前のマラソンランナーのごとく、じっとせずに足をばたつかせる(イヤア! 何デミンナ、平気ナ顔シテ素足デ歩ケルノ?)。
サンダルの砂を落し、片方ずつ手に持ってパツコは我慢して歩き出した(健康的ナ足ノ痛ミネ、靴ニ履キ慣レテ、皮膚ガ弱クナッテイルンダ)。蒸れる砂浜は酸素の薄さを感じる。目深に被った麦わら帽子の奥から、パツコは砂浜で戯〈たわむ〉れる人々の姿を見分けながら歩く(水着ガ違ウダケデ、遠目ニ見ルト、若イ男モ女モホトンド同ジヨウニ見エル。デモ、ペイタナラ一目デワカリソウ、アノ体ジャ、周囲カラ浮イチャウモンネ)。
パツコは波打ち際に近づいた(変ナ海ノ色、デモ、元々ガ変ナ色ダカラ、ソレホド気ニナラナイナ)。額の狭い若い女が、垂れた胸を振り回しながら、若い男達に混じってビーチボールをぶつけ合っている。女が浅い岸辺を走り、笑い声をあげて逃げるのをパツコは目で追う(スゴイ胸ダワ、ドウシテアンナニ大キクナルンダロウ、不公平ダヨ。アアァ、楽シソウ、ワタシモ水着ヲ持ッテクレバヨカッタ、陽ニ焼ケルノハイヤダケド、一夏ニ一回グライナラ、焼ケテモ大丈夫カモ。アアァ、ペイタハアノ男ノ人達ミタイニ、遊ンデクレナイダロウナ)。
砂浜の方を見ては、海に入って遊ぶ人々を見て、パツコは眼を休ませない。すると前方に裸で砂遊びする子供達が目に入った(ウワァ、素ッ裸ダ、スゴイ! 全身藍ネズミ色ダ!)。五人の男の子達は砂を積み上げ、難解な形の建造物を建てている。一人は歩き出したぐらいの身体、二人は元気に走ればたまに転ぶぐらいの身体、一人は悪知恵が働くぐらい、一人は陰毛の生える身体だ。パツコは一人だけ色の変わっていない男の子の正面を見て、たまらず噴き出した(エエエッ? 君ハ水着ヲ穿カナキャダメデショ!)。
それをたまたま見ていた、パツコの目に淡藤色に映る男の子が、「しょうちゃん、ねえ、あの人、しょうちゃんのちんこ見て笑っているよ」毛の生えたしょうちゃんに声をかける。
「おいエロババア、おれのちんこ見て笑ったな、何勝手に見て笑ってんだよぉ!」しょうちゃんは前を隠さずにパツコの前に立ちはだかる。
「エロババア? 何言ってんのよ、わたしまだ二十二歳だよ、女らしさに磨きのかかる年頃なんだから、まだババアじゃないもん」パツコの顔は笑いながらも、口調がやけに強い。
「おれから見れば、二十歳過ぎたら全員ババアだ」しょうちゃんは断言する。
「それよりもねえ、君、水着を穿かないで『おれのちんこを勝手に見たな!』はないでしょ? 笑ったのは悪いけど、わたしだって見たくて見たんじゃないの、目についちゃったの、ねえ、見られたくないなら水着穿きなよ」しょうちゃんの下半身をちらちら見つつ、笑いながらパツコが話す。
「いやだ! ごわごわして落ち着かないからいやだ! おれはふるちんの解放感が好きなの。絶対に穿かないからな! おれは大人になっても、海に来たらふるちんで遊ぶんだ!」しょうちゃんが腕を振って喚〈わめ〉く。
「別に穿かなくてもいいけど、それなら『おれのちんこを勝手に見たな!』って文句つけないでよ、でも……、色々と問題が起きそうだから、やっぱり君だけは穿いたほうがいいと思うよ」パツコは優しく語りかける。
「色々な問題ってなんだよ! こいつらだってふるちんじゃんかよ! おれにわかるように、大人らしく理屈っぽい説明しろよ!」パツコとそれほど背の高さの変わらないしょうちゃんが、建築に夢中になっている子供達に一度目を向ける。
「大人らしい理屈って言っても、ねえ、だって、君もう大きいじゃない?」顔を赤らめてパツコが話す。
「おれのちんこが大きいからか?」しょうちゃんはラッキョのような生殖器をつまむ。
「違う! それじゃなくて体のこと!」思わず大きい声を出してパツコが言う。
「なんでよ? ちんこが大きいならわかるけど、なんで体が大きいとだめなんだよ?」しょうちゃんがラッキョを引っ張る。
「もう、とにかく、水着を穿いたほうがいいの、ほら、尻まるだしじゃ風邪ひいちゃうし、それに、ね、あそこに毛も生えてるし……」か細い声でパツコが指摘する。
「おれのちん毛かっこいいだろ? 最近になって生えてきたんだぜ、でも、パパのちん毛にはまだかなわねえや、ちんこも変な形して、レーザーのような小便をぶっぱなすんだ、すげえ貫禄あるんだぜ」腰を前に出してしょうちゃんがパツコに毛を見せる。
「どうしたのしょうちゃん? 何かあったの?」ビキニラインから縮れた毛を食〈は〉み出した女性が、小走りしながらしょうちゃんに近づいてきた。
「あっ、ママ、このババアがね、おれのちんこ見てね、いちゃもんつけてきたんだ」
しょうちゃんはママに抱きついて話す。パツコは不快な顔して見つめる(エエッ? イチャモンツケテキタノハ、君ジャン!)
「あらいやだ、しょうちゃんのおちんちん見て文句をいうなんて」しょうちゃんを抱きしめて、母親は何度もしょうちゃんの頭を撫でる。
「それにね、こいつ、うれしそうに笑いながら、おれのちんこをじろじろ見るんだよ」母親の胸に顔を埋めてしょうちゃんが言う。
「あなた何者よ、しょうちゃんになんの用があるのよ?」
甲走〈かんばし〉った声をあげて母親が叫ぶ。周りにいた人々はその声に驚き、動きを止めて声を発した所へ視線を合わせる。砂遊びしていた小さな子供達は、全員母親の足元にしがみついた。パツコは全身に電流が流れたように体をびくつかせ、手に持っていたサンダルを地面に落した。
「あなた何よ! 子供の股間をじろじろ見て笑うなんて、この淫乱女!」凄まじい怒気を発してパツコに声をぶつける。
「いえ、わたし、わたし、ただ……」
両手を口にあてて全身をぶるぶる震わせ、怯えた目で母親の形相を見ると、パツコはすぐに視線を下に向けた(コノ人怖イ)。人々が近くに集まりだす。
「ええっ? ただ何よ、子供の股間についている物がなんなのよぉ? ええぇ?」母親の声はさらに大きくなる。
「えっ、ええ、ち、ちがっ、わたし、ただ……」パツコは顔を皺くちゃに泣き出し、掠〈かす〉れた声を出す。
「ええぇ? ち、なによ、ちんこがなんなのよ、不潔な淫乱女! とっとと失せろ!」
そう言い終わらない内に、母親は素早い身のこなしで砂をつかむと、パツコに目掛けて肩が外れるほどの力で投げつけた。不意をつかれたパツコの眼と口に、塩っ辛い砂が容赦なく飛びこむ。しょうちゃんもなぜか泣きはじめ、母親と一緒になって砂を投げつけると、小さな子供達も真似しだす。周りの人々は母親を止めもせず、笑いながら傍観〈ぼうかん〉して身勝手な閑談を始める。
「早くここから消えろ、この淫乱女! ほら、早く行けよ、行かねえと警察呼ぶぞ! みなさん聴いてください! この女はわたしの子供の股間を狙って、笑いながらしゃぶりついてきた変質者です! ほら早くどこか行けよ、迷惑なんだよ気ちがいが!」母親は左右の手を交互に使って砂を投げつける。
パツコは落ちていたサンダルを無我夢中で手につかむと、麦わら帽子が破けるほど深く被り、頭を抑えながら砂浜を駆けて行った。
Tシャツを脱いだペイタが、上半身裸のまま砂浜にうつ伏せになっていた。背中の肉のくぼみに溜〈たま〉った汗を揺らし、顔を前に向けてもぞもぞ腰を動かしている。視線の先には、追いかけていた女が玉虫色のビーチチェアに寝転がっている。女は雷を想起させるサングラスをかけて、線の美しい膝を立てたまま、腋の下を河馬〈かば〉の口みたいに開かせている。
熱い砂に擦りつけている股間の端から、携帯電話の振動がしてペイタは動きを止めた(パツコカ? 邪魔シヤガッテ)。取り出して画面を見ると、パツコからである。なんの考えもなしにペイタは携帯電話の電源を切り、脱ぎ捨てたままのTシャツの上に放り投げた。
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