第11話

   四


 パツコの希望通りすべての展示物とショーを見終えた後、二人は水族館内にある子供を対象とした配色のレストランで、四人前のカレーを食べていた。


「暑い日に食べるカレーはおいしいね。たくさん汗を流していると、体に溜まった不純物が出されて、清められているような気がする。気持ちいいね、暑い国の人が辛い物を食べるのもわかる気がする」涼しい汗を垂らしながら、パツコはちびりちびりカレーを口に運ぶ(辛イケド、ツイツイ口ガ進ム)。


「ちげえよ、腹が減っているからカレーがうめえんだよ」器に口をつけながら、スプーンで中身を口に掻〈か〉き込む(グヒ、グヒ)。


「ペイタすごい汗! なんでそんなに汗が出るの? 不純物が体にいっぱい溜まっているんだね、スポンジを絞ったってそんなに水は出ないよ。ほら、これで拭いて」鞄からペンギンの絵柄がプリントされた手拭〈てぬぐい〉を取り出し、ペイタの前に差し出す。


「この店はカレーがすくねえよ、量をごまかしてんじゃねえか?」三杯目を平らげたペイタは手拭を手に取ると、口を拭いてから体中を無造作に拭き回す。


「これが普通の量でしょ? ペイタの食欲が異常なんだよ。ああ、もうびしょびしょだ。バスタオルでも持ってくればよかった」水浸しの雑巾のように、ペンギンの手拭が黄色く変色しているのを見て、パツコは小さな溜息をつく(ヒドイ色ニナッチャッタ)。


「使えねえタオルだな、容量がすくねえ」そう言うと、ペイタは手拭を力任せに絞る(オオオ、出ル出ル)。


「きゃああ汚い! もうそのタオル使えないよ!」臭気を含んだ脂っぽい汁が地面を汚すのを見て、パツコは奇声をあげた。


「うるせえ! こうすりゃもう一度汗を拭けるだろ? おい、パツコ、トイレ行ってくるから、カレーを二人前頼んでおけ、わかったな?」丸い塊は重そうに腰をあげる。


「へっ? もう二人前? そんな偉そうに命令して、だれのお金で食べてるんだっけ?」残りのカレーを食べようとしたパツコの手が止まる。


「おまえの金だよ、だからおまえに命令したんじゃねえか。糞してくるから、その間に用意しておけよ」細い目をパツコに定めて、頑然〈がんぜん〉とした態度でペイタが話す。


「ペイタの馬鹿! カレーを食べている時にそんな言葉出さないでよ!」細い眉をかわいらしく顰〈ひそ〉めてパツコが非難する。


「カレーを食べているからするんだよ。じゃなきゃ言う意味ねえだろう? 消化されなかった福神漬け入りの下痢便をするなんて言ってねえし、エビフライみてえな太くて長いうんこをしてから、下痢便が放出されるなんて……」パツコの食べるカレーを指してペイタが説明する。


「わかったから早く行ってきてよ!」


 両手でテーブルを叩き、席を立ってパツコは叫んだ。シャツの張りついた大きな背中が離れるのを見送ると、席に座り直し、エビフライの載ったカレーを見つめた(ハアァ、セッカク残シテオイタノニ)。


 二人前のカレーと一緒に待っていると、顔をにやつかせたペイタがのそのそ戻ってきた(コイツハオモシレエゾ)。


「喜べパツコ、おれのうんこに関したクイズができあがったぞ」見た感じから臭〈によ〉う体をイスに座らせる。 


「せっかくカレーを用意したのに、うんちの話なんかしないでよ」歪んだ顔つきでパツコが言葉を投げる。


「うんちじゃねえ、うんこだ。おまえ、うんちとうんこじゃえらい違いだぞ、うんちは女子供と老人が使う軟弱な糞言葉で、甘い臭いでもしそうなインチキ言葉だ。けどうんこは違う、存在感のある臭いが漂うえげつない言葉だ。おれがしたのはうんこで、うんちじゃねえ。おまえのけつの穴から出てくるのも、もちろんうんちじゃなく、れっきとした臭いつきのうんこだ。ずるして、間違ってもうんちなんて言葉使うなよ」ペイタが意気を込めて語る。


「汚いなぁ、そんなのどっちだっていいじゃん!」鼻をつまんでパツコは言う。


「どっちでもいいだと? ふざけんなよおまえ、糞の呼称をなめるんじゃねえ。たとえば、ちんちん、ちんぽこ、ぽこちん、ちんこ、ペニス、マラ、男根、太いの、男性器の呼称をちょっと思い浮かべるだけでこれだけあるんだぜ、おめえ、男性器の呼び方もどれでもいいのかよ? ええ? 生まれたてのガキを見た母親がな、『あらこの子、おちんちんが曲がっているわね』とな、『あらこの子、ペニスが曲がっているわね』じゃえらい違いだぜ? ペニスだと冷徹で狡猾なしろものって感じがするだろ? わかるか?」赤紫色の顔をしたペイタが汗を流して話す。


「ちょっとわかるかも……」小さい声でパツコが答える。


「だろぉ? 女性器の呼称も一緒でよ、おれはアダルト動画に出てくる女が、『わたしのおまんこに早く入れて!』なんて言うのを聞くと、顔面を殴りつけて鼻の骨をばきばきにしてから、“おまんこ”目掛けてサッカーボールキックしてやりたくなる。“お”ってなんだよ、“お”ってよ、まんこって言えよ。それか、『わたしのヴァギナに早く入れて!』って言えよ、そうしたら、顔をぶっ叩いてから激しく腰を振ってやる」鼻息を荒くしてペイタは腰を揺らしている。


「ひどい、ペイタおかしいよ」口に手を置いて、怯えた顔してペイタを見る。


「とにかく、うんちって言うなよ、ちゃんとうんこって言え。“おうんち”なんて絶対に言うなよ、言ったらその平たい胸をぶん殴ってやるからな」そう言うと、ペイタは急にカレーを食べはじめる。


「で、うんこのクイズがなんなの?」パツコは食べ残しのカレーを端にどける。


「おまえ偉いな」口を動かしながらペイタが言う。


「えっ? 何が?」パツコは心持うれしそうな顔をする。


「もう一回言えよ」ペイタはカレーに向いて言う。


「ええっ? ……うんこのクイズがなんなの?」素直にもう一度言い直す。


「もう一回言え」ペイタはカレーを食べる。


「えええっ? ペイタしつこい、もうやだよ」パツコの体がすこし前のめりになる。


「もう一回言え」ペイタはカレーを食べる。


「もう、次で最後だよ。 ……うんこのクイズがなんなの?」微〈かす〉かに調子の上がった声でパツコが言う。


「わかった、問題を出してやろう」空〈から〉になった容器を端にどかすと、ペイタはパツコの頭へ腕を伸ばす。


「うわあ! 何すんの?」パツコは咄嗟〈とっさ〉に体を仰け反らせる。


「何逃げてんだよ、頭を撫でてやろうとしただけだよ」もう片方の手で残りのカレーをつかまえる。


「そうなの?」


 そう言うと、頬を緩ませたパツコは、麦わら帽子を脱いで頭を前に出す。すると脳天を軽く叩かれた。


「いたい! なんで叩くのよ?」素早く体を起こしてパツコは頭を摩る。


「うんこのクイズはとてもわかりやすい三択問題だ。形状や臭いを組み合わせると難易度が上がるから、おまえの小さい頭に合わせて簡単にしてやる」変わり果てたペンギンの手拭で汗を拭〈ぬぐ〉いつつ、カレーの詰まった口を動かして話す。


「ほんと、汚そうな問題だね」パツコは麦わら帽子を被り直す(思ッタ通リ、ペイタノウンチニ関スル問題ダ)。


「さて、おれが出したうんこは、いったい何色だったでしょうか? 一、紫色 二、緑色 三、橙色 さあ、どれでしょう?」そう言うと、勢いよく残りのカレーを食べはじめる。


「どれも普通の色じゃないよ? わかった、ペイタのうんこも色が変わって見えたんだね?」パツコが興味深そうに食いつく。


「知らねえよ、他のやつが見たわけじゃねえからな。ただ、おれが見たうんこの色を言ってるだけだ、本当なら、形状と臭いと量も問題に加えて、四問のクイズにしてえところだ」二人前のカレーはペイタに食べつくされた。


「他のは興味ないからいらない。そっか、ちょっと想像したくないけど、まずうんこ本来の色を想像すればいいんだ。それにペイタが見てきた今までの色をあてはめて推測すれば、うんこの色がわかるはず」そう言って鞄から色彩ハンドブックを取り出す。


「おまえすげえな、若い女のくせに、まわりを気にすることなく平気でうんこ、うんこって言ってるもんな。うれしそうにうんこって連呼する女なんて、なかなかいねえよ。それに、おれのうんこの色を熱心に推測しているんだもんな、頭おかしいんじゃねえの?」パツコの残したカレーに手を伸ばし、薄気味悪い口元を浮かべる。


「うるさい! ペイタがこんな下品な問題出すからでしょ? じゃなきゃ、好んでペイタのうんこなんて考えないよ。そもそも、こんなクイズを考えつくペイタのほうがおかしいよ」ペイタに向かって声を出すと、すぐに本のページに目をあてる。


「おれなんてまだまだ甘ちゃんだよ、おれの師匠なんて年季の入った真性のスカトロジストだから、毎晩浴槽に溜めた彼女の糞尿に浸〈つ〉かって射精してるんだぜ? ちんこを無我夢中で硬いうんこになすりつけて、手に持ったうんこを激しく体中にこすりつけて恍惚する姿は、もう神様そのものだよ。最近うんこの味がわかってきたようなおれの感性じゃ、まだまだ到達できない未知の領域だ。『食糞のマエストロ、マルオ・オッペケペール』って言えば、スカトロジストなら誰もがあこがれるんだぜ。今度おまえにも紹介してやるよ」そう話すと、残りのカレーを一気口に詰め込む。


「臭い! ペイタの話臭すぎるよ! いったいなんの師匠だか知らないけどね、うんこ風呂に入るような倒錯した師匠なんか、絶対に紹介なんかしないでよ、絶対だからね! もしわたしに会わせたら、そんな人、トイレットペーパーぶつけてやるから」これ以上ない程気持ちを表情に表してパツコが激する。


「なんだよ、せっかく人が親切に紹介してやるっていうのに、そんなにぶちきれることねえだろぉ? スカトロジストにトイレットペーパーをぶつけたって、何もなんねえよ、師匠をドラキュラやナメクジと勘違いするなよ。まったく、うんこ、うんこ連呼して、おれのうんこの色を必死に当てようとしているぐらいだから、おめえもスカトロジーの才能が眠っていると見込んでんのによ……」黄ばんだペンギンの手拭で口を拭いてから、体中を力一杯に擦〈こす〉る。ペンギンの嘴〈くちばし〉にカレーの色がこびりついている。


「しつこい! 言わせたのはペイタで、考えさせたのもペイタでしょ! 変態!」変態に力を込めて言う。


「何言ってんだよ、イルカを見て股間を濡らすおまえと同じで、うんこを見てカウパー液を漏らすだけじゃねえか、おまえもじゅうぶん変態だぞ!」頭を掻いて雲脂〈ふけ〉を散らしながらペイタが話す。


「素直にうれしがるのを、股間を濡らすと同じにしないでよ! だいいち、そんなすぐにわたしは濡れないもん」色彩ハンドブックを閉じてパツコが言い切る。


「おやおや、乙女なパツコちゃん、ついにビッチらしい話題に乗ってきたね、なんだって? わたしの股間はなんだって? うんこをどう思うって? もう一回大きい声で言いやがれ」パツコに醜い顔を近づけて言う。


「うるさいな、ペイタのでぶぅ! それよりもペイタのうんこの色わかったよ、二の緑色でしょ?」ペイタの顔から体を遠ざけてパツコが答える。


「てめえ、でぶって言ったな! 子の生めない体にしてやる!」突然ペイタが立ち上がる。


「でぶにでぶって言っただけでしょ、何が『子の生めない体にしてやる!』だ、相手の見つからない体をしてるくせに、偉そうにかっこうつけないでよ」鞄を手に取ると、小動物らしい素早さでテーブルから離れる。


「犯してやる!」持てる力を振り絞り、ペイタは重い体を素早く動かそうとする。


「うんこが大好きな、汚れたうんこでぶさん、あなたのおうんちは何色なの?」ペイタとの間合いを計りながら、パツコは愛らしく問いかける。


「うるせえ、知りたきゃ便所に行って見てこいよ、おめえの為にそのまま流さないでおいたからよ。スマートなイケ糞だぜ」ペイタが鈍重な動きでパツコを捕まえようとする。


「うわああ! 最悪!」


 楽しんでいるかのような声をあげると、ペイタを置きざりにパツコは建物の外へ逃げて行った(キャアア、クソデブガ追イカケテクル、逃ゲロ)。




 近づきすぎず、離れすぎない間隔を保ちながら(フフフ、ペイタニ捕マエラレルワケナイジャン)、パツコは海岸に続く陽に晒〈さら〉された小道を歩いた(ソレニシテモ、スゴイ暑サネ、空ノ色ガオカシイカラ、ナンカシックリコナイ)。昼下がりの炎天下、蓄えた脂肪を燃焼させてペイタが追いかける(クソッタレ、アイツズリィヨ)。帽子を被らない雲脂〈ふけ〉まみれの頭部に陽射しが直に突き刺さる。体の隅々から汗の滴〈しずく〉が落ちる。


 砂浜より高い位置に舗装された細い海岸通を歩きながら、パツコはあばら家を巨大化させた海の家を見下ろす(ナカナカ手ノ込ンダ装飾ガ多イナ)。無残に赤黒く焼けた肌の若者を溜め込み、安っぽい色に塗られた海の家は海岸通に沿って建ち並んでいる。平たいトタンで陽を遮り、それぞれ違った色で人々の目を惹いている。


 ココナッツに似せた科学香料は海風に混じり、肌を晒す人々が多く行き交う海岸通をすり抜ける。パツコの華奢〈きゃしゃ〉な腕に細かな砂の粒がつく。腕を摩りながらパツコは後ろを顧〈かえり〉みて(ヨシヨシ、チャントツイテ来テルナ)、すれ違う人々にも注意を向ける(アンナニ肌ヲ出シチャッテ、ミンナスゴイ大胆ダナ、オナカガデテイテモ、恥ズカシクナイノカナ)。麦わら帽子を深く被り直し(ソレニシテモ強イ陽射シ、腕ガヒリヒリ焼ケルノガワカル。コレジャア、スグ陽に焼ケチャウ、日傘ヲ持ッテクレバ良カッタ、デモオバサン臭イカナ? 日傘ヲサス若イ子ナンテイナイモンナ)、辺りをきょろきょろしながら歩き続ける。

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